39歳で体外受精、40歳で高齢出産、41歳からの2人目妊活…。再び不妊治療に挑んだ日々を描いた『2人目、どうする?』作者が、漫画に込めた思いとは。

「自身の不妊治療経験を通じて、子育て、妊活に関するアンテナを立て、悩んでいる人のために作品を通したメッセージを伝えていきたい」と語って下さったのは、実体験に基づいた漫画を何冊も出版している小林裕美子さん。
小林さんの作品には、ヒアリングで集められた不妊治療、高齢出産、2人目不妊などに悩む人たちの声が可愛いイラストや漫画などの形で紹介されており、多くの女性たちから共感を集めています。
小林さんは、2人目治療を終えた後も、過去の自分と同じように不妊治療、2人目治療で悩んでいる女性の話を聞くと、ふとその頃の自分にトリップし、思わず私に何かできることはないかと考えてしまうそうです。
今回の記事では、そんな小林さんが上梓した最新作『2人目、どうする?』からのエピソードを中心に、2人目治療のきっかけとなった「喪失への不安」感情や、仕事や育児との両立、ホルモンバランスの変化など、さらに治療によって感じた夫の変化、夫婦の絆などについてもお話を伺いました。

小林裕美子 / Yumiko Kobayashi 
イラストレーター、漫画家。東京造形大学デザイン科を卒業後、アルバイトを経てフリーランスの道へ。27歳で結婚し、夫、子どもとの3人暮らし。2014年、自身の不妊治療体験に基づいて描いた漫画『私、産めるのかな?』を出版。同作品が同じような悩みを抱える女性たちから評判を呼び、その後『それでも産みたい』『2人目、どうする?』など、次々と作品をリリース。

 


体外受精をスタートし、すぐに第一子出産。ところが2人目治療は思うようにいかず……

  妊活を考えられなかった20代、30代半ばで芽生えた「子どもが欲しい」

― まず初めに、1人目の妊娠出産をするにあたり、体外受精に踏み切るまでのエピソードから教えてください。

はい。結婚当初は、夫の転勤もあり忙しく、おまけに私自身も仕事が充実していたこともあり、お互いに子どもが欲しいとは考えていませんでした。

ところが、年齢も30代半ばに差し掛かると、ふと「子どもが欲しい」と思うようになりました。最初は自然妊娠を望んでいたのですが、タイミングを測ってもなかなか赤ちゃんを授かることができなかったんです。

そこで、体に異常がないか調べてもらうために、婦人科で検査してもらったのですが、夫婦共に問題なし。結果も出ないまま、気がつけば30代後半になってしまいました。

婦人科の医師にも「その年齢なら、体外受精した方がいい」と勧められるようになったため、治療のステップアップに踏み切ることを決意しました。

― お医者様からの後押しが、体外受精のキッカケに繋がったのですね。1人目治療において、心配、悩んだことはありましたか?

それが1人目は、幸運にも体外受精に踏み切ってすぐに赤ちゃんを授かることが出来ました。ただ赤ちゃんが低体重児だったので、正直産まれるまで不安が尽きませんでした。

妊婦健診時に、医師から「低体重児だから、もしかしたら育たないかもしれない」って言われた時は、流石に落ち込みました。

医学的な因果関係が明確ではないとわかっていても、つい「もしかして、体外受精だったから小さいのかな?」と考えてしまって。夫と2人で不安に駆られて、医師に相談したこともあります。

今思えば、当時、そんなことを医師に口走ってしまう私自身は、心のどこかで「体外受精をした自分」に対して引け目を感じていたのかもしれません。

― 出産前に、お医者様から指摘されると心配ですよね……。

はい。とはいえ、結果的には無事出産ができたんですね。かつ、治療についても予想外に2回目の移植で成功したので、2人目も再び体外受精をすればすぐに出来ると思ったんです。

おそらく、1人目の子どもができた時、嬉しさのあまり気持ちがハイになっていた部分もありました。

 

  喜びも束の間、突如襲ってきた「喪失への不安」

― 体外受精で、すぐに赤ちゃんを授かれたのは嬉しかったですよね。

はい。ただ、今度は逆に気持ちが高揚しすぎたせいか、「せっかく手に入れた幸せを失う恐怖感」に襲われるようになりました。この子を失ったら、どうしようって思うようになっちゃって……。

そんな時、ふと2人目が欲しいという思いが強くなっていったんです。そこで、1人目が出来た時の勢いがあるうちに、そのまますぐ2人目の治療に踏み切ることにしました。

― せっかく待望のお子さんを授かったのにも関わらず、なぜ、失うことを考えてしまったのでしょう?

そもそも私たち夫婦は、不妊治療に入るまでの妊活期間が長かったんです。
結果が実らない数年の間は私自身もクヨクヨしていて、ついつい「妊活でもし成果がこのまま出なかったら、2人で生きていこうね」など、子どもが出来なかった時のことを想定し、全てをネガティブに考えてしまう機会が多くって。

おまけに1人目の子どもが低体重児で、先にもお話したように、医師からも「赤ちゃんが小さいので、もしかしたらこのまま育たないかもしれない」と言われていたくらいだったので、産まれるまでずっと不安が尽きなかったんです。
それに、赤ちゃんが小さいと言われたことで、もしかしたら自分は不育症の可能性もあるんじゃないか、と疑ったこともありましたし。

そんな不安を抱えた中で子どもを出産したら、今度は一転、自分が大きな喜びに包まれてビックリしてしまったというか……。
苦労して赤ちゃんを授かったことによる感情の乱高下と、その反動から、次は逆に「この幸せが長く続く訳がない」と、また再びネガティブに捉えてしまったのかもしれません。

おそらく、意図的に期待値のデフォルトを、低い所に設定してしまいがちなところもありましたね。不妊治療、妊活が大変だったこともあってか、期待しても毎度裏切られることに慣れていて、その後もなるべく「落ち込まないように、期待しないように」って、構えていたところはあったと思います。

なので、いつかこの幸せを失うかもしれないのだから、1人よりは2人いた方が、「心理的な保険」というか、リスクヘッジになる。そんな不謹慎な考えも、正直ありました。

― なるほど。そういった思いや複雑な心境も、2人目治療のきっかけに繋がっていたのかもしれませんね。ところで、小林さんの旦那様も、同じように2人目を望んでいたのでしょうか?

夫はどちらかというと、子どもが沢山いたら愛情をみんなに注ぎたいと考えるというよりは、1人なら1人に愛情を注ぎたいというタイプなんです。
あと、子育てや家族のことだけでなく仕事、プライベートなど自分の人生も大事にしたいし、それぞれ全部楽しみたいと考えている人です。

子どもが1人産まれ、家族3人の今の生活はもちろん幸せと思っているとは感じるけど、全てバランスよく楽しみたいというか……。子育てするにしても、自分の時間はしっかり確保したいと考えているタイプでした。色んなことを抱え込めるほど器用な人じゃない、っていうのもあったのかもしれないですが。

そのため、夫は最初から「子ども1人でもいいよ」という感じというか、むしろ「2人目はいらないよ」という意見でした。

でも、女性は男性と違ってそんなに割り切れない人が多いと思うんですよ。これは一概に男女の違いなのかはよくわからないんですけど、私の個人的感覚では、女性は私自身を含め、2人でも3人でも子ども預かるよって感じのところ、あるように思います。
この点で、夫と私との間にも、温度差を感じていました。

それに私の理想は、あくまで「2人兄弟」で。自分も兄弟がいたので、1人より2人の方がいいなという思いが元々ありました。それに、2人兄弟の方がバランスもいいかなと……。私の偏った考えかもしれませんが、1人だけだと、愛情が1人に片寄りすぎて過保護になってしまう気がして。

そんな気持ちから、どうしても2人目が欲しいという思いがあって、治療も後悔したくないから早くやりたくて。

― なるほど…。そんなお2人が2人目不妊治療に臨む上で、関係性はギクシャクしませんでしたか?

それが、そもそも私が自分で何でも決めちゃうタイプで、普段から相談もあまりしてこなかったんですね。でも、なぜか夫とは、不思議と喧嘩にはならなくて。

基本的に、私のやりたいことには「裕美子が望むなら、協力はするよ」と、協力してくれるスタンスの人なので、私が心を決めて2人目治療をしたいと宣言したら、結果的には応援してもらえたんです。これは助かりました。

 

  スランプだらけの2人目不妊

― 2人目不妊治療は、41歳からのスタート、さらに実際に始まってからは1人目の子育て、仕事との両立をしなければならず、さぞかし大変だったかと思います。育児、フリーランスの仕事を両立しながらの2人目治療で、とくに大変と感じたことはありましたか?

そうですね。1人目の時は治療に没頭できたのですが、2人目治療は子どもの育児がどうしても優先になってしまいます。
そのため、子育て、仕事、治療とのスケジュールの調整が本当に大変でした。子どもも1歳になるかならないかの時だったので、目を離せませんし……。

基本的にワンオペ育児のため、通院の日や仕事で打ち合わせがある時は、いつも「誰に子どもを見てもらおう?」と悩みましたね。そこで平日は託児所を利用し、土日は夫に育児を任せていました。しかし、土日に夫が出張の際は仕方なく治療を1周期遅らせることもありました。

正直、不妊治療は年齢のタイムリミットもあるし、1周期を遅らせるのはかなり勇気がいりましたが、育児を優先するため仕方ないと諦めざるを得ませんでした。

― 治療の進捗自体を比較して、1人目と2人目とで、違いを感じたことはありますか?

1人目治療での採卵が39歳、2人目治療の採卵が41歳だったのですが、この2年の間でホルモンバランスが整わなくなってきたようなんです。

1人目治療の時は順調に採卵できたのですが、2人目治療の時は採卵前に数値が悪くなることが多くなりました。卵が全く採れない訳ではなかったものの、たとえ採卵してもいい結果が得られなくなり、なかなかスムーズに進まなくて苦労しました。

また、1人目治療の時は自然周期でも卵が取れたのに対し、2人目治療の時はホルモンバランスを整えるために注射を何本も打たなければならなかったのも、辛かったです。

治療費も注射の頻度が多いため、1人目治療の時以上にかかってしまいました。医師からは、「40歳過ぎてからは、これが普通ですね」とあっさり言われてしまったのですが。

― 日々の生活に追われる中、治療の結果がなかなか出ないと落ち込みますよね。1人目育児や仕事、年齢など大変な条件、状況のなか通院は大変だったかと思います。それでも、すぐに2人目を諦められなかったのはなぜでしょうか?

2人目治療にあたり、私たちは最初から治療費の上限を決めていました。
今思えば、自分たちで治療費の上限を決めていたことで、その金額を超えるまでは諦められなくなっていた、という理由もあったのかもしれません。

本当に思うように結果が出ず、辞める踏ん切りはつかないものの、何回も挫けそうになりました。それでも、採卵をすれば卵自体は取れていたので、移植できる状況までは持っていくことができました。

だから、ついつい「まだ大丈夫」と思ってしまっていたのかも。もし最初から採卵すらできない状況であれば、そのまま潔く諦めていたかもしれませんね。

 


「どうしても欲しかった」2人目治療を諦めるまで

  9週目の流産で、治療断念を決断

― 2人目治療に苦労したのち、1人の子どもを育てて生きていこうと決意した、小林さん。最終的に2人目を諦めた理由、エピソードがあれば教えてください。

2人目治療をスタートしてから、何度も化学流産をしました。そして最後に、9週目で流産した時に踏ん切りがつきました。
おそらく加齢による卵質の低下が原因で、もう着床しても育たない体になったのだと、治療に限界を感じるようになったのもあります。

そもそも、1人目を妊娠した時も小さめだったので、2人目は、1人目以上に「健康に産んであげられないんじゃないか」っていう思いもあって。たとえ妊娠しても、お腹の中で育ててあげられないかもしれない、と思うようになったんです。

― そうなんですね…。その決断の時、旦那様には何と伝えたのでしょうか?

9週目で流産した日に、病院から夫に「ダメだった」とメールを送りました。

すでに、その時には私の中で限界という感覚がとても強くなっていたため、「もう治療を辞めたい」という気持ちで一杯でした。心は決まっていましたね。

― 辛かったですね……。

はい。ただ、今振り返って思えば、年齢、体力、金銭的にも1人が限界だったと思うんです。それに、お互いの両親も高齢で将来は介護しなければなりません。
育児と介護の両立を考えると、正直厳しいなと冷静に思えました。

とくに40歳を過ぎてからは体力の衰えを感じるようになり、自分自身の健康を守るためにも2人目はもう無理だ、と納得することができました。

 

  2人目治療において後悔したこと、良かったこと

― 2人目治療を辞めてから、後悔していることはありますか?

確かに2人目治療はお金もかかったし、あの頃を今になって振り返ると「無駄なことをしたかも」と思うことはあります。

それでも、あの時はどうしても2人目が欲しいという思いを止めることはできませんでした。だから、当時の私としてはやらざるを得なかったと思うのです。もし治療していなければ、きっと今でも諦めがつかなかったと思います。

― 40代からの治療は結果も出づらいし、なかなか難しいものがありますよね。「もっと早くに不妊治療しておけばよかった」という思いはありましたか?

20代から30代前半までは、まだまだ私も体外受精に対して否定的な考えがありました。おそらく、あの頃の自分に今の私が「不妊治療した方がいいよ」と説得しても無理だったと思います。

だから、この結果は必然だと思うので、仕方ないと今は現実を受け入れています。

― 20代~30代の頃は、男女共に仕事が軌道に乗りやすい時でもありますし、妊活も「まだ大丈夫」って思ってしまいがちですよね。お金も苦労もかかった2人目治療ではあったかと思いますが、逆にチャレンジして良かったと思うことはありますか?

治療をして良かったと思ったのは、夫の子どもに対する考え方が変化したことです。

実は、夫はもともとあまり子どもが好きな人ではなく、お店でよその子どもが騒いでいるのを見ると嫌な顔をすることがあったのですが、一切しなくなりました。

また、障害児に対する理解も深まったと思います。夫は昔、むしろ私よりも障害に対する恐怖心を抱えていた人だったのですが、2人目を妊娠した時に「2人目が障害児でも育てよう」と、私に話してくれました。
夫からその言葉を聞けた時は、すごく嬉しかったですね。

 

  嬉しかった、夫の変化

― 旦那様の気持ちの変化、嬉しいですよね。

はい。実は、1人目治療の時、夫婦ともに羊水検査の結果が気になっていました。私自身も、もしあの時に染色異常体が見つかっていたら、どんな決断を選んでいたかは、今となってはわかりません。

さらに、医師から「低体重児」と言われた時も、2人ともずっと「小さい子が産まれるって、大丈夫なのだろうか」と心配でした。

でも、2人目治療の時には夫が「もしこの子に障害が見つかったとしても、2人で育てようよ」と後押ししてくれたため、不安だった心がふっと軽くなったのを覚えています。

実際に子どもが産まれて本当に可愛いし、愛情が絶対に揺るがないと思ったのも、気持ちの変化に繋がったのだと思います。

もしこの子が今後、事故などで障害を抱えたとしても、同じ愛情を注げるという気持ちに、本心からなれたんだと思いますね。

― なるほど。そんな旦那様との二人三脚での不妊治療を振り返り、今どんなことを感じますか。小林さんの頑張りを冷静に見守り、影ながら支えてくれていた旦那様の存在は、きっと大きかったですよね。

はい。ただ、夫はクール過ぎるというか。私と一緒に頑張ろうというよりは、俯瞰しているような点がありました。

できれば、治療をすると言った時は「俺も一緒に頑張る」という感じで、私と一緒に気持ちを盛り上げて欲しいという思いはありましたね。

― 確かに、旦那様にはもっと共感してほしいと思う気持ち、よくわかります。

はい。実は、元々夫は私を俯瞰して見ている性格だとわかっていたので、その部分に関してはあまり期待していませんでした。

2人目治療を終えても、結局夫の性格が決して根本的に変わった訳ではないのですが、夫の心境の変化は少なからずあったので、それだけでも今は、治療して良かったとは思っています。

2人目治療の時に「障害児でもきっと育てていける」という発言を聞いた時、私の中でも「ああ、夫変わったなぁ」って感じました。子どもがキッカケで、夫が変わってくれたのは嬉しかったです。

きっと、元は苦手意識のあった子どもの可愛さが、生まれて、育ててみて本当にわかったんだと思います。
結局、私たちは2人目を授かることはできませんでした。全く未練がなくなったといえば嘘になります。それでも私たちには、自分たちの人生を捧げてもいいと思えるような我が子が傍にいます。

これからは、目の前の幸せを家族3人で、大切に育んでいけたらと思います。

 


「欲しいという気持ちが、完全に消えた訳ではない」

  出会い、実体験を通じて感じた、2人目治療に悩む女性への想い

不妊治療、育児、仕事……。夫婦で色々な葛藤を乗り越え、最終的に2人目治療断念を決断した小林さん。そんな小林さんが2人目治療経験を赤裸々に紹介した漫画『2人目、どうする?』には、治療の詳細のみならず、夫婦やお子さんとのホッコリするエピソードなども沢山紹介されています。

― 『2人目、どうする?』には、小林さんと同じように葛藤や悩みを経験されたさまざまな人が登場します。多くの出会いがあったと思いますが、とくに印象深い人との出会いがあれば教えて下さい。

はい。とある機会に参加した、子育て女性たちが集まるグループカウンセリングの会での出会いで、凍結胚を戻すか戻さないかで悩んでいる女性がいました。

どうやら彼女は子育てが大変だったらしく、2人目を育てられるかどうかで悩んでいました。でも、私の場合は貯卵がないので、正直、凍結胚があって戻せるチャンスがあることすら羨ましい、と感じて聞いていました。

結局、その女性は凍結胚を戻したんです。女性の赤ちゃんは残念ながら流れてしまったそうなのですが、流れたことで安心してスッキリしたと話していたのが印象的でした。
そして、私はその話を聞いて、「やっぱり、あれだけ悩んでいたけど諦められなかったんだ」って感じたんです。

他にも色々な人との出会いがあって、例えば「旦那さんと仲良くないから2人目はいいかな」という人とか。
多くの出会いを通じて、夫婦や妊活の形って人それぞれなんだなぁと改めて感じ、私たち夫婦の選択も私たち流でいいよね、と少しずつ、思えるようになりましたね。

― 色々聞かせていただき、ありがとうございました。これが最後のご質問になります。同漫画のラストは、実に印象的なシーンで締めくくられていますよね。それは、小林さんがある女性に「2人目作ろうか悩んでいるけど、どう思う?」と聞かれ「私なら産むよ」と答える一コマ。2人目を諦める道を選んだ小林さんにとって、この台詞には一体どんな意味が込められているのでしょうか?

私は年齢的に諦めざるを得なかったけど、その女性はまだまだ若くてチャレンジができると思ったからです。
もしここで私が背中を押さなければ、彼女が再び2人目が欲しいと思った時にはもう手遅れで「あの時、治療していれば」と後悔するのではないか、と思ったんですよね。

正直、諦めた私でさえ、今でも2人目が欲しいという気持ちが完全に消えた訳ではないのが事実です。なので、もし産める選択肢があるなら絶対産んだ方がいいと思ったので、背中を押すことにしました。

1人目、2人目治療を経験し、これまで様々な苦労もしましたが、その分だけ悩む人の気持ちに寄り添い、自分の経験を通じてアドバイスができるようになったのは、人生におけるひとつの収穫だったと思います。

これからも、子育てや妊活に関するアンテナを立てて、同じ悩みをもつ女性たちを救える作品を描いていけたらと思っています。

取材・文 / みくまゆたん、写真 / 本人提供

 


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