「日本で子どもを産み、育てたい」~“妊婦や子どもにやさしくない”と言われるこの国で、早産を乗り越えた日系ブラジル人の私が、想うこと。

日系ブラジル人として、サンパウロで育ったリリアンさんは、安全で清潔な国で子育てをしたいと願い、父と祖父母の故郷である日本へ来ました。そんなリリアンさんを待ち受けていたのは、予想外の事態でした。
妊娠29週目で破水、32週目で早産。入院中の医療従事者との会話では、難解な日本語の医療用語を、簡単に解説してもらえるよう頼むことが必要でした。また、出産前後、リリアンさんは日本人の妊婦への接し方や子育てに対し、違和感を抱きます。
それでも「日本で子育てを続けたい」と言うリリアンさんに、詳しく話を聞きました。

山口リリアン恵 / Yamaguchi Liliam Megumi 
1988年、ブラジルのサンパウロで、日系ブラジル人として生まれる。家庭では日本語、学校ではポルトガル語を話し育つ。大学で調理を学んだ後、パティシエとなり、サンパウロ内のレストランに勤務。ブラジルの貧困層を支援するボランティア活動で、マウロ・ラファエル・ドス・サントスと出会い2015年に結婚。結婚後、子どもができたときのことを考え、日本で暮らすことを決意し来日した。2018年に第1子を出産、現在は東京都江東区に住んでいる。

 


「日本で出産したい」

  産み、育てる場所として日本を選んだ理由

― どうしてブラジルではなく、日本で出産・子育てすることを選んだのですか?

ブラジルでは誘拐事件が多発しています。私たち夫婦はふたりとも、子どもができたら治安の良い国で育てたいと思っていました。そのため結婚して1年後に来日しました。

最初は他の国も候補にあがっていたのですが、夫のマウロが日本のサブカルチャーが大好きだったことと、私が日系ブラジル人で、日本語は多少話せるけど英語は話せないことが理由となり、最終的に日本を選びました。

― 外国で暮らすことに、不安はありませんでしたか?

私は日系といっても、他の外国語よりは日本語ができる程度で、ネイティブレベルではありません。両親や祖父母と日本語で会話はしていたのですが、実家の家族が日本にいた頃とは時代も違うので、来日する前は、現代の日本語がわかるか不安でした。

夫のマウロは私より日本語が話せません。2016年に来日し、マウロが大阪で仕事を始めた後は、ふたりとも日本語学校に通いました。その後、マウロの仕事の関係で東京に移住しました。

 

  突然の妊娠

― 子どもは、来日してすぐ欲しいと思っていましたか?

私はブラジルで調理の仕事をしていて、東京でもパティシエになるための専門学校に通うつもりだったので、子どもを持つのはもう少し後にしようと夫婦で話していました。

妊娠がわかったのは2018年の2月です。本当は、その年の4月、専門学校に入ることが決まっていたので、びっくりしました。専門学校入学は延期しました。

― 急に妊娠がわかったのですね。日本で子育てをすることは、来日前から決めていたと先ほどおっしゃっていました。しかし、リリアンさんにとって日本は外国です。外国で出産することに抵抗はありませんでしたか?

ブラジルにいる母は、ブラジルでの出産を勧めました。
赤ちゃんのうちはしばらく飛行機に乗れないですよね。だから、産む前に私をブラジルに来させて、生まれたばかりの孫の世話をしたかったみたいです(笑)。

ただ私自身は、日本で出産することに迷いはありませんでした。

日本では里帰り出産といって、妊娠した女の人が実家に帰り出産することが多いそうですね。ブラジルでは、夫を一人にして妻だけ実家に帰るのは、たとえ妊娠中でも珍しいことです。

既に日本で仕事をしている夫を残して、ブラジルに帰って出産することは考えていませんでした。

 

  妊娠中に感じたギャップ

― リリアンさんは、妊娠中も日本でずっと過ごしていたとのこと。想像と違っていたことはありましたか?

良い面と悪い面がありますね。良い面は、日本の公衆トイレが安全で清潔だったことです。妊娠中はトイレが近くなったので、助かりました。

悪い面は、日本は妊婦さんに冷たい人がときどきいることです。

例えばブラジルだと、バスや電車で座っているとき、寝ていて目の前に立っている妊婦さんがいることに気づかない人がいると、周囲の知らない人たちが皆で寝ている人を起こします。起きた人は、あわてて妊婦さんに席を譲ります。
日常的な光景で、私やマウロもそれが当たり前だと思って育ちました。

ところが、東京は逆でした。電車の中で立っていると、目の前で座っている人が、私が妊婦だと気づき、いきなり眠り始めたんです。
日本人は妊婦さんにもやさしい人が多いと思っていたのに、残念な気持ちになりました。

― 出産費用の面ではどうでしょうか?

ブラジルは、出産費用が無料の病院と有料の病院に分かれています。経済的に余裕がない人は、無料の病院で出産できます。

江東区では、無料で出産できる病院が見つけられませんでした。出産費用の支援はあったのですが、その支援額を引いても、出産にかなりのお金がかかりました。

自治体によって支援額は異なるのかも知れません。ただ、私の場合は最終的に早産になったので、なおさら出産費用がかかってしまいました。

― 相談できる、出産経験のある友だちはいましたか?

日本にはいなかったので、メッセージアプリを使って、ブラジルにいる日系ブラジル人の友だちに相談していました。
彼女は既にふたり子どもがいるので、どのようなベビーグッズにどのくらいお金を使えば良いのかなど、相談にのってくれました。

― 妊娠中、産婦人科にも通っていたと思います。医師から出産について説明を受けたとき、日本とブラジルで出産に対してどのような点が異なると感じましたか?

ブラジルでは、帝王切開でも立ち合い分娩ができます。日本だと、帝王切開の場合は立ち合えない病院がほとんどのようですね。

自然分娩で産む予定でしたが、もし何かあれば、出産のとき夫のマウロが一緒にいられないかも知れないと思い、心配でした。
私のその不安は現実になりました。この後、詳しくお話します。

 


妊娠32週目での出産

  深夜に破水し、NICUへ

― 何週目で早産の危険がわかったのですか?

29週目です。2018年7月31日の朝4時、破水しました。夫を起こし、病院に電話をかけました。

その頃私は「破水」という日本語を知らなかったので、「水が出ました」と電話に出てくれた人に言いました。意味が通じ、「15分後にまだ破水していたら、もう一度連絡してください」と言われました。

15分経っても破水していたので、再び電話したところ、NICU(新生児専用の集中治療室)に空きがなかったため、他の病院に入院することになりました。

― 外国で緊急入院は初めての経験ですよね。どのような気持ちになりましたか?

意外だと思われるかも知れませんが、「焦ってもしょうがない。早産は日本でもブラジルでも、よくあることだから大丈夫」と落ち着いた気持ちでいました。

しかし、病院に行った後、医師から「これから48時間以内に出産になるかも」と言われたときは、さすがに心細くなりました。赤ちゃんが生まれるのには早すぎる時期なので、「まだ生まれないで」と一生懸命祈っていました。

― そのときは生まれなかったのですね。

はい。羊水は出続けていましたが、3週間、点滴に繋がれながら、静かに過ごしました。

二日に一度は点滴を変えたり、定期的に血液検査や尿検査をしなければならなかったりしたので、つらかったです。その3週間と、出産してから私が退院するまでの1週間、お風呂に入れませんでした。

とはいえ、入院中に生まれたら、早産のため危険分娩になる可能性があります。

精神的にも苦しい入院生活でしたが、まだ生まれてほしくない、という気持ちのほうが強かったです。

 

  入院中に感じた言語の壁

― 医療用語は専門的な日本語も多かったと思います。その点で不自由は感じませんでしたか?

日本の医療用語はとても難しかったです。私は子どもの頃から、家庭では日本語で会話していました。しかし、日本語のネイティブスピーカーではありません。

ただ顔立ちが日本人のように見えるので、外国人だと気づかれずに私に対して早口で説明する医師もいました。

― 言語の問題はどうやって解決しましたか?

「簡単な日本語で話してください」とお願いしました。
すると、医師も看護師も、難しい日本語を避けてシンプルな表現を選び、私と話してくれました。

一人だけ英語が話せる看護師がいたのも印象に残っています。私は英語がわからないのですが、夫のマウロは英語が得意なので、その看護師から説明を受けるときは、マウロに通訳をお願いしました。

― マウロさんは日本語、リリアンさんは英語が初級レベルですね。そして、ネイティブ言語はお二人ともポルトガル語。

そうなんです。だから、お互いにわからない部分は助け合っていました。

 

  急きょ帝王切開での出産に

― 出産までの流れを詳しく教えてください。

入院中の8月16日の深夜、陣痛が始まりました。時期的に早すぎたので、陣痛を和らげる薬を点滴で入れました。しかし、陣痛の間隔は、30分、10分と縮まっていき、お腹の筋肉も収縮を始めました。

内診で子宮口が開いているか確認してもらったら、まだだったので、夫は仕事に行き、私はしばらく横になっていました。

朝10時、陣痛の間隔が5分単位になりました。担当する医師が「週数を考えても赤ちゃんが小さすぎるので、自然分娩は無理だ。帝王切開しなければならない」と判断し、私に告げました。

急展開でしたが、子どもの命がいちばん大事です。立ち合い分娩ができないのは残念でしたが、承諾しました。
連絡を受けた夫があわてて職場から病院に戻り、その直後に私は手術室へ入りました。

― 帝王切開でお子さんが生まれ、初めて会ったときどのような気持ちになりましたか?

突然こんなことになったので、息子が生まれた直後に会ったときは、まだ自分が妊娠しているような感覚でいました。

2日後、NICUにいる息子と対面すると、苦しそうに息を吸ったり吐いたりしていました。ようやく出産した実感がわいてきて、「どうか生きて欲しい」と思いました。

私は一週間で退院しましたが、息子は一人で呼吸ができず、ミルクも飲めなかったので、しばらくNICUにいました。
1か月後にやっとミルクが飲めるようになり、退院しました。

息子の退院2週間前に、ブラジルから私の母が来ました。それから1カ月、母が家事を手伝ってくれて助かりました。

幸運なことに、退院後、息子は元気に育っています。

 


日本での子育て

  保育園の待機児童問題

― 1歳くらいから、息子さんは保育園に入ったそうですね。

ええ。保育園を探しているときに、再びブラジルと日本の違いを知りました。

今、私は専業主婦です。ブラジルなら、専業主婦でも自由に保育園に入れられます。

江東区周辺で保育園を探しましたが、見つかりませんでした。驚きました。日本では、保育園も保育士も足りていないのですね。

― リリアンさんはどうやって保育園を見つけたのですか?

結局、江東区の自宅近くで保育園に入れることを断念しました。

夫の職場に、社員の子ども専用の保育園があるので、そこにあずけています。送り迎えは夫にしてもらっています。

 

  問題が解決されれば、日本は子育てに適した国

― 一連の体験をへて、日本で子育てすることに関して、現在どう思っていますか?

ブラジルとの違いを日々感じています。

保育園の見つけづらさもそうですし、ブラジルなら、散歩中にすれ違うと、知らない人でも「この子、かわいいわね!」と子どもに声をかけてくれます。日本では全然話しかけられません。

それでも、私も夫も日本が大好きです。私たちが息子を通わせている保育園での食事では、子どもにアレルギーが出ないかどうか二カ月に一回チェックしてくれます。
それから、息子は実際に果物を触り、保育士さんから「これはりんごですよ」「これはゆずですよ」と、日本語を教えてもらっています。

ブラジルだと、アレルギーのチェックは親に聞いて一回だけだという保育園が多いですね。
ブラジルの保育士さんは離れた場所から子どもを見ながら、遊ばせたり運動させたりしています。

日本の保育園は、ブラジルと比べて細やかだなと感じています。

― 逆に日系ブラジル人のリリアンさんから見て、「この問題が解決されれば、日本は子どもが育てやすくなるのに」と感じることはありますか?

例えばブラジルでは、妊婦さんや小さな子どものいる人、障がいのある人、高齢者は、スーパーや銀行で並ばなくても良いという法律があります。ストレスを感じないように、優先してもらえるんです。

日本にはそんな法律がありませんね。
先ほど述べた保育園が足りないことや、知り合いではない子どもに誰も声をかけてくれないのもそうですが、子育て支援が充実していないな、と感じてしまうことは正直あります。

今の状態を変えるためには、個人だけではなくて、国や自治体が一丸となって動くべきだと思っています。

東京都江東区は治安も良いので、安心して息子を育てられます。いろいろありましたが、今は日本で夫や息子と生活するのがとても楽しいです。

日本は良いところがたくさんあります。大好きな日本が、妊婦さんや子どものいる人たちにとって、過ごしやすい国になれば良いなと感じています。

そう願いつつ、今後も私たちは、日本で子育てを続けていきます。

取材・文 / 若林 理央、写真 / 佐藤 征二

 


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