夫とのパートナーシップが、自分の人生を予期せぬ方向へ導いてきた。マレーシアで3児を育てる私が振り返る、「産む、産まない」の“決め方”<後編>

現在マレーシア在住で3児の母でもある後藤愛さん。

キャリアとパートナーシップ、子どもを持つこと。海外を舞台にしなやかに生きる愛さんは、それらとどのように向き合ってきたのでしょうか。「決める、決めない、決められない」をテーマに、コラムを寄せていただきました。(<前編>はこちら

 

  パートナーシップ、第2子、第3子

日本に帰国後、夫が突然、「やはり第2子、3子をあきらめたくない」と言い出した。ようやく教育資金などの目途もついたからという。「え、私の年齢知ってるよね??」歳はもちろんわかっている。私は37歳になっていた。「最近は晩産化でしょう」「後悔したくないんだ」と言う。

これは、さすがに熟考しなければならない。第1子の時のように流れと勢いで進むには人生経験を積みすぎている。妊娠出産は基本的に女性の側の負担が大きい。どこかで聞いたセリフが頭の中に蘇えった。

それは、「私は、私が愛する人が、心の底から子どもを欲しい願ったときにだけ、子どもを欲しいと思おう」というものだ。

この基準はとても妥当に思えた。第1子の産まれた後はワンオペ育児だった。男性の側は大きく腹を括ることもなく、気軽に子どもが欲しいとか思えてしまうこともある。自分の身体の外側で起きることだから、身体性からしても実感を得にくいのかもしれない。考えてみたら、第2子も授かればと思いつつも妊娠には至っておらず、ここで20代ではない年齢を強く意識せざるを得なかった。

とはいえ、パートナーの人生に悔いを残したくはなかった。熟考ののちに、第1子の時にお世話になった産婦人科院で人工授精を行おうと決めて、2度目の人工授精で、第2子を授かり、産休・育休を申請して38歳で二度目の出産をした。

第1子の誕生から実に8年10か月を経て、夫はイクメン、カジメンへと変貌していた。ここまで変わるとは予想していなかったので驚いたし、二人目にチャレンジして良かったと思えた。バージョンアップした夫と新生児からの育児を分かち合えたことは、本当に有難かった。

夫が第3子を望んだことが大きかったが、私も3人姉妹でにぎやかに楽しく育った思い出や、アメリカ留学時代に出会った3人のお子さんを育てる日本人家庭の賑やかで暖かい情景が心に残り、「3人」という数字を意識した。やや受け身的で消極的な決め方ではあったけれど、やれることをやってみようと心のギアをほんの少しだけ前へ向けることにした。

そこで第2子出産から半年を過ぎたころから日本で数カ月、そして2020年1月に渡航したマレーシアでも2年間不妊治療に取り組んだけれど、望む結果は出ず、心身ともに消耗してしまった。夫も無理はやめようと受け止めてくれ、もう不妊治療は終わりにしようということにした。

子どもを二人授かっており、これで満足しなければ罰が当たるとも思った。2022年夏に日本に一時帰国した際、自宅でできる人工授精を知り、ダメ元で試したところ、これが奇跡的に妊娠に繋がり、2023年3月に私は42歳で第3子を出産した。(出産についてはこちらに書いてある。)

 

  子どもに優しい国は、人間に優しい

東南アジアは、子どもに優しいと言われる。しかし実のところ、子どもだけでなく、誰にでも優しい。表面的に正しいことや、完璧なことや、計画通りに進むことに、重きが置かれておらず、むしろ柔軟なこと、人々が無理をしないこと、臨機応変なこと、そうしたことが大事にされている。

人々の信仰心も篤く、人間は神様ではなく不完全なのだから自分も他人も優しく受け止めようという文化がある。時にこれがルーズに感じられ、イラっとすることもあるが、この「許す、許される、許しあう」が、もしかしたら今の日本に一番必要なことかもしれないし、不妊治療や子育てにも必要なことだと思う。

結局のところ、産む、産まない、決める、決めない、は、長い時間軸の中で、何度も揺れ動き、決めても決めなおし、ある時はパートナーの希望を受け入れ、ある時は自分の主張をパートナーに納得させ、二人で新しい解を探し、時には完全にお休みする。――常に流れが変わる川のようなものだ。

そして、この「揺れ」に、焦らず、慌てず、諦めず、の精神で付き合って、お互いの変化と成長を応援しあい、受け止めてゆくというのが、パートナーシップのあり方であり、自分の人生を思いもよらない方向へ導くものかもしれないと思っている。私も夫と一緒に決めてきたことで、自分だけでは思い描かなかった道を歩いている。

「子どもを持ちたい(かもしれない)」という人には、私は全力で「ぜひそうしたらいいよ」と言いたい。「迷っている」という人には、「何に迷っているのかを、一つひとつ書き出して具体的に動いてみたら」と言いたい。「子どもは欲しくない」という人には、「それはそれで一つの生き方だから自分を大事にして決断を」と思う。

子どもは素晴らしい。しかし子どもを持たないでも素晴らしい人生を送っている人もたくさんいる。決められることは決めて進む。望む結果が出ないときは、現実を正面から受け止めていったん泣いたうえで、次善の道を探す。単純化すればそういうことだし、それしかできないだろう。私も不格好ながらそうしてきたと思う。そして人生はこの繰り返しだ。

日本社会全体を変えることはできない。しかし、自分を変える、パートナーと意思疎通を深めていい影響を与え合う、自分の子どもを含むコミュニティを少しでも子どもたちがのびのび暮らせる居場所にする。――そういうことならば、私たち一人ひとりにできるのではないだろうか。

私は今、仕事は日本の不動産賃貸業を基盤に、①マレーシアで女性、子ども、若者を少額支援金でエンパワーするCHANGEマイクログラント、②高校生のためのビジネスアイディアコンペGYECマレーシアの開催、③白水社のウェブ媒体に『越境する日本人』の連載の執筆(2025年頃書籍化予定)に取り組んでいる。ときどき前職の仲間が声をかけてくれて大学で講義をしたりもしている。

仕事や活動時間を9時から15時半くらいまでに短縮し、子育てと健康のための時間が拡大した。働き方、暮らし方を変えた当初は、まるで新卒社会人になったようなギャップがあり、まだ慣れないことも多いが、活動もパートナーシップも子育ても、長く続けられるよう、日々自分と家族をアップデート中だ。

皆さんにとって、決められることは何ですか。
決めたいことは何ですか。

ぜひ自分とパートナーの心によくよく問いかけて、川の水のように揺蕩いながらも、決断し、ときには受け入れて、前を向いて少しずつ進んでみてはどうだろうか。その軌跡が、私たち一人ひとりの人生そのものなのだから。

 

 

後藤愛
1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に就職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M.国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ事務所(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラントに携わる。マレーシアなど海外移住する現役世代日本人の生き方、働き方、育て方を綴るエッセイ『越境する日本人』を連載中。家族は夫と子ども3人


*シリーズ「決める、決めない、決められない」

「性と生殖に関する健康と権利」を意味するSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)。
自分のセクシュアリティや妊娠・出産を含む生殖のことに関して、誰もが適切な知識と自己決定権を持ち、必要な時に必要なケアを受けられること。

ただ、このSRHRに関しては、日本でも、世界でも、まだまだ課題が多く積み重なっています。そもそもわたしたちが見えていないこと、知られていても理解が進んでいないことも…

産む・産まないについて、いくつものストーリーをお届けしてきたUMUなりに、このテーマを問い直し、みなさんと一緒に考えたい。わかりやすく目に見える結果や今の状態だけでなく、それぞれの決めるプロセスや、決めるしかなかったこと、決めずにその場にいったん留まらせたこと、悩みや迷い、揺らぎとともにあり決められなかったこと…そうしたストーリーをシリーズにしてお届けします。


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