女性の生涯に寄り添う「助産師」をもっと身近な存在に。14歳で、将来子どもを産めないという宣告を受け助産師起業家になった、私の覚悟。

「生まれることのできなかった、たったひとつの命でさえも取り残されない未来」の実現をミッションに事業を展開するWithMidwife。その名の通り、助産師=寄り添う人として、妊娠・出産・育児、職場環境の改善など、女性とその家族に関わる支援サービスを提供しています。助産師として非常勤で病院に勤めながらも、会社を立ち上げ奔走する、WithMidwife代表・岸畑聖月さんにお話を聞きました。会社を立ち上げた経緯は? 紐解いていくと、この事業は、彼女自身の幼少期の経験、そこから芽生えた信念と深く結びついていました。

岸畑 聖月 / Mizuki Kishihata 株式会社WithMidwife代表。1991年生まれ、香川県出身。大学時代に起業を経験し、助産学と経営学を学ぶため進学。京都大学大学院修了後、大阪市内の総合病院で助産師として働きながら、並行して中絶/虐待/産後うつなどの社会課題を院外でも解決できればと、2度目の起業を決意。現在は企業に勤める女性やその家族を中心に、社員全体の健康と家族を支援する「顧問助産師」としての働き方を構築中。また助産師のためのコミュニティも運営し、病院雇用だけにとらわれない助産師の新しい働き方も提供している。ビジネスプラン発表会LED関西第5回ファイナリスト/2019年大阪市「Fund&fan」採択事業など。
www.withmidwife.jp/

 


出産の現場以外でも、助産師と小さな命、女性たちをつなげたい

  企業、助産師、個人に向けたサービスを展開するWithMidwife

ー まず、WithMidwifeについてお話を伺っていけたらと思います。現在、どんな事業を展開しているのでしょうか?

はい。WithMidwifeが解決したい課題はふたつあります。
ひとつは、虐待死や死産、不妊など、その心のケアも含め、病院における出産の現場だけでは守ることのできない小さな命や女性たちがいること。もうひとつは、助産師の離職率が高く、子育てや介護などを機に現場を離れてしまう人が多いこと。

私たちは、このふたつの課題を解決するためのサービスを展開しています。

たとえば、企業向けに、働く人の健康や体の悩み、不妊、妊娠・出産、子育てにまつわる悩み相談に乗る「顧問助産師」。導入してくださった企業において、助産師が24時間体制でオンライン相談を受け付けたり、週に1回訪問して“社内保健室”を開いたりしています。

助産師向けには、オンラインのグループを作ったり、オフラインで交流会や勉強会を実施したり、コミュニティを運営しています。現在、200名ほどの助産師が集まっています。

また、5月5日に、助産師と個人をマッチングするサイトを立ち上げます。地域の助産師、その得意分野を可視化して、助産師同士、あるいは不妊や子育てに悩む女性とその家族をつなげるサービスを展開していきます。

 

  女性とその家族に寄り添う「助産師」の仕事

ー そもそも、助産師ってどんな仕事なのでしょう? 妊娠・出産以外でなかなか接する機会がなく、一般的なイメージとしても「分娩介助をする人」という印象が強いと思うのですが……。

そうですよね。でも本来、助産師の仕事は分娩介助だけではないんです。そもそも昔は、地域のなかで「産婆さん」と呼ばれ、出産だけでなく、健康、子育て、更年期などの体の変化、女性の生涯にわたって関わってきました。ほかにも、夫婦関係の相談に乗ったり、子どもに性教育をしたり。女性とその家族に寄り添う存在でした。

ところが戦後、出産する場所が自宅や助産院から病院へと変わり、地域を離れ、助産師の仕事も継続的なケアではなく分娩介助などの点でのケアがメインとなりました。現在の雇用先の9割が病院です。

でも、私たち助産師の教育課程では、分娩介助だけでなく、女性の健康管理や疾病のこと、不妊、子育て、性教育と、幅広く学んでいます。
助産師によって得意分野も違い、私は産後ケアが主軸にありますが、おっぱいケアのプロフェショナルもいれば、性教育に力をいれている人もいます。

ー なるほど。出産して退院するときに、こんなにも母子に寄り添ってくれる助産師さんと離れてしまうことに大きな不安を覚えました。現状、病院を離れると助産師さんに頼れる環境にはなく、私たちも頼っていいという認識が、あまりないように思います。

まさに、私たちはその現状と認識を変えていきたいと思っています。助産師がどんなことができて、どう寄り添っていけるのか。世の中にもっと広く伝えて、助産師を必要としている人たちとつなげていきたいです。

自分たちが学んできたことと病院の現場でやっていることのギャップや、得意分野を活かせない環境も、離職理由のひとつになっていると思います。
今後も企業や地域で暮らす個人に対してなど、病院以外に助産師のマインドやスキルを活かせる場所を増やしたいと思っています。

5月にローンチするのは、その課題を解決するためのサービスです。

 


自分が産めないからこそ。芽生えた、想いと目標

  助産師を目指すきっかけとなった、病気のこと

ー 少し遡って、WithMidwifeの立ち上げ経緯についてお聞きしていきます。WithMidwifeが取り組む、小さな命や女性、助産師をめぐる課題は、聖月さんご自身が助産師をするなかで直面したものだったのでしょうか?

たしかに助産師として働く過程で深まった考えもありますが、最初にその課題意識が芽生えたのは、中学生、14歳の頃でした。
女性の生涯に寄り添う人として、助産師を志したのもこの頃ですね。

ー そんなにも早い時期から!何かきっかけがあったのでしょうか?

実は、長年友達にも言えずにいたことがあるのですが、14歳のときに、先天性の病気で将来子どもが産めないことがわかったんです。
よく調べると生殖器の形や機能に問題がありました。病名がないほど珍しいものなのですが、原因は遺伝子的なものではないか、と言われています。

自分でも全く気づかなかったのですが、ある日授業中に腹痛を感じ、救急車で運ばれました。その後外科的なものも含め、治療をしましたが妊孕性(妊娠するチカラ)を残すことはできませんでした。

ー そうだったんですね……。その時の心境は……? そこから、助産師を志すまで、どんな気持ちの変化があったのでしょう?

もう、物理的に痛すぎて意識がもうろうとしていて、目覚めたときは、自分の身に何が起きているのかわからず、混乱していました。でも親が泣いているのを見て、私は「大丈夫だよ」と言うしかなくて。

しばらくして、自分の生まれつきの体の事情を正しく知ったとき、一番初めに思ったのは、「なんで私は生かされたんだろう?」というものでした。

そのときの私は、自分が産めないというショックよりも、自分が生かされた意味を考えていました。そのまま気づかなければ、悪性化していた可能性もあったと言われたからです。

当時の幼心では、悪性と聞いて死を連想していたので、命を落としていたかもしれないと思ったんですね。だけど私は、妊孕性を失ったけれど、今後も元気に生きていける。ならば、自分の身に起こったこと、この経験を生かしたいと思うようになったんです。

ー なんともたくましく前向きな受け止め方ですね。その考えに至るまで、葛藤はなかったですか?

ありました。当時彼もいたので、「別れるべきだよね」なんていう話もしていましたし、今となってはあまり覚えていませんが、ショックや葛藤はあったと思います。

でも、それ以上に、将来自分が産めないのなら、産む人、生まれてくる命を守る人になりたいという思いのほうが強かったんですね。

ただもちろん、「自分は産めない」という事実は、心の奥底に傷のように癒えずに残っています。当時からパンドラの箱のように触れてはいけないものとして、なるべく考えないようにしていました。
それに、この出来事を話すことで、周りに気を遣わせてしまうんじゃないかなとも思っていたし、人生がうまくいかなかったとき、言い訳にしたくないという思いもありました。

 

  助産師の力を、もっと活かせる場所をつくるために。起業を決意

ー その事実に蓋をしながらも、その時に抱いた助産師になるという目標に向かって一直線に進んできたのでしょうか?

実は当初は、産婦人科に入院していた際に担当してくれた女性医師に憧れて、産婦人科医を目指していました。

でも同じ頃に、身近にネグレクト(育児放棄)に近い親子がいて、周囲から母親が責められていたんです。その時に、「じゃあ、みんな責めるばかりで、誰も彼女に寄り添う人はいないんだろうか」という疑問が湧いたんです。
育児ができないほど精神が弱った女性を、誰が救うことができるのだろうと。

インターネットでネグレクトや虐待についても調べていくうちに、女性が出産をして母親になる過程、その後の子育ても含めてより長く寄り添えるのは、医師よりも助産師だということを知りました。

私は手術や治療を施すよりも、心のケアも含めて、産む性である女性に寄り添える存在でありたい。それが助産師だと感じ、志しました。

ー すばらしいですね。その頃から、助産師の力を活かす会社を経営することも、視野に入れていたのですか?

そうですね。助産師になりたくて、いろいろ調べていくうちに、離職率が高いこともわかって。

その理由を考えてみると、女性に寄り添いたくて助産師になっても、雇用先が病院しかなくて、院内ではきめの細かい出産前後のケアができない。一方、継続的に寄り添える地域の開業助産師も経営面で課題があることが多く、ハードルが高い。

行政の助産師もいますが、新生児訪問で関われるのは一度きりであることが多く、継続的に関わるのはすでにうつ症状がでていたり、病気があったり、シングルマザーだったり、若年であったりといった、より手厚いケアが必要な女性や母子に限定しないと手が足りなくなる、といった現状もあります。

誰もがしっかり助産師に寄り添ってもらう権利がある。そう思う私が望む働き方ができる場所が、ないことに気づきました。

そんな中、本来の助産師の知識やスキルを活かして、生涯女性に寄り添える存在になるためには、民間としての自由さと拡大志向が大切だと感じました。
当時助産師がそうした思いで起業した例を見つけることができず、ないのなら将来、自分で立ち上げようと。

経営を学ぼうと、学生時代には看護学校に通いながら、別の分野で起業も経験しました。卒業後は、助産学と経営学を学べる京都大学の大学院に通ったのち、まずは助産師としてのスキルを磨こうと病院に就職したんです。

10年くらいは助産師として働いてキャリアを積もうと思っていたんですが、様々なご縁もあり、結果的には前倒しで、助産師になり4年目、2019年11月にWithMidwifeを立ち上げました。

 

  SNSでの発信、コミュニティ運営、ビジコン……起業するまでの道のり

ー 想定より早く起業に至ったのは、何かきっかけがあったのですか?

中学生の時に課題意識を持ったのですが、実際に現場で働いてみて、思っていた以上に、産前産後の女性に寄り添えないし、疲弊して離職していく助産師も多いことを実感しました。

そこで、まず自分にできることから始めようと、SNSで「#助産師」をつけて発信し、助産師同士のつながりを持とうとしました。オンラインだけではなく、直接語り合うイベントも開催しました。働く場所や経験に縛られず、助産師たちが集まって、現場で消化しきれなかった気持ちや悩みなどを共有できる場所があったらいいなと。
これは、ただ助産師同士で話すだけの場でしたが、反響がありました。

当初は15人くらいでしたが、1年半ほど月1回のペースで語り合うイベントを続けていくうちに、200人くらいの助産師コミュニティができていました。オフラインで会うだけでなく、オンラインでFacebookのグループを作って、そこで意見交換もしています。

そこからすぐに起業をしようと思ったわけではないのですが、これだけ想いのある助産師がいて、その一人ひとりの想いを実現できれば、社会にインパクトを起こせるのではと考えていました。

その頃たまたま「LED関西」という、経済産業省の補助事業として公益財団法人大阪産業局が主催する女性起業家応援プロジェクトのビジネスプラン発表会を知って、応募してみたんです。「想いは現実を超えていく。」というキャッチコピーが胸に刺さりました。

とはいえ、事業計画があったわけではないので、サポートデスクに相談に行って、アドバイスをもらいながら、想いをかたちにしていきました。

ー そこでの構想がそのまま事業となり、起業につながったのですか?

当時は夢物語で、アイデアはそのままではないですが、構想はかなり現在の事業に近いと思います。前述のビジコンをきっかけに、ある企業さんが私のチームの助産師を雇用してくれたんです。

また、セミナーや研修、商品開発の依頼をいただく中で働く人と話す機会が増えて、「助産師」のことを知ってもらうと、健康や子育てに関する相談を受けることも多くなりました。
その二つの経緯から「顧問助産師」のアイデアが生まれ、覚悟をもって事業を始めようと、本格的に会社を立ち上げて、今に至ります。

ー 事業を立ち上げてまだ数ヶ月ですが、手応えのようなものは感じていますか?

具体的な手応えではないのですが、3日に1回くらい、全国の助産師さんから応援のメッセージが届くんです。
同じような葛藤を抱えながらも熱い想いを秘めている助産師さんがいるということは、私たちにとって、大きな励みになっています。

 


生まれることのできなかった命、産めない人にも、寄り添えるように

  ミッションに込めた想い

ー 「生まれることのできなかった、たったひとつの命でさえも取り残されない未来」の実現というミッションには、どんな想いが込められているのでしょう?

助産師をしているなかで、私たちは、中絶、流産、死産など、生まれてくることのできなかった命や産むことのできなかった女性たちと接しています。

生まれてきた命に関しては、助成金なども含めてサポート体制が整っていると思うのですが、生まれてくることのできなかった命に関しては、サポートがほとんどありません。

たとえば、正期産に入る直前、21週で陣痛がきてしまい、法律上蘇生ができず、大切な命とお別れせざるを得なかった。大きな衝撃の最中、たった1日で病院を離れて帰宅することもあります。現場でそんな姿を見たとき、その女性のケアは誰がするのだろうとずっと心残りでした。私たち助産師は、能力としてはケアすることができるのに。

実はその後、たまたまその方と街中でお会いして声をかけたことがあるのですが、1ヶ月休んで職場復帰をする際にも、傷は癒えず、産業医にも相談できず、どうしたらいいかわからないとおっしゃっていて……。

出産は必ずしもハッピーなことばかりじゃありません。生まれることができなかった命、産むことができなかった人たちにこそ、助産師が寄り添うことができたらと思っています。いつでも誰でも、SOSを出せる存在、関係性でありたいと。

ー だとすれば、例えば、不妊や不育に悩む人にも、助産師は寄り添うことができるのでしょうか?

もちろんそう考えています。大多数がそうであるように見えるから、結婚したら出産して子どもを産むことが当たり前とされていますが、私たちは現場で、それが当たり前でないことを実感しています。

妊娠できない自分、産めない自分、さらに人の幸せを喜べない自分に劣等感のようなものを抱いてしまう人もいるかもしれません。
でも、産む・産まない問題に悩む多くの女性を見てきた助産師だからこそ気づける想い、かけられる言葉があります。

また、企業の「顧問助産師」をするなかで、驚いたのは、男性からの相談もあるということ。
男性の不妊やお子さんの発達について相談してくださる方がいて、産み育てることに関して、女性だけでなく、男性も悩みを共有できる場所が必要なのだということに気づきました。

女性だけでなく、男性も含む家族に、助産師が寄り添える仕組みをつくっていきたいです。

 

  助産師がいたから、無理して乗り越えなくていい、と思えた

ー 助産師だからこそ、そして聖月さんだからこそ、寄り添える人がいるように感じます。産めない事実を傷のように心に残しながら、助産師になることを目指してきたとおっしゃっていましたが、その後事業に邁進するなかで、産めないことに対する心境に変化はありましたか?

乗り越えたか?と言われたら、乗り越えてはいないと思います。やっぱり恋愛をすると、どうしても頭をよぎります。
お付き合いする人には、事前にお伝えするようにしているのですが、「子どもがほしいから」と断られることもありました。すごくショックを受けましたね。

産めないということを、かわいそうだとか強がってるとか思われるのがいやで周囲にもずっと言ってなかったんですが、この事業を始める時、ビジコンで500人の前で初めて話したんですね。

大勢の人に伝えるのは怖かったですが、それくらい、私の「Why(なぜこの事業をしたいか)」はこの経験が原点で、動機を聞かれたときに嘘をつきたくなかったし、本気で事業に挑みたかった。
最初は不安だったけれど、自分の身近な人たちは何も変わらなかったし、応援してくれる人が増えました。自分の中で、この事業に取り組んでいく覚悟も芽生えました。

年月はかかりましたが、私が自分の経験を公表できるようになったのは、コミュニティや事業を通じて、たくさんの助産師と出会い、話を聞いてもらえたからでもあります。

今の私自身は、痛みを抱えていてもいいし、無理に乗り越えようと思わなくてもいいと思っています。その痛みも、自分の人生を彩るものだと思うので。一緒に受け止めてくれる人がいれば、そのままでいられます。

私にとって、その存在が助産師でした。10年以上、心の奥底でずっと一人で抱え込んできたけれど、私のことを受け止め、理解し、支えてくれる助産師に出会って、それでいいんだと思えるようになったんです。
もっと早く彼女たちに出会いたかった。毎日私を支えてくれる仲間達には、ありがとうの気持ちでいっぱいです。

だからこそ、学校や職場、地域、わざわざ産婦人科に行かなくても、精神的にも物理的にも、助産師が近くにいて頼ることができる世の中にしたい。私は助産師の力を信じています。

「生まれることのできなかった、たったひとつの命でさえも取り残されない未来」というミッションを声高に言わなくていいように。「あなたには助産師がいるから大丈夫だよ」って言えるように。

これからも私は、WithMidwifeの事業を発展させていきます。

取材・文 / 徳 瑠里香、写真 / MOTOFOTO・kanaeruphoto他、協力 / 猪熊 真理子、Special Thanks / SAKIKO・AYAKA・MIO・KOTARO

 


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