日本のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取り、性的マイノリティの総称として使われることがある)の割合は7.6%、実に13人に1人とも言われている(電通ダイバーシティ・ラボ「LGBT調査2015」より)。ここ数年では、自治体が制定するパートナーシップ条例などもでき始め、LGBTを取りまく環境は活発な動きを見せている。
清水尚雄さんは、女性の身体で生まれたが、幼少期から自分の性別に違和感を抱いてきた「性同一性障害」で、FTM(Female to Male:身体的には女性であるが性自認が男性)のトランスジェンダーと呼ばれる。2014年に性別適合手術を行い、戸籍も男性に変更した。
幼い頃から柔道の道に進んだ尚雄さんと、ソフトボールの選手だった彩香さん。スポーツを通して知り合った二人は、2015年に結婚。お互いの家族との関係や、子どもを持ちたいと言えるようになるまでの迷いや葛藤、LGBTをとりまく社会の状況について思うことなど、率直に語ってくれた。素朴で飾らない二人の存在は、ダイバシティ(多様性)を標榜する社会において、ひとつの “現代のリアル” な夫婦の姿である。
清水尚雄/Nao Shimizu(夫)1983年、栃木県生まれ。小学1年生で柔道を始め、実業団まで含めて約26年間、選手生活を送る。大学3年時に国体で団体戦3位、実業団で全国大会団体戦1位に輝き、大学や実業団のコーチや監督も務める。現在は引退し、ドラッグストアに勤務。幼少期から自身の性別に違和感を抱き、2011年からホルモン治療を開始。2015年に結婚し、仕事の傍ら、LGBTに関する講演活動も行う。
清水彩香/Ayaka Shimizu(妻)1993年、沖縄県生まれ。2011年に岐阜で行われた国体に、ソフトボール選手のサポーターとして出場。柔道のコーチとして来ていた尚雄さんと知り合う。2012年に大学を中退し、2015年に結婚。現在はアルバイトをしながら、性同一性障害の夫を持つパートナーとして、尚雄さんと一緒にLGBTの講演などで話すことも。
出会い、そして周囲へのカムアウト
出会いのきっかけ
― おふたりのなれそめは? 出会ったのはいつ頃ですか?
彩香 2011年ですね。私が通っていた大学がある岐阜で国体があって、私はソフトボール選手のサポーターとして、彼は柔道のコーチとして参加していて。
私の先輩もFTMだったんですけど、その先輩が、「自分と同じFTMの人なんだけど、これから飲みに行くから一緒にどう?」って。その人が彼でした。
―彩香さんは最初から性同一性障害の人に対してまったく偏見や違和感はなかったんですか?
彩香 ソフトボールってFTMの人が多いんですよ。私の周りにも、坊主頭の子とか、女の子と付き合っている子とかざらにいたので、まったく普通の感覚でした。
でもその時、私は大学1年生。18歳だったので、飲酒はダメだし、また次に、という感じで。
尚雄 その時は、全然なんとも思ってなかったです。10歳離れているので、教え子のような感覚ですよね。
彩香 でも、言ってきたのはそっちからだったでしょ。
尚雄 指をさすんじゃないよ、指を(笑)。でも、そこから連絡を取り合って、ふたりで会うようになって。
彩香 付き合うまでは早かったよね。
尚雄 そうだね。でもその時はまだ身体も戸籍も女性だったので、ばれないように隠してました。でも、学生ってかぎつけるの早いんですよ。大学でコーチもしてたんですけど、「清水先輩、なんか怪しい、浮かれてる」って(笑)。
彩香 最初は私が岐阜、彼が千葉で。私は体育の教員を目指してたんですけど、実は大学2年生の時にケガをしてしまって。ちょうどソフトボールもうまくいってなくて、やりたくないなと思ってしまっていたので、このままダラダラ続けるよりは、辞めて実家に帰ろうと、大学を辞めて沖縄に帰りました。だから2年ぐらい遠距離恋愛してましたかね。
尚雄 僕は実業団の選手を2011年に引退して、その後は実業団と大学のコーチを兼任していました。
治療を始める決意
― 当時、尚雄さんは社会人として勤めながら、まだ女子のカテゴリーで柔道を教える側にいたんですね。性同一性障害のホルモン治療がドーピングにあたってしまう可能性から、現役時代は治療を躊躇していたと聞きましたが、2011年から治療を始めているのは、なにかしら決意などがあったのでしょうか?
尚雄 やっぱり、彩香と付き合ってからなんですよ。たぶん、彩香に出会わなかったら、今も胸を揺さぶってました。けっこう大きかったんです(笑)。
彩香 ボインボインだった(笑)。
― では付き合った時から、「いずれは結婚」というふうに思っていたんですね。
尚雄 そうですね。視野には入れていました。それで、結婚するとなると戸籍を変えないと(*注1)って。
でも、葛藤もありました。やっぱり、大学で教えていたし、選手や学生との関係性がどうなるか考えると怖くて。ホルモン治療すると声も見た目もどんどん変わっていくし。当時も今も、柔道界にはまだ誰もカムアウトした方はいなかったので、その時は、うん、すごく嫌だったのかなあ。
― 女性の身体であることに対して、自分自身の嫌悪感はそこまで強くはなかったのですか?
尚雄 ありました、ありました。胸とか、やっぱり嫌でした。
だから遅かれ早かれ、胸はとっていたと思うんですけど、そのきっかけを作ってくれたのが彩香との出会いだったんです。
(*注1)04年に施行された性同一性障害特例法では、性別適合手術で「体の性」を「心の性」に合わせることが、戸籍上の性別を変更する要件とされている。
柔道の恩師へのカムアウト
― 治療を始めるにあたり周囲にカムアウトはされたんですね。
尚雄 最初に大学の柔道の恩師に伝えました。実は大学2年生の時に一度柔道から逃げたことがあって、その時にも先生には伝えていたんです。その時は「治療は清水のしたいようにしていいけども、柔道とはまた別に考えた方がいい」と言ってくださっていたので、先生も、「ついにか」、と。
― かなり覚悟がいったのではないかと思うのですが。
尚雄 はい。でも先生の反応は「おおー、いいよ、いいよ」って感じで(笑)、まったく何も変わらなかったです。
彩香 ありがたかったね。
尚雄 ほんとに。偏見のない先生で、助けられました。
彩香 むしろ「彼女を連れておいで」って、ごはんに連れて行ってくださったんです。ありがたかったねぇ。隠さなきゃと思ってたものが、まさか受け入れてくださるとは、って感じでした。
尚雄 実業団の監督にもちゃんと伝えました。そしたらやっぱり「いいよ、いいよ」って(笑)。「そんな雰囲気出てたよ」って、もう分かっていたみたいです。
結婚までの道すじ
それぞれの家族の反応
― 結婚は本人たちの意志だけではできない部分があると思います。彩香さんは事前にご家族に話していたんですよね。
彩香 はい。最初は両親に反対されるかなと思ってたんですけど、まったくで。「あー、そうなんだ。いつ連れてくるの?」という感じ。逆に、「親に反対されて別れるぐらいなら最初から別れなさい。たとえそれが性同一性障害の人じゃなくても」って。
「誰かと付き合って、結婚したいと思うことは、本人たちの自由だから」という考えの両親です。
― 尚雄さんの方は、特にお母さんがなかなか性同一性障害ということを受け入れられず、たいへんだったんですよね。結婚するとなった時はどうでした?
尚雄 父はぜんぜん、「早く連れてこい」という感じだったんですけど、やっぱり母は、会いたくない気持ち半分、でも会いたい気持ち半分、だったと思います。
自分の子どもが変わっていく姿を近くで見ているので、葛藤があったと思うんですね。もう別々に暮らしていたけど、実家に帰るたびに「声がどんどん変わってる」とか言われて。ショックを受けさせたくなかったから、母に会いに行く時にはひげは剃って行ってました。
でもまあ、彩香がこういうキャラクターなので、母もすぐ気にいってくれて。「今度いつ来るの?」と言ってくれるまでになったので、よかったと思います。
はじめての親族顔合わせ
― お互いの家族の顔合わせはしたのですか?
尚雄 はい、やりました。栃木でやったので、わざわざ彩香のご家族には沖縄から足を運んでいただいて。
親同士、年齢も違うんですけど、格闘技が好きっていうのが共通していて。格闘技をやっている私の弟も来たので、それで盛り上がっちゃいました。
彩香 うちの父がね、もうテンション上がっちゃって。格闘技やってるからーって。めっちゃ飲んで盛り上がって(笑)。
尚雄 お父さんひとりだけできあがってたよね(笑)。
彩香 恥ずかしい(笑)。
― では、特に尚雄さんの方はここまでくるのにいろいろとあったけど、結婚自体はすんなりと。
尚雄 そうですね。すんなりいったのかなあ。
彩香 ありがたいことに。
尚雄 ほんとに。
彩香 他の人の話を聞くと、結婚はなかなか難しいことだと思ってたんです。親に言えないとか、理解してくれないとか、手術に反対されてるとか……。そういうのがうちはぜんぜんなかったので。
入籍を果たして
― 結婚式は挙げていないんですよね?
尚雄 私は挙げたいんですけど、この人が嫌だって言うんです。
彩香 嫌です(笑)。
尚雄 ウェディングドレスが着たくないと。
彩香 やりたくないんです。
うちの両親も式は挙げてなくって。母がそういうの嫌がるんですよ、お金かかるだけだって。
尚雄 私は、なんていうんだろう、一区切りつけるというか、そこでちゃんとけじめをつけたいっていう感情があるので。
彩香 婚姻届け出したからけじめはついてるよ。
尚雄 まあ……、そうなんだけどね(笑)。
― 婚姻届けを書く時に特別な思いはありましたか?
尚雄 ありましたねえ。「ついにか」っていう。婚姻届け自体は、運命の人が現れたら渡そうと思って、前から自分の欄だけ書いて持っていたんです。だけど、それだけ。まさか本当に結婚できるとは思っていなかったので。
彩香 子宮を取る手術した後、テーブルの上にちょこちょこ置かれるようになってたよね(笑)。
尚雄 「書け!」と思って(笑)。
― 彩香さんはそれを見て、どんな気持ちでいたんですか?
彩香 クリアファイルに入ってたんですけど、そっと横にずらす、みたいな(笑)。
尚雄 濡れないように(笑)。
彩香 濡れないように(笑)。
私たちは子どもをほしがってはいけない?
「言えなかった」夫婦の間のタブー
― 結婚した当初から、お二人のなかで「子ども」というのは考えていたのでしょうか?
尚雄 私はやっぱりほしいと思ってました。で、柔道させたい。エゴですけども(笑)
彩香 私は別に、いらないかなと思ってたんですよ。
実の子どもはできない(*注2)と分かった上で結婚するので。彼のプレッシャーになるし、そういうことは言っちゃいけないものだと思ってて。最初の頃は子どもの話をする雰囲気もありませんでした。
尚雄 うん、なかったね。
彩香 ほしいなと思う気持ちもあったんですけど、ネットで調べると、けっこうひどいことが書いてあったりして。「できないと分かってて結婚するんだから、子どもをほしがるのは間違ってる」とか、「子どもがかわいそう」とか。
そういうのを読んで、そうなんだぁ……と思って、よけいに彼には言えなかった。子どもがほしいとか、言わない方がいいんだろうな、ふたりで生きていくならそれはそれでいいのかな……って。結婚してからも、最初の頃はそんな感じだったかなあ。
尚雄 そうですね。そういった話をしても、「あー、ほしいねぇ」という感じで話は終わってたので、あれあれ?と。そんなに子ども、ほしくないのかな?と。でも子どもを連れたファミリーを見たりすると、「あー、楽しそう。いいなぁ」ってぽろっとこぼしたりするので、内心はちょっとほしいのかなと思ったり。でも、もうその話は、お互いにちょっと計りかねている感じで。
彩香 タブーって言うか、なんか、話しちゃいけない感じというか。
尚雄 それが、子どもの話でした。
彩香 他のことは問題なくなんでも話せるけど、そこだけは難しかった。
尚雄 そうねぇ。
(*注2)性同一性障害の治療(ホルモン療法もしくは手術)を開始すると、体の中では「配偶子(精子と卵子)」を作ることができなくなる。また、女性から男性へと性別を変えても、新たに精子が作り出されるわけではない。
自分でもびっくりする感情「やっぱりほしい」
― 夫婦の間にもタブーがあったんですね。いまのようにこうやってなんでも話せるようになったのには、何かきっかけがあったのですか?
尚雄 きっかけは、最近だね。
彩香 ほんと、最近。
尚雄 私の大学からの親友が、子どもを連れて遊びに来たんです。シングルマザーで、子どもが2人いて。それで彩香は、子どものお菓子を買いに行くために出て行って。
彩香 買い物から帰ってリビングを見たら、彼とその友だちと、子ども2人がダイニングテーブルを4人で囲んでいて。
それを見て、なんだかすごくやるせない気持ちになっちゃって。
―「家族」という感じだったんですね。
彩香 はい。きっと子どもがいたら、こういう感じだったんじゃないかと思って。そこから、もう、ちょっと顔も見られなくなっちゃって。
私自身、思っていたよりもずっと、その光景に憧れていたのかもしれない。
尚雄 その後すぐに部屋に閉じこもっちゃって。なんか、嫌なところを見せたんだなと思ったので部屋に行ったら、ずっと泣いてて。
彩香 最初は自分でも、なんなんだろうって。どういう気持ちなのか分からなくて、自分でもびっくりしました。
それから、もし私に子どもがいたら、こんなことで悩まないんじゃないかなとか、自分に子どもがいたらって、もうそればっかり。何を考えてもそこに行きついちゃって。そこでやっと、話ができたっていう感じです。
尚雄 そこでグッと距離が縮まった。そこから、どういった形で子どもを持てるかとか、いろいろ話すようになって。
彩香 それが大きなきっかけでした。
尚雄 話しながら、大泣きだったね(笑)。まぶたこんなに腫れちゃって。
― お互いがそれを話せたというのは、二人の関係性にとって大きなことでしたか?
尚雄 大きかったですね。
彩香 大きかった。
― そこが、モヤモヤしていたところなんですね。
そうですね。結婚して、子どもをつくって家族を持とうと言っても、ね。最初の頃はそういう話をしても、いざ、踏み込むタイミングがなかなかなくて。それが今回、友人が来てくれたおかげで、変わったので。
― いまは、ほしいなって?
彩香 うん、そうですね。やっぱり、うん。いまは、ほしいって言える(笑)。
尚雄 おお(笑)。
彩香 へへへ(笑)。
尚雄 おお、おお(笑)。
彩香 なんか、そこまで思い詰めなくてよかったんだなっていうか。彼は私のことを思ってくれていたのに、話していなかったのは、私だったんだなって。
尚雄 いや、ちゃんと話し合えてなかった。お互いに悪かったなって。
― 尚雄さんとしては、彩香さんが号泣しているのを見て、やっぱり話さなきゃいけないという感じだったんですか?
尚雄 そうですね。面と向かって話さないといけない、オブラートに包んでる場合じゃねえよと。それで、かっぱ寿司に行ってミーティングして。
彩香 食べながら。
尚雄 あんまり車の中とか、家でって感じじゃないんです。家で話すとどんどん話がそれていっちゃうので、大事な話する時はかっぱ寿司なんですよ。
やるぞ!かっぱ寿司行くぞ!って言って(笑)。
取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 内田 英恵
尚雄さんの性別適合手術を経て、入籍した二人。何でもオープンに話してきた清水さん夫妻が唯一話すことを避けてきたのが、「子どもについてのこと」だった。一度は手放したつもりだった「子どもが欲しい」という思い。それでも、その思いに向き合うことを決めた二人。後編では、子どもを授かることについての考えや家族の反応、二人が描く未来予想図について話を伺う。