30代で「早発閉経」。その後の不妊治療中に乳がんが発覚。重なる絶望の中でパートナーと選んでいった「自分たちらしい」道とは。<前編>

IT系ベンチャー企業の取締役であり、子ども向けプログラミングスクール事業代表として、多忙な日々を送る太田可奈さん。

30代半ばまでは「趣味は仕事」というくらい、働くことに情熱を注いでいました。ところがいざ妊娠を考えた矢先、36歳の彼女に突きつけられたのは「閉経してますよ」という思いがけない医師の言葉でした。

30代の100人に1人がなるという「早発閉経」の宣告を受け、子どもを授かる望みをなんとか繋ぎたいとの思いで始めた不妊治療の最中に、今度は乳がんが発覚。

「命のエンドロールを感じた」という太田さんですが、次々と降りかかる試練をパートナーと共に乗り越えながら、現在も明るく情報発信を続けています。そんな太田さんのメッセージを前後編にわたってお届けします。

太田可奈/Kana Ota  コンサルとして携わっていたスピードリンクジャパンの取締役に就任し人事採用責任者を経て、現在は新規スタートアップ事業と広報の責任者として従事。36歳当時、早発閉経と診断され不妊治療をスタート。働く女性に卵子の在庫について検査を促す啓蒙活動や、データを知り、進むべき道を知る不妊治療サポートサービスなど、スタートアップの企業顧問やアンバサダーに就任。その後、乳がんが発覚し、不妊治療を断念。子育て参画の形を模索し、子会社アントレキッズでのIT教育や地区事業のMANABUYA(学生起業家育成プログラム)や東京理科大IDM(経営学部国際デザイン経営学科)アドバイザリーボードなど、子どもたちが自分の未来の選択肢を増やすことを掲げ奔走中。

 


”妊活”を始めたつもりが、36歳でまさかの「閉経」に

  生理は毎月順調。不妊の原因が自分にあるとは思ってもみなかった

―太田さんは27歳でご結婚、30歳半ばで不妊治療を始められたということですが、不妊治療に至る経緯をまずはお聞かせいただけますか?

はい。27歳で結婚したのですが、当時からベンチャー企業の取締役を任されていたこともあり、もう仕事に夢中でした。本当にずっと仕事をしているような感じで、嬉々として昼夜働き続ける私をみた夫からは「可奈は変わってる」と言われていましたね(笑)。

でも私にとっての仕事は趣味みたいなもの。楽しくて、そこに時間を費やすのは、趣味の時間を大切にするあなたと結局同じだよね、とお互いに納得していました。

いつかは子どもが欲しい、とは思っていました。夫は「できたらできたでいいな」という淡白な感じだったと思います。40代で出産した方の話も多く聞くし、医療も進んでいる。だから「まだ先でいいよね」と軽く考えていました。

今から思えば大間違い。「まだ先で」いいわけがなかった。自分の体のことも、当時は全然わかっていなかったし、知識もまったくなかった、と今となっては反省しています。

―不妊かもしれないと思ったのは、いつ頃ですか?

妊娠を考え始めたときは、自分が不妊だなんて思ってもいなくて。もともと毎月の月経も順調だったんです。テレビで芸能人の方が「妊活」をしてお子さんを産んだという話を聞いて、「あ、私たちもそろそろ旅行に行ったりリラックスして妊活をしたら、授かるかな」と、軽い気持ちで近所のレディースクリニックに通い始めました。

34歳の頃ですね。タイミングを測りながら、食生活や運動に気をつけて体調を整えながら、普通に妊娠を目指そうと思っていたんです。

すると割とすぐ月経が来なくなったから、妊娠したかも?と喜んで、ワクワクしてクリニックに行ったくらい。ところが診てもらっても妊娠反応やその形跡はなくて、数日後に少しだけ残骸みたいな血が出るんです。

あれ?と思いながらそういうことが続いて。おかしいなと私の子宮や卵巣を検査したり、夫の精子も調べたりしても、特に大きな問題はないと言われる。ホルモンバランスが乱れているのかもと言われ、薬を飲むのですが、それでも何も変わらない。

いよいよおかしいと思うようになり、思い切って、不妊治療専門のクリニックに行くことにしたんです。すでに1年が経っていました。

 

  「閉経」という言葉に、鈍器で頭を殴られたような衝撃

―そこで初めて、ご自身の体に異常が起きていたことがわかったのですね。 

ええ、当日に血液検査をして、あっという間にわかりました。先生が淡々と、「閉経してますよ」と。

―それはびっくりしたでしょう…… 

「え? ちょっと待って、閉経って……50代とかでなるやつですね?」って。忘れもしません。後頭部を鈍器で殴られたような気持ちになりましたね。

その時初めて、「早発閉経」というものがあると知りました。早発閉経は30代で100人に1人、20代で1,000人に1人がなると言われていて、決して珍しいことではないのだそうです。

子宮や卵巣の通常ある人間ドックや健康診断の検査では分からなくて、気づかないうちに手遅れになってしまう。「AMH検査」という、当時は保険適応外だった血液検査をして初めて、卵巣内の卵子予備能(残された卵子数の推定値のこと。妊娠・出産のチャンスがどの程度残されているかの目安となる)がわかるんです。

調べたところ、私の体には卵子がもうほとんど残っていない状態で、他の人と比べて元々の卵子の数が少なかったことがわかりました。この検査を20代で受けていたら、人生が変わっていたのかもしれない。もっと体に向き合っていればと思わずにいられませんでした。

 


離婚を考えた年末。夫と「この体験をみんなに話そう」と決めた

  産めない体であることが、申し訳なかった

―本当にお辛い告知でしたね。パートナーはどう受け止めてくれましたか?

まず、私自身が、夫にも申し訳ないという気持ちになって、離婚を考えました。彼は長男だし、義両親に孫を抱かせてあげたい。でも私ではそれはできないかもしれない、って。

彼もまだ30代だから、今ならやり直せる。別の人となら彼の子が作れるって、二人で泣いて話し合いました。夫は「可奈と二人で人生を歩けたらそれでいい」と言ってくれましたが、結婚は両家の問題だからと、私が納得できなかったんです。

―両家のご両親にはすぐお伝えしたのですか?

結果がわかったのがちょうど年末で。お正月に夫の実家熊本に帰るはずだったんですけど、どうしても私は一緒に帰省できなくて。夫に、申し訳ないけど一人で帰って、ご両親に伝えてご意見を聞いてきてほしいってお願いしました。

大晦日に、帰省中の夫から電話があって、「両親も可奈を心配してるし、二人で暮らしていきなさいと言ってくれている。だから来てくれないかな」と言われて。なんとか熊本まで新幹線で向かったんですが、やっぱりご家族に会う勇気がなくて家に行けなかったんです。

「じゃあ、二人で帰ろう」と夫と二人で、そのまま東京に戻ってくることになりました。東京では、私の親が迎えてくれて、「こんな体に産んでごめん」と謝られて……。いやぁ、結構大変な大晦日でしたね(笑)。

 

  社内でのカミングアウトに「実は私も……」

―大変どころではないですね……。でも、太田さんはその年の年明けすぐにSNSで、「早発閉経という診断を受けました」と公表されています。どうやって気持ちを切り替えたのですか?

東京に戻って夫と話している時に、「この経験はみんなに伝えたほうがいいよ」と夫が言ってくれたんです。早発閉経が若い人に起こりうることを、私たちと同じように知らないでいる人もたくさんいるはず。「可奈は伝えるべきじゃない?」と。

私自身、もともと開けっぴろげな性格で、これまでもSNSで自分に起きた体験は発信してきた経緯があったので、ここで何も言わないのは違うんじゃないか、と思いました。

反対にこれまで、周囲の人が体験をシェアしてくれて、そのおかげで必要な情報を得られることもあったのだし、自分の体験は還元したほうがいいんじゃないか、とも思ったんです。

それでまず会社の毎年恒例の初詣の際に、社員のみんなに伝えて。「ここから半年は不妊治療に専念して、仕事をセーブしたい」とオープンにしました。それからSNSにも投稿しました。

2019年1月 新年の挨拶とともにSNSで早発閉経・不妊治療開始を報告した可奈さん

―周囲の反応はいかがでしたか?

それが、結構大きな反響があって!「実は私も不妊治療をしています」「二人目不妊です」という告白をいくつも聞きました。SNSのダイレクトメッセージで相談を受けることも増えましたね。

不妊治療って、なかなか言い出しづらいところもある。社内でもなかなか共有できなかったりします。でも、私の場合もはや「卵がほとんどない」という、絶望的だと思えるような事実を明るく公にすることで、みんなも相談のハードルが下がり話しやすかったのかもしれないですね。

逆に私も公表したことで、不妊治療に関する情報もたくさんいただけるようになったし、妊活のコミュニティにも入れて不妊治療に取り組みやすくなりました。ありがたかったですね。

 

  「卵がない」状態での本格的な不妊治療。半年後に出した結論は

―不妊治療専門のクリニックでの治療は、どのようなものでしたか?

まずは排卵誘発剤を使って卵子を育てていく、ということをずっと行っていました。でも、毎回、採卵するには至らなかったんです。先生からは、手術で卵巣を体外に取り出し、卵巣内の原始卵胞を成長させ再び体内に戻す治療法も考えられると提案されました。

夫は「そこまで体に負荷をかけて、子どもを作らなくてもいいんじゃないか?」という意見でしたね。確かに、100%の成功率ではないし、危険もあるし、私もあまり乗り気ではなくて。

かといって、既に半年通っていたクリニックではそれ以上他にできることはないということで、一旦そのクリニックは卒業して、別のところで再チャレンジしようか、ということになったんです。

 

取材・文 / 玉居子泰子、写真 / ろまん・しゅうぞう、フォト©伊藤秀俊および本人提供、協力 / 高山美穂


36歳という若さで、早発閉経と診断された太田可奈さん。妊娠を望んだ矢先のことで、そのショックから離婚を決意したほどでした。本格的な不妊治療を半年行ってもなかなか成功せず、転院を考えていた矢先に、今度はまさかの病気が発覚することになります。

続く<後編>はこちら。重なる病いに立ち向かいながら、太田さんがどのように人生の舵を切り直したか、お話を伺っていきます。


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