支えたいのは、「当時の私」みたいな女性たち。当事者経験を活かした不妊ピア・カウンセラ―、妊活コーチとして活躍する、木村史子さん。多嚢胞性卵巣症候群や卵管癒着をきっかけに始めた不妊治療で、仕事との両立に苦労しつつ、周囲や会社のサポートに恵まれ、長女を出産した。現在は独立し、個人向けコーチングや家族、チーム、組織の関係性コーチングを提供する傍ら、数多くの妊活中、不妊治療中の女性を支援している。そのご自身の体験と、カウンセラー、コーチとしての想いを伺った。
木村 史子 / Fumiko Kimura 1973年4月7日生まれ。O型 おひつじ座。東京都大田区出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、株式会社リクルートマネジメントソリューションズにて、一貫して人事ソリューション事業に携わる。自身の結婚・不妊・出産・ワーキングマザーとしての経験を経て、ビジネスだけでなく、個人の人生全体をサポートすることにシフトし、コーチとして独立。趣味はスキューバダイビング(ダイビングショップ居候経験あり!)。美味しいお酒とお料理が大好き。お酒はビールと赤ワイン。ハグ魔。
「突き付けられてしまった」現実
「不妊」とジャッジされるのが怖かった
25歳で結婚した当初、仕事が面白くて、「今子どもができたら困るな」と思っていました。30歳になって、現在は1年間に修正されているようですが、結婚後2年間子供ができないと不妊らしいという情報を得て、「じゃあ私もそうなのかな」と思いました。
でもその時はとにかく仕事が楽しくて、主人とも、子どものことを2人で考えるということはなかったんです。だから、不妊を意識しはじめてからクリニックに行くまで、3年ほどかかりました。今思えば、不妊だってジャッジされるのも、怖かったんでしょうね。
不妊と診断された後、どうすればいいのかという知識もなかったし、実は診断される前から生理不順があったので、自分に不妊の原因があることを突きつけられてしまう気もしていて、怖かったですね。それでのらりくらりとかわしていたのですが、結局33歳のときに、自分の意志で検査を受けました。
検査を受けたところ、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)(*注1)の診断が下りました。
医師からは「望みがなくなるわけじゃないんだよ」と言われましたが、それでも診察室で号泣しました。港区にある病院だったんですけど、泣きながら最寄りの駅まで歩いたのを覚えています。ショックでした。「ついに突きつけられてしまった」、と。
(*注1) 多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん):たくさんの嚢胞(卵子を包む袋)が卵巣に生じて、排卵が起こりにくくなっている状態
不妊治療と向き合う
― 不妊治療を始めるにあたって、ご主人と予算や期限など、決めていたことはありましたか?
実はスタートしたときに、いつまで治療を続けるのかといったことは、あらかじめ決めていませんでした。不妊治療ではやめ時を悩まれる方が多いということを、当時は知らなかったので。
それもあって、いつまで続くのか先の見えない、暗いトンネルに入っちゃったような感じで、当時はメンタル的に大変な時期でした。
そうして不妊治療と向き合う中で、自分の中に、「結婚したら子どもがいるのは当然だし、子どもがいて初めて家族は幸せになれるんだ」と、信じる価値観があったことに気づきました。それまでは仕事一辺倒で、自分の中にそんな気持ちがあるということにすら、気づいていなかったんですけどね。
自分自身の「生殖物語」に気づく
不妊女性を応援するNPO法人Fineの、ピア・カウンセラーを養成する講座を通じ、私が勉強して来た生殖心理の分野には、 「生殖物語」という概念があるんです。もともと人には、なんらかの家族のイメージが備わっている、という考え方です。
子どもがおままごとをするとき、お父さんがいて、お母さんがいて、赤ちゃんがいて、自分がいてっていう役割を、自然と設定することが多いと思うんですよね。そういう家族像の刷り込みは、ほとんどの人が持っているもので、普段は気づかないんですけど、たとえば不妊に向き合ってみると、自分の中にも自分なりの家族イメージがあるんだということに、気づくことがあります。
不妊と診断されたとき、授からずに治療の終結を決めるとき、1人目は授かったけれど2人目が授からないとき、治療をやめると決断するとき――。いろんな場面で、その人なりの家族の在り方のイメージ、つまり人それぞれの「生殖物語」の書き換えを支援するということが、生殖心理サポートで、とても大切な仕事だと思っています。
治療のステップアップに、仕事との両立に
タイミング法、人工授精、そして体外受精へ
自分の治療経験について話を戻すと、タイミング法と人工授精から1年を待たずに、体外受精に進みました。私の場合は、卵管の癒着や閉塞もありました。
私にとって、タイミング法は心理的にも辛かったです。「夫婦生活を何月何日に持って下さい」と言われますが、主人もプレッシャーだろうし、それでも言わなきゃいけないこっちも気が重いんですよ。その日に主人が仕事で遅くなると、もう「キーッ」ってなる。このときは、かなり夫婦仲がギクシャクしました。
私の場合は、元々の生理不順やPCOS等の影響もあったのか、医師に指示される排卵タイミングが、半年の間に6回に満たなかったと記憶しています。そのうち何回かは、仕事で早く帰れなかったりして、ずいぶんヤキモキしました。
本来は、お互いの愛情を確かめあうための夫婦生活であるはずが、当時の私たちにとっては、子供を授かる手段になってしまっていました。帰りが遅いと、翌朝になって、「今からする?卵が行っちゃうよ」っていう感じでした。
だから、医師に人工授精に進もうと提案されたとき、タイミング法から解放されて、ほっとする部分もありました。私は、その当時はなんの知識もなかったので、「先生が言ったとおりにするのが一番いいだろう」と信じるしかなくて、自分から先に進みたいとも言えなかったですしね。
その後、人工授精を2、3回して、卵管の状態が悪いと診断されていたこともあって、体外受精に進みました。私の場合、体外受精に進むというのも、心理的ハードルが高かったんです。当時の私は「人の手で受精させていいのかな」とか、「授かった子どもを本当に自分たちの子どもだと思えるかな」とか考えてしまって、どんなことが私たちに起こるんだろうって、とても不安でした。
まだ、親にも会社にも治療のことを話していなかったし、そういうことを誰にも相談できなかったんです。だから、自分で調べて、ひとりで悩むしかありませんでした。
会社のサポートに助けられた
もともと卵胞がたくさんできる症状(PCOS)だったので、体外受精のとき、薬で卵を育てるのが結構辛くて。たまたま私には、お腹がパンパンに腫れるという症状が出てしまって、ズボンのファスナーも閉まらないし、痛くてよたよた歩いていました。
それと、私の場合、筋肉注射のために1ヶ月のうち10日から15日くらい病院に通ったんですが、それも大変でした。筋肉注射で腕が痛くて上がらない、っていうこともありました。
その当時は毎日終電、みたいな働き方をしていたので、さすがにこれでは今までどおりには勤務はできないと思って、会社に相談しました。それで会社の方で検討してくれて、病院に間に合う時間に会社を出られるようになりました。ただ、その頃は、治療後に会社に戻って働くこともありました。
でもそのうち、治療の都合で早退や欠勤の必要が増えたので、本来子どもがいる人にしか適用されない短時間勤務を、特例として適用してもらえることになって。「不妊治療も広義の育児だよね」って、人事部長が言ってくれたんです。給与は下がりましたが、それで安心して治療が受けられるようになりました。
仕事を続けながら治療ができたことは、精神的にもとても助かりました。私の場合は制度があったわけでもないのに、人事部長がはからってくれたことが、本当にありがたかったです。
短時間勤務にしてもらった際、メンバーにも治療のことを説明する必要が出てきて伝えたんですけど、「実は私も不妊治療を受けている」という人が、たくさん出てきました。職場で話せる人が増えたことはありがたかったです。それまでは、限られた友人にしか相談できず、友人にも負担をかけてしまったし、自分も抑えてしまって辛かったので。
あきらめようとした直後の妊娠
体外受精に進んで最後1年くらいの頃、私が辛そうな様子を見て、主人が「もういいんじゃないか」と言い出したんですね。
私を思って言ってくれてるのはわかっていましたけど、その時は寂しかったんです。体外受精は、性交渉なしで子どもを授かるということでもあるので、主人が本当にこどもを望んでくれているのかどうか、不安になったりして。
体外受精は、顕微授精含めて1年間で3回やったんですが、でも結局授からなくて、稽留流産や化学流産も経験して、精神的に参りました。「治療を辞めようかな」と思いながら、2008年の12月に通院したときに、ちょうど排卵しそうだということで、急きょ薬も使わずに人工授精をしたんです。
でも、まさか授かっているとは思わなくて、何も気にせずに年末年始を過ごして、2009年の1月に一応妊娠検査薬を使ったら、陽性反応が出ました。びっくりして病院に行ったら、「授かってるよ」って。
偶然、そのタイミングだったというだけの話ですが、その時は、そろそろ治療をやめようかと思ったときに、お腹に来てくれたような感覚でしたね。同じような話は、不妊治療を経て子どもを授かった方からもときどき聞きます。ただそれは、順当に不妊治療で授かった人があまり表立って言わないから、そういう話の方が耳にする、ということもあるかもしれません。
授かって、今思うこと、思っていたこと
不妊の体験を分かち合うことの難しさ
― ご自身は、日常の人間関係の中でも、不妊治療に関するお話をされることはありますか?
仕事の性質上、私は治療体験をオープンにしていますが、ママ友などの集まりで改めて話すことは、あまりありません。聞かれればなんでも話しますけど。それと、子どもにどう伝えるのかという問題もあるので、話したそうにしている方がいても、その人のお子さんがいる場では聞きづらいかなあ。
不妊治療で子どもを授かった人なりの、苦しみもあるんです。不妊治療仲間の中にはもう入れないし、かといって自然妊娠のお母さんの中にも入りにくいし、という。
医学的には否定されていても、心理的に、不妊治療で授かった子どもだから心配という気持ちも、あるように思います。まだ世の中には、偏見が少し残っていると感じます。統計データを見れば、既に2014年には、21人に1人が体外受精で生まれているんですけどね。
不妊治療をしたからこそ、真剣に考えられた
治療の間、「私は本当に子どもが欲しいんだろうか」ということを、たくさん考えたんです。自然にできていたら、そこまで考えなかったかもな、って。
主人ともそういう話をしましたし、そのとき主人が「もし授からなくても、2人だけでもいいんじゃないの」と言ってくれたのは本当に嬉しくて、心の支えになっていました。
娘を授かったあと、2人目について考えたとき、私の場合は不妊治療と仕事の両立が大変だったのに、そこに育児も加わって全部一度にこなさなきゃいけないわけで、それは無理だなって思って、2人目はあきらめました。2人いたら可愛いだろうな、とも思いましたけど。でも私の場合、1人だとその子に集中できるようにも感じています。
経験者が当事者をサポートするために
本当に治療が苦しかった時期は、町を歩く親子も見たくなかったです。「以前はあんなに人が好きで、人の幸せを素直に喜べていたのに」と自分が自分じゃないみたいな感覚で、辛かったなあ。
だから、私がサポートしたいのはあの当時の私。私みたいな人が、世の中にはたくさんいるんだろうなと思って。
ピア・カウンセラーというのは自身も経験者なのですが、まず自分の心が癒えてないと、人の心のサポートは難しいと思うんです。
サポートを学んでいく中で、もう癒えていると思っていた傷が、実はまだ癒えていないことを自覚して、リタイアされる方もいます。
自分の体験は、クライアントの痛みに共感するのには役立つんですが、それにとらわれすぎてクライアントの話を聞けなくなっちゃうと、クライアントをサポートできなくなってしまいますから。
当時の経験を糧に、当事者とともに歩む
決断をサポートするコーチングという仕事
一般的に、いわゆる不妊治療を受けている人のサポートというのは、心の元気がなくなっている人をケアするカウンセリングが多いんですが、私の取り組んでいるコーチングというのは、その人の人生の目的を達成できるように応援する、というアプローチなんです。
これは治療の終結の段階とか、何か自身での決断が必要な場面で、役に立てると思っています。心の元気がないときはしっかり傾聴して、心が癒えるまでサポートする。そして、決断が必要な場面では、それをしっかりコーチングする。
その両方ができるメリットは、すごくあるなと感じていますし、大事かもしれないなって思っています。
今は泣いていい
― ピア・カウンセラーをしていて、大切に思っていることは何ですか?
そうですね。これは私見ですが、不妊当事者の方と向き合う中で、ご自身を大事にできなかったり、自分自身に自信がなくなっていたりする方が多いと感じています。治療そのものの精神的負担で、その人本来の素晴らしさが現れていない状態にある方が、多いように感じるんです。
だから、まずはその人本来の素晴らしいところを見つけて、伝えてあげる。その上で、ご自身が「今は本当の自分じゃないんだ」って許してあげられるといいな、と思いながら関わらせていただいています。「今こうなっているのは、大変なときだからなんだよ」って。
海外の研究ですが、不妊治療って末期がんと同じ位ストレスがかかるっていう、研究報告があるんです(*注2)。だからと言って極論するわけではありませんが、少なからず、通常の精神状態じゃないのは当たり前だと思うんです。
今は、心が疲れている状態なので、思いっきり悲しんで泣いてもいい。今は、人の幸せが喜べなくて、以前と違う自分になっちゃったように思えても、それは今だけだから安心していいっていう思いで、関わっています。
本当に、無理をされている方が多いと思うんですよ。「誰に対しても明るく接しなきゃいけない」とか「こんなに泣いてる自分なんておかしい」とか。そうやって自己否定してしまうのが一番辛いのではないか、と感じるんですよね。
「出産祝いを渡しにいかなくちゃいけないんですけど、どうすればいいんでしょう」なんて電話がかかってくるんです。もう「それは行かなくていいよ」っていうんですよね。「いつもの明るい自分でなくちゃいけない」って言ってる人には、「今は落ち込んでいいんだよ」って、伝えるようにしています。
(*注2) ”The psychological impact of infertility: a comparison with patients with other medical conditions” A.D.Domar, P.C. Zuttermeister and R. Friedman
家族にエネルギーをチャージしてもらう
― また、これまでお話を伺って来た中で、木村さんご自身として、家族やパートナーとの関係性をすごく大切にされてきて、不妊カウンセリングやコーチングのお仕事の上でも、そこをとても意識されているんだろうな、というのを感じます。
私自身、不妊治療を受けながら、家族ってなんだろうって考えていたら、「親の近くに住みたい」ってすごく思うようになって。子どもができたとき、少し遠くに住んでいた親に、近くまで引っ越してきてもらったんですね。
3年前に亡くなりましたが、当時は父は病気で余命宣告をされていました。父の晩年、育児と治療でお互いにサポートしあいながら過ごしたのは、私にとってはとてもいい時間だったんです。特に産休の1年間は、毎日父に娘の顔を見せに行って。そうやって、家族にエネルギーをもらって、外でそのエネルギーを循環させている、という感覚がありました。
私の想いとして、そういう家族を社会に増やしたいと思っています。
今は、「子どもがいることが家族だ」とは決して思っていません。ご夫婦だけだとしても、もしくはパートナーや親、親しい友人とでも、そういう存在がいることが充電器みたいな感覚で、チャージされてゴーって出来るっていう。そういう家族、関係性が社会に広がっていくために、私が持てるリソースを使っていきたい、って思っています。
ご夫婦とのセッションをしていて、ご夫婦が仲睦まじくなっていって、終わった後できっと2人でハグしあってるんだろうな、って思えるときがあります。「よかったよかった」って思いながら、ワイングラスを傾けて、「ああ、いい仕事だな」って思うんですよね(笑)。
今後は企業の仕事とも協働していきたい
キャリアとしては、企業向けのビジネスの場面で人の成長を支援する方が長いし、そういう仕事も決して嫌いじゃないので、ミックスできないかなって最近思っています。
たとえば育児だと、子供の成長は基本的に生まれてから幼稚園、小学校という流れがあるので、何年生までとか会社も制度にしやすいんですけど、介護などと近くて、不妊治療は先が見えないから、制度化しづらい側面があります。
だから、会社として不妊治療中の社員にどんなサポートができるのかとか、そういうことを伝える仕事も、やっていけたらいいですね。
取材 / UMU編集部、文 / 服部美咲、写真 / 望月小夜加
\あなたのSTORYを募集!/
UMU編集部では、不妊、産む、産まないにまつわるSTORYをシェアしてくれる方を募集しています。「お名前」と「ご自身のSTORYアウトライン」を添えてメールにてご連絡ください。編集部が個別取材させていただき、あなたのSTORYを紹介させていただくかもしれません!
メールを送る