【ミレニアル世代コラム】3回の妊娠と3回の流産、「不育症」の診断、そして心の病。30歳・現在も通院中の私の道のりと、社会に伝えたいメッセージ。

私・ASCAは、「妊娠適齢期」とされる27〜29歳で3回妊娠し、3回とも流産した「不育症」の患者です。
結婚した同級生や同僚が順調に出産していく中、自分だけが流産を繰り返す辛さ。流産と診断された時の「天国から地獄に突き落とされる」ような感覚。そんな心の傷を抱えながら、生きている当事者は私だけではなく、たくさんいます。
しかし現実は、流産の経験をカミングアウトできない女性がほとんどで、世間的なイメージは「妊娠=出産」。不育症の知名度も高くありません。この記事をきっかけに、流産や不育症の認知が上がり、当事者に優しい社会になることを願っています。


*【ミレ二アル世代コラム】と題して、等身大の30代が「産む・産まない」について思うこととモヤモヤ、意見、願いなどをコラム形式でお届けするシリーズです。


  初めての妊娠、そして流産

私は現在、不育症、習慣流産に直面している30歳です。過去に流産を3回経験していて、うち2回は胎児の心拍が確認された後の出来事でした。

初めて妊娠したのは、2017年5月です。当時27歳で、結婚から1年経った頃でした。
特に妊活に励んでいたわけではなく、偶然の自然妊娠でした。妊娠検査薬で陽性判定を見るのが初めてだったこともあり、最初は戸惑いもありましたが、お腹の中の子に愛おしさを感じたのをよく覚えています。

その後は取り急ぎ近所の産婦人科に通い、胎嚢や胎芽、心拍を確認。母が流産経験者だったので不安もあったのですが、スマホで軽く検索したら「一般的に、心拍が確認できれば流産の可能性は少なくなる」という情報を目にしたので、すっかり安心して里帰り出産のことを考えるようになりました。

そこで、実家近くのA病院の産婦人科に転院したのですが、転院後初の経膣エコー時、「う~ん…」と医師が唸ったのです。検査台のカーテン越しに声を聞いて、不安がよぎりました。
そして医師から、「7週目にしては小さいんですよ、心拍はあるんですが。心配なので、来週も来てください」と言われました。

内心パニック状態でした。「心配なので」って何?たまたま小柄な子なだけじゃないの?と…。
スマホで検索魔になり、一喜一憂する日々が続きました。その翌週の通院でも心拍が確認できたものの、やはり胎児の小ささを指摘されました。

そして2週間後、恐れていた事態がついに起こりました。いつも通り検査台に上がり、経膣エコーをした時、先生が黙ってしまったんです。カーテン越しに看護師さんを呼ぶ声が聞こえ、不安で足が震える中、先生から宣告されました。

「心拍、止まってます。残念ですが流産ですね」、と…。
頭が真っ白になりました。

赤ちゃんの心臓が止まった?
先週まで生きていたのに何で?
一度心拍が確認できれば、流産の可能性は低くなるんじゃなかったの?

もう、「辛い」「悲しい」なんて言葉では言い表せない感情でした。
自分の子どもが、お腹の中で亡くなった。動いていたはずの心臓が止まった。
まさに、「天国から地獄」です。残酷な現実を、受け止められない自分がいました。ショックのあまり何も言えず、代わりに涙だけがボロボロこぼれてきました。

そんな私とは対極的に、医師は淡々とした様子で「妊娠10週での稽留流産」「胎嚢が大きいから近日中に手術が必要」「いつ入院するか今決めて」と、事務的に話を進めていきました。
先生はあえて冷静に努めてくれているとわかってはいても、あの温度差は、今も忘れられません。

その日は別室に移動させられて大泣きした後、帰宅しました。どうやって帰ったのか覚えていないくらい、当日は放心状態でした。
ただ、家で泣きながらカバンのマタニティマークを外し、何も書けないまま役目を終えた母子手帳を、タンスの奥にしまったことだけは覚えています。

数日後、掻爬法で手術を受けました。個人的には、手術の同意書にサインするのにかなり抵抗感がありました。
「あなたはこの子をお腹から掻き出すことを選びました。それでいいですね?」と紙越しに尋ねられていると感じてしまい…苦痛でした。

まだ生きているかもしれない、これから生き返るかもしれない、わかってはいながらも、そんな希望が捨てきれなかったので。
でも結局、手術直前のエコーでも心拍は止まったままで、成長もしていませんでした。涙が止まりませんでした。

 

  同僚達の妊娠を機に、適応障害を発症

手術自体は無事終わって、3日後には職場に復帰しました。
ただ、その数ヶ月後から、生き地獄のような日々が始まって…同い年の同僚が2人、妊娠したんです。よくランチに行く仲でしたが、それぞれから妊娠報告を受けた時はダメージが大きかったですね。2人とも流産することなく経過は順調で、徐々にお腹が大きくなっていって。

正直な気持ちとして、羨ましかったです。そして、妬ましかったです。
「私の子は流産したのに、何でこの人達の子どもは順調に育っているんだろう」「私だけ女性として、体が劣ってるってこと?」と。

妊婦さん2人の幸せそうな様子を見たり、話を聞いたり、つわりでの欠勤報告を受けたり。そんな毎日を過ごしているうちに、私の心は壊れてしまいました。
17年の11月頃から、耳鳴りが聞こえるようになったんです。放置していたら次は手の震えが出始めて、最後は仕事中に涙が出るようになりました。結果、精神科で「適応障害」と診断されました。

 

  2回目の流産、手術

その後は2ヶ月間休職したのですが、妊婦さん達のいる職場に戻ったら、自分の心は持たないと思いました。なので、2人の妊婦さんが産休に入る2018年の6月頃まで、在宅勤務で仕事をさせてもらうことにしました。

しかしこの年の5月、私は妊活を再開し、再び自然妊娠しました。
A病院は1回目の流産手術のトラウマが拭えなかったので、今度は近所のB病院の産婦人科に通いました。ですが、妊娠6週でまた流産してしまいます。

B病院での入院・手術は、A病院以上に自分の中でトラウマになっています。産科の病棟に入院し、周りはお腹の大きい妊婦さんだらけ。しかも新生児ママとの2人部屋でした。

生まれたての赤ちゃんを幸せそうに抱きかかえる経産婦さん・旦那さんを横目で見ながら、流産手術に臨む状況、気持ち。その時の私にとっては、「この世の天国と地獄が一緒になった空間」かのように思え、本当に辛かったです。

さらに流産手術も、分娩室の横の部屋で行いました。分娩室の前では、旦那さんとご家族が座りながら「頑張れ!」と妊婦さんにエールを送っていたのですが、それを見ながら手術室に移動した時、正直に言って「もう死んじゃいたいな」と思いました。
たった1枚の壁を隔てた先に、「新たな生命が生まれる場所」と「終わった生命を掻き出す場所」がある。私にとっては残酷な現実。耐えがたい精神的苦痛でした。

  不育症専門外来へ転院

2回目の流産から2ヶ月が経った、18年8月。私は「不育症専門外来」のC病院を受診し、人生初の不育症検査を受け、不育症抗体の一つ「抗プロトロンビン抗体」の異常が判明しました。

一般に、不育症検査を行っても半数以上の人は原因不明とされるらしいのですが、私はここで、原因の一つが無事見つかったわけです。

医師からは、「バイアスピリン」という血栓予防薬を服用すれば、抗プロトロンビン抗体への流産対策は可能という話を聞いて、ほっとしました。「もう次は流産せずに済むんだ」と。

 

  不育症対策も虚しく、3回目の流産

そこから私は、18年の12月に再び妊活を再開し、3回目の自然妊娠をしました。排卵日に合わせて「バイアスピリン」の服薬も開始していたので、対策は万全。妊娠7週頃に心拍が無事確認され、順調なスピードで赤ちゃんは育っていきました。

しかし、19年の1月末、またしても妊娠10週で胎児の心拍が停止。人生3回目の稽留流産となりました。
順調な大きさで育ってくれていて、先週まで元気に心臓が動いていた赤ちゃんが突然亡くなった…不育症対策もしていたのに…と。

絶望のあまり、私は感情の堰が切れてしまい、診察室で泣き叫びました。
理性の歯止めが効かず、「赤ちゃんの心臓はもう一回動かないんですか?何かの間違いじゃないんですか?バイアスピリンを飲んでいたのに、何で流産したんですか?」と、先生に泣きながら問い詰めている自分がいました。

現実を受け入れられずショックのあまり、私は帰宅後も手術を待つまでの数日間も、ほとんど食事を摂れない状態でした。「私のせいで赤ちゃんが3人も死んでしまったんだ」「私も死んでしまいたい」…そのくらい、追い詰められていました。

手術をするかどうかは、心底悩みました。赤ちゃんを傷つけたくなかったので、自然排出を待とうかとも思いました。
ただ、先生のアドバイスもあり、手術をしないと受けられない「胎児絨毛染色体検査(赤ちゃんの染色体異常の有無を調べる検査)」を実施すれば、結果によっては今後の不育症対策が新たに見えるかもしれない。3人目の我が子が、何かヒントを遺してくれているかもしれない。

そう思い直した私は、絨毛検査が目的で手術を受けることにしました。検査の結果、赤ちゃんの染色体異常が判明し、バイアスピリンを服用していても防げない流産だった、ということがわかりました。

C病院は不育症専門外来だったので、私に初めて「胎児絨毛染色体検査」の存在を教えてくれました。そして「手動吸引法」という、医師の説明によれば、従来の掻爬手術よりも安全性が高い(子宮内膜を傷つけるリスクの少ない)という術式を実施している病院でもありました。

また、B病院とは違い、妊婦さんだらけの産科病棟ではなく、妊婦さんのいない婦人科病棟に入院させてくれました。不育症専門外来というだけあって、配慮や対応が行き届いているなと本当にありがたく感じましたね。

3回目の流産の時のエコー写真。一番思い出が深いものです。

 

  うつ病の治療をしつつ、不育症ブロガーに

その後私の状態は、3回目の流産をきっかけに、適応障害と診断された時からさらに悪化し、重度のうつ病を発症してしまいました。
先ほど書いたように自殺を考えるくらい、私の精神はズタボロでした。毎日ほとんど眠れず、食事も摂らない日々が続きました。結果、仕事も休職することになりました。

しかし、C病院で術後の経過を診てくれていた先生や看護士さんが、私の精神状態が崩壊していることに気づいてくださり、カウンセリングや精神科への院内紹介をしてくださいました。

19年4月から私は精神科への通院を始め、抗うつ薬などの服薬を開始し、精神状態が徐々に回復し始めました。
やがて私は、「サイレントマジョリティである不育症や流産経験者の多さを、世間に認知してほしい」「同じ立場の不育症患者さんの助けになりたい」「私と同じように、繰り返す流産で自殺を考える人、うつ病になる人をもう増やしたくない」と、考えるようになりました。

そして同年7月から、不育症ブログを立ち上げました。
現在は、ツイッターで当事者の方と交流しながら、ブログの記事や漫画を通じて不育症の認知を上げる活動や、当事者向けの情報発信をする日々を送っています。

 

  芽生えた使命感と、支えになった言葉

ここまで振り返って、3回の流産は筆舌に尽くし難い辛さがありましたが、以来、「私の人生は、私だけのものじゃない。3人の子のためにも人生を全うしなければ」という覚悟が芽生えました。なんというか、私の中の感覚では、今もそばで生まれてこられなかった3人の子ども達が私を見守ってくれているような気がすることがあるんですよね。

きっと私の経験には何か、意味がある。
そう信じて、ツイッターや不育症ブログを始めて以来、当事者や読者の方々との輪が広がってきて、感謝のメッセージを頂戴することも増えてきました。
今は私なりに、「不育症の認知を広めるために、きっと私は生まれてきたんだ」と、使命感を感じています。

そんな私の歩みを支え続けてくれた人の言葉があります。まず、男性の親友からの言葉ですね。3回流産したことやうつ病になる過程をカミングアウトしたら、「言うのも辛いだろうに、話してくれてありがとう。ASCAが幸せになれるように祈っているからね」と、寄り添うような声掛けをしてくれました。

あとは、C病院で出会った、メンタルケア外来の看護士さんからの言葉です。「ASCAさんは素敵なママだよ。こんなにお子さんのことを思いやって、対策も検査も尽くして命を守ろうとして、今でも愛し続けてくれているんだもん。もう立派な3人の子どものママだよ」と。

それまでは「私には子どもがいない」ということがコンプレックスだったのですが、「そっか、私、みんなの目には見えないだろうけど、3つの命を全力で守ろうとしたママなんだ」って…。
この言葉をかけてもらった時は嬉し過ぎて、涙が出ましたね。

 

  社会に伝えていきたいメッセージ

自分の経験から社会に伝えたいことして、まずあるのが、「妊娠=出産とは限らない」ことへの正しい認識や理解です。
全ての妊婦さんが、出産できるわけではありません。統計上、約10人に1〜2人の女性は流産経験者と言われているように、流産や死産を経験する人は、決して少なくありません。

「流産した人なんて、周りに全然いないよ」と思う方もいるかもしれませんが、実際は、みんな経験や悲しみを心に秘めてひっそり生きている、いわば「サイレントマジョリティ」なんだと思うんです。

「結婚してるの?子どもまだ?」と挨拶がてら聞いてくる人もいると思いますが、声をかけた相手が流産経験者の女性や、その旦那さんかもしれないと、想像してみてほしいのです。
また、私のようにまだ30そこそこの年齢でも、何度も流産を繰り返している女性もいます。「若いから流産しない」「流産は加齢のせい」と年齢で片付けるのも、当事者には心の傷になると思います。

また、流産を経験したり繰り返したりすると、女性としての自信は大きく失われます。だからこそ、周囲の妊娠・出産報告が辛く、妬ましく感じてしまうことがあると思います。
しかし、そうした感情を吐露すると「一緒に喜んであげられないなんて心が狭い」「性格が悪いから流産するんだよ」などと、人格否定の言葉を受けることがあると聞きます。

私自身を含め、不育症患者さんは、もう十分自分自身を責めていると思います。流産を繰り返す体も、周囲の幸せを祝福できない心をも、です。
経験をしないと理解できない感情かもしれませんが、とはいえ、我が子を何度も亡くす経験をしている人を、さらに追い込むような声掛けは、辛すぎると思うんです。

「あんたのせいで流産したんじゃないの」という心無い言葉も、その一つだと思います。流産や不育症が起こる原因について、社会全体が正確な理解を深めるべきだと感じます。

 

  同じ苦しみを抱える読者の皆さんへ

最後になりますが、これを読んでくれている中にも当事者、経験者の方がいらっしゃると思います。そのみなさんに改めて伝えたいです。
言うまでもなく、流産は、健康な女性にも起こり得る現象です。流産したことをもし「自分のせい」だと感じている方がいたら、どうかご自身を責めるのをやめてください。

さらに、「流産がなぜ起こるのか」について、できるだけ正しい医療情報を得てほしいと思います。そして次の流産を防ぐため、必要な検査の存在(絨毛染色体検査や不育症検査)を知ってください。「知識は身を助く」はずだと、私は考えています。

亡くなったお子さんも、そうして自身を責めるママの姿を見て心を痛めているかもしれないと、想像してもらえたらと思います。
お子さんのためにもご自身の人生のためにも、知識を身につけ、どうか前を向いてくださいね。

ASCA:Webライター・クリエイター/ブロガー
結婚4年目。普段はWebライター、コンテンツ運営を手掛ける会社員。3回目の流産をきっかけに「不育症ブログ」を立ち上げ、流産経験者や世間の人が知っておくべき知識や医療情報を発信している。ツイッターで「不育症」の認知を上げる活動を行う最中、UMUの存在を知り、寄稿。
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