「ママが卵子をもらって私が生まれた」ー。ニュージーランドで卵子提供を経て出産、娘の出自をオープンに。「家族」を形づくるものとは?<前編>

高校卒業後からニュージーランドで暮らしてきた望月千愛さんは、42歳の時にニュージーランド人の女性から卵子提供を受け、43歳で女児を出産します。

そして子どもが2歳の時に日本に帰国。望月さんも、現在8歳になるお子さんも、周囲の人々に卵子提供で産まれた子どもであることを公表しています。周りにオープンに話す背景には、望月さんが長く暮らしたニュージーランドの文化や家族の在り方に対する柔軟な考え方がありました。

卵子提供という経験を通して望月さんが見た、日本とニュージーランドの違いとは。そして自身の選択に対する思いや、お子さんとの暮らしの中で大事にしたいこととは。一人ひとりの違いを大切にする望月さん家族のストーリーです。

望月 千愛/Chie Mochizuki
1972年生まれ。日本で高校を卒業後、ニュージーランドへ留学。大学卒業後、現地でウェディングプランナーや旅行業に携わり、28歳の時に日本人の男性と結婚。ニュージーランドの永住権を取得し、夫婦でイタリアンレストランを10年近く経営。卵子提供を受けて2015年に出産。日本に帰国後は実家の飲食店の手伝い、子どもにまつわる仕事を経て、現在は犯罪被害者支援に携わる。


ニュージーランドで生きる

 離婚危機!?を乗り越える

望月さんは日本で高校を卒業後、ニュージーランド(以下、NZと表記)へ留学、その後一時帰国なども経て現地で就職されたんですね。

そうなんです。中学生の夏休みにカナダで過ごした経験もあり、自然豊かな海外の暮らしが自分には合っていると感じていました。NZで18歳から44歳までの26年間を過ごし、結果的には日本より長くNZで暮らすことになりました。

その間、7年ほど一緒に暮らしたNZのホストファミリーは私にとってかけがえのない家族となりましたし、その家族のお陰でNZが私の故郷になったと言えます。

―日本よりもNZの文化が望月さんには根付いたのかと想像しますが、結婚された相手の方は日本人なんですよね。

はい。夫とはNZで出会い、それまでに感じたことのない安心感のようなものがあって半年後には結婚を決めました。私が28歳、彼が29歳の時です。

結婚後2年ほど経った頃、二人でレストランを始める決断をしたんです。というのも、私の実家は東京で飲食店を経営していたので、飲食業は私には身近なものでした。私達はイタリアンレストランを開くことに決め、二人で日本に一時帰国し、ナポリピザの作り方など料理の修行をしました。

そして私が35歳、夫が36歳の時にNZのクライストチャーチという街で念願のお店をオープンしました。もちろんそこに至るまでにも紆余曲折ありましたが、オープンしてからはさらなる怒涛の日々でした。

従業員も多く雇用し、夫は休みもなく調理をし、私は接客やマネージメントを担当。仕事上夫とぶつかることは日常で、今振り返ればあの日々を離婚せずに乗り越えたことは我ながらすごいと思います。私も夫も日々抱えていたストレスはとても大きかったですね。

夫とオープンしたレストラン


卵子提供という道

 楽観していた妊娠への意識

―35歳で自分達のお店を持ち、仕事に奔走する生活を送られていたわけですね。忙しい中でも当時から子どもを持つことを望んでいましたか。

望んでいました。私は子どもが大好きですし、周りには子どもが3人以上いる家族が多くいたこともあり、私も漠然と子どもは3人かな、と思い描いていました。

一方でお店をオープンさせてからの日々は怒涛のように過ぎていき、子どものことについて夫婦で立ち止まって考えたり話し合ったりするゆとりはありませんでした。

―子どもを持つことに対して、当時の旦那さんのお気持ちはご存知でしたか。

具体的な話をしたことはありませんでしたが、夫も子どもを望む気持ちは持っていました。なかなか子どもができないことに対して、一度だけ、このままもしできなかったらどうする?と話したことがありましたが、その時は結論の出ないまま、また忙殺される日々に戻った記憶があります。実際、夫から子どもを持つことに関して何かプレッシャーを与えられたことは一度もありませんでした。

 現実の厳しさを知り、取り戻せない時間を悔やむ

―そういった生活の中で、何がきっかけで婦人科へ行くことになったのですか。

気づけば39歳が目前になり、さすがにこのままだと妊娠できなくなるのではないかと焦り出し、ホームドクター(※1)に相談をしました。そこから国立病院の産婦人科を経て、不妊治療専門のクリニックへ行くことになったんです。

その時におこなった検査で、私は無排卵月経と早発卵巣不全であることがわかりました。そして自然妊娠どころか採卵できる可能性もほぼないとドクターから告げらたんです。だからIVF治療(体外受精)をしたとしても、良い結果を得られる可能性はゼロに近い、ということでした。

さらにドクターは、その衝撃的な事実に続いてすぐに卵子提供の説明を始めたのです。

※1 ホームドクター:ニュージーランドではホームドクター制をとっている。これはいわゆる「かかりつけ医」のようなもので、基本的に全ての人が自分のホームドクター(GP:General Practitioner)に登録している。歯科を除く急病以外の診療は全てGPが担い、専門診療が必要な場合はGPの紹介状を持って公立・私立の専門病院で診察を受けることができる仕組み。

―望月さんとしてはなかなか妊娠ができないから婦人科を受診し、不妊治療が必要かどうか相談をするつもりでいただけなのに、告げられた結果は厳しいものだったわけですね。どのように受け止められましたか。

ドクターからこのままだと妊娠はできないと言われた時には、予想していない診断結果に呆然としました。そう告げられて、改めて自分はこんなにも子どもを持ちたいと望んでいたのだ、ということも感じました。そして、当たり前のように子どもを産むつもりでいた私は、自分の身体に対して女性としての機能が損なわれたようにも感じ、夫の気持ちも離れてしまうのではないか、といった様々なネガティブな考えが駆け巡りました。

そもそも、それまでの私は妊娠に適齢があるという知識が乏しかったんです。そのうち自然と妊娠できるだろうと楽観的に考え、その年齢になるまで妊娠しなかった事実と真剣に向き合うことも心底焦ることもなかったんですね。そして結局、手遅れとなってしまった。取り戻せない時間が悔やまれ、涙が止まりませんでした。

―ショックですよね。簡単に気持ちの整理がつくことではありません。そして、その場で卵子提供についての話があったとのことでしたが、どのような思いでドクターのお話を聞いていましたか。

もしもドクターから自分の卵子で妊娠できる可能性が10パーセントでも残っていると言われていたら、心は揺れ動いたと思います。でも残念ながら私の場合は可能性が限りなくゼロだと明確に伝えられたんです。だから、ドクターもすぐに次の選択肢を提示したのだと思います。自分の状況が厳しいことは、そこで理解できました。

ニュージーランドのテカポ湖

 命の授かり方は多様であることを受け入れて。卵子提供を選択

―自分の卵子ではもう妊娠は難しいという衝撃を受け止めきれないなかで、ドクターからすぐに卵子提供という選択肢が提示されました。この時、子どもを持つための方法として他の選択肢の提案もあったのでしょうか。そして卵子提供という選択肢は、NZでは一般的な次のステップと考えられているのでしょうか。

まず卵子提供以外の選択肢の提案として、養子縁組についても話はありました。

ただこの時は私自身が自分で出産したいという希望を持っていたこともあり、自分の卵子では難しくても卵子提供によって妊娠できる可能性がある、とドクターが説明してくれました。費用面や要する時間、身体への負担など、総合的に考えても卵子提供という道が最も現実的で確率が高い、という話を受けて、私の気持ちとしては、卵子提供に心は大きく動きました。

そして卵子提供がNZで一般的な選択肢だということは、ドクターからも話がありましたし、日々の暮らしの中で実感したこともありました。

娘が産まれてまだ小さかった時、お店のお客さんから、私たち夫婦とは異なる外国の血が混ざった顔立ちの娘を見て、事情を聞かれたことがあったんです。その時に卵子提供で授かったことを打ち明けました。するとそのお客さんは、躊躇なく「あ、うちもそうよ」と、なにも特別なことではない、という感じで話してくれたのです。

また、卵子提供ではないですが、私が以前ホームステイをしていた家族の姉妹のうちの一人が、代理母として妊娠・出産する姿をかつて見ていました。

そんなふうに、命の授かり方は多様であることをNZの多くの人は当たり前のこととして捉えているんです。

その点は日本の文化とは少し違うかもしれません。日本では不妊治療が長くなったとしても自分たちの血縁の子どもを望むご夫婦が多いのではないかと思うのですが、NZでは自分たちと血がつながった子どもが授かれないなら他の選択肢で子どもを迎えればいい、と早い段階で気持ちを切り替える夫婦が多い印象です。

だからこそ、ドクターは私の卵子の状態を見てすぐに次のステップについて話してくれのだと思います。自分の卵子がダメでも卵子提供という選択肢があるから大丈夫、と。決して特別なことではなく、日本で捉えられるそれよりも身近なものだったんです。

―そうするとNZでの暮らしが長い望月さんは、比較的速やかにその選択肢を受け入れられたのですね。

そうなんです。NZの文化が染みついていた私には、自分の遺伝子やいわゆる「血を守る」ということへの執着は強くありませんでした。周りを見ればとても多様な家族像があります。実父と実母が揃っている友人の方が少なく、血のつながらない親や兄弟が家族になっているという状態は決して珍しくありません。だから、卵子提供であっても子どもを授かれるなら、と気持ちを切り替えることは私には難しくありませんでした。

実際、ホームステイ先の家族は血がつながっていなくても、まさに私にとっての「家族」です。ホストファミリーであるお父さん、お母さん、三姉妹、親戚、みんなが私を家族の一員と思ってくれていました。

特にお母さんとの絆は、まさに母娘そのものだと思っています。いつも優しく私を受け止め、大切なことを教えてくれました。ありのままの自分で良いこと、自分の決断に対して自分で責任を取ることの大切さ、試練から学ぶことの意義、何度でもやり直し挑戦できる…そんなメッセージは、私の生きていく上での軸となっています。お母さんからは、まさに親が我が子に対して与える“unconditional love”=無償の愛を受け取っていました。

この経験や関係性は、私の考え方に大きな影響を与えていると感じています。

―望月さん自身のご経験から、命の授かり方や家族のあり方は多様であることを肯定的に考えられていたんですね。旦那さんの方はいかがでしたか。

夫も卵子提供という選択をすんなりと受け入れてくれました。私の意志を尊重する姿勢を見せてくれてとても協力的でした。夫と私が同じ方向を向くことができていたことは、この選択をする上で、そしてこの決断を前向きに捉えるためにとても重要な点だったと感じています。

ただ振り返ってみると、当時、私自身が卵子提供というステップに進む意思を強く持っていたので、夫の本音を聞こうという姿勢は欠けていたかもしれません。彼はもともと自分の考えを押し付けてくるようなタイプではなく、お互いの気持ちについてその時は深く話し合うことはしませんでした。夫も当時、本心から賛成してくれていたと思いたいですが…。

―卵子提供で子どもを持ちたいという望月さんの選択に旦那さんは寄り添ってくれたんですね。他の選択肢としては、ドクターから提案された養子縁組、そして、子どもを持たずに夫婦二人の人生を歩む、ということも例えば考えられますが、それらについてはご夫婦で話し合われましたか。

まず夫婦二人の人生ということについては、できることに挑戦した上でそうなるのであれば受け入れるつもりでした。

また、養子縁組については、情報を得るために日本の児童相談所に問い合わせたことがありました。ただ、その時に伝えられた内容が私たちにはあまり現実的ではないと感じたんです。クリアしなければならない条件や私たちの年齢など、ハードルになりそうなことが多く、先行きが見通せませんでした。

だから、積極的にサポートしてもらえるNZでの卵子提供という選択が私たちには現実的だったんです。

住んでいたクライストチャーチのエイボン川

 待望の卵子提供者現るーニュージーランドの事情

―そうでしたか。NZでは希望すればすぐに卵子提供を受けられるのでしょうか。その時望月さんはまもなく30代が終わる、という年齢になっていらしたかと思いますが。

卵子提供を受けられるかどうか、そしてそのタイミングは提供者次第です。

NZでは、生殖補助技術(HART)法という法律(※2)があり、卵子提供を商業的に行うことは禁止されています。つまり提供者は、完全に無償のボランティアということです。もちろん交通費などの実際にかかった経費は支払われますが、提供者はとにかく純粋に子どもを望む夫婦の力になりたいという思いから卵子を提供するのです。

そういったNZ独自の法律のもと、提供者と、提供を受ける側の双方の権利と安全が慎重に管理されています。クリニックごとに多少の違いはあるようですが、提供者に対して、年齢や健康面の条件が細かく設定されていると同時に、提供を希望する夫婦の中からどの夫婦へ自分の卵子を提供したいか選ぶことができるんです。双方が希望すれば面会も設定されます。

提供を受ける側である私たちは、卵子提供の申請をするために夫婦の健康状態や経歴、思想や家族に対する考えなどをまとめたレポートを提出しました。そこからは提供者が現れるのを待つのみです。

※2 生殖補助技術(HART)法(Human Assisted Reproductive Technology Act 2004 : HART Act):配偶者間の人工授精・体外受精、非配偶者間の人工授精、精子・提供卵子による体外受精、提供胚の移植、代理懐胎の実施などについて定めたニュージーランドの法律(原文へのリンクはこちら)。
倫理的なガイドラインに基づき商業的な卵子提供は禁止されており、提供者は金銭的な報酬を受け取ることはできない。また、卵子提供を受けて産まれた子どもは、将来的に提供者とその身元に関する情報開示を要求する権利がある。

―では、卵子提供を選択してもすぐにそれを実行できるわけではない、ということですね。

はい、実際に申請をしてから提供を受けるまでは時間がかかりました。

私たちは申請をしてからも仕事に追われる毎日で、夫婦でじっくりと話し合う時間もなく、気づけば2年が過ぎていました。私自身は焦る気持ちやこのままで良いのだろうかと不安になることがなかったわけではありませんでしたが、とにかくお店が忙しくて立ち止まるゆとりはありませんでした。

そんな日々の中、私が42歳のとき、半ば卵子提供は諦めかけて、再度養子縁組についても検討しようかと話していた矢先に、「提供者が現れましたよ」という連絡がきたんです。

―2年待って、やっとですね。その時のお気持ちはいかがでしたか。

連絡があった瞬間は夫婦で喜びました。同時に、さてどうしよう、本当にこれでいいのか、と自分に問いかけるような思いも生まれました。そして改めて二人で気持ちの整理をしたんです。その上でやはりこれが私たちが望むことで、やっと巡ってきたこの機会がいかに嬉しいかを再確認しました。やっと前に進める喜びが大きかったです。

ただ、私の両親にはまだこの件については何も伝えていなかったので、卵子提供を受ける決断をしたことをこのタイミングで話しました。母は卵子提供がどういうことかもよくわからない中で、突然の報告にショックを受けたようではじめは反対しました。卵子提供による私の身体的影響が心配だったのだと思います。

そうした状況だったため、母にNZに来てもらい、クリニックでドクターから直接母に話をしてもらうことにしました。そして、私のかつてのホームステイ先の姉妹の一人とも話をしてもらいました。代理母の経験がある彼女は、母に「卵子を提供してもらうだけです。何も心配することではないですよ」と話をしてくれ、それを聞いた母は気持ちが整理されたようで、そこからは応援してくれましたね。

―お母様が納得されてよかったですね。クリニックから提供者の連絡があってからはどのようなプロセスがあったのですか。

まずクリニックで提供者の情報を伝えられ、面会を望むかどうかと尋ねられました。私たちの場合は、私たち夫婦も提供者も、お互いが会うことを希望したので、クリニックにて面会がセットされました。

初めて会ったときは、私も相手も緊張していましたね。でも知的で素敵な女性で、会ってすぐに緊張は解けました。話も弾んで、私自身とても嬉しかったのを覚えています。

クリニックによって差があるようですが、NZでは卵子の提供が可能な人の年齢の上限を35歳から37歳までと定めているので、当時35歳だった彼女は、卵子提供ができる上限に近い年齢でした。彼女は未婚で子どもはおらず、そのときが初めての卵子提供だったと聞いています。

―その方はご自身への身体的なリスクもある中で、なぜボランティアで卵子提供をしようと思われたのでしょうか。

彼女は事故で自身が入院した際、卵子提供のボランティアがあることを知ったそうです。命について向き合う状況だったからこそ、「自分自身はこの先結婚や妊娠・出産するかわからないけれど、自分の卵子が誰かの役に立てるなら」という思いからドナー登録をしたと話してくれました。

NZでは、卵子提供者は産まれた子どもに対して一切の権利を主張することはできないし、責任を負うこともないと法律で定められていて、その内容が含まれた誓約書にサインをします。文字通り、ボランティアで自分の卵子を人に差し出す、ということです。

彼女は、純粋に人の役に立ちたいという思いから卵子を提供すると決めたけれど、実際にやってみると採卵のための注射は痛みを伴うし、体調管理の面でも思った以上に負担が大きいことを打ち明けてくれました。

それに対して私たちはただただ感謝の気持ちでいっぱいで、本当にギフトだと感じていました。

 そして妊娠、42歳で出産

―そこから初めての体外受精で妊娠にいたったわけですね。

はい。その時改めて妊娠はこんなにも奇跡的で神秘的なことなんだと感じました。妊娠判定が出た時は、この選択をしてよかったと心から思いました。その後も喜びに満ちた日々でした。

―妊娠期間中に不安に感じたことや特にご夫婦で話し合われたことはありましたか。

お腹の子どもの発育が順調かどうかは常に心配していましたが、NZでは何かあった時の妊婦のサポート体制が充実していて、24時間いつでも電話で相談できる環境も整っているので安心感はありました。

そして年齢的なものなのか、親になることに対する不安というものは全くといっていいほどなかったんです。自分でも驚くほど落ち着いていたと思います。

娘を迎える準備が整いました

取材・文/タカセニナ、編集/青木 佑・瀬名波 雅子、写真/本人提供、協力/藤岡 麻美


ご夫婦でレストラン経営に奔走する日々の中、気づけば自分の卵子では妊娠できないという厳しい現実と向き合うことになった望月さん。<前編>ではニュージーランドで暮らす望月さんはなぜ卵子提供という道を選んだのかについて語っていただきました。

後編>では出産・育児について、そして産まれたお子さんに何を伝え、現在8歳のお子さん本人は自身の出自についてどう捉えているのかを伺いました。日本とニュージーランドで暮らした望月さんだから感じる多様性とはー。


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