未婚のまま24歳で出産。多くの人たちに支えられて育つ娘に見せたい「いろんな人がいる、多様性あふれる社会」。

看護師として働き始めて間もなく予期せぬ妊娠をし、24歳で未婚のまま母になる決意をした湯川芳代さん。「シングルで子育てするには、時間こそ一番大事な資源」と考え、出産後は職場、保育園、実家、自分の家を同じ町内で選び、周囲からの協力を得て子育てをしてきた。「正直、私一人で育てている感覚はないですね」と明るく語る湯川さんに、子どもを産む決意をしたときのこと、地域やコミュニティからの支え、現在中学一年生の娘さんのこと、ご自身の仕事や活動について、伺った。

湯川 芳代 / Kayo Yukawa  1981年生まれ。東海大学医療技術短期大学を卒業後、看護師として東海大学医学部付属病院に勤務。出産を機に退職した後、横浜市内の身体障害者施設に勤務。医療的なケアを必要とする重度障害者の支援をしながら、新規事業展開させる作業所設立に携わり、相談員としても従事。その傍ら、「超★多YOU SAY会議」のリーダーとして障害者・ひとり親家庭・LGBT・国際結婚等の当事者と、そうでない人達を繋ぐ対話の場づくりやフィールドワークを主催している。

 


「私、産むから」

  高3の6月に進路変更。音大志望から看護学校へ

実は、高3の6月まで音大に行くつもりだったんです。フルートをずっとやっていたし、歌も好きで声楽もやっていました。でもある日ふと、思ったんです。「音大に行ったとして、卒業したあとどうするんだろう?」 って。そのとき、自分で稼いで自立している姿を思い描けなかったんですね。

私は、母が薬剤師、叔母が看護師で、他にも医療関係の仕事をしている人が周りに多かったこともあり、高3の6月に進路変更して看護師になることにしました。

ー すごい大転換ですね。

母に、「叔母でも看護師になれるんだから、あなたも大丈夫よ」って言われたのも大きかったです。叔母が看護師になりたての頃はすごくドジだったみたいで、ガラスの体温計を落として割っちゃったりしてたって(笑)。この間その話をしたら、結果的に私の背中を押したこと、母は覚えていませんでしたけどね(笑)。

 

  23歳で予期せぬ妊娠。未婚シングルで出産する決意

看護学校に入り、卒業後は系列の大学病院へ看護師として就職し、最初は神経内科と消化器内科の混合病棟に配属されて。そこには神経難病や進行性のがんの人もいて、いろんなことを学びました。

そのあと外来に移るんですが、その配属変更のきっかけは、妊娠でした。当時付き合っていた彼との子どもがお腹にいるとわかったんです。

つわりでおむつ交換のにおいがダメになりトイレに駆け込んだこともありました。注射や採血が日常的に行われる病棟にいては、万一事故があったら大変だからということで病院側が配慮してくれて、注射や採血がない外来に異動しました。

全く予期せぬ妊娠でしたが、それを機に彼とは結婚するつもりでしたので、周囲にもそう話していたんですね。でも、事情が変わってしまって。

いろいろ話し合いをしたのですが、結局私は籍を入れずに未婚のまま「産む」と決意しました。

 


周りが差し伸べてくれた、たくさんの手

  実家の家族からのサポート

ー 当時23歳ですよね。とても大きな決断だったかと思います。

そうですね。あまり何も考えていなかったのかも(笑)。でも私は看護師だから食いっぱぐれることはないだろうし、働けば人並みの生活はできるかなって。あと、「絶対この子を産むんだ」。そう思ったんですよね。

出産を機に病院を退職することにしたので、当時住んでいた寮を出なければならなくなったんです。母が見かねて、「それなら帰ってくれば」と言ってくれました。それで実家に戻り、出産して。母がいてくれたので、そんなに心細くはなかったですね。

正直なところ、両親は私が結婚して、それから子どもを産んで、という未来を描いていたと思います。でも、もうこうなってしまった以上、仕方ない。娘が決めたんだから。そんな感じだったんじゃないかな。

子どもが生まれてしばらくは仕事もできないので実家にいて、あまり得意ではないけれど家事もやり…。でも母と折り合いが悪くなってしまったこともあって、家を出ようと決意しました。

 

  娘を見てくれるたくさんの「目」

そのときちょうど、実家の近所に「看護師募集」の看板を見つけたんです。もうすぐ完成する障害者支援施設のオープニングスタッフを募集しているということでした。

しかもラッキーなことに、その隣りが保育園で。ここの保育園に娘を預けて、隣りで私が働けばすごく楽かも! と思い、その施設のオープニングスタッフに応募しました。

仕事が決まってすぐ、近くにマンションを借りて保育園にも申し込みました。シングルだからか、保育園も難なく入れて。

一人で働いて子どもを育てるとなったとき、時間の使い方がすごく大事だと思ったんです。貴重な時間を、通勤に使っている場合ではないと。職場と保育園、実家、自分の家。生活圏をなるべく近くにまとめて、時間を有効に使えるようにしました。

保育園が職場の隣りというのは便利でしたね。たとえば「熱が出ました」と電話がかかってきたとき、私もなるべく早く仕事を終わらせてすぐ迎えに行ってはいたんですが、保育士さんも私が隣りで働いているのを知っているから、「ちょっとなら看ていられるから大丈夫よ」と言ってくれて。

職場でも、私が未婚シングルで子どもを産んで、まだ小さい子を一人で育てているとみんな知っていたので、保育園の帰りに職場に連れていって遊んでもらったり。看護師が他にも働いていたので、熱があるときは「ここに連れてきて、寝かせておいたら?」と言ってもらったりもしました。そんなふうに、周囲の人たちに一緒に育ててもらった感覚がありますね。

その施設に入所している障害者の方たちも、そうですね。娘はよちよち歩きの頃からみんなの輪に入っていて、ときには勝手に部屋に入ったりしながら、みんなに育ててもらったな、と思います。

そのおかげか、娘は中学生になった今も「いろんな人がいる」ということが肌感覚としてわかっているようです。障害を持つ人たちがいる施設に出入りしていたので、車椅子に乗っている人や、他の障害がある人を見ても別に驚かない。「なんだろう?」とも思わないようで、分け隔てなく自然に誰とでも話しています。

父親はいないけれど、娘を見てくれる「目」の数は多かった。大きくなる過程を職場のみんなや近くに住む父母に見守ってもらってきたことは、私にとっても、娘にとっても、多くの意味がありました。

私はその施設で現在も働いており、今年で11年目になります。

幸いにもそんな環境だったこともあって、未婚シングルで子どもを産んだことを辛いとは感じずにいられたんですが、娘には苦しい思いをさせてしまっているな、と思ったこともありました。

 


娘と向き合う日々

  子どもなりの生きづらさに直面して

娘が小学3、4年生の頃、友達に「お父さんがいないのに子どもが生まれるのはおかしい」と言われたというんですね。なので、「お父さんとお母さんがいるから子どもが生まれるんじゃなくて、男と女がいるから生まれるんだよ」と娘に言って、その子に言い返してきな、と伝えました。次の日娘が学校に行って友達にそう伝えてみても、やっぱりおかしいって言われたと。

その話を聞いたとき、私自身は未婚シングルで子育てをしていることに生きづらさを感じていなくても、娘は子どもの世界でそれを感じているんだと思いました。ちゃんと生活できているし、習い事もさせているし、平均的な暮らしで特に苦しい思いをさせているとは思っていませんでしたが、子どもなりに直面するものがあったんだろうなって。

— 娘さんはそういった壁を、どう乗り越えていかれたんでしょうか?

当時はそんなに深く考えていなかったと思いますね。まだ小さかったし。思春期のいま言われるのとは、だいぶ違ったんじゃないかな。

 

  「私は普通のお母さんじゃないから」

私は娘に、「私は普通のお母さんじゃないから」と、事あるごとに言っています(笑)。申し訳ないけど、家事も子育てもそこまで一生懸命やっていないというか。普通という概念はむずかしいけれど、他のお母さんほど、まじめに母業をやっていないと思っているので…。

私は私で、やりたいことがあるからねって。どこまで理解しているかはちょっとわからないですが、「言い出したら止められない」とは思っているんじゃないかな。

もちろんケンカもします。むずかしいのが、誰もフォローに入ってくれないこと。ケンカしたら、しっぱなし(笑)。今は反抗期なので、毎日大変です。

ー 第三者がいないとケンカは煮詰まってしまいますよね。湯川さんは、いつかは結婚を、と考えていらっしゃいますか?

結婚は「しない」と決めたわけではなくて、今でもチャンスがあればしたいなって思っています。でも、他人と一緒に生活するのはなかなか大変なこともわかっているので…。気持ち的には、同じマンションの別の部屋に住む、くらいの距離感がちょうどいいかなという気がします(笑)。あと、娘がいいよって言ってくれないと私は結婚できないと思うので、どちらにしても、今じゃないですね。

 


仕事、そして仲間と作ったコミュニティのこと

  モノを作り、土地を探し、設計にも関わる看護師

ー 今、どんなお仕事をされているんでしょうか?

私が働いているのは、身体に障害をもつ人たちが入所する施設です。50人ほど入所していますが、みなさん体が不自由で、ほとんどの方が車椅子で生活をしています。知的に何の問題もない人もいれば、重い知的障害がある人もいて、医療を必要としている人、例えば胃ろうや人工呼吸器、たんの吸引が必要な人が集う施設なので、看護師が24時間常駐しています。

私は看護師として働いていますが、実際あまり看護師らしい仕事はしていなくて。日中活動といって、モノづくりやリハビリ、余暇活動をする昼間の活動を支援する部署にいます。

住む場所と、そうした活動をする場所が同じ敷地内にあるので、入所者は外に出ることなく、施設の中だけで全てが完結してしまいます。それって、実はあまりいいことではないんです。障害がある人が外の目に触れることがないという意味でも、障害者が外に出る機会がない、社会で生きるスキルが身につかないという意味でも。

そこで今、外に出ることができる入所者に向けて、施設の外に新しく作業所を作ろうとしています。その作業所で生産活動をし、作ったものを販売し、利益を彼らの工賃にするということを考えているので、私は土地を探したり、建物の設計をやったり。全然看護師っぽくないですよね。私、モノづくりもすごく好きで、ドリルとか、大好きなんです(笑)。

 

  マイノリティと言われる人たちの「横の関係」を作りたい

ー 現在、お仕事とは別に、港区でも活動されていると伺いました。どんなことをされているんですか?

昨年度、港区と慶應義塾大学が主催した講座を受講したんですね。そこで知り合った仲間と「超★多YOU SAY会議」(ちょう・たようせいかいぎ)という、障害者やLGBT、ひとり親家庭、国際結婚等の生きづらさを抱えている方々と、そうした問題を持たない人たちを「対話でつなぐ」活動を始めました。

前職で勤めていた病院は医療・看護の世界で、今は福祉の世界にいますが、そこで思うのは、マイノリティと言われる人たちが抱える生きづらさって、実は似ているのでは?、ということです。障害者や、私のような未婚シングル、LGBTなど。今まではそれぞれの縦の関係性の中でしか共有されていなかったんじゃないかな、と。そこで横のつながりを作りたくて、始めた活動です。

自分がまず外に出てみる。そこでもし困っている人がいたら、気兼ねなく「何か手伝えることありますか?」って訊ける人がたくさんいたらいいなという思いがあって。

そういう意味では、今の仕事も、「超★多YOU SAY会議」の活動も、つながっているしこれからも続けていきたいです。

 


娘の「ひとり立ち」に向けて

  いろんな人がいることを、当たり前に感じて欲しい

私は、自分の活動に娘をよく連れていっているんです。いろんな人に出会って、新しい世界を知って欲しいと思うので。

娘は「超★多YOU SAY会議」で初めてレズビアンの人と会いました。初めは誰がレズビアンか全然わからなくて、わかった後も「何も変わらなかった」と言っていて。人と違うことを特別視しないでそのまま受け入れて欲しいと思っていたので、その感想を聞いて「よしっ!」と思いました(笑)。

もともと彼女は障害者への接し方はよくわかっているんです。だからお手伝いができるチャンスがあれば、率先していくと思いますね。車椅子の操作もすごく上手で、「これにずっと乗っていたい」というようなことも言っていたり。それを聞いて、私は「車椅子はおもちゃじゃないんだよ!」と言いましたが(笑)。

私の職場に出入りしていたことに加えて、昔から障害者の陸上スポーツ大会によく連れて行っていたこともあって、義足なども、何も特別に思っていないんじゃないかな。

— そういった教育の機会を与えられる親は、なかなか少ないのではないかと感じます。

家族で楽しむアウトドアとかは全然できていませんが(笑)、私なりにいろんなものを見せてあげたいし、連れて行きたいなとは思っていますね。でもこれからは、むしろ私を連れて行って欲しいです。娘は英語が得意なので、「海外に行って通訳してよ」と頼んでいます。

 

  私の、やりたいこと

私はこれからも学びたいことがたくさんあって、本当は大学に行きたいと思ったりもします。でもそのお金があったら娘の教育費にしたいと思うし、今の家計状況では難しいので、単発で行われている社会人向けの講座に通っています。朝のセミナーに行くときは娘より早く家を出るので、初めは心配でセミナー前に何度も家に電話したりしていましたが、最近はお互い慣れてきましたね。

ー そうした「学び」へのモチベーションは、どこから来るのでしょうか? 

いろんなことを知って、自分の世界を広げたいという気持ちが強いんです。アートやスポーツなど、他の分野と掛け合わせることで、今やっている福祉の領域も無限に広がります。

でも、自分が何も知らなかったら、そこにとどまるしかない。自分の世界を広げて、そこに人を巻き込んでいくような仕組みをこれからも作っていきたいなと思っています。

 

  娘が一人で生きていけるように

ー すごくパワフルでいらっしゃいますよね。

私自身、もともとネガティブな人間ではないんです。なんとかなる、一人でも大丈夫と思っていますし、家のローンも、私が健康で働いていれば問題ないって思っています。

でも、私がもし死んでしまったら、とは考えますね。だから残せるものは残しておきたいというか。

だから、娘はまだ中学生ですが、早く一人で立てるようにしなきゃいけないとも思うんです。それは経済的な意味でも、人との関係においても。

娘だって、将来結婚しても別れてシングルになるかもしれないし、そもそも結婚もしないかもしれない。どういう道を選ぶにしても、自分一人で立てるようにしていかなくちゃって。

それなのに娘は「親のスネはかじれるだけかじろう」なんて言うんですよ。かじれるだけって、もうおそろしい(笑)。「やめてください。できるだけ早く出て行ってください」って返したんですけどね(笑)。

私は私でやりたいことがあるし、世の言うところの「お母さん」からはだいぶかけ離れているかもしれないけれど、もしかしたら、私だからこそ娘にできること、見せられる世界もあるかもしれない。

人間、いつ死ぬかわからないじゃないですか。だからこれからも本気で人生を思いっきり生きたいと思っています。

取材 / UMU編集部、 文 / 瀬名波 雅子、写真 / 内田 英恵、協力 / 今井 由美子、ご近所ラボ新橋

 


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