新企画スタートによせて
「産む・産まない」というテーマには、本当にさまざまなものが関わっています。時代の流れ、無意識に刷り込まれた価値観、国の方針、自身の「家族を持ちたい」という願い。
「産む・産まない」を考えることは命と向き合うこと。誰もに関係のある普遍的なテーマです。
これまでUMUでは、きわめてプライベートなストーリーを、実名で、顔を出してインタビューに応じてくれる人たちの勇気に励まされるかたちで、不妊治療、死産、胎児医療、養子縁組や里親、卵子・精子提供、LGBTQ、子を持たないという選択など、「産む・産まない」にまつわるさまざまな人生のストーリーを紹介してきました。
全てのテーマに共通していたことは、すっきりとした明確な「正解」はないということです。揺らぎ、迷い、進んだと思ったら戻り、これでいいのかと立ち止まり悩みながら、それでも選択した道を「正解」にするために進む。思うようにならない現実や、自身の身に降りかかる想定外の出来事を受け止めたうえで、「自分で(またはパートナーも含めて)考え、納得する」ことが、前に進むうえでいかに重要であるかを私たちは目の当たりにしてきました。
そんなUMUが今、正面から取り上げたいテーマがあります。
それは「自分で決める、もしくは決めない(決められない)」ということについてです。
個人の「産む・産まない」を決めるのは、誰でしょうか?
そもそも私たちは、自分の体のことをどのくらい自分で決められているでしょうか?
そして、過去に決められなかった/選べなかったことを、どうやって肯定できるようになるのでしょうか?
妊娠や出産は、個人のものであるのと同時に、社会の風潮や家族の伝統的価値観にも大きく左右されるものです。また、偶然や思いがけない展開とも常に隣りあわせです。
そのなかで、自分が選んだこと、選ばなかったこと、選べなかったこと、いまは選ばない、と決めたこと。後から振り返って気づくこと。
そのストーリーを、見つめてみませんか。
「決める、決めない、決められない」をめぐるUMUの新企画、スタートです。
*本シリーズの記事は、各記事のタイトル下にある「#決める決めない決められない」というタグで今後更新します。シリーズの記事をまとめて読みたい場合には、クリックしてご覧ください。