婦人科系疾患の疑いを指摘され、20代からホルモン治療を続けてきた、赤星ポテ子さん。結婚を機に医者から勧められ、飛び込んだ不妊治療の世界に衝撃を受け、マンガを通して不妊治療について伝えていくことを決断。長男の妊娠判明の直前に意志を同じくする編集者と出会い、執筆を始める。産後、再び治療を始めるが、積み重なる治療費に対する葛藤から、治療をあきらめることを昨年末に決断。そんなポテ子さんに治療の経緯やそれをマンガとして描くこと、また二人目不妊治療と妊活“中退”に至るまでの経緯を伺った。
赤星 ポテ子 / Poteco Akahoshi 妊活イラストレーター。不妊治療を経て4/9子宮の日に長男を出産。妊活・仕事・子育てと三足のワラジで二人目に取り組むも、2016年父親の緊急入院を機に妊活“中退”を決断。著者に「ベビ待ちバイブル」「マンガ解説よくわかる!妊娠と出産」がある。
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私、病気なの…?余儀なくされた不妊治療
20代で不妊治療の道へ
今の夫とちょうど付き合いはじめた頃、婦人科系疾患の検査に引っかかりました。一年間くらいは3ヶ月に一回検査入院や、ホルモン治療をしていましたが、このまま先の見えない治療を続けていくことに不安を感じ、別の病院のセカンドオピニオンを受けました。
そこで、「検査にひっかかる度に今のようなホルモン治療を継続していたら薬が効かなくなるから、もしこどもが欲しいなら不妊治療をしたほうがいいですよ。」と医師にすすめられました。
子どもはいずれ欲しいとは思っていましたが、そんなに焦って、しかも不妊治療してまでやらなきゃいけないことだとは思っていませんでした。当時は20代だったし、傲慢な言い方かもしれないけど、その気になればすぐ授かれるだろうという感じでした。
けど、病気の疑いを指摘されていたので、どうせやるなら若いうちのほうがいいと思い、ちょうど婚約した時期ということもあり、結婚して少し落ち着いたタイミングですぐにはじめました。
ー 婦人科系疾患の疑いはなくなっていたのですか?
一時は「病気である可能性が高いという検査結果がでたから」、と医師から言われて、びっくりしてしまったんですけど、その後のホルモン治療では半年くらい薬を服用していたときもあったり、服用後の検査で疑いがなくなったと言われれば、その期間は服用しなかったり。
本当のところがわからず、すごくもやもやしていました。今になっても、実際のところどうだったのか、よくわからないのです。
当時は一人産めればいいなと思っていましたし、治療したらすぐに妊娠できるものと思い込んでいました。自分が妊娠しにくい体質だとは夢にも思っていなかったです。医師から妊娠したほうが将来的にも婦人科系疾患にかかりにくくなるとも言われていたこともあり、やるべきことをちゃっちゃとやっちゃおうという考えで、不妊治療をスタートしました。
仕事を辞め、フリーランスとしての働き方を模索
当時は正社員として働いていましたが、そもそも婦人科系疾患の治療をしながら働くという大変な生活を一年以上続けていたので、どう区切りをつけていったらいいのか、終わりが見えない状況でした。ここに新たに不妊治療も加わると、さすがに厳しいと思い、最終的には休職するという選択肢をとりました。
とはいえ、不妊治療にもお金がかかるので、働き続けたいと思い、こんな状況でも雇ってくれる会社はないかと休職中に転職活動もしたこともありました。案の定、どこも雇ってはくれませんでしたね(笑)。
転職活動に苦戦している私をみて、夫が私にフリーランスで働くことをすすめてくれました。実際、治療と仕事の両立を考えると、フリーランスでやっていくのが一番と私も思うようになりました。
不妊治療の通院は不規則で管理が難しかったので、フルタイムで働きながらの治療は大変でした。休職を経て結果的に退職したのですが、退職後は、通院日以外は結構時間があったので、空いた時間はひたすらフリーランスとしての営業活動をしていました。
知識もないまま突入した体外受精
ー ご主人は不妊治療に対してどんなお考えでしたか?
夫はこどもを持つことに関して、最初から期待していなかったみたいです。婦人科系疾患の疑いを消すための治療もあったので、子どもはいたらいたほうがいいけど、できないならそれでもいいと思っていたようです。
そんな中、不妊治療をはじめてから2周期目にあたった先生に、私の病気の疑いのことを話すと、すぐに体外受精をやるように薦められました。
「え?体外受精って、1回何十万もするでしょ?いきなり?今決められない。どうするって言われても…。」という感じでした。
でも、その日のうちに決めないといけなかったので、夫に電話で聞いたら、二つ返事で「いいよ」って。で、そのまま体外の世界に入ってしまいました。
当時の私はまだ20代だったので、体外受精をすればすぐに妊娠すると思っていました。なので、体外受精についての勉強をはじめたのはやると決めてからでしたね。
普通は、体外受精の段階にいくまでにある程度の知識を繰り返し学んで、説明会にも参加して、体外受精をやるにはどういう病院や方針が自分にあっているのか判断すると思います。ですが、私は、保健体育レベルの知識しかない段階からの体外受精スタートでした。体で覚えるというか。やってから思い悩むタイプです(笑)。
一人目の妊活、不安と怖れを越えて
一人目の時は体外受精を2周期目からはじめて、最終的に転院前も含めて2年間で11回採卵して、6回目の移植で長男を出産しました。
転院は、4回目の採卵のときに決めました。前のクリニックでは、自然周期の低刺激で毎回1〜2個採卵していましたが、受精しなかったり、空胞だったりしたこともありました。この頃から自分は、もしかしたら実年齢より妊娠力が弱いのかもしれない、と思うようになりました。
体外受精についていろいろ調べていくうちに、今までのクリニックのやり方が必ずしもすべてというわけではなく、高刺激でたくさん卵をとる方法があることを知り、別の方法を試すために転院を決めました。
採卵5回目が見えたあたりから気持ち的におかしくなるっていうか、私には妊娠は無理なんじゃないかって、焦りや不安が出てくるようになりました。
その頃、転院先で行った染色体検査で、私がターナー症候群(*注1)ということがわかりました。ターナー症候群は染色体の欠けている度合いで軽度・重度が決まるらしいのですが、私は幸い生理もきているので、最終的に子供が産める程度の欠け具合だったようです。
私の場合、ターナー症候群の他にも、ホルモン値的にいつ閉経してもおかしくない、早発閉経とも診断されていました。
なので、先生に採卵はやめた方がいいと言われた周期でも、頼み込んで採卵をしてもらったこともありました。卵が採れる時期に採っておかないと後で一生後悔するんじゃないかと、常に不安な気持ちでいっぱいだったんです。採卵をやり続けた上での妊娠でした。
(*注1) ターナー症候群:性染色体の欠損が原因で,卵巣の発育障害およびそれによる機能障害を起こす症候群をいう。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より一部引用)
世の中が少しでも変わってくれるように
体験記をマンガとして描こう!
一人目の治療をはじめた頃は、不妊治療に対する認知度もまだ低く、オープンに話せない時代でした。それなのに、クリニックはものすごい人で溢れていました。通院のたびに三時間待ちは当たり前。
こんなに悩んでいる人たちがたくさんいるのに、不妊が一般化されていないことに違和感がありました。治療でやっていることって、私の感覚では結構壮絶だと感じることもあったので、みんなも言えないのかもしれないなって思いました。
だけど、だからこそ、これは話さないわけにはいかないって思って。
もともと、描いたり表現したりといった仕事をしてきたので、その経験を活かして、私自身が受けた婦人科系疾患の検査や一連の流れを描きたいと思っていた時期もあったんですが、そこまで自分のモチベーションが上がりませんでした。
だけど、不妊治療に関しては明らかにこんなに悩んでいる人たちがいるんだから、何か伝えたい、って思って。
イラストの方はあんまり得意ではありませんでしたが、マンガはアクが強ければ強いほどそれが個性として、仕事としても成立するイメージがあり、コミックエッセイ(体験マンガ)を描くことは自分に向いているかもしれないと思い、マンガ家を目指すことにしました。
フリーランスとして売り込みをしていた時に、妊活専門雑誌「赤ちゃんが欲しい」の編集者さんと出会うきっかけがありました。その時、ちょうど担当されているマンガの連載が終わるから、新しい方を探していたみたいで、「マンガ描ける?」「描いたことないけど描きたいです!」「じゃあ試しに描いてみて」「じゃあ連載決定。」と、とんとん拍子に決まりました。
ただ、連載は決まっても、なかなか本を出版することができませんでした。でも治療や仕事の合間に、出版社への持ち込み営業は続けていました。そうしたら2年がかりでやっと、幸運にも出版へのGOサインを出してくれるところを見つけることができたんです。長男を妊娠したのは、ちょうどこの直後のことでした。
マンガを描くことで受けたセクハラ、悔しい思い
実はマンガ「ベビ待ちバイブル」でも描きましたが、不妊治療のマンガを描いていることで、セクハラを受けたことがあります。以前働いていた会社の元上司のところへ営業にいった時も、いろいろと茶化されて本当に悔しかったですね。
周りの人たちは私の作品をみて、下ネタを言ってもいい対象だと思ったんじゃないですかね。当時、妊活っていうとてもプライベートな活動をマンガにする私みたいな人は、とても稀だったのでしょうね。
今もそういう人がいないわけじゃないでしょうけど、7年前に比べたらだいぶ空気も変わりましたね。マンガを描くことによって社会の体制や、対応が変わって、セクハラまがいのこともなくなり、世の中が少しでも変わってくれたらいいなって思います。
“卒業”ではなく“中退”
育児と仕事との両立、断乳の決断。二人目妊活の難しさ
長男が1歳になった時に二人目の妊活を考えはじめたのですが、一人目の時とはまた違う二人目の不妊治療の辛さというか、大変さについて伝えたいと思うようになりました。
一人目の時は、治療そのものについての無理解や仕事との両立が大変でした。通勤弱者になると、どんなに働きたくても働くのが難しくなる。治療を続けるために仕事を辞めなければいけないこともある、という問題もあります。妊娠については社会的制度が整っているのに、それに比べ、妊娠しようとしている人は社会的サポートをほとんど受けられないんだと、実感しました。
かたや、二人目の治療のために長男が1歳になるころに断乳をしましたが、今度は、これがとても辛かったです。不妊治療をして、やっと授かった子でしたから。もしこれが最後の授乳になるのなら、時間をかけて卒乳させてあげた方がいいのかもしれないと悩みながら、泣きながら断乳をしました。
ちょうどその頃、二冊目の本が出せることが決まりました。出版が決まったこと自体は嬉しかったのですが、もうこれが大変で、大変で、大変で…。
一冊目は妊娠直前に決まったので、ある程度出産までに書き溜めて出せたのですが、二冊目はスケジュールが厳しく、断乳してすぐ治療するつもりだったのに、本を優先しなくちゃいけなくなってしまって。
なので、二人目の不妊治療開始当初は、人工授精にステップダウンすることにしました。体外受精よりは時間をとられないっていうのもあって。でもいよいよ人工授精に通う時間すら、確保できなくなってしまいました。
結局、私の場合、育児と仕事をやりながらだと、そんなに不妊治療に本腰をいれられませんでした。一人目治療のときはあんなにイケイケドンドンで採卵していたのに、半年に一回くらいしか通院もできませんでした。一人目の時と違い、全然イケイケじゃなくなっている自分にびっくりしました。
妊活を続けることへの罪悪感
それから、二人目の不妊治療をやるたびに、こどもの将来という口座から勝手にお金を盗みとっているような罪悪感が湧いてきました。一人目の時とは違う、経験したことがない感覚でしたね。
そうなるとわたしのモチベーションもあがらないし、夫のモチベーションも一人目のときと比べかなり下がっていました。
もともと低かったAMH(*注2)の値が二人目治療の時期にはさらに下がり、ますます状況が悪くなりました。生理も周期によってはこないときもあり、採卵すらできない状態が増えました。
一人目不妊で仲良くなった人が、あっさりと“貯金”の卵(一人目治療時に採卵したが体内に戻さず、凍結してあった受精卵)で卒業していくのを目の当たりにして、祝福すべき友人の妊娠にモヤモヤとしてしまう自分を、自己嫌悪することもありました。
昨年の年末までは続けようと夫婦で決めていたものの、夫の転職が決まったタイミングで、思い切ってグアムに家族旅行に行きました。ハネムーン以来の海外旅行で、それが、一回の体外受精と同じくらいの金額だったんです。
その旅行で、「かもしれない」可能性に何十万もつぎ込むより、家族全員が幸せになることにお金を使う方がいい、と思うようになりました。
(*注2) AMH(アンチミューラリアンホルモン): 卵子が卵巣内にどれだけ残っているかを表すホルモンの数値で、閉経年齢予測や不妊治療を選択する際などに目安として使用される。
妊活“中退”
不妊治療の費用は、大部分を親に援助してもらっていました。そんな折、去年父が突発性難聴で急遽入院する、という出来事がありました。
私は父の体調が心配で、これ以上は治療を続けられないと伝えたら、父は「まだまだ大丈夫だ。」の一点張り。
「どうしてそこまで私に二人目を作らせてあげたいの?」と聞くと、「自分の子どもの夢を叶えてあげたいと思うのが親心ってもんじゃないか」と父は言いました。
その父の言葉は、私の胸に深くつきささりました。
私は10年後、息子に同じ言葉をかけてあげられるだろうか。同じことをしてあげられるのだろうか…と。
私は今まで不妊治療のやめどきって、「もう二人目なんて全然興味なくちゃったー!」という感じで、スッキリやめられるものだと思っていました。
だけど、二人目を諦めた人たちにいろいろ話を聞くと、みんな治療に対する虚しさは消えないって言っていたんです。治療をやめた人に満たされた人なんていないのかもしれない、すぱっと気持ち良くなんてやめられないもの、と思うようになりました。
実際、私も一人こどもを授かって、頑張った先の充実感を知っているからこそ、二人目もゴールまで頑張りたいと欲張っていたところがありました。
例えば、もし学校を中退した場合、何かしらしこりは残ると思うんですよね、卒業とは違うと思うんです。だから妊活をやめることって、この気持ちって“中退”なんだなって思って。妊活して出産まで至った人は“卒業”という晴れ晴れしい気持ちだと思うけど、妊活“中退”が“卒業”みたいに気持ち良くできないのは、しょうがないなって。
私は何に後悔するのか、その先の決断
一人目の不妊治療をした時はお金のことが一番大きかったかもしれないけど、やりきれたんですよね。だけど、二人目に関しては現実的に経済的な将来設計をしながら、やめどきを考えさせられました。治療をやめる上で、息子の10歳上のお子さんがいらっしゃる方から話を聞けたことが、私には大きかったです。
不妊治療のやめどきを考えていく中で、ある時「やめる」ことで後悔するよりも、「続けていく」ことでこの先後悔しそうだと感じる、転換点が見えたんです。このまま続けていたら間違いなく後悔する、そう思えたことがきっかけで、やめることができました。
人間の心って興味深いなあって思ったのは、私のママ友の話ですが、こどもが二人いるお母さんたちでも、他人の妊娠を聞くとモヤっとすることがあるみたいなんです。
私は「本当は三人欲しかったの?」と聞いてみましたが、本人もよく分からないような焦りに似た気持ちがでてくるらしいです。「こんな気持ちいつまで続くのだろう、小さな絶望だ」って言っていました。
あくまで私の推測ですけど、女性ってもしかして二人三人とかじゃなくて、できるだけたくさん産みたいって思う本能があったりするのかな、なんて思いましたね。
私は二人目治療をやりきって成功した人をみると、正直うらやましいと思う気持ちに今でもなります。自然に妊娠できた人に対してよりも、ずっと。
二人目妊活は仕事を一旦お休みしてでも、治療に集中すべきだったんじゃないかって、今でも時々ふと振り返ってモヤモヤすることがあります。
でも、これが妊活“中退”なんだなって。スッキリを追い求めていたら、多分やめられなかったですね。
取材・文 / UMU編集部、写真 / 望月小夜加
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