セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・アンド・ライツ(Sexual Reproductive Health and Rights)、略してSRHR。性や生殖について、性別を問わず保障されるべき権利のことで、日本では2000年に決定された「男女共同参画基本計画」のなかに盛り込まれました。
しかし「SRHRなんて聞いたこともない」という人もまだまだ多いのではないでしょうか。聞いたことがあっても、望まない妊娠や中絶のリスクを抱える若年世代のもの、という印象が少なからずあるかもしれません。
でも、SRHRについて知れば知るほど、実は全ての私たちが人生を選択するうえで、とても大切で身近な概念だということが分かります。
なかでも「産む・産まない・産めない」の間で悩み、そのプロセスで「選べない/選べなかった」「思う通りにいかない/いかなかった」経験を味わった私たちにとっても、その後悔やモヤモヤをときほぐす一助となるはずです。
改めて、SRHRが意味するもの、なぜ今SRHRが必要なのか、そして「ボディリー・オートノミー」(自分の心と体の声を聞くこと)の大切さについて、産婦人科医でSRHRの研究、発信を続ける池田裕美枝先生に伺いました。
池田裕美枝/Yumie Ikeda
産婦人科医
2003年京都大学医学部卒業。舞鶴市民病院、洛和会音羽病院にて総合診療科研修後、三菱京都病院で産婦人科研修を積み、神戸市立医療センター中央市民病院産婦人科副医長などを経験。リヴァプール熱帯医学校リプロダクティブヘルスディプロマ修了。米国内科学会fellowship exchange programにてメイヨークリニックで女性医療研修。2児の母。2023年、海と空クリニック京都駅前院の院長に就任。
SRHRは「性や生殖に関して、その社会にいれば全ての個人が健康でいられる」を目指すこと
ーそもそも「SRHR」とは何なのか、改めてその概念について教えてください。
SRHRとは、”Sexual Reproductive Health and Rights”の頭文字をとったもので、日本語では「性や生殖に関する健康と権利」と訳されます。性や妊娠、出産に対して健康であるだけでなく、産む・産まない、あるいはいつ、何人子どもを持つかについて自己決定できる権利を唱えたものです。
セックスを安心して楽しめること、避妊や不妊治療について自由に選択できること、病気の予防や治療に容易にアクセスができること、また母子保健が充実し、十分で適切な育児支援が行われること。SRHRは、これらすべてを保障する理念のことを指します。
ーSRHRが提唱されるようになった歴史的背景について伺えますか?
SRHRの概念が公式に定義されたのは、1994年にエジプトで開かれたカイロ会議(国際人口開発会議)です。ですが、実はそれよりも前の1968年、テヘランで行われた人権に関する国際会議で、すでに「家族計画に関する人権」という項目があり、SRHRと同様の概念が議論されています。
この当時、世界では人口爆発が起きていて、とりわけ途上国において一人の女性が多くの子どもを産むことが社会的に問題視されていました。地球上の食糧や資源には限りがあるのに、人口が増えると人々が飢え、そのせいで戦争や環境破壊が起きてしまうと。だから、国民には避妊させよ。そんな働きかけが、国家政策として積極的に行われていたのです。
1960年代後半といえば、米国ではピルがすでに認可されてたころです。子どもの数を抑制するよう、保健組織などがピルを配るなど、米国においても政策として人口を調整する流れが起きていました。
そこにアンチテーゼを唱えたのが、フェミニストたちだったと言われています。そもそも誰との間の子を、いつ、何人産むかというのは私たちの人生に大きく関わる問題です。それを自分らしく決めるのは私たちの人権であり、社会から「産むな」とか、「産めよ増やせよ」とか言われるものではない。
SRHRは、「ヘルス」・「ライツ」とあるように、個人が、自分が選んだことを叶えるために、まず健康(ヘルス)であることが大切、そしてそういられる権利(ライツ)を社会が保障していくということですね。
個人が健康でいる権利を守るために社会の認識を変え、個人が産みたいときに産みたい数の子を産めるよう社会側が支援するべきだということで、SRHRが提唱されるようになりました。
ーそこで求められた社会側の支援とは具体的には何を指すのでしょうか?
たとえば、子どもが産みたいときに産める体でいるためには、感染症やがんの検診が低額であることは当然必要です。それに産まれた子どもの命や健康が守られなかったり、産めば産むほど貧困になるという状況であればそもそも産みたいと思えませんから、妊婦検診や母子保健、育児支援についても社会的なサービスが必要です。
また、前提として、性にまつわる同意の大切さや望まない妊娠を避ける手段など、義務教育における包括的性教育も不可欠ですし、避妊や中絶に対する手段へのアクセスをよくすることや、性暴力を撲滅しようとする風潮を社会で醸成していくのも同じく必要なことです。
SRHRというのは、個人がその社会にいることで健康でいられることです。そのための社会的支援を、「自分のことを大事にしよう」と意識的に思っている人だけが得られるのではなく、誰もが等しく得られるよう、社会としてやっていこうというのが基本的な考え方になります。
日本は中絶先進国だった
ー国際社会ではとても注目されているSRHRですが、一方、日本ではなかなか言葉が定着せず、今一つ盛り上がりに欠ける印象です。その理由はどこにあるとお考えですか?
理由の一つとして、日本ならではの歴史的な事情が関係しています。欧米でSRHRが盛り上がったのが1960年代の第二波フェミニズムのときなのですが、なぜSRHRが盛り上がったのかというと、当時多くの先進国で中絶が禁止されていたからです。
「意図しない妊娠をした際、その妊娠を中断する権利」はSRHRにおける大事な権利の一つとして含まれていて、これを訴える動きが大きくなりました。
一方、日本では1948年の戦後すぐに中絶が可能になりました。敗戦後、大陸の植民地に住んでいた人たちが一斉に引き揚げて日本に戻ってきたため人口過密になってしまい、増える人口をどう調整するかが一大課題となるなか、解決策として中絶を認めるようにしたのです。
日本での中絶の適用条件をみたとき、とても大きな特徴があります。それが「経済条項」といわれるもので、経済的な理由によっても中絶を可能にしている点です。
どの国も「母体の健康を著しく損なう場合、中絶は可能」とする点は共通していますが、「経済的な理由でも中絶可」としているのが日本の大きな特徴で、これは実質的にどのケースでも中絶を認めていることになります。
ー日本はむしろ世界に先駆けて中絶へのアクセスが良かったんですね。
はい。そのためSRHRという言葉がなくても、中絶をすることに関しては法律や制度を大きく変える必要はなかったのです。
ただし、中絶可能の根拠となる法律が「優生保護法(現母体保護法)」で、優生学的な観点から不良な子孫の出生を妨げることを意図した法律ですから、実際は人権尊重の観点から中絶が可能だったわけではないんですけどね。ただ、それでも中絶は可能なわけですから、日本ではSRHRが盛り上がる土壌がなかったのです。
その後国際社会からの圧力を受け、1996年に「優生保護法」から「母体保護法」へと名称が変更されましたが、結局、中身の議論についてはそこまで盛り上がることがないまま今に至っています。
「母体保護法」になったことで今は胎児の状態を理由にした中絶はできなくなりましたし、障害を持つ方への強制的な不妊手術もできなくなりました。
ただ、女性の権利のために法律が変わったわけではないですから、驚くことに日本では産婦人科医の多くでさえ、SRHRという言葉を知らずにここまできているんですよ。国際学会に参加すると、産婦人科医こそがSRHRを提供すべきということが当たり前に語られています。
でも日本では医療者のなかでも、SRHRは産婦人科医師よりも国際保健に関わっている医師のほうがご存知かもしれません。
今こそ日本独自のSRHRを語り合うとき
ーなぜ、今SRHRが改めて大切なのでしょうか。一女性のお立場、また産婦人科医として多くの女性にかかわられてきたお立場からお聞かせください。
私が感じるのは、やはり私たちの社会は男性が作った社会に女性が働かせていただいている、という感覚がまだまだ根強いということです。月経のことも妊娠のことも、もしそれを担うのが男性だったらまったく社会制度が違っていただろうなと思いませんか?
今はまだ、月経や妊娠を理由に掲げると男性と同等に扱ってもらえないんじゃないかという引け目があって、結局、女性が散々我慢しているように感じるんですよね。
ー実際、そう感じている人は多いと思います。
でも今の子どもたちは人口減少社会で生きていくことになりますし、人口が減るということは、競争社会ではなくなるわけです。つまり、これからは画一的な社会ではなく、性別を問わず一人ひとりの個性が磨かれる多様性に満ちた社会が繁栄していくはずなんです。
と、頭ではわかっているのに、現実はそうではない。むしろ今の若い子は自分らしさをひたすら押し殺しているように見えてしまって、そこに未来はあるのかなって思ってしまいます。
ー個性が尊重されることなく、古い価値観がそのまま残っていると。
人口が減ること自体は、それほど大きな問題だと私は思っていません。だけどそれには前提があって、労働人口が減るので、より優秀な外国人にきていただけるのであれば、という話ですよね。
そして外国人が増えると、これまで日本人同士なら言わずもがなで伝わってきたことが伝わらなくなり、自分が何を大事にして、相手が何に価値を置き、何を大事にしているかを知ることが求められる。個人主義の在り方がますます尊重される社会になるのではないかなと思っています。でも、実際はみんな自分を押し殺している。
その一方で、個人と接していると、日本人ならではの良さもとても感じるんですね。相手に対する共感能力がとても高く、相手に求められる自分でいようとして、すごく優しいでしょう。悪いことばかりじゃ決してない。
胎児への接し方一つにしても、中絶を選択する際、胎児を物だと思っている人はほとんどいないですよ。中絶するという選択はしたけれども、赤ちゃんがいたことをちゃんと感じたいという思いで手を合わせる。命への畏れを抱いているのは私たちの自然な感覚だと思うんです。
「そもそも脳ができていないんだから、本人が生まれたかった、生まれてきたくなかったなど、自己決定の意識はないから気にしなくていい」と欧米的な思考で割り切るのは、日本人の感覚としては少し違うような気がしています。
こうした私たちがこれまで培ってきた日本特有の文化や感覚と、個人主義を融合させながら、みんなが納得できる人生を歩めるにはどうすべきか。そう考えたとき、人口減少社会を迎えるにあたり、改めて私たちの文化や社会の文脈でSRHRを語りなおすことが大事だと思っています。
取材・文/内田朋子、編集/瀬名波雅子
まだ日本ではなじみのないSRHRという概念ですが、実は私たちの生活に大きく関わるものであることがわかります。続く<後編>では、<前編>の話を掘り下げ、なぜ今SRHRが大切なのか、その根幹となる「ボディリー・オートノミー」という考え方について、池田さんに伺います。
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