「あなたは人の子どもをいっぱい育てることになるかもしれないよ」。かつて母が語った通り、よしおかゆうみさんの周りには、いつも子どもや若者がいる。みんな、血を分けた子どもではない。愛する人との子を強く求めたが、彼の病により、叶わなかった。彼が遺してくれた「いのち」への感性を引き継ぎ、幼児教育や子育て支援、思春期のメンタルケアに携わる中、自分の子に注ぐはずだった愛情を、すべての子どもたちに還元していこう、と決意する。里親、子育てコミュニティ、若者との共同生活など、「みんなで育てる」を実践する彼女に、そこに至る軌跡を伺った。
よしおか ゆうみ / Yuumi Yoshioka ファミリー心理カウンセラー。専門は児童心理学。幼稚園教諭をはじめ、20年以上幼児教育に携わり、後年は保育・新人教諭対象の研修講師を務める。子どもの育ちと自立について学びを深め、都内クリニックにて実地研修をした後、独立。最初の結婚で夫を病で亡くすも、彼の病気を経て、子どもたちの「いのち」の美しさを強く感じるようになる。多くの親子に触れあいながら、様々な事情のある子を預かり、姪っ子たちを家族として育て、常に子ども・若者が周りにいる生活を送る。ジュニアゴルファー養成者である現在の夫と再婚し、思春期の若者サポートも担当。また、子どもと大人が学び合うコミュニティ”asobi基地”にも携わる。著書『男女の脳はすれ違うようにできている!』(枻出版社)
亡くなった彼から学んだこと
人間のドロドロした部分を教えてくれた
一番最初に結婚した人を、癌よりたちが悪いと言われる肉腫という病気で亡くしました。結婚式をした半月後に病気が分かり、それから4年ぐらいですかね。その間、本当に一生懸命、一緒にやってきました。
彼が遺してくれたもの、与えてくれたものは本当に大きくて、いまでも私の中の大きな川の流れを作ってくれています。彼の病気との向き合い方や、命に対する感性、そういうものから感銘を受けました。
彼はデザイナーだったので仕事柄、ベッドでスケッチブックにいろいろと散文と絵を描きとめていました。絵が、彼にとって自分をコントロールするひとつの術だったと思うんですけど、それを見て私は何度泣いたことか。美しいもの面白いものばかりでなく、人間のドロドロしたところとか、醜く泥くさい部分、自分の中の魑魅魍魎の面を全部さらけ出して書くんです。
それまで私はきれいな面だけを見て生きてきた人間だったのに、この日々の中で、自分のすごく嫌な部分に向き合うことになりました。「どうして私の彼がこんなことに!?」って。不公平感というか、被害者意識というか、何とも言えない暗い心持ちです。彼の家族と治療方法で言い争うこともありました。
「そんなに思いが強いと神様は自分の子を持たせてくれないよ」
その頃、私はちょうど出産適齢期でした。子どもが好きで、1ダースはほしいぐらいでしたし、まだ高校生の頃から、子育てグッズも全部そろえていたほどです。
まだ独身の頃母がね、「そんなに思いが強いと、神様は自分の子どもを持たせてはくれないよ」って言うんです。私は、えー!と思って、いや、私は子どもをたくさん産むの! って答えるんだけど、母は「人間ひとりしかいないのに、そんなに産めないでしょ」って。
それから「思いが強すぎると、人の子どもをいっぱい育てなきゃいけなくなるかもしれないから、本当に自分の子どもがほしいなら、その思いはあまり強く持たない方がいいわよ」っていうのも、言われていたんです。冷静に聞けば根拠の無い話ですし、その時はお母さんたら何言ってるの、って感じだったんだけど、いま思うと、ぞぞぞ……ですよ(笑)。
でも「私が絶対にこの人の子どもを残してあげるんだ!」というのは、意地と言うか、自分の欲求でもあったのかなと思います。
そんなにも彼の子どもがほしかったけれど、病気の再発や入退院の繰り返しで、結局できなかったんですね。
すべての子どもたちの命のかけがえのなさとリンクする
当時私は幼稚園教諭でしたが、彼との日々を通して、命に対する思いが深まり、仕事での子どもたちに対する保育の質もすごく変わりました。それは、たぶん、“私が”という感覚から自由になること。それまでは理想の保育を目指して、毎日必死だったんですけど、どこか自分を追い込んでしまう部分があったんです。
「“私が”認められよう」という気持ちがどこかにあったんですね。その“私が”がなくなったことで、個人的な感覚ですが、目の前の子どもたちの命が、まさに透けるようにきらめいて感じられるようになりました。それはどんな子でも、ね。
それがいまにつながっているのだけれど、あの時、あの感性が開発されたんだと思います。
ある時、彼がベッド脇にいる私をニコニコとしながら見て「きれいだね」と言うので、「え、私?」って思ったら、リンゴのことだったの(笑)。リンゴの皮が剥かれてゴミ箱に入っていく、そのまさに命を終えて落ちていく皮がものすごくきれいで、それを剥く君の指もきれいだねって。そういうひとつひとつの瞬間が、子どもの命とオーバーラップしているような気がしたんです。
疲れていたり忙しかったりするとつい、子どもにもイライラしてしまっていた自分の心に、余裕と心棒が生まれ、子どもの心の内側に深く入り込むようになったら、子どもがもつ輝きが以前に増して感じられるようになって、いい保育ができるようになったなあと自分で思いました。ひとりひとりの命に、不要なものはまったくないということを教えてもらったんだと感じています。それは彼に感謝です。
たまたま私は自分の結婚した人が病気になり、自分の中のドロドロしたものに向き合ったけど、本来は、誰にでもあるのではないかな。ギリギリの状態に置かれたら、みんなこういう感情は持つのではないかと、私は思います。
彼の死と、流産と
最期の日、彼は細い体で起き上がって、「今日は大丈夫だから、子どもたちのところに、行っておいで」って送り出してくれたんです。私を見つめるその目の、すごく優しい、神様みたいな光。その目が、最後でした。
あの時に言ってもらった「行っておいで」という言葉は忘れないですね。彼が、「あなたは、自分で、好きなことをして生きていきなさい」と言ってくれたんだと思ってる。
“死”というものは、ものすごく大きな存在で人の中に残ります。だから、死は命と同じぐらいの重さ、価値を、人の中にもたらすものだと、私は思っています。
最初の頃に私、一度だけ妊娠したことがあり、その子を流産しているんです。
もう二度とチャンスはないかもしれない、という危機感から、すごい意地で絶対に産みたいって思っていて。後から思えば、その状態ではホルモンもちゃんと働いていなかったのかもしれません。正直、自分のエゴもあった気がします。
流産した時に彼が「お腹の子、よくいままで何か月か一緒にいてくれたね。“ありがとう”と送ってあげよう」と言ってくれて。目に見えなかったけれど、“大切なことは、そういうことじゃないよ”って、それを教えるために私の中に宿ってくれた命なんだと、少しずつ思うようになりました。「産んであげられなくてごめんね」と、しばらくは罪悪感も感じていました。
こういう気持ちは処理していかなくちゃいけないのかもしれないけれど、処理すること、完璧に終わらせることだけがよいことだとも思わないんです。
このもやもやした気持ちが、いつも何かを教えてくれるし、大切なことを忘れないようにしてくれる。解消しきれないもやもやも全部、ひとつの学びとして、自分の中にきちんと取っておくことが、次に進むためには必要かなと思って。
子どもを産みたい、という女性たちの気持ちと、世間の声
その気持ちは「本能」だと思うから、否定できない
― いま、当時のよしおかさんと同じように子どもを切実に望み、妊活に取り組んだり、その先に不妊治療という選択をされたりする方も多くいます。中には、その治療の方法や女性の年齢に言及し「そこまでして自分の子が産みたいのか」「子どもがほしいなら養子をもらえばいいじゃないか」などと批判する向きもあります。
私はやっぱり、自分の子どもがほしい、産みたいという女性の気持ちを、ドライには片付けられないと思っています。科学の進歩自体も、一概に良い、悪いと決められない。
そして、苦しい時期を通り過ぎないと気がつかないこと、納得できないことってたくさんあると思うんです。
「産む」って、女性の本能のようなものだと私は思います。13,14歳で初潮がきて、生理が来る。いわば「あなたは子どもを産める準備ができているよ」という身体からのメッセージを、受け取り続けているように感じるんです。
その準備を保ってきた身体で、それをあきらめろと言われるのは非常に酷な話です。人間も生き物ですから、自分の子どもがほしいという女性の願い、欲求というのは誰にも否定できないと私は思う。
もちろん人間だって千差万別ですから、人によって違う感覚を持っているかもしれないし、個人、個人の人生の中でその人がどんな選択をするかに関して、誰かが意見できるものではない。あくまでその人が、「自分の意志で選んでいく」ことが大切だと思うのです。
自分の子に注ぐはずだった愛情は、すべての子どもたちに注ぎ還元していく
私の場合は、結婚相手が病気で子どもを持つことが難しかったので、諦めざるを得なかったんです。体外受精なども身近ではなかったですし。でも、だから手放せたんですよね。もし病状がそこまで悪くなかったら、この人の子どもを産むんだって思い続けていたかもしれないけれど。
手術後の説明で先生に「妊娠とかね、そっちは可能性がなくなるけど」と言われて、あー、私は子どもは産めないんだって思いました。涙はたくさん出ましたけど、でもその時どこかホッとしたというか、力が抜けて。それで、ストンと落ちました。そこで決めたんです。
先生からの話の後、トイレに行って顔を洗って鏡を見て、にっこり笑って、「よし、私は産めなかった分、仕事で関わる子どもたちみんなに愛情を注いでいくぞ」と決意しました。
「自分の子」にこだわらない
子どもと接する喜びは、日常にあふれている
― 産みたいのに産めなかったことで、子どもを見るのが苦痛になってしまったという女性もいます。
私は、自分の子を産まなかったけど、もともと子どもに対する関心がすごく強かったので、どの子を見ても、かわいい、愛おしいっていう気持ちがあふれちゃって止まらないんです。それが主人の病気があって、自分の子どもを産めないことでさらに倍増しちゃって(笑)。でも、子どもを見ることで心の痛みがよみがえり、苦痛になってしまう人も中にはいると思う。
ただ、その枠というのは自分が作っているものなのかもしれないですよね。本来は、そこらじゅうにいる子どもたちが愛情を注げる存在だと思うんです。子育ての苦労、生活の苦労はないかもしれないけれど、子どもたちとお互いに与え与えられる瞬間は、日常にあふれていると私は思う。
だけどそれに、最初はなかなか気がつけないこともありますよね。「“自分の”子」っていうのが、すごく強くあったりすると。それも仕方がない。
でもね、初めは他人の子どもを見るだけで苦痛に思うかもしれないけど、いつかね、いつか、子どもと接する喜びは世の中にあふれているということに、気がついてくれたらな、って思います。
「家族」という枠に対する考え方
私は社宅育ちで、親だけが子どもを育てるという環境ではありませんでした。親も忙しかったので、いろんな人に育ててもらったんですね。
だから子どもはみんなで育つというか、家族という枠に対する思いがそもそもなかったのかもしれないですね。これが、家族だけで仲良く過ごすような家庭に育っていたら、他の子どもに声をかけることに遠慮もあるかもしれないし、自分の子どもを持つことにすごく理想を描いているかもしれないし、それも無理はないことだと思います。
血のつながりのない子どもたちを育てる
一緒に住んでいれば、みんな家族
― 知り合いのお子さんを預かったり、育てられたとも聞きました。
最初の夫が亡くなり独りになってから、何度か知り合いのお子さんを預かることがありました。たとえば離婚した親御さんが病気になり、頼れる人もいなくてたまたま私のところに来られて……とか、ちょこちょこと。
小学生とか、もっと小さい子もいましたけど、泊まる部屋もあるし、断る理由もない。ご飯も子ども2人ぐらいなら、増えてもそんなに変わらないじゃないですか。私も仕事をしていたので、自分だけではどうしようもないことも、仲良くなったお母さん方の力を借りて、それこそみんなに協力してもらってやってきました。
今の夫とともに、思春期から預かった子どもたちもいて、これが結構大変でしたが、自分もずいぶんと学び、成長させてもらいました。本当に苦しかったけれど、同じように、その子たちもそこまで生きてくるのが相当大変だったんでしょうね。
親に出せなかった怒りやわがままも全部噴き出して、矢のように心に突き刺さしてくるので、私ももうボロボロで、泣いたり感情的になったりすることもあったけれど、そのくらい自分を出してくれてるんだから、と自分に言い聴かせていました。
それが高校生になるとガラリと吹っ切れて、明るくのびのびとした姿に変わり、やがて自立していきました。おかげで、思春期の子どもをもつ親の苦労がものすごくわかるようになりました。
子どもは、みんなで育てる
子どもたちを育ててみて分かったのが、自分の家庭だけで子どもを育てていると、子育ての責任をひとりで背負いがちになるということ。きちんと育てなくてはと思うあまり、子どもを家庭で囲ってしまい、親も子も苦しくなってしまう。だから、なんとかそこを緩めてあげられる場があるといいな、と思っています。
不妊治療も同じで、産めたら産めたで、産めなかったら産めなかったで、誰かが赤ちゃんを授かったらその子をみんなで育てようという風になれば、自分たちだけでぎゅーって辛くならずに済むと思うんです。
スカウトされる形での再婚
いまの夫と再婚したのは、私が38歳の頃です。当時、彼は教員で、高校でゴルフ部を任され立ち上げて、強化するミッションを抱えていました。仕事上、信頼を得るために配偶者が必要で、それで私に白羽の矢が立ったようなんです(笑)。もう、スカウトですよね。私にしたら、大勢の生徒たちを預かる覚悟を決めて就職する感覚です(笑)。
一般的には、再婚した夫との子どもを考えるんだろうけど、主人と一緒に住んだ時には、すでにうちで預かって暮らしていた子がいたんです。
それに毎週、彼の教え子たちが頻繁に泊まりにも来て、私も子育て支援の仕事や、その一緒に暮らしていた子の学校のことやらしていたので、正直、この環境で自分の子どもを産んで育てていくことは現実的ではなくて、ゆっくり考えるゆとりすら持てませんでした。
そのうち、中学から預かっていた石川遼君が、高校入学してすぐにプロの試合で優勝して活躍するようになり、主人も自分の協会を立ち上げ、教え子から何人もプロを輩出できるようになって、私も子どもたちのサポートで海外遠征について行ったり忙しくなり、いまに至るわけです。
子どもたちを愛おしい、と思う気持ち
愛おしく感じるのは、母性なのか自らの感性なのか
― 女性にとって産むことはなかなか手放せないかもしれない、というお話しがありましたが、よしおかさんにとっては、まわりにいる子どもみんなが、血を分けた子どもと同じような感覚なんでしょうか。
子どもたちを愛おしいと思う気持ちが、母親としての母性からなのか、それとも自分の感受性なのか、それは判別がつかない。
もちろん自分の中にある母性は関わっているとは思うけれど、産んだ母親になってみたことがないので、実の子を目に入れても痛くないという気持ちと、私が本当に愛おしいと思う気持ちと、どこが違うかと言われても分からないです。
ただ、周りの子どもたちに対しては、あまりエゴが入っていないとは思います。それに気づいたのは、私が姪っ子を預かって家族として育てた時の体験を通してです。家族という近い関係性の中では、感情的になったり矛盾や葛藤があったりしました。その時、これがきっと母親に近い感覚なんだろうと思いました。
たとえ願いが果たせなくても、「大丈夫だよ」と伝えたい
理屈ではなく、感情があることを忘れないで
― いまでこそ、「産みたい」ということから解放されていますが、最初のご主人の時にはこの人の子どもを産まなきゃ、血を残さなきゃ、という思いがありました。当時のよしおかさんご自身に、いまのよしおかさんがメッセージを送るとしたら、どんな言葉でしょうか。
本当に、全部奪われてはじめて吹っ切れたぐらいだから。血というか遺伝子というか、強く深いところから来るものだと私は思うから、誰かに言われたからといって、すぐに吹っ切れるものでもないと感じます。だからやっぱり、簡単に「手放しなさい」とは言わないでしょうね。
「そこを手放して、もっと楽に、与えられたように生きれば自然にいくよ」というのが正当なメッセージなのかもしれないけど、当時の自分自身の気持ちを考えたら、そんなもんじゃないんだろうなって。
なぜかと言うと、人には感情があるからです。人としての情。「夫を愛している、この人の存在を残したい」というのは、欲望でもあるのだけど、同時に愛情でもある。好きな人の証であり、自分が愛したという証であり、理屈だけではなく、いろいろな感情があるものだからこそ、難しい。
もっと気楽に考えて、手放したら楽になるよって言いたいけど、まずは分かってあげることからかな。
「そうだよね。いまはすごく強く、彼の子どもが欲しいと願ってるんだよね。その気持ちは分かるよ。だってそれは誰から言われても変えられない、本当にそう思うものなのだから。
ただ、もしかしたら赤ちゃんはできないかもしれないけれど、大丈夫。あなたでいることには変わりないから、違う幸せがたくさんやってくるから、大丈夫だよ」
「たとえ、願いが果たせなくても、すべてが途絶えるわけじゃない。何かが残らない、命が残らないわけではないよ。ちゃんと引き継がれるところに、引き継がれていくよ」……って。
心配しないで、焦らないで、大丈夫だよって、言ってあげるかな。
形のないものが遺してくれる豊かさ
自分が産むはずだった子どもにしてあげたかったことを、これから出会う子どもたちにするんだって、病院のトイレで決意した時。あれからいままで、出会った子どもや親御さんたちとのご縁を大切にしてきました。
苦しいことがあるのなら、何かひとつでも抜け出すためのヒントをここで見つけてくれればいいな、という思いで接しているし、いまの自分が出せるすべてのものを惜しみなく出して、何か使えるものがあったら使ってください、役に立つものがあれば拾ってください、そんな感覚でやってきました。
一回しか会わなかった子でも、それこそ私の中にひとつ種を残してくれる、そんな風にお互いに与え、与えられることがあるんじゃないかと思っているんです。
100人の聴衆を前にお話したとして、「この言葉があったおかげで立ち直れた」という人がたったひとりでもいてくれたら、私はもう、それでいい。
とにかく全身全霊で誰かに関わって、そこで何か生み出されて、それがお互いにとっていいもので、またそこから生み出されるものがあるとすれば、それはきっとかけがえのないものでしょうし、その人の人生にとって大切なものにつながるのであればいい。
かたちじゃないんです、やっぱり。それは流産をした時に思いました。どんな子だったかな、どんな顔だったかなって思って、もういなくなっちゃったお腹をなでながら泣いたりして。
でもその、形のないものが遺してくれる豊かさがあり、見えないからこそ、大切なものを語ってくれている気がするんです。亡くなった彼と、亡くなった赤ちゃんから、そのことをすごく教わりました。
だから、あの頃の自分には、「大丈夫だよ。失うことは、こわくない」って、伝えたいですね。
取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加
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