無知ゆえに遠回りした不妊治療。 正しく知り、早く、適切に行動することで、 苦しむ女性がひとりでも減るように。

32歳のとき病院から下された、突然の「あと1年で閉経」宣告。大切な自分の身体のことなのに、妊娠についてはあまりに、知らなかった。クリニックを渡り歩き、体外受精を繰り返し、海外での卵子提供の段取りまで終わらせたところで、最後と決めた体外受精にて、妊娠。不妊治療の葛藤や、医療との付き合い方、世間の目についてなど、森瞳さんが当事者として感じてきたことを、率直に語ってくれた。

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森 瞳 / Hitomi Mori  1977年生まれ。33歳の時に初めて不妊科にかかり、卵巣年齢(AMH)が50代と同程度の数値であることを告げられる。6回の転院と、10回以上の体外受精を行い、第一子を妊娠。自らの経験から、妊娠や不妊についての正しい知識を次の世代に伝えて行こうとNPO法人umi~卵子の老化を考える会~を立ち上げ、当事者たちとのお茶会や、妊娠についての啓蒙活動も行っている。現在は第二子を妊娠中。

 


「不妊」と直面したきっかけ

  親戚を安心させるために病院へ

結婚は29歳のときです。26歳でエステ店を起業して、会社もまだまだだし、もう少し仕事もしたいところだったので、子どもは35歳くらいまでに産めればいいかなぐらいに思っていました。

ただ、主人の親戚が結構うるさくて、「女のくせに仕事ばっかりして」みたいなことを、毎年、毎年、言われてたんですよね。1年に1度くらいのことだからと我慢していたんですけど、ある日、FAXが5枚ほど送られてきたんです。「ひとみは仕事を頑張ってて偉いなぁ」というのから始まって、「だけど忙しくて産めないのなら、代理母のエージェントがここにあるから行け」みたいな内容だったんです。

主人の年齢は一回り上で、義両親はすでに他界していました。血筋を残すという話になった時に、主人が若い娘と結婚したし、子どもを産むだろうと思っていたのに、いつまでたっても産む気配がないということで、親戚たちはやきもきしていたんでしょうね。

それでもいきなり代理母だなんて飛躍しすぎだと思ったので、だったらちゃんと検査してもらって、私はいつでも産めますよって安心させようと思って、病院に行ったんです(笑)。33歳の時ですね。

それで病院に行ったら、通院2回目ぐらいで、「すぐに体外受精を始めてください」っていう話になっちゃって。

 

  「1年で閉経してもおかしくない」という、突然の宣告

最初の病院は、単純に“仕事をしながらでも通える不妊科”というところで、インターネットで調べて一番近かったので、選びました。実は結婚する時に、近くの婦人科でブライダルチェックに行っていたんですよ。でもその時は漢方を処方されただけで、「ふつうにしていれば妊娠できますよ、どこも悪いところはありません」と言われたので安心して、何もせずに過ごしていました。

ふつうに性生活もあったし、妊娠できなくても、タイミングとか測っていなかったし、生理不順とかそういうこともあるのかな、と、本当にまったく疑問に思わず過ごしていて。

そしたら、ちゃんと『不妊科』というところに行ったら、2回目くらいの通院で、「すぐに体外受精しないと、1年ぐらいで閉経してもおかしくない」と言われて。もう、突然の宣告で、頭が真っ白になりました。

「すぐに閉経する」という話の根拠となるのは、AMH(アンチミューラリアンホルモン)というもの。卵子が卵巣内にどれだけ残っているかを表すホルモンの数値で、私はこれがとても低く、卵子が50代の人と同じくらいの数しかもう残っていません、ということでした。だからもう、体外受精を急いでくださいということだったんです。

子どもはいつかはほしいという気持ちはあったけど、でも、今じゃないなって思ってた。仕事をまずはしたいと思ってたから。そこに、もう子どもは作れないかもしれない、1年ぐらいで閉経するかもしれないなんて、まるで余命宣告された気持ちで、毎日、泣いて暮らしました。

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葛藤とともに不妊治療へ

  治療への抵抗感

最初は、不妊治療にすごく抵抗がありました。調べたり聞いたりしてきた中で、薬をたくさん使うらしいとか、時間的拘束が大きいらしいとかいった自分のイメージがあり、抵抗があって。

まだ仕事したい気持ちが強い時期だったから、「33歳でもしできちゃっても、仕事どうしよう」、そんな思いも正直ありました。そんな、今すぐ作れって言われても、でも作らないと作れなくなっちゃう、だからしょうがないか……みたいに、グルグルと悩んでた。

その宣告を受けてから3か月くらいは、もう何もする気にならなくて、病院に行かなかったんですよね。そこからまた、悩みながらも、最初に検査した病院じゃないところに行ってみることにしました。

最初は自分の先入観もあり、薬を使うことがすごく怖かったので、自然に治療してくれる病院をと、都内のある有名なクリニックに行ったんです。そこでも検査して、やっぱりすぐに治療を始めなきゃダメだということで、その周期からすぐに治療を始めました。そこでは2回体外受精したかな。結果は、ダメでしたけど。

実はそこで、1回目の体外受精で着床したんです。でも、流産した。初めての体外受精でそうなったから、すごく打ちひしがれてしまって。

 

  「迷惑がかかるからプロジェクトから外れなさい」

ちょうどその頃、あるプロジェクトに参加していました。なるべくそこの人たちに迷惑をかけないようにと思っていたので、はじめに話をしておいたんです。「これから不妊治療をしていくので、もしかしたら迷惑をかけるかもしれないけれど、でもこのプロジェクトはこれからも、一緒にやっていきたいと思っています」って。

だけど、やっぱり治療のスケジュール的に厳しい時があって。その日に行けないとか、移植した日に遅刻したりとかしていたら、「そんな風だったら、周りに迷惑がかかるので辞めなさい」って言われてしまったんですよね。

そんなこととか、ショックなことが重なって、精神的にもう体外受精をする気になれなくて、治療をステップダウンしました。

 

  転院を繰り返した果てに

体外受精でしか妊娠できないと言われてたけど、その後また転院して、人工授精を3回くらいやりました。

これは私個人の感じ方ですが、人工授精と体外受精では、身体やスケジュールの負担が違うように思いました。人工授精の方がスケジュールも緩いし、簡単だし、金額も私の場合、10分の1くらいだったので。

結果的に、人工授精ではできませんでしたけど、3回やったらもう以前のクリニックに戻る気にならなくて。なので他の区にある別のクリニックに再転院して、毎月、1年くらい通いました。また体外受精での治療を再開したんですが、そこでもできなくて。

でも、ご縁をいただきいろんな先生の話を聞く機会があった時に、それまで私が通っていたクリニックは、身体に負担なく自然に体外受精ができるということをウリにしているんだけども、実はそれは私には効率が悪いのかもしれないということが分かってきて。

一概には言えないけど、先生方の話によれば、ホルモン値(AMH)が極めて低い私はいい卵子が育ちにくい傾向があり、やっぱりそこは薬など、医療の力を借りて、いい卵子を作って妊娠させるというプロセスを踏んだ方が望ましい可能性があるということが、理解できてきたんです。

それで、最初に検査した近所の病院に戻って、副作用が怖くて避けていた、薬を使っての採卵をしたんです。そこで2回、体外受精をしましたが結果が出なかったので、最終的に、またさらに別のクリニックにもう1回転院して、そこの1回目の体外受精で第1子を授かったんですよね。

この時、一番最初に宣告を受けてから約3年、36歳になっていました。

 


不妊治療と仕事

  「授かれないかもしれない私」のための、心の保険

不妊治療をしながらも、ずっと仕事は続けていました。あくまで私の場合ですが、身体の負担は大きかったですよ。でも仕事を辞めようと思わなかったのは、起業して、借金もあって、スタッフもいたから。

お店を誰かに任せるとか、そういう考えはなかったです。その頃ちょうどサブプライムやリーマンショック、それに東日本大震災などが起こり、日本の経済が落ち込んでいて、本当に時期が悪かった。お店の売上も落ちていて、新しいスタッフを雇う余裕もなかった。だから自分がやらざるを得ないというのは、確かにあったと思います。

それに、スタッフを雇うために自分のお給料を削ってしまったら、今度は治療にかけるお金がなくなってしまう。これから経営を建て直さなきゃいけない時に、私が抜けるわけにはいかなかったし、あの時は仕事に対する執着もあったから、手放すということはできなかったな。

あと、今思い出してみると、もし仕事を辞めたら「子どもができなかった時、私には何も残らない」という、恐怖心もあったんですよね。だから、仕事を保険にしていた部分も、私の場合はあったと思います。

 


ゴールはどこにある?

  後悔だけはしないように、やれるところまでやり尽くそうと決める

― 実際これだけ病院を変えて何度もトライしてきて、森さんにとって治療を続けることの意味はどんなことだったのか。そして、不妊治療のゴールは見えていたのでしょうか?

第1子の時は本当に迷宮に入り込んでいたので、ゴールは全く見えない状態でした。

子どもを持つことができないかもしれないという諦めの気持ちもありつつ、最終的には50歳になった時に、これだけやってできなかったんだから、神様から決められていたことなんだと思えるくらい、後悔のないところまでやり尽したい、と思いました。

自身の苦い経験から知識をつけてきた中で、妊娠というもの自体、そのプロセスがほとんど解明されていないことを学んできました。専門家ではないので私見ですけど、生殖医療というのは、確率が高くはない医療なんだと思います。また、自分で調べた限り、病院によっても方針がさまざまなんですね。だから自分のやりたい治療をある程度やり尽して、それでも今の医療では私に子どもができないなら、卵子提供まではと考えていました。

実際、海外にも渡って、もういつでも卵子提供してもらえる準備も整えていました。それで、そこまでやっても私はできないんだったら、もう仕方がないね、というゴールは決めていた。でも、将来、後悔だけはしないようにと思って。

 

  「どうして、私は、子どもがほしいのだろう」

今は2歳の子どもがいるから言えることもあるけど、不妊治療をしている時は、「なんで子どもがほしいのか」なんて、本当は分かっていなかった。ほしくて治療していたはずなのに、正直そこは最後まで分からなかった、私には。

子どもって、自分の時間もなくなるし、なんだかとても大変そうだし。私も親から、あんたは本当に大変だったってずっと言われていたから、「子どもは大変だ」という意識が染みこんでいたのもありました。だから、仕事が大変だからとか言って、子どものことは後回しにしてたんですね。

でも世間は、「なんで子ども作んないの?」とか言ってくるでしょう?かたや、ひとたび治療を始めると今度は、「そんなにつらいならやめればいいじゃん」って言う人もいれば、「なんでそこまでして子どもほしいの?」って言う人もいる。もう挟み撃ち、総バッシングです。

ただ子どもができた今は、子どもがいるからこその人生のふくらみみたいなものがあるように感じています。そのうち大きくなって「クソババァ」って言われたり、財布からお金抜かれたりすると思うよ、きっと(笑)。でも、自分自身も成長していくというか、世界観が広がっていく部分もあるな、と今は思ってます。

でもそれを、子どもがいなかった時の私自身にうまく説明しろと言われても、こればっかりは分からないと思うし、治療中の人や子どものいない人たちに、共感してくれとは言えない。

ただ、そういう経験を自分がしてきたからこそ、どの立場にいる人たちも否定はしないし、応援したいというスタンスになったかと思っています。

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早くから、妊娠に関する正しい知識を

  NPOの立ち上げ

一連の不妊治療経験を経て、2013年にNPOを立ち上げました。

私は18歳からエステの世界に入っていたので、身体や健康のことには興味があって勉強もしていて、多少なりとも自分の健康に関することには自信があったんです。それなのに、いきなり1年後に閉経するかもって言われて、どないこっちゃねん!って。ショックでした。

高齢出産してる人がたくさんいるのを見て、「妊娠っていつでもできるんだ」「現代の医療の力があれば歳取っても誰でも産めるんじゃない?」って、ほんと、妊娠に関してそれぐらいの知識しかなかったんです。親からもきちんと教わったわけでもなかったし、私の場合はお医者さんに診てもらっても、ふつうにしていれば妊娠できますよって言われたわけですし。

誰も正しい情報を教えてくれなかった、ということで私はすごく後悔して。これは、妊娠に対する正しい知識を教える団体がなければいけない、と思って立ち上げたNPOなんです。

みんな結構適当なことを言うことがあるんですよ。だから、最終的には自分で調べて情報を取っていくしかないと思うんです。でも体外受精しか打つ手がなくなってからではなく、もっと早くにできることもあると思います。

別に早く結婚しろとか早く子どもを産めとか、そういうことではなくてね。早期に自分の身体のケアとか検診とかをちゃんとできる場所があった上で、自分のライフプランを考えられたらいいなと思うんです。それと、自分で身体のケアができることを知っておくといい。そうすれば、適切な時に、適切な行動が取れるので。

 

  不妊治療に答えはない

NPOの活動では、「お茶会」という名の交流会を定期的に行っています。同じメンバーが参加することもあれば新しい人が加わることもあり、その時によって参加者の顔ぶれはそれぞれですけど、参加されるのはやっぱり不妊治療されている方です。これまでのべ1,000人以上とお話ししてきたかな。

治療中の方の中には、他人の妊娠している姿や子どもを見るのが嫌だという方もいます。私自身もそうでした。だから、その気持ちは分かります。

実際、そんな方たちもいる中で、私は今第2子を妊娠して活動をしている訳です。でも正直、本当に嫌だったら参加されないと思いますので、それでもいいという方が来てくださっている。

だから、そこでは私自身の話はしません。私の考えはイチ価値観に過ぎないし、私も、そういう人たちの言葉に傷つけられてきたから。参加してくれた方が、もう10回も治療をしています、こういう治療をしているけどうまくいかないんです、っていうのに対して、答えるだけにしています。

たとえば私自身の妊娠した時の内膜の厚さとかも、聞かれたら言うけれど、その人が何ミリだからダメだとか、私は何ミリで妊娠したとか、個人的には意味がないし、アドバイスにならないと感じています。

正解はないし、分からないから、本当に。だから後悔がないように、治療が進められるよう背中を押してあげることぐらいしか言わないな。

 


「当事者」になる日は突然やってくる

  不妊治療での出産の少なさと、社会の偏見

私には不妊治療中や経験者の友だちがたくさんいたので、そこまで孤独を感じずに済んだという意味でみんなに助けられました。だけど、不妊治療を3年ほどしていて、そこから第1子を産んで、ママ友みたいな世界に行った時に、浦島太郎になっちゃって。

周りに私より年上の女性が多かったので、これはきっと不妊治療している人もいるな、と思っていたら、みんな自然に妊娠、出産してたんですよ。それで、30代半ばとか40代のママたちが、ふつうに第2子を妊娠していて、びっくりしちゃって。

不妊治療している人は、それだけ少ないってことなんですよね。24人に1人が不妊治療で生まれるという調査結果(*注)があって、つまり1クラスに1人くらいの子が体外受精で生まれ、残りの23人は自然妊娠で生まれるわけです。体外受精で生まれてる子って、実際まだまだ少ないんですよね。そのことに気づいてから、あー、私って、それなりに大変なことしてたんだなって、改めて思いました。

今も、自然妊娠で出産している人たちには、自分から積極的に不妊治療をしていたことを言おうとは思いません。なぜなら、まだまだ“偏見”があるように感じてしまうことがあるから。

私も自分が不妊治療をするまでは、正直、偏見を持っている人でした。本当に、もうそのまま、「そこまでして子どもがほしいの?」って。

(*注) インタビュー後に発表された日本産科婦人科学会 「平成 27 年度倫理委員会 登録・調査小委員会報告 (2014 年分の体外受精・胚移植等の臨床実施成績および 2016 年 7 月における登録施設名)」の報告によると、2014年には「21人に1人」まで割合が増加している。

 

  若い人への啓蒙と、医療の選び方のアドバイス

いずれNPOでやっていきたいのは、学生たちへの啓蒙です。別にそんな話いま聞きたくないよって層に届けていくには、その上に立つ大人たちに納得してもらうプロセスが必要で、それにはパワーと時間がないといけないので、まだそこへのアプローチはできていないのですが。

私のように、全然知識もない状態で急に「あと1年です」って言われるショックと、昔そういう風に私が言ってたなって思い出してくれて、ワンクッションあるのとでは、ショック度が違うと思うんです。その次にどう行動すればいいかって、知識云々ではなくて、おばあちゃんの昔からの知恵みたいな感じで、伝わっていけばいいと思う。本当はお母さんが教えるべきことなんですけどね。

もうひとつは、妊活を始める人たちに向けて、「妊活のやり方・始め方教室」のような、妊活相談所みたいなことも、将来の展望として視野に入れています。

最初に妊活を始める時には、婦人科に行く人が多いと思いますが、私の意見として婦人科は病気病巣を診るプロではあるけど、妊娠に関しての知識を得るならやっぱり妊娠のプロ、『生殖医療医』にちゃんと診てもらってほしいと考えているんです。妊活しようという人たちと、医療者をつなげる場。そこをちゃんとマッチングするような事業を考えています。

そうした基礎知識を持った上で、不妊治療に関しても、転院して別の治療を試すことも、もちろん闇雲にすべきではないという前提で、価値があると私は考えます。先生にお世話になっているから、いい人だから、転院するのが怖いからなどと考えがちですが、新たな治療を貪欲に探すのも、同時に大切ではないでしょうか。

自分で決めることが大事だと思う。私自身、病院によって言われることが違うという体験をしてきたし、この先生にもっと早く出会っていたら結果が違ったのに、という話も聞いてきたから、そう思うんです。本当に時間がないんです。時間を無駄にしちゃダメなんです。

 


結局みんな、自分で決めるしかない

  あの時の自分には、何も言ってあげられない

― 今でこそ笑って話せていますが、今の森さんがあの頃の自分に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか?

正直、ほっといてあげたいかな。何も言葉はかけられないもん、ほっとくしなかいよ。好きなことやった方がいいよって、ただただ応援してあげる。だって、かける言葉なんてなくない? 本当につらかったから。

私の場合、テレビ番組の『はじめてのおつかい』を見て、頼りない感じのお母さんに、子どもがギャン泣きしているシーンを見て、過呼吸みたいになっちゃったことがあって。

それから時々、子どもを見ると自分が追いつめられるみたいな感じになって、動悸がするようになっちゃったんですよね。それだけ、精神的にも追いつめられてたんだと思います。

その過呼吸になったあたりが末期かな。ちょうど卵子提供のために、タイとハワイに飛んだんですよね。卵子提供は最後の砦だと思ってましたし、本当にやるつもりでした。ドナーを選ぶところまでは済ませて、あとはタイに飛べばいいという状況だった。

それで行く準備もできていて、400万円~500万円かかるらしかったので、お金だけどうしようかなと考えていて。それで、これを最後にしようという時に一個だけ採卵できて、その一個の受精卵で、妊娠したんですよね。10回も体外受精してできなくて、卵子提供まで考えていた私が、これが最後という時にできた。本当に、分かんないです。

子どもができなかった場合の未来は、その時は考えられなかったなぁ。ただ、先にも言ったように、50歳とか60歳になった時に後悔しないようにっていうのは、考えてました。

高齢で産めば、体力も衰えてて育てるのも大変ってことは今なら分かるんだけど、でも、そこは誰にどんなに言われても、第1子の時は聞けなかったと思う。だって、ほしいんだもん。

実際、43歳とかで産んで、本当に大変って言っている人もいる。だけど、じゃあ産まなかったとしたら、今でもほしいと思ってたでしょ?って聞くと、うんって言うんですよね。

このテーマは、本当に深いと思います。

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取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加

 


森瞳さんの活動関連情報

NPO法人umi ~卵子の老化を考える会~

ransinoroukaumi.jp

 


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