映画『うまれる』監督・豪田トモさんに聞く“命と家族”のこと。そして、「生きづらさを抱えずにみんなが幸せを感じられる社会」とは。<前編>

2010年に劇場公開された、豪田トモ監督のデビュー作『うまれる』(ナレーション: つるの剛士)は、多くの人々の反響を呼び、その後も各地で自主上映が行われ続けています。2014年に二作目となる『ずっと、いっしょ。』(ナレーション: 樹木希林)を公開、2019年2月には初の小説となる『オネエ産婦人科~あなたがあなたらしく生きること~』を上梓しました。命・家族をテーマにした作品作りを通し、誰もが幸せを感じて生きられる社会作りに貢献したいと考えている豪田監督。それが実現するための社会のあり方、各々ができることについて、お話を伺いました。

豪田トモ / Tomo Goda 29歳の時に6年間勤めていた会社を辞めて、カナダ・バンクーバーにて4年間映画制作について学ぶ。帰国後は、フリーランスの映像クリエイターとして、テレビ向けドキュメンタリーやプロモーション映像などを制作。2007年に映像プロダクション「株式会社インディゴ・フィルムズ」を設立し、“命と家族”をテーマにした作品を作り続けている。
新作ドキュメンタリー映画『ママをやめてもいいですか!?』が来年(2020年2-3月)、劇場公開を予定。

 


  自分の両親との愛着問題が、制作のモチベーションだった

ー 豪田トモ監督と言えば、ドキュメンタリー映画『うまれる』の印象がとても強いです。どうしてこの映画を撮影することになったのでしょうか?

一番初めのきっかけは、産婦人科医の池川明先生の講演会に、ボランティアのカメラマンとして参加したことでした。正直にお話しますと、もともと僕自身が望んで参加したのではなく、お世話になっている先輩から声をかけていただき、断ることができずに行ったという経緯があります(笑)。

でも、その講演会に参加したことで、実はその後の自分の人生を変えたと言っても言い過ぎでないくらい、僕の中で驚きや、気づきがあって、命の原点である出産を切り口にした映画を撮ってみたいと思うようになりました。

その頃の僕は出産のことなんてまるで興味がなかったし、家庭を持つことや父親になることを全く望んでいませんでした。
その原因は、実の両親との関係性にありました。愛された記憶がないまま育った僕は、ずっと両親との関係に悩み、いわゆる“愛着障がい”を抱えていたんです。

“愛着障がい”を知らない方のために簡単に説明しますと、社会に出るまでに保護者からの無条件の愛情と信頼を与えられないと、子どもは自尊心が育ちにくくなり、大人になってから「生きづらさ」を感じるようになりやすい、というような考え方です(専門的には若干、説明ニュアンスが異なりますので気になる方はご自身で調べてみてください)。

それが、『うまれる』の製作を通じて、たくさんの出産シーンや子どもが育まれていく場面を撮影させていただくうちに「僕もこうやって産んでもらったのかな」「こうやって愛情をもって育ててもらったのかもしれない」と、少しずつ気持ちに変化がありました。それまで両親には恨みつらみばかりだったのですが、自然と感謝の気持ちが生まれ始めたんです。

それまでも、親が産んでくれたから自分がいる、と頭では理解していたつもりでしたが、僕の場合は「心から感じて」腑に落ちていなかったんです。

ー 『うまれる』を撮影することで、愛着障がいの問題は解決できたのでしょうか?

撮影期間中は、僕の心持ちが変わり始めたことで、少しずつ歩み寄りの兆しが出ていた段階だったと思います。
そして、ちょうど撮影を終了し終えた頃、一緒に映画を作ってきたプロデューサーで、妻の牛山朋子が妊娠しました。

その頃には「父親になりたいな」と思えるようになってきていたので、心の準備は万全。その後、お腹の子どもが育つ期間、ちょうど十月十日をかけて映画の編集が終わり、完成しました。舞台挨拶のときには、妻は臨月ではち切れんばかりのお腹だったのが印象に残っています。

お腹の子には「舞台挨拶が終るまで、もう少し待っていてね」としつこいくらいに話していたんですが(笑)、ちゃんと話を聞いてくれたのか、公開から約10日後の、ちょうどいいタイミングで産まれてきてくれました。

親との関係は、映画を作る過程でも徐々に改善されてはいましたが、本当にすっきりと和解ができたのは、『うまれる』が完成して初めて、父親が褒めてくれた時かもしれません。

結局、振り返ってみると、僕は、親から無条件の愛情や信頼を受けたと感じられないことで生じている心の隙間を埋めたい、親に認めてもらいたい、という一心で映画を作り続けてきたようなんですね。
そんな僕に、初めて父親が「がんばったね、いい映画をつくったね」と認めてくれたことで、スーッと心の底から、今までのわだかまりが浄化されていくのを感じました。

 

  新たに見つけた、“命と家族”にまつわる探求テーマ

繰り返しになってしまいますが、僕は、愛着障がいでぽっかりと空いてしまっていた心の隙間を埋めるために、最大限の努力をして映画作りをしてきたような気がします。

それが、映画を作りながら親への感謝の気持ちが芽生え、親にも受け入れられていると感じられるようになりました。結婚して子どもも出来、そして映画がヒットしたことなどによって「人に認めてもらっている」という感覚を得られるようになり、すごく満たされて幸せになりました。

そうしたら…実は、作品作りに対する意欲が少し、無くなってきちゃったんです(笑)。
自分の周りからも、社会からも愛情と信頼を感じられるようになったことで、燃え尽きてしまったっていうんですかね。あんまり頑張る必要が、なくなっちゃった(笑)。

しかし、それは僕にとって、自分の生き方に改めて向き合い、自分らしさみたいなものを見つめなおす機会にもなりました。

それまでは、「認められるために頑張る」というのが、いわば「自分らしい生き方」だった。でも、いざ自分の居場所ができたら精神的に安定してきて、以前に比べて「認めてもらいたい!」というエネルギーが少なくなっちゃったんです。

素晴らしいことなんだけど、こりゃあ、困ったぞ…と(笑)。じゃあ、これからどんな生き方をしたらいいんだろう。自分らしく生きるってどうすればいいんだろうって、考えるようになりました。

そんなある日、ぼんやりとテレビを見ている時にオネエタレントの方々がすごく気になったんです。格好や言葉遣いなど、この人達がこのように、自分を究極にまで表現できるように至るまでには、ものすごく大きな葛藤があったんじゃないかなぁって思いました。
真剣に自分と向き合って、「自分らしさ」を貫いている人たちなんじゃないかと、興味が沸いたのです。

ー その時の気づきが、上梓された小説『オネエ産婦人科』へと繋がったのでしょうか?

元々はジェンダーやLGBTといったことについて、僕はほとんどと言ってもいいくらい何も知りませんでしたが、ちょうどその頃、たまたま友人から紹介していただいた研修医の男性の一人が、LGBT当事者だったというご縁がありました。

LGBTについては、ある程度ご存知の方も多いと思いますが、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)の方々の頭文字を取った総称で、「性的マイノリティ」の方々を指す言葉です。

ある食事会でご一緒したのですが、当時3歳だった僕の娘とすごくよく遊んでくれて、彼は将来いい父親になるんだろうなって微笑ましく見ていました。

でも時折、「子どもって本当にいいなぁ。でも僕は親になれないからな…」みたいな発言をポロっポロっとしていたんです。
周りの人は気づかなかったかもしれませんが、僕は職業柄そういう言葉は聞き逃さないんです(笑)。彼はきっと何かを抱えているんだろうな、と思っていました。

そしてちょうどいいタイミングが訪れた時に、彼に聞いてみると、身体的には女性として生まれたものの心が男性の、いわゆるトランスジェンダーである、ということを話してくれたんです。
僕も驚きましたが、彼を紹介してくれた友人は知り合ってから3年間、全く気づいてなかったので「マジか!!??」と、めちゃめちゃ驚いていました(笑)。

ー なるほど。その方とお話しされる中で、どういう部分が“命と家族”のテーマに繋がったのでしょうか?

彼には後日じっくりお話を聞いたんですが、彼は3歳くらいの頃から既に自分の性に違和感を覚えていて、「自分は女の子じゃない」と思っていたそうです。
スカートを履くのが嫌でずっとズボンを履いていたこと、幼稚園の卒園式のときに無理矢理スカートを履くことを強要されて大泣きをしたとか。そして、大人になるまで、ずっと心の中で「自分は社会不適合者だ」、「親を騙して生きている」と苦しんでいたそうです。

今はもう両親にカミングアウトをして、両親も彼のことを受け止めてくれているそうですが(彼は既に性別適合手術をして、戸籍も男性に変更、今年、女性と結婚もして、とても幸せに暮らしています)、彼の話を聞いたときに、これは僕が追いかけている “命と家族”というテーマにつながるものだ!と確信しました。

それから、『うまれる』と「LGBT」を合体させたような作品を作りたいな、と思うようになりました。

僕はこれまで妊婦さんや、パパ、医療者などなど、色んな方を取材させてもらってきた中で、お互い必死なんだけど、必死ゆえに埋められないギャップがあるのも見てきました。
これを少しでも埋めていけないかなと思った時、もし、「オネエの助産師さん」もしくは看護師さんたちがいたら、実は話が早いんじゃないかなと(笑)。

「オネエの助産師」という「自分では産めない」「世間でいう“普通”の親にはなれない」存在が、出産現場の最前線にいたら。
もしかしたら、産みたくないという悩みや産めないという苦しみ、妊娠・出産・育児に対する不安、パートナーへの不満、医療者への不信感…など、様々な課題が改善されるだけでなく、これまでとは全く異なるアングルから“命と家族”というテーマを語れるかもしれない、と思うようになったんです。

当然、これはドキュメンタリーでは作れないし(笑)、ジェンダー的にバラエティに富んだ医療者が働くクリニックを舞台にした、少しファンタジー要素も入った物語だったら、多様性に富んだ作品になるんじゃないかな、とも思いました。
何より、「オネエの助産師がいるクリニック」って、単純に想像したら面白いんじゃないかと (笑)。

 

  暖かい眼差しで、世の中に“普通って?”と問いかける

ー 豪田監督の作品は、「多様性」や「色々な生き方のバリエーション」がいつもキーになっていると感じます。中でも特に、今回の『オネエ産婦人科』ではその多様性の振り幅がすごい。いわゆる“普通”の妊娠出産を自身では経験しない人々が医療者で、そこに来る患者さんたちも、様々な事情を抱えていますよね。そんな設定だからこそ「今辛いところにいる人も大丈夫だよ」と、幸せの多様性を“斜め”というか、全然違うところから問いかけてもらっている気持ちになります。
少し具体的な話になるのですが、監督の前にもし今、産む·産まないの狭間で苦しみの中にある方がいたとして、世にいう“普通の妊娠”“普通の出産”と自分の現状の違いに葛藤していらっしゃるとすれば、どんな言葉をかけますか?

言葉をかけてあげられるとしたら、「大変だよね、辛いよね」って言葉しかないです。いや本当にかけてあげる言葉なんて、おこがましくて何もない。

だからできるならその方の気持ちにただただ、寄り添いたいです。時間が許すのであれば、その方の話を聞いて、受け止めてあげたい。もちろん、全ての人にそれをすることはできないので、作品を通して、辛い思いをしている方に対して何かを伝えていけたらと考えています。

第一作の『うまれる』という映画の中では9年間、不妊治療を続けた上で産まない選択をしたご夫婦の物語が出てきますし、第二作の『ずっと、いっしょ。』では不妊治療の末に子どもを授かった方の出産物語が含まれています。
実は今回の『オネエ産婦人科』でも、子どもを望むものの産むことが出来ない方の物語がありました。ただ、原稿をたくさん書きすぎちゃったので、カットになってしまったんですが(笑)、いつかよみがえってくれたらいいなと思っています。

他にも、『うまれる』公開時に、不妊治療を受けた後に授かったご夫婦の出産ストーリーをYouTubeで公開させていただきましたが、これは500万以上のヒットになっています。

もし、自分を責めてしまう思考に今いるなら、どうか、そんなに自分を追い詰めないで欲しいです。すごく難しいと思いますがなるべくポジティブポジティブに…って。

なるべく自分が幸せに感じられる考え方をしていただきたいと願っていますが…でも、渦中にいる方には、容易いことではないですよね。
もし「そんな簡単な話じゃない!」と思われたら、僕のこの話はどうぞスルーしてくださいね。

ただ、これまでたくさんのご夫婦、カップルとお話しして来た経験から、お伝えできることがあるとするならば、『うまれる』に出てきた女性のように、ご自身の子を「産む」という形でないとしても、「社会の子ども」に対して何か役立つことをする、育てるという考え方もあるかもしれません。

また、まだ作品にはなっていないんですが、養子縁組や里親制度のことも僕はずっと取材をしてきています。
国内だけでなく海外でも取材をしていて、たくさんの血の繋がっていない親子を見させていただいてきましたが、それも選択肢の一つだと心から思います。

取材・文 / 大曽根 桃子・UMU編集部、写真 / 望月 小夜加、協力 / 牛山 典子

 


「社会の“普通”のものさしを、やわらかく変えていくこと」ー。彼自身の「生きづらさ」の原体験や、無数の命・家族の現場を経たいま、これが豪田監督の内なる使命なのではないか。編集部は、そんな風に感じました。このあとに続く<後編>では、不妊・産む・産まないというテーマを含め、みんなが呼吸のしやすい、幸せを感じられる社会とは?そして、その実現のために私たちができることについて、ご一緒に考えていきます。

<後編>はこちら!

 


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