シングルマザーとして小学生の息子さんと一緒に千葉で生活していた土屋志帆さんは、リーダーシップの研修で出会い、一緒にプロジェクトを進めていた柴田純治さんと2016年に再婚。当時7歳の息子さんと共に柴田さんが住む京都へ移住し、「ステップファミリー(*注1)」として3人の生活が始まった。それぞれが変化の中で不安や迷い、葛藤を抱えながらも、お互いを人生のリーダーとして認めあい、日々家族の対話の場を持ち続けている。今年2月には、長年積んできたコーチングの経験を活かし、夫婦で起業。多様な家族やパートナーシップの支援を始めた。ある日、息子さんから生まれた「3ページ目に行こう」という言葉をカギにして、「ステップファミリー」という家族の道を共に歩むお二人に話を伺った。
(*注1) ステップファミリー:再婚や事実婚により、血縁のない親子関係や兄弟姉妹関係を含んだ家族形態
土屋 志帆 / Shiho Tsuchiya(妻)1981年生まれ。(株)Co-leaders代表取締役、プロコーチ、システムコーチ。新卒で(株)リクルートジョブズにて広告営業の後、人材紹介コンサルタント、人事、教育研修を経て、2013年よりコーチと会社員のパラレルキャリアを築き、2017年に夫と共に起業。個人や家族や組織の変容のサポートや学びの場のファシリテーションを行う。プライベートでは、結婚、出産、離婚、シングルマザー(7年)を経て2016年に再婚。ステップファミリー(血の繋がらない家族)を構築中。
柴田 純治 / Junji Shibata(夫)1977年生まれ。(株)Co-leaders代表取締役、プロコーチ、プロジェクトマネージャ。京都大学工学部中退後、ITベンチャー企業へ入社。インフラエンジニア、プロダクトマネージャ、プロジェクトマネージャ、子会社取締役と幅広い経験を持つ。その中で、人材マネジメント、多拠点間のチームビルディングにも携わる。現在はパラレルワーカーとして、会社員をしながら2017年株式会社Co-leadersを設立し、オンラインワークショップ等を通じ、家族やパートナー、ステップファミリーへの支援を行っている。
www.co-leaders.co.jp/
怖さもあった再婚、それを越えさせてくれたもの
深まっていった二人の絆
― まずはお二人が結婚されるに至った経緯を伺えますか?
土屋 もともと私たちは、とあるプロジェクトを一緒にやっていてその一環で、一昨年の4月に二人でワークショップを開催したんですね。
そのワークショップを成功させるために、まずは二人の関係性を深くすることが大切だと思ったので、その前からいろいろな実験をしていたんです。
秘密をお互いにシェアしあったり、踏み込んでフィードバックしあったり。そうすることで、二人の絆は自然と深まっていたと思います。
柴田 僕は大学を中退しているのですが、その頃の話は僕にとっては惨めな記憶なんです。大きな挫折だとも感じていて、それまで周りにはその話をしてきませんでした。
当時の僕を支えてくれたのは友人たちで、「僕は彼らのような人になりたいんだ」って泣きながら志帆に話したのを覚えています。なんかもう、そういういろんな話をシェアする関係になってたんですね。(笑)
土屋 でも結婚するつもりは全然なかったんです。私は息子のこともあってもう失敗できないと思っていたし、怖さみたいなものもあったので。
二人を息子がつないでくれた
土屋 そんな私たちを、実は息子がつないでくれたようなところがあって。
5月にそのワークショップのお疲れ様会という感じで私が息子を京都に連れて行ったんですね。
そのときに、息子が自然と純ちゃんの手と私の手を両手でつないで歩く、という瞬間があって。千葉に帰ってからも、息子が「純ちゃんって、パパみたいだね」って言ったんですよ。びっくりしました。
そんなことを言われて、私もちょっと動揺したんですけど(笑)、「純ちゃん、パパになってくれるかね~」とか軽く返事したりして。
そんな感じで、最初から純ちゃんに対しての息子の印象はよかったみたいです。
あ、最初からじゃないか。(笑)
ママをとっちゃう男として無視された初めての日
柴田 そう、初めての時はすごかったんです。完全に「ママをとっちゃう男」として見られていて。
土屋 息子と純ちゃんが初めて会った日は、二人で一緒にワークショップを開催した日でした。その日、私は息子を会場に連れていっていたんですけど、参加者の方も子連れで参加できるように、シッターさんに協力をお願いしていました。ワークショップの間、子どもたちはシッターさんと別の場所で遊ぶようにということで。
だから息子は、「ママの隣にはずっと純ちゃんがいて、僕はママとしゃべっちゃいけなくて」って、すごく我慢をしていたんですよね。だから、ワークショップが終わった後は、純ちゃんのことはもう完全に無視で、私に全身で怒りをぶつけてきたんです。
柴田 僕の目の前で、ずっと志帆にすごい剣幕で怒りをぶつけてましたね。
土屋 そう、それで、「ママ、もう早く部屋に戻ろう!」って。
でも、その次に会った時の話なんです、さっきの、3人で手をつないで歩いた、というのは。
柴田 初めて会って完全に無視された後、僕は京都で二人は千葉だったので、次に会うまで2,3週間開いたんですね。なのに、急に親しい感じになってたから、もしかして志帆と息子が話をしたのかな、って、僕は勝手にそう想像してるんですけど
土屋 いや、特に記憶にないけどなー(笑)、でも、「僕、この人知ってる」っていう安心感みたいなものが、二度目に京都で会ったときにはもうあったのかもしれませんね。
「とりあえず、結婚する?」
柴田 その後にいっくん(息子)が「純ちゃんってパパみたいだね」って言ってたって聞いた瞬間は、正直よくわからないプレッシャーを感じたのを覚えています。「パパ」なんてやったことないですから。
ただ「純ちゃんって言葉が綺麗だね」とも言っていたと聞いて、それが嬉しくて。僕が自分の思いを正直に話す人間だ、って息子が認めてくれたような気がしたんです。僕はずっと「自分に正直であること」を大事にしてきたから。
それもあって、考え過ぎずに自分の気持ちと直感に従って「とりあえず、結婚する?」って言ったんです。今思うと無計画ですね(笑)
土屋 お付き合いするとかをすっ飛ばしていきなりだったので、正直、嬉しさよりも驚きや戸惑いの方が大きくて、「自分の言っていることの意味、わかってるの?」なんて言ってしまいました。(笑)
でも、「ひょっとしたら、自分の知らない世界に行けるのかもしれない」と、背中を押して貰ったような気がしたんです。
息子のことはもちろん、親とも同居しているし、住む場所や仕事、何から何までどうしたらいいのか全然わからなかったけど、素直に「その世界に行ってみたい」と思いました。
不安も不満も出し合っていく
家族はチーム。お互いがそれぞれのリーダー
― そうして家族としての生活が始まったんですね。
柴田 もともとは、僕は「血のつながりがあるのが家族だ」と思っていたんです。でも実際には今、そういうつながりではない人たちと一緒に暮らしている。そうなってみて、家族にはチーム感があるといいんじゃないかなって思ったんです。まだホントに手探りですけど。
土屋 私たちは、「それぞれが持つリーダーシップをどう活かして生きるのか」っていうプログラムの研修で出会ったんです。だからなのか、家族を作るときも、一緒にプロジェクトを始めるときと同じ感覚はありますね。家族はチームで、お互いがそのチームのリーダーだよね、って。
柴田 去年の3月末から一緒に暮らしだしたんですが、そこから1、2ヶ月の間はかなり意図的に、土日は家族で何かを一緒にする時間にしていたと思います。
同じことを一緒にやると、チームとかプロジェクトとかでも結束力が高まるじゃないですか。だから当初はそういうのを意識していた部分はあります。今、僕のなかで、家族のイメージはチームなんですね。
それで去年、送り火で有名な大文字山に3人で登ったんです。
土屋 それが、京都で暮らし始めて、初めて3人でなにかを一緒にした思い出になったんですよね。その後から子どもも山登りが好きになって。京都の山にはいっぱい行ったよね。鞍馬山とか比叡山とか。
いつでもどこでも開かれる「家族会議」
― 家族がひとつのチームになるために、一番大切なことってなんだと思われますか?
土屋 家族での対話の時間を持つことかなと思います。この1年ずっと、「家族会議」という家族での対話を続けています。最初は夫婦間で話し合っていたんですけど、家のこととかを3人で話すようになって。「部屋に名前をつけようか」とか、「夏休みどうしようか」とか。
柴田 3人で暮らし始めて1、2ヶ月くらいは、一緒に暮らし始める前の生活と今の生活とのギャップが出てきて、たとえば息子や志帆は「これまでの千葉での生活はこうだった」とか、僕は、それまでシングルだったから「自由に飲みに行けたのに」とか。
特に僕と息子がそれにイライラしていた時期があったんですね。なので、その感情を表に出せる場があるといいなって。
土屋 そう、今思ってることを全部出しあおうというのと、相手の気持ちの変化をお互いに知っておきたいっていうのもあったかな。
子どもが新しい学校に通い始めたタイミングで苗字も新しくなって、つまり「柴田」に変わって、学校では友だちに早速「しばちゃん」とかって呼ばれるわけです。これ、本人にとっては結構大きなことだと思うし、動揺もあるんじゃないかなって。
そういう変化の中で、思っていることや心配なことが話せるといいよね、って。あとはやりたいこととかを誰かが黙ってガマンしたり、無理して合わせようとしたりするのは嫌だな、心配だなって。
暮らし始める前から
―「大人も子どももイーブンな場で話しあえる」って、すごく素敵ですね。
土屋 そうですね。実際には一緒に暮らし始める前から、「息子も両親も関わる話なのに二人だけで話してるのはおかしいよね」というのは感じていたんですよね。なので、途中からは息子とも話しながら色々と進めてきました。それもあって始められたのかもしれないですね。
柴田 もともと遠距離だったので、結婚するまではほとんどスカイプで近況を話していたんです。途中から息子がスカイプに登場したりして。
そのうち僕と息子が二人でスカイプしてみようか、とか、徐々に関係を作っていきました。志帆に黙って、息子と僕の二人だけの秘密を作ろうかとかね。仲良くなれるといいなって思いながら。
3人だから生まれた「3ページ目」
お互いを支え合うことが最初の一歩
― もともとお二人に、コーチングなどの知識や素養があったことも大きかったんでしょうか。
柴田 そういうのを取り入れるのが早かった部分はあるかもしれないですけど、ステップファミリーの最初の段階は、まず「パートナー同士がしっかりお互いを支え合っているかどうか」ということがすごく重要だと思うんですね。そこさえ前提にあれば、知識とかはあまり関係ないように思います。
土屋 そうだね。当初は息子が結婚を嫌がったり、親が反対したりしていた中で、まずは私たちの強い気持ちがあったからこそ、家族や子どもとの関係をどう作っていこうかって話ができたからね。
柴田 二人の結束はガッシリしてたけど、外からの風当たりは強かったんです、最初は。うちの親も志帆が再婚で子どももいるって話した時は「えっ」って感じになったし、志帆の親も、手放しで応援してくれる感じではなかったし。
土屋 でも結局、彼のご両親が結構早い段階で迎え入れてくださったんですよ。私もいろいろ悩んでいたんですけど、「息子も連れておいで」って言ってくださって、実際に連れて行ったら、すごく歓迎されて、私も今までのことを全部お話しして。
純ちゃんと息子が仲良くなっている様子を見て安心してくださったみたいです。私たちを受け入れて下さって、そのことが本当にありがたかったです。
柴田 実家に行ったときに僕がトイレに行って一瞬いなくなったら、息子が寂しがって「どこに行ったの?」って言ってたらしくて。それをうちの親が聞いていて、なんだか安心したって言ってましたね。
息子の思いをちゃんと聴いておきたい
土屋 息子は息子でいろんな空気をすごく感じてるんだろうなあって思いますね。私の母親は当初、結婚に反対してたんですけど、それを感じたのか「ママたちさ、結婚するのはもうちょっと先にして、オリンピックの年くらいにした方がいいんじゃないの?」なんて言ったり。
柴田 志帆が働いてる間、ばあばが母親役というか、息子とずっと一緒にいてくれていたので、ばあばも息子と一緒にいたいという思いがあって。息子はママの幸せとばあばの幸せの間で板挟みになっていたかもしれない。
― それは、ちょっと心配でもありますね。
土屋 だからこそ、対話をすることはすごい大事だって思ったんです。そこで息子の正直な気持ちを、いい悪いじゃなくて、そのまま聴いておきたいな、って。
対話していく中で、「ママと純ちゃんが結婚するのはいいけど僕は転校したくない」とか、「ばあばも大事だからばあばともいたい」ってこととかを話してくれました。
そうやって自分の気持ちを聞いてもらえるっていう感じと、それと同時に、気持ちを伝えたとしても自分の思う通りにはいかないこともある、ということを少しずつ学んでいますね。
柴田 ときどき爆発して「なんでいつも自分の言うことを聞かないんだ」なんて言うこともありますけど、後で落ち着くと、それも自分なりに整理してるように感じます。
そういうのも含めて感情を出さないと、本人にも僕たちにも分からないので、まずは出せるようにすることが大事だと思っています。
「3ページ目」という新しい道
土屋 私と息子は、ずっとガチンコのコミュニケーションをしているんです。「嫌だ」っていうときに、本気でぶつかってこいっていうか。だから体当たりでパンチとかしてくる。私もそれを受け止めて、「スッキリするまでやりな」って言うんです。思いっきりやるとそのうち落ち着いてきて、「ママ、痛かった?」って。
傍から見ているとびっくりするようなコミュニケーションなんでしょうけれど、私はその「出し切る」っていうのをすごく大事にしたいなって。
柴田 「出し切る」っていうのはすごく大事だと僕も思うんですけど、一方で最近になってそこに僕が入ったことで、それとはまた別の道が見えてきた気がするんですよね。
土屋 昨日まさに私と息子がそんな喧嘩をしていたら、純ちゃんが横から入ってきたんですね。そしたら、息子が「今はママと二人の話で、純ちゃんの話は3ページ目だ」って言うんですよ。私と二人の「2ページ目」を終わらせてから、「3ページ目」に行けと。
柴田 急に「3ページ目」とか言われてもわけわかんないですけどね。(笑)
土屋 それで、「そうか、いっくん(息子)は2ページ目が終わらないと3ページ目には行けないって思ってるんだね」って。
ところがその「2ページ目」が終わらないんです、ずっとぶつかってしまって。そしたら息子が、「2ページ目はちょっと置いといて、いったん3ページ目に行こうか」って言ったんです。
それで「3ページ目」、3人で話してみたら、私と息子は相変わらずぶつかってるんですけど、そこに純ちゃんがちょっと冗談言って、皆で笑っちゃったんですね。
そしたら意外と気持ちがゆるんで、「2ページ目」がどうでもよくなっちゃった。(笑)
柴田 「2ページ目」のことごめんねって。
土屋 みんなで謝ったんだよね。
― その「3ページ目」っていう、息子さんが出した比喩に乗っかることで解決に至った、っていうのが素敵ですね。
柴田 これ使えるなって。今後なんかあった時、「3ページ目行こうか」って言ったらいけそうだよねって話してました。(笑)
取材・文 / 服部 美咲、写真 / 望月 小夜加、協力 / 高橋 慧太
柴田純治さんの「とりあえず、結婚する?」という申し出を受けて再婚を決意された土屋志帆さん。お二人は息子さんも含め、プロジェクトのように一緒に色々なことに取り組み、家族会議をして少しずつ家族としての関係性を育んできた。後編ではそのプロセスの中で生まれた葛藤や喜び、願い、そしてお二人の「3ページ目」について伺います。
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