「普通の家族」ってなんだろう? 
児童養護施設経験者の私が考える、血縁を超えた家族のかたち。

家族と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。
お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいて……サザエさんやちびまる子ちゃんのような家族を想像する方が多いかもしれません。そうした家族に共通するのは、血縁。それでは、血縁で繋がっていない人同士は、家族にはなれないのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、1歳前後から乳児院を経て18歳までを児童養護施設で過ごした経験を持つ、中村みどりさん。大学卒業後には福祉施設等で子育て相談や生活困窮者の相談を受けるといった仕事に従事。その後、カナダでの生活を経て、現在は福岡にある、里親支援のNPOで働いています。物心ついたときから施設で生活をしていた中村さんは、ステレオタイプな家族を知りません。そんな彼女が抱えてきた自らのバックグラウンドへの葛藤と孤独、乗り越えたターニングポイント、血縁によらない大きな家族観について、伺いました。

中村みどり / Midori Nakamura 1983年生まれ。乳児院・児童養護施設で18歳まで生活。施設退所後は、奨学金等で大学に進学し、社会福祉を勉強。大学卒業後は、社会福祉士として相談業務に従事。現在は、福岡市内にあるNPO法人で勤務。高校生の時に、社会的養護経験者の居場所活動CVV(Children’s Views & Voices)を経験者数名と立ち上げ、現在は、副代表として社会的養護の当事者をエンパワメントしながら、おもしろく楽しい場である事を大切に活動している。

 


施設で過ごした日々

  「施設で生活していること」が当たり前だった幼少期

― そもそも、のお話にはなってしまうのですが、児童養護施設というのは一体どういった施設なのでしょう?

「いろいろな事情で保護者と一緒に暮らせない子どもたちが生活する場所」ですね。児童福祉法により、乳児院は概ね0~2歳、それ以降は児童養護施設で18歳までとなっています。子供の状況に応じて20歳まで生活することもできます。生活する場所が施設ではなく里親家庭の場合もありますが、現状は里親よりも施設で生活する子どもたちが多いですね。

施設は都市部を中心に全国にあり、5~6人のグループホームの形式をとっている施設もあれば、100人を超える施設もあり、規模はまちまちです。

「虐待された子どもが行く場所」と思われていることも多いかと思うのですが、保護者が子育てに困っているとか、経済的な面で余裕を持って子育てができないとか、入院しているとか、施設に預けられる事情も本当に様々です。

― 中村さんはいつから施設で生活されていたんですか?

1歳前後に乳児院に預けられて、その後2歳くらいからは児童養護施設にいたみたいです。

今でこそ、その子の生い立ちを大事にしようと言われ、預けられた経緯をわかりやすく伝える流れができてきていますが、私が子どものころは「言ったら可哀想」という風潮があったので、当時の家庭環境についての記憶は曖昧ですね。

親が離婚していて私が物心ついたときにはお父さんしかいなかったので母の記憶が全くないですし。唯一の親であるお父さんもいつ会ってもお酒を飲んで寝ているという感じだったので、「親が育てられないから施設にいるんやろうな~」と何となく思ってはいました。

― 施設で生活していることを不思議に思ったことはなかったんでしょうか?

小学校のときはなかったですね。いじめられたこともないですし、施設と学校の距離が近かったこともあって、他に施設から通ってきている友達もいたし、他のクラスメイトにとっても施設の存在は当たり前に受け入れられていたんですよね。ただ、母の日に向けてお母さんの似顔絵を描くことになったとき、施設の子は全員職員さんの似顔絵を描くわけですよ。そのときに「これはなんなんやろうな」と疑問に思ったことはありました。何となく、他の子と違うな、という。

 

  徐々に違和感を抱き始めた思春期

― 他の子との違いを明確に意識し始めたのはいつですか?

中学生になるころからですね。3つの小学校の区域が1つの中学校になるので、施設が身近でないクラスメイトもいる。仲良くなったお友達に「私、施設で生活してんねん」って話しても「それって何?」と言われてしまって、みんなそもそも施設を知らないという状況でした。

施設で暮らしている自分たちと他のクラスメイトは違うと気づいて「この違いは自慢できることではなく、どちらかというとネガティブなことなんじゃないか」と強く思ったんです。

小学生くらいまでは、そうした優劣を感じるようなことはなかったんですよ。ドラマの「家なき子」が流行っていて施設のみんなで見ていたんですが「かわいそう」「なんで施設に来ないのかな?」なんて話をしていたくらいで(笑)。

― 自分たちにとっては普通だったことが、年齢を重ねるにつれ、みんなにとっては普通ではないんだ、と気づいたということでしょうか。

そうそう。施設ってメディアでほとんど取り上げられないでしょ? サスペンスドラマで「犯人は施設出身者だった」のような扱われ方はするけど、そういうのでなくて(笑)。

一方、いわゆる「普通の家庭」というのはいろんな番組に出てきますよね。お父さんがいて、お母さんがいて、子どもたちがいて幸せ、という。施設で暮らす自分たちは、そういう家庭に育っていない。中には「捨てられた」と思っている子もいたし、施設で生活しているのは良いことではないんだ、という思いが芽生えてきた時期でした。

中学生のときから大学生くらいまでは施設で生活していることや、親がいないことをかなりコンプレックスに思っていて、そんな自分も嫌いで、ずっと自信を持てずにいましたね。

 


自分を一歩ずつ、肯定してきた

  「自分で進路を選び取れたこと」と「自分のルーツ探し」がターニングポイントだった

― 大学生くらいまで自信がなかったとおっしゃっていましたが、そういった点を突破できたのにはきっかけがあったんでしょうか?

ターニングポイントはいくつかあるんですけど、「自分で進路を選び取れたこと」と「自分のルーツ探し」が理由かなと思います。

うちの施設で育った人はみんな、高校を卒業すると寮付きの仕事に就いていたので、ほぼほぼ進路が決まっていたようなものだったんです。私自身も「何がやりたい」とか「こういう仕事に就きたい」という気持ちはなくて。でも、児童養護施設で生活している若者や経験者の「居場所」と、「人とのつながり」をつくるきっかけづくりとして、CVV(Children’s Views and Voices)という任意団体を2001年に立ち上げたのですが、そこでロールモデルとなる先輩に出会えたのが転機でした。

彼らが福祉や心理の道を志して大学に行っているのを知って、「自分の人生にもそういった選択肢を付け加えていいんだ」と思えたんですよ。ずっと受け身で与えられたことを上手にこなしていたところから、自分の将来は自分で選び取っていいんだと気づけたのが大きかったですね。

 

奨学金を借りて大学には行くことができました。ただ、施設でずっと過ごしていたのに急に1人暮らしを始めたので、ものすごく孤独で。アルバイト先でお盆やお正月に「帰省しないなんて親不孝者やね」と言われても、施設で育ったことなんて誰にも言えないし、しんどかった。

そんな時期が続いたんですが、友人の提案もあって、大学3回生のときに本籍地に行ってみようということになって。私は生まれも育ちも大阪なんですが、本籍が宮崎なんですね。小学5年生のときに亡くなった父の記憶がぼんやりとある以外は自分の生い立ちも全くわからないけれども、唯一の情報である戸籍を頼りに「自分のルーツ探し」をしに宮崎に行きました。

そしたら、自分のお父さんが宮崎から大阪まで来た道のりの遠さが感じられたんですよ。親としては嫌いだったし、よくわからない存在だったけど、1人の人間として生きてきたお父さんを認めてあげられたのが個人的に大きいかなと思っています。今の自分でもいいんじゃないかなってやっと思えた。自分を肯定的に見られるようになる、ステップ2という感じで。

 

  ”家庭”を知らないことは、時にアドバンテージになる

― 大学卒業後は、福祉の道に?

大学を出て不登校の子どもたちの居場所になる仕事を経て、地域の福祉相談窓口の相談員として、大阪で2年間働いていました。

ただ、そこで「子育て経験がないのに子育ての相談に乗るなんて」と言われたことがあって。でも、それが私にとっては逆に仕事上での自信になったんですよね。

― 具体的にはどういうことですか?

確かに経験がないことについて相談に乗ることは弱みにもなり得ますが、一方で、自分の経験の押し売りにもならないですよね。いろいろな家庭のいろいろな事情があるのに、相談員とはいえ一個人のモノサシで「こんなひどい家庭でかわいそう」とか言われたら、しんどいじゃないですか。家庭のイメージがないからこそフラットに、いろんな家庭に柔軟に対応できるんじゃないかなと。それが自分のバックグラウンドを強みに捉えられた瞬間でした。

相談員の仕事を2年やった後は、2010~2011年の1年間、ワーホリでカナダのトロントに行きました。英語が全く喋れない状態で行ったので、飛行機の中で温かいコーヒーを頼んだつもりが冷たいコーラが出てくるとか、そういう失敗談ばかりなんですけど(笑)。でも、「自分で何でもどこでもやれるんやな」って思えたのは良かったですね。

― カナダに行かれたのは何か理由があったんでしょうか?

カナダにワーホリに行った人がたまたま周りにいて「いいな」と思っていましたし、30歳までに行かないとビザが下りないんですよね。そのために貯金をして、今だったら行けるかなというタイミングで行くことにしました。

大阪の高台にある施設でずっと暮らしてきて、天気が良いときはそこから海が見えるんですよ。小さいころから漠然と、海の向こうに生きたいなぁという気持ちがあったことも大きいのかもしれません。

― カナダで一番感銘を受けたことは何ですか?

「アドボカシー」という概念(*注1)が浸透していて、子どもの権利をきちんと守ってくれる制度や仕組みがきちんとあることですね。ワーホリの後半には、「アドボカシーオフィス」という子どもの権利を守る機関に出入りするようになったのですが、そこで、カナダには「子どもには権利があって、その権利を守らなければいけない」という姿勢がきっちりとある、ということを学びました。そして、それは里親家庭の経験者とそれをサポートするソーシャルワーカーが自分で声をあげて獲得してきたものなんですよね。

「アドボカシー」という概念から子どもの権利を守る動きは、日本では今のところあまりないんですよ。これからだとは思うんですけど、もっと重要視されていいんじゃないかと。

(*注1)アドボカシー:自らの権利を充分に行使することのできない社会的弱者やマイノリティーの権利の代弁、擁護。または、特定の問題(環境、保険医療、雇用等)における政策提言のこと。

― それだけ大々的に子どもの権利を大事にしているカナダであれば、里親家庭で育った子どもへの社会のまなざしも温かいのでしょうか。

温かいというか、当たり前になっているんですよね。親と離れて生活する子どもたちがいれば、里親家庭や養子縁組に行くんだろうなって。制度が広く認知されているから、里親家庭だというのをあまり隠さないみたいですね。

それから、髪や目の色などの外見で明らかに血縁で繋がっていないとわかる家庭もけっこうありますが、カナダは元々多文化主義の国なので、その辺りもあまり気にならないというか。

あと、メディアの話で言えば「里親家庭のサザエさん」みたいなドラマもあるんですよ。それだけ里親制度が社会に広く浸透しているということでしょうね。

― 日本でも今年4月に児童福祉法が改正され、現在の施設養育中心から、養子縁組や里親、ファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)などの家庭養育へシフトしていくことが明記されました。その変化は感じますか ?

まだそんなに時間が経ってないですし、これからかな。ただ、児童福祉法が改正されたのは、施設養育から家庭養育に移行していこうとする点でも、子どもの権利がきちっと明文化されている点でも、大きい変化ですね。何かがすぐに劇的に変わるわけでなくても、ここ数年で大きく変わりそうな気がします。

ただ、シンプルに「施設はだめ、家庭はいい」という話ではないんですよね。子どもにとって、特に親といっしょに生活できない子どもたちにとって何がいいのかって考えたときに、子どもによっては養子縁組という方法もあるし、養育里親がいいかもしれない。思春期の子や心理のケアが必要な子は、専門の人がきっちり配置されている施設がいいこともある。

「子どもにとってどうなのか」というところをベースに制度とかシステムを考えていく必要があって、単純に何かを潰せばいいというわけでもないから難しいですね。

でも、施設が9割、里親制度が1割という既存の制度では子どものニーズを絶対に満たせていないですよね。里親家庭が必要な子どもに、家庭を提供できていないところが日本の児童福祉の課題かなと思います。ただ、数を増やせばいいというわけでもないので、子どもにとって良い里親さんを増やしていこうと、日々仕事しているところです。

 


一般的に流布している「可哀想」というイメージ

  制度を変えるのに必要なセンセーショナルさ、正しく伝えるフラットさ

― 「施設育ち」や「里親」と聞くと、ネガティブなイメージがまだまだあるのが現状かと思うのですが、実際はどうなんでしょうか?

進学する場合には奨学金を借りなければいけないので、在学中に朝も夜もバイトしていたので、そういうことをしなくていいクラスメイトはいいなと思っていたんですよ。「全然苦労しなくていいなー」っていう妬みもあるし、そういう意味では施設育ちってマイナスですよね。特に福祉系の仕事をしていると、奨学金の返済はけっこう過酷なので、結婚や出産など、自分以外の周りの人を“新しい家族”として人生に組み込んでいくのが難しい部分があります。

でも、「施設で育ったこと」や「お母さんがいないこと」自体は可哀想なことでも何でもないんですよね。もちろん施設の環境にもよりますが、施設で育ったという事実以上でも以下でもないんです。たとえば私の中には母親というもののイメージがないんですね。それはただ「ない」だけなので、「お母さんがいなくて可哀想」と言われても……というか。

― もともと「ない」ものに「会えなくて寂しい」とは思わない。

そう。あまり理解されないのですが、私の中ではお母さんという「存在」そのものがないんですね。私にとってどういう役割の人か、わかっていないと言ってもいいかもしれません。でも、お母さんの存在を当たり前に思ってきた人たちには感覚としてわかってもらえないことも多く、「あなた本当はお母さんに会いたいんじゃないの?」「可哀想だね」で片付けられてしまうことも多い。

福祉の仕事に就いていることも色眼鏡で見られることが多くて「大変な思いしてきたのに、福祉施設で働いて偉いね」みたいな目で見られるのがすごく嫌で、大人になっても施設を経験した、ということを伏せてきた時期もありました。

よく施設経験者同士でも話すんですが「施設育ちだ」と話すと「そんなこと聞いちゃってごめん」と言われるんですよね。でも、「謝られても困るよね」、って。私たちにとっては、聞いてもらって全く問題ないんですよ。だって、自分たちの“当たり前”が「施設で育ったこと」というだけだから。

 

  どんな親であっても、子どもにとってはかけがえのない存在

 児童養護施設は虐待を受けた子どもが行く場所、という認識をしている方も多いですが、実情はどうなのでしょうか?

そこは難しいところですね。施設で育った子や里親に預けられた子が必ずしも虐待されているわけでもないですし、はたから見たときに明らかに虐待でも、子どもはそう思っていないかもしれない。

虐待を受けたトラウマのケアは絶対に必要です。ただ、子どもにとってはたとえどんなにひどいことをされても自分の保護者は大切な存在なので、そこは認めてあげる必要があると思います。

「あなたが暴力を受けるべきじゃないんだけど、でもそういうことがあっても、あなたの大切な家族かもしれんね」と、捉え方を変える。周囲の大人が「あんたのお父さんはひどい、お母さんひどい、虐待をされて育ったからあなたにはとても深刻な傷があるのね」と決めつけてしまうと、その子自身が本当に生きづらくなってしまいます。

― どんな親であっても、子どもにとっては唯一無二の存在ですもんね。

親の立場に寄り添ってみる必要もあると思っていて。赤ちゃんって、すごくかわいい存在じゃないですか。その存在をかわいいと思えないのって、すごく深刻なことだと思うんですね。そこまで追い詰められてしまっているというか……。それって、個人の問題を超えた、社会の問題なんじゃないのかなって。

それに話を聞いてみると、両親は案外子どもを大事に思っていたりするんですよね。多くの場合、やり方は間違えているんですが、それでも、大事に思っている。

「本当は、お父さんもお母さんもあなたのことを大切に思っている」ということは、子どもがその後の人生を生きる糧になるんです。だから、子どもが成長したときに同じことを繰り返さないように悪い行動は悪いと伝えつつも、大切に思われていたという事実はきちんと伝えていかなくちゃ、と。

― メディアでは「鬼のような母」「残酷な父」などと煽る見出しが並ぶことも多いですよね。

メディアのセンセーショナルさが、法律をつくったり制度を動かしたりしていく上ではすごく重要で、そのおかげで「子どもの命を守ろう」という世間の声が大きくなり、児童虐待防止法ができた経緯もあるんですよ。ただ、それに捕らわれすぎてしまうと、みんなが生きづらい社会になる。

親も、虐待と疑われるかもしれないと思ったら「子どもを何とか泣き止ませないと」となると思いますし、そうなったら余計追い詰められてしまいますよね。だから、センセーショナルな部分だけでなく、事実をフラットに伝えるメディアがあってほしいなと思います。

 


「新しい家族」の形を模索して

  「これとこれが揃っていたら家族」というものではない

― 施設で過ごしたことや孤独との葛藤を経て、自らのバックグラウンドを強みに変えていらっしゃるなと思ったのですが、そのうえで中村さんの”家族観”を伺っても良いですか?

私は8人兄弟なので、血縁的に言えば、お兄ちゃんや弟が家族に当たるんですが、私にとっての家族ってもっと大きいというか。たとえば施設で育つと、一緒に暮らしている人みんな、血縁がないわけじゃないですか。でも、施設を出てからも支え合っている。

「これとこれが揃っていたら家族だよね」というものではないかなって。ただ、支え合うシステムの1つではあると思うんですよ。特に日本では、まずは家族同士で助け合いなさいとなっているので。だから、人が支えるシステムの1つが家族というチームなのかなっていう気はしています。

ただ、その構成メンバーがお父さんやお母さんである必要はないと思います。人によって、もっと自由に考えてもいいんじゃないかなって。私だったら同じ施設にいた仲良しの友人やその家族も「家族」ですし、もちろん血縁関係のある兄弟も、そうですね。

― そういった家族観は最初からお持ちだったんですか?

今でこそ言えるという感じですね。20代のときはもっと、お父さんがいてお母さんがいて、という”当たり前の家族”に支配されていた気がします。

でも、実は社会にはもっと多様な家族があるんですよね。”当たり前の家族”というものを強く思っていたのは自分のほうだって気づいたんです。 

私は家庭で育った経験もないですし、家庭っていうものがいまいちわからなかったわけですよ。いま結婚もしていないし、子どももいなくて、ってなったときに、一人で家族がいないのかって言ったらそんなことはない。

一緒に施設で育った経験者やCVVの仲間が家族であってもおかしくないなと。最近は同じ施設で育った仲の良い子同士で「老老コミュニティー」を作ろうって話していて(笑)。

― 老老コミュニティー?

年を取ってからの計画なんですけど、一緒に住まなくてもいいから定期的に連絡を取り合うようにしようって。結婚をして自分たちの子どもにお世話になるのではなくて、私たち自身でサポートし合おうと言っています。これってもう、家族だなって。

― それ、すごくいいですね!

 

  「家族」にもいろいろな関わり方がある

― とはいえ、中村さんご自身、結婚、そして子どもを産む、育てる、ということについてどのようなお気持ちですか?

予定ではもうとっくに結婚しているはずだったんですけどね(笑)。子どもと関わるのはすごく好きなので、育ててみたい気持ちはあります。ただそれは、自分の子でもいいし、そうじゃなくてもいいかなって。

同じ施設で育った子で、結婚して今3歳の子がいるんですけど、夫婦2人とも親族のサポートがないんですよ。里帰りする場所のひとつとして、私の家に泊まりにきてもらったり、仲間の家に泊まってもらったりしたことがあって。私にとってその人たちはもう家族なので、そういう関わり方でもいいかなと思っています。自分の子ではないですが、めちゃくちゃ可愛がっていますしね。

「家族たるものこうあるべき」ということではなく、そういう感じで柔軟に、新しい家族を作っていけたらいいですね。

 

  あとがきにかえて(佐々木ののか)

― いろいろな家族があっていい。

口ではそう言いながらも、私たちは知らず知らずのうちに「普通」という眼鏡を通して物事を見て、その色のついた視界はときに他人を傷つけ、そして自分自身さえも縛ります。

それは社会が作り上げたものでもあり、誰か一人が責任を感じなければいけないものでもありません。

ただ、気がついたときに、無意識のうちにかけている眼鏡を少しの間でも外すことができたなら、景色は違って見えるのではないでしょうか?

家族が血縁で繋がっているのは、果たして「普通」でしょうか。
「普通」の家族は、あなたにフィットするでしょうか。
あなたにぴったりくる「家族」って、なんですか?


取材・文 / 佐々木ののか、写真 / 内田英恵

 


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