子どもは授からなかったけれど、自分たちらしい形で未来を育みたい―。8年の不妊治療を終えたばかりの夫婦が語るストーリー。<後編>

8年間の不妊治療の終結から1ヶ月後、ご自身の治療の道のりを振り返ってくださった晶子(あきこ)さんと知誠(ともなり)さん。<前編>では、妻の立場から、夫の立場から、夫婦それぞれの不妊治療への向き合い方やパートナーへの寄り添い方について語っていただきました。

<後編>では、治療を終える決断やその先に向けた思いを伺います。治療終結直後という時期に、ご夫婦でお話しくださった理由とはーー。

治療を終えたばかりのお二人の言葉には、ありのままの揺れ動く気持ちや率直な本音、そして未来を見つめる力強さがにじんでいました。

夫婦と犬の写真。

椿本(黒田)晶子/Akiko Tsubakimoto
1985年生まれ。茨城県出身、東京都在住。ヨガ講師、イベント&PRプロデューサー。
多くの人がヨガを通して 『心身ともに健康』 を発見できるよう初心者をはじめ、子どもからシニアまで、年齢や性別関係なくヨガとマインドフルネスメディテーションのクラスを展開。現在、保護犬だった柴犬と一緒に生活を楽しんでいる。

黒田知誠/Tomonari Kuroda
1980年生まれ。兵庫県出身、東京都在住。会社員


自分と向き合う最後の一年

 ゴールを探すー執着からの解放

晶子 夫の理解を得ながら、治療の休憩や転院を6回ほど繰り返して、不妊治療をはじめて7年の月日が流れていました。最後の1年に通院したクリニックのドクターが素晴らしい方で、「毎月コツコツやると良い卵が採卵できる確率が上がりますよ」とアドバイスを受け、このドクターの言うことなら信じて頑張ろう、と思えました。

私にとっては仕事と不妊治療の両立がなかなか難しくて、毎月クリニックに通えないときもあったのですが、その1年間はそれまでできなかった、毎日、毎月コツコツと治療に励むということができたんです。

―そうでしたか。そうやってコツコツ治療に励むなかで、どのように治療を終結することを決められたのでしょうか。

晶子 具体的に他の選択肢を検討し始めていたんです。不妊治療を始めた頃に、たまたま里親制度のパンフレットを手にする機会があり、そういう選択肢もあるんだな、と治療中も頭の片隅にありました。

8年目に突入した不妊治療に行き詰まりを感じたこともあり、妊活卒業のためのセミナーを聞きに行ったり、里親制度で養子縁組や養育家庭として子どもを迎えて親になった方々のお話を聞く場にも参加したりするようになりました。

その当事者の方々や支援活動を行う団体の方との対話を通して、私は血がつながっているかどうかに関わらず“育む”ことをしたいのかもしれない、と思うようになりました。当然のように子孫を残すものだ、と思い込んでいた価値観に変化が起きたんです。

“育む”ということを考えた時に、私にとってはそれは子どもだけではなく、動物という命とともに暮らすこと、向き合うことも同じように思いました。そうしたらすぐにご縁があって保護犬の譲渡を受けて、今は犬一匹を迎えて一緒に生活しています。

 

写真。青空の下で夫婦が犬を抱いている。

保護犬梅子と。二人と一匹のくらし

―不妊治療をしながらお二人は別の選択肢についても可能性を探っていたんですね。その中で晶子さんは子どもを授かりたいという願望から、二人で“育みたい“という気持ちに変化していかれたということですが、知誠さんはいかがでしたか。長く治療を続けて来られて、我が子をあきらめて別の選択肢を選ぶことへの気持ちの切り替えはできましたか。

知誠 正直言えば僕の方が時間がかかったかもしれません。妊娠・出産を願って治療を続けてきたので、その気持ちはしばらく残っていました。でも、やっと最近ですが整理ができてきました。

里親制度で子どもを迎えた方々や子ども自身のお話などを聞いて、子どもや家族に対する様々な観点を知り、「血のつながりとは何か」「私自身はなぜ子どもが欲しいのか」という根本的な問いに対して自分と向き合う機会ができたんです。

その上で私たちに合った選択肢を考えた時、遺伝子へのこだわりは少なくなりました。血がつながっていないと家族じゃないのか、と聞かれたらそんなことは決してないと感じたからです。

―そういう考え方がお二人の中に生まれたことで、期待と落胆を繰り返す不妊治療を続けるべきか、他の選択肢に進む方が良いのか、と考え始めたわけですね。そして最後のクリニック通院中は信頼できるドクターだったからこそ、晶子さんは毎月頑張ることができ、同時にもしもこのまま結果が出なかったとしても他の選択肢があると思えていた、ということでしょうか。

晶子 そうです。別の選択肢を考えることで、我が子を妊娠することへの執着から解放されていきました。だからこそ、悔いの残らないような最後の1年にするために治療に専念しようと思えたし、自分はやりきったと言える今があります。

それから、児童養護関連の分野で働いていた叔父からもらった言葉も大きかったです。里親になることを考えてみたい、と叔父に話したところ、私たちならきっとうまくいくと思う、と背中を押してもらえたことも、そちらへ進む勇気になりました。

不妊治療が長くなり、苦しい気持ちを常に抱えるようになっていました。でも、その苦しみが妊娠することへの執着から生まれていると気づいたことで、治療終結を前向きに決断できました。

―他の選択肢を考えることによって、「妊娠することに執着している」と気づいたということですね。

晶子 はい。もちろん妊娠・出産をしてみたい気持ちはあります。でも出産をするということが私にとっては絶対ではなく、私は子どもを”育む”ということがしたいんだ、という自分の中にあった本質的な願望に気づけたんです。

加えて、私はヨガやBuddha(ブッダ)の教えを学ぶ中で、その思想からも多くの気づきを得ていました。

私が生きていく中で大切にしたいことは何か、ということを改めて考えられた8年間でした。そういう意味でとても価値のある時間だったと思います。

 

ヨガをする晶子さんの写真。

 

 人生は有限―優先順位を考える

知誠 治療終結にあたってはもうひとつ、経済的な区切りもありました。治療を始める際、お金のかかることだとわかって二人で一定額を治療の資金として貯めました。そしてその資金が底をつくのが見えてきたのが、ちょうど最後のクリニックに通った1年間でした。最後の1年になるであろう見通しがあったので、悔いを残さないようにしたいという思いを強く持ちました。

―つまり8年という期間の治療に対して答えを求める気持ちと、それを支えていた物理的な資金の限界が重なることで、まさにお二人にとってはゴールに向かって気持ちを整理する1年だったわけですね。

知誠 やはり人生は有限です。限られた時間の中で30代から40代、1年ずつ、その時にしかできないことはたくさんあって、その時間とお金の使い方の優先順位をどう考えていくか、二人で話し合いました。その結果、先ほど話した里親になる手続きを始めるならば、そちらにスイッチを切り替えることが必要だ、という結論に至ったわけです。

―ここで不妊治療からは本当に卒業し、これからは里親になるための準備を始められるんですか。

晶子 はい。住んでいる自治体で里親になるための研修に申し込んだところです。実際に里親として認定されるかどうかなどはこれから決まっていきます。

―お二人とも新しい可能性に向けて気持ちの整理がついていらっしゃるんですね。

晶子 もちろん気持ちが揺れ動く時期はありました。里親制度に関する本を買ってみたものの、なかなか読めずにいたこともあります。先ほども話したように、私よりも彼の方が時間がかかっていたかもしれません。

知誠 そうなんですよね。なかなかそういった本に手を伸ばせませんでした。怖さのようなものがあったというか……。まだ心の準備ができていなかったのかもしれませんし、その怖さの正体は今もよくわかりません。今までのことを終わらせる怖さと、新しいことに取り組む怖さが入り混じったような感覚でした。

 

外でうさぎの置物が並んでいる写真。京都の子宝神社で撮影されたもの。

 

 自ら分断をつくらない

―もうひとつ晶子さんに伺いたいのですが、晶子さんはヨガをしたりやBuddha(ブッダ)の思想を学ぶことで辛い時期の救いのひとつにしたとおっしゃっていましたが、苦しい時に意識したり心がけたりしていたことがあれば聞かせてください。

晶子 私の場合はできるだけ一人で閉じこもらないようにしていました。人とも会うようにしていたし、情報にもたくさん触れてアップデートをするようにもしていました。閉じこもらない、というのは近所にちょっと散歩に行くとか、ヨガで心身をリラックスさせる、とかそういったことも含みます。悲しくてベッドで泣き続けてしまうことから自分を遠ざけるようにしていました。生理が来てしまった日は、美味しいお酒を飲んで自分を甘やかしてあげました。

―ご自身が治療期間中、ご友人との交流はいかがでしたか。妊娠報告を受けることもあったでしょうし、赤ちゃん連れの友人とのお付き合いは変わらずにされていましたか。

晶子 はい、できるだけそれまでと変わらない付き合い方を心がけていました。もちろん辛くて泣いたことはたくさんあります。出産祝いを選ぶ時は苦しい気持ちに襲われることもよくありましたが、それでも私にとっては、それをしないという選択肢はありませんでした。実際に友人達の子どもに会うことは幸せで、楽しく、嬉しいんです。子どもが好きなんですよね。

私の場合は外に出て人と交流することで救われることの方が多く、「私は子どもがいないから」と、自らを周囲と分断しないようにしていました。もちろん苦しい時には、家に帰ってその気持ちを受け止めてくれる夫の存在も大きかったです。

それから、誰もが苦しみや問題を抱えながらも必死で生きている、という考えをいつも心に留めています。例えばSNSなどでは幸せな姿や家族の暮らし、華やかな様子が目に飛び込んできがちですが、それはその人のひとつの側面にすぎず、表には見せない悲しみや苦労や努力があると思うんです。そう考えると「みんな頑張っているんだ」と自分の気持ちも前を向きました。

 

写真。食事をしている小さな子どもと、その前に座っている晶子さん。

大親友の息子と初対面

 

 暮らしの再スタートを楽しむ

―今現在は、お二人はそれぞれどういうお気持ちですか。治療を終わりにしてちょうど1ヶ月ですね。

晶子 終わった直後はポカンとしていました。今まで生理が来ると必ず病院に行っていたのに、先日生理が来た時には、ああ今月はもう行かなくていいんだな、と。 こうやって生活が変わってくんだな、と実感し始めています。

今は気持ちは前向きですが、もしかしたら2、3ヶ月経ったら悲しくなることもあるかもしれません。そういう不安定さがまだあるというのが今の正直な気持ちです。でもその揺れ動く感情も含めて、ありのままの自分を受け止めるようにしています。

知誠 治療を終わりにするという選択を受け入れるまでは時間がかかったけど、僕は治療を終えたこと自体による変化はさほど実感していません。次に取り組むものに気持ちを切り替えられたので、喪失感はそこまで大きくはないのかもしれませんし、まだよくわかっていないだけかもしれません。

僕は家族が多ければ多いほど生活を楽しめるタイプだと気づきました。それは犬ももちろんですし、妻の妹が一緒に暮らしていた時も、姪っ子がしばらく滞在していた時も、誰かとの共同生活を通して夫婦二人だけとは違う刺激があったり、感情の交錯があったり、そういったことが楽しいな、と思うんです。

僕にとっての家族の定義とは血のつながりではなく、生活をともにすることだと思いました。そうであるならば自分にとっての家族を増やす方法はたくさんあるだろう、という期待感に今は気持ちがシフトしています。二人でこれまでも幾度となく難を乗り越えてきたんだから、これからもなんでもできる、って思っています。

―頼もしいです。知誠さんはその時々の状況を冷静に受け止めながらも楽しんでいるように見えますね。

知誠 せっかくなら楽しく生きたいですね。本音を言えば、今までの人生は受験、進学、就職という多数の“当たり前”をこなしてきた人生で、子どもを授かることも当たり前にできると思っていたのにそれが叶わなかったことは初めての大きな挫折でもありました。

でもその経験のおかげでそれまでになかった視点を持てたのだから、やっと経験値が上がったのかなと捉えています。

 

写真。小さな甥っ子を膝の上に抱いている晶子さん。

甥っ子と初のお出かけ


不妊治療を経て築く未来

 「伝える」ことで生まれる意識の変化

―改めて伺いますが、8年という不妊治療を終えたばかりの今、なぜご自身の不妊治療のヒストリーを話したいと思われたのでしょうか。

晶子 私は不妊治療を始めた当初から周囲にそのことを伝えていました。というのは、治療で仕事を休むこともあるだろうと思ったのと、隠しながら職場や友人と関わることは不便なこともあるだろうし、私自身のストレスになる可能性もあると思ったからです。

自分のためにと思っていたけど、治療のことを伝えると私の同世代はもちろん、20代の後輩や友人がかなり驚いた反応をしたんです。それは私の不妊治療に対してというよりは、望んでも妊娠しないことがあり、妊娠のための治療がある、という事実を知らないことへの驚きでした。「えっ!そんなことあるんですか!?」って。

その中には、当時結婚している人もしていない人もどちらもいましたが、私が話したことで彼女たちから「自分のライフプランについて考えるきっかけになった」と感謝されたんです。さらには私の話をきっかけに病院に行って、子どもを授かったという友人が4人もいました。

私が自分の治療のことを話題にしたことで、自分のライフプランやキャリア設計について真剣に考え出したり、妊娠・出産まで進んだりした人がいたことはとても嬉しかったです。私自身は、自分が妊娠に対する知識を持っていなかったことを悔やんでいたので、こんなに人生に影響を与える大切な情報はもっと発信していかなければいけないのではないか、と感じました。

だからこそ治療中も治療を終えたことも、なぜ終えたのかも、その情報自体に意味があると考えたので、治療終結直後ですがお話ししたいと思いました。

―ご自分の経験が誰かの役に立つのなら伝えたい、と思われ実際に行動に移すのはいくら気持ちの整理がついていたとしても簡単なことではないと思います。ありがたいなと感じます。

晶子 今後はSNSなどのツールも利用しながら、私の経験について発信していきたいです。妊娠は望んだからといってすぐにできることではないこと、不妊とは何か、AMHについて…そういったことを10代20代のうちから、男女ともに知っておくべきだと思うんです。皆が平等にその知識を持った中で、個々人が主体的にライフプランの選択ができるようになってほしいです。

そしてどんな選択であってもそれを社会が尊重しあえる世の中であってほしい。誰もが自由に自分の選択を表現しあえる世の中だといいなと思います。

写真。夫婦がソファに座り、寝ている犬と小さな甥っ子を膝に抱いている。

甥っ子と犬の梅子が寝ている幸せな光景

 一歩踏み出すと見えてくるそれぞれのゴール

―正直な今のお気持ちをたくさん話していただき本当にありがとうございました。最後になりますが、現在不妊治療中の方に伝えたいメッセージはありますか。特に、治療をやめるべきか続けるべきか、やめることが怖い、そういった先行きが見通せないステージにいる方々に、治療終結直後のお二人の言葉をいただけたらと思います。

晶子 終えた今だから言えますが、終わらないゴールを追いかけ続ける苦しい生活から、そうじゃない人生もあることに気づけたのが、まさに治療をやめた今なんです。だからそういう選択肢もあって、その選択をしても新しい世界が拓けているよ、ということも今の私が話せることだと思っています。

私はゴールのない戦いだと思っていたけれど、一歩踏み出してみるとちゃんとそれぞれのゴールがあるんだな、と思えました。それはゴールであると同時に新しい扉でもあるような感覚です。

知誠 先ほども話したように、僕は次にやることができたことで気持ちをシフトできました。だから今治療に注いでいるエネルギーを他に注ぐとしたらなんだろう、と考えてみると新しい視点が生まれるかもしれません。自分と同じように不妊治療に向かい合っている男性を見かけることはあっても、治療をやめた人を見る機会は一度もありませんでした。こういった記事で、そういう人もいるんだなとひとつの参考にしていただければ良いなと思います。

今、パートナーと一緒に過ごしていることも”当たり前”のことではありませんので、この先なんらかの形で子どもを授かっても授からなくても、夫婦二人の時間を最大限楽しんでいきたいと思います。

家族の形は一つではなく、僕たちも今、自分たちらしい形で未来を育んでいこうとしています。

 

夫婦の写真。白い壁に囲まれた明るい空間で、二人が笑っている。

取材・文/タカセニナ、編集/青木 佑、写真/本人提供、協力/藤岡 麻美


\あなたのSTORYを募集!/
UMU編集部では、不妊、産む、産まないにまつわるSTORYをシェアしてくれる方を募集しています。「お名前」と「ご自身のSTORYアウトライン」を添えてメールにてご連絡ください。編集部が個別取材させていただき、あなたのSTORYを紹介させていただくかもしれません!
メールを送る