母親になれなくていい、一番の応援者でいよう。「幸せのなり方」を話し合い、選ぶ、自由で新しい「家族のかたち」を目指して。<前編>

38歳の時にシングルファザーの中川繁勝さんと結婚し、“一児の母”となった折口みゆきさん。迷いや悩みもありながら、「子育ての葛藤や喜びを体験できる自分はラッキー」と言い切る。家族とはそもそも当たり前にあるものではなく、きちんと相手の話を聞き、理解し、尊重できる関係性を構築しながら、「作り上げていくもの」。そう実感する折口・中川夫妻に、話を聞いた。

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折口 みゆき / Miyuki Origuchi(妻)  1973年生まれ。ギビングツリーパートナーズ(株)取締役、組織開発ファシリテーター。一橋大学卒業後、(株)リクルート入社。広告営業や企画営業だけでなく、社員教育や人材マネジメント、人材育成に携わる。ナレッジマネジメント室では、全社組織活性のプロジェクトや組織サーベイの設計に携わる。その後、教育ベンチャーにて営業マネージャーに従事し、独立。現在は人材開発分野で対話を通じた組織活性化をサポートする他、立教大学経営学部兼任講師も務める。

中川 繁勝 / Shigekatsu Nakagawa(夫)  1967年生まれ。ギビングツリーパートナーズ(株)代表取締役、人財育成プロデューサー。中央大学理工学部卒業後、企業でシステムエンジニア、新規事業推進、社内の新人研修の改革に取り組み、研修と新人の育成に関わる。その後、数社でユーザートレーニングのマーケティングや人財開発マネージャーとしてコンサルタントの育成に携わるなどして独立。企業向けの研修プログラムの開発や研修講師として活動し、人と組織の活性化に従事している。

 


運命の出会い!?

  結婚しなくても子どもがいなくても、幸せになろう!

折口 独身の時から、結婚も出産もなんとなくはしたいと思っていたのだけれど、一方で仕事がすごく楽しくて。漠然と両立の道があるといいなと考えて、子どもが生まれても時間を自由にアレンジできる働き方として個人事業主を選択しました。

でも結婚と縁がない、みたいな(笑)。いや、縁はあるんだけど、好きになる人と結婚する人は違うのね。

私は鹿児島出身で母が専業主婦だった影響もあったのか、自分も主婦として旦那さんと子どもに尽くすんだって勝手に思っていて、亭主関白なタイプばかり好きになっていたんですよ。だからうまくいかなかった(笑)。

それで35歳、36歳ぐらいまで来ていたんだけど、でもある時にふと、「結婚しなくても、子どもがいなくても、私は幸せになろう」と思う瞬間が訪れたんですよね。

結婚できたら、子どもができたら、嬉しい。
でも、そうじゃない人生も、自分自身が幸せだと感じながら生きたいなって思った。

その1か月後に、シゲさんと出会ったんです。

 

  立ち姿に一目惚れ

折口 私もシゲさんも講師業をしていて、そういう人たちのための研修合宿に参加した時のことです。電車を降りた改札の前にシゲさんがスッと立っているのを見て、「なんて姿勢の正しい人なんだろう……!」と思って(笑)。

中川 そこ!?(笑)

折口 素敵な人がいるなあと思って。要するに一目惚れなのね(笑)。それで一緒に合宿に参加することが分かったので、どんな人なのか興味津々で、ランチの時にも隣に座ったり。

中川 みゆきの第一印象は、「なんか難しそうな人が来たな……」という感じ。“できる女性”という雰囲気で、うわぁ、苦手だな~って(笑)。

折口 苦手って(笑)。

でもまあ、合宿で個人的な話をする機会があった時に、シゲさんから子どもの話や、奥さんと別居していて離婚するかもしれないこと、そしてその場合は、自分が息子を育てるつもりだということを聞いて。

話の中で、息子くんに対してすごく愛情を持って接していることが、伝わってきたんです。それに、おそらく母親が子どもを引き取る方が多いであろう中で、お父さんが育てるというのは、簡単にはできないことだと思ったんですよね。

子どもがいることは一般的にはハードルとされるかもしれないけど、むしろ私にとっては、この人は家族を大事にする人なんだと感じられて、プラスの印象でした。

 

  猛アプローチを開始

折口 合宿の後、約束を取りつけてふたりでランチに行ったんですけど、一緒にいる時間がすごく楽しくて。

それでますます気持ちが盛り上がって、次の機会につなげるために、当時勉強していた人の特性を分析するツールの被験者になってもらおうと。「いいよ、いいよ」って二つ返事をくれたんですけど、それを見ると彼の特性が分かっちゃうわけですよ。これは、使わない手はないじゃないですか(笑)。

その分析結果のフィードバックのため、1ヶ月ぐらいして、今度はイタリアンレストランに行きました。さすがにまだ早いだろうと思ったんですけど、飲んでいたら、言いたくなっちゃって(笑)。

中川 酒の勢いね(笑)。

折口 そうそう(笑)。それで告白をして、お付き合いをすることになったんです。

中川 告白されるまで、俺は気づいてなかった。純粋に特性分析の被験者になってほしいという話に、そのぐらいなら別に、自分のことが客観的に分かるしいいかなっていう感じです。

お付き合いしましょうと言われて初めて、そうか、そういうことだったのねと。要は鈍かったんです(笑)。

でも会っていて違和感もなく、まあ話しやすかったんですよね。最初の印象があんまりよくないところからスタートしてるから、どんどんプラスになっていくという(笑)。

折口 付き合ってからは、一緒にいるのがすごく楽しくて、ずっと一緒にいたいなという感覚が芽生えていって、私の中では結婚も意識し出しました。

 

  息子と対面するも、どう接していいかわからず戸惑う

折口 初めて息子くんと会ったのは震災の後で、彼は小学6年生でした。

童顔で背も低くて、なんてかわいらしいんだろうって思ったんだけど、当時はそのくらいの年の子と接したことがなかったので、どうしたらいいかさっぱり分からなくて。シゲさんがトイレに行っている間、お互いに恥ずかしいような気まずいような感じで、どうしようかって。それが初対面でした。

中川 みゆきが子どもと仲良くなってくれたらいいなと思ったんだけど、子どもと話すことに慣れていなかったみたいで、しゃべれないの(笑)。

折口 もっと小さい子だったら「○○なの~?」ってなんでも聞けばいいんだろうけど、小学6年生って、“大人こども”みたいな感じで、どうやってしゃべりかけたらいいのか、すごく迷いました。

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向き合い、言葉にして、理解し合う

  言いたいことを言えずにストレスを溜める

折口 家族になっていくのって、いま振り返ってみても、難しさはあったと思うんですけど……。

最初は、シゲさんが出張に行く時に私がシゲさんの家に泊まり、ご飯を作って息子くんと食べるとか。それも気まずい感じはあるんだけど、そうやって一緒に過ごす時間を積み重ねていって、関係性を作るところから始めました。

息子くんの印象としては、なんだろう、すごく物分かりがよいというか。彼の中に葛藤はあると思うんですけど、表面的に見せるのは、親が幸せになってくれたらいいなという、私たちをとても尊重してくれる感じでした。だから、家族になる時も反対というのはなくて、「いいんじゃない」と。

ただ、いざ結婚して正式に家族になったら、私は独身生活が長くてひとりのペースに慣れていたので、誰かと一緒にいる状況にストレスが募っていったんですね。

たとえば、私は“食べたらすぐ片付けたい派”だけど、2人は“食べた後はのんびりしてから片付けたい派”。結局自分で洗うんだけど、本当は洗ってほしいと思っているのも、言えばいいのに言えなくて。そういうちょっとしたことが、ストレスになっていって。

私の母はすべて家事をこなしていたから、私もどこかで「私が家事をやらなくては」と思い込んでいたところがあって、言えなかったんですね。そんな状態が続いていたら、おそらくストレスが原因だと思うんですけど、腎盂腎炎で入院しちゃったんです。

それで、自分でも無理はできないなと思ったし、シゲさんも息子くんも「やりたくなかったらやらなくていいよ」と言ってくれたので、そこから、自分の気持ちを話せるようになりました。

 

  週に一度の “家族会議”

折口 それで、シゲさんからの提案で、週1回“家族会議”をすることになりました。

中川 普段言いたくても言えないことを、オフィシャルに吐き出せる場が必要だと思ったんですよ。モヤモヤしていることやリクエストしたいこと、変えてほしいこと、逆に感謝している気持ちなど、その両方を吐き出せるように、週に1回、日曜日にやるようになったんです。

折口 「いま、どんな気持ち?」から始まって、最近の気になることを出して、じゃあどんなふうに解決していけばいいかを、みんなで話し合う。

息子くんも、もう中学生になっていたけど、そこでの話し合いを手作りの新聞にまとめたり、議事録を取ったり、パワーポイントでアジェンダを作ってくれたり、そんな感じでしたね。

いまはもう家族会議はやっていませんけど、そこで決められたルールはいまも、守られています。

我が家は基本的に、「家事三等分」。たとえば、朝ご飯担当、お弁当担当、洗濯・トイレ担当という3つの役割を分担して、3人で回していきます。

いまでは息子くんも夕飯が作れるようになって、早く帰った日は夕飯を作ってくれて私たちが食べる、そんな風になっています。

中川 それまでは僕と彼の2人暮らしで、家事を2人で分担するのは当たり前になっていた。そこにみゆきが入ってきたので、僕らにしてみたら、2人でやっていたことが3人になって楽になるし、ラッキーだなと。

折口 年末には一年の振り返りと、今後何をしたいかの話し合いの時間も持ちます。それも、お互いを「個」として大事に思っているからだよね。

中川 半日はかかるんですよ。質問が20項目とかあって、「今年観た映画で一番よかったものは」とか、そんな質問から一年を紐解いていく。

その人が感じていることや思っていることを言葉にしながら、なぜそう思ったか、背景や理由を知ることは、家族であるために大切なことだと思う。

 

  父として、夫として

中川 僕としては、どうやったらみゆきと息子が仲良くなってくれるかと考えていました。2人が仲良くなってくれないと、何も嬉しくないんです。

息子との関係も、みゆきとの関係もあるけど、3人がつながれないと家族としては安定しないと思っていたので、そこは気にしていましたね。

みゆきがうちに来て1ヶ月ぐらいかな、息子とみゆきがお互い言葉にしないストレスをためて、カチンと来てたわけ。みゆきはパソコンを持って寝室に行っちゃって、明らかに怒っている。

これはお互いに話し合わないと、どうにもならないと思って、目の前でお互いの言いたいことやどういう気持ちなのかをしゃべってもらって、その場を収めたことがあります。

そういう、なかなか言いにくいことを話して理解し合う場は、意識的に作る必要があると僕は思います。放っておけば時間が解決してくれる、じゃなくって。だから、家族会議を始めたんです。

息子にとってみたら「よそのお姉さんが来た」みたいな感じだから、馴染み切れないじゃないですか。

息子からは話しにくいから、本当は大人からアプローチしないといけないと思うんですけど、どうも彼女は、子どもに対するアプロ―チが苦手みたいで(笑)。もっと普通に話しかければいいのに、なにを遠慮してるんだろう、みたいな感じで。

折口 なんか、自分の立ち位置が分からなかったんですよね。

戸籍上は母親になった状態なんだけど、“お母さん”ってどうするものか分からないし、かといって普通の大人として接するのも違うし、距離を測りかねていたところはありました。

中川 「母親になってくれ」とは、言ったことがないんですよ。

息子も、自分を産んでくれた人を母親だと思っているはずなので、無理にこっちにスイッチさせるのは、彼にとってストレスになる。それはしない方がいいと思って。

「母親は母親で、元々います。その上で、この人が新しいパパのパートナーです」ということなので、呼び方も初めから、「みゆねえさん」なんです。

折口 いまはもう、「ねえさん、ねえさん」って。

中川 僕から見たら、お姉さんと弟なんです(笑)。みゆき自身が子どもみたいなところがあるし、娘が一人増えたみたいな感じ。

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家族になる

  “母親にならなきゃ” というプレッシャー

折口 実は、私の父はこの結婚にすごく反対して、結婚式にも来てくれませんでした。

父は“母親になるのは大変なことだ”と考えていて、大きな子どもの母親になったら苦労する、不幸になる、と悪いイメージを持っていて。

父の言葉を聞いていたので、私も最初は、「母親にならなきゃ」というプレッシャーはあったと思います。未成年の子どもを預かることの責任や、PTAに参加しなきゃいけないのかなとか、そういうのが、頭のどこかでチラチラ浮かんでいました。

息子くんの中でもきっと葛藤があったと思うけど、私も私で葛藤があった。

「本当のお母さんだったらどうしてただろう?」って思うことがあって、それがプレッシャーだった。お母さんだったらこんなことしないんじゃないか、あるいは、こんな風にしてあげたんじゃないかな、って。

でも実際に接してみて、母親になろうと頑張りすぎなくてもいいやって、気持ちが切り替わりました。

「私は、息子くんの、一番身近で一番の応援者になろう。彼の話を聴ける人になろう」って思えた時に、ちょうどよい関係性ができた気がします。

それでも、外に行くと「◯◯くんのお母さん」と呼ばれることもあって。そうすると、むしろ息子くんと顔を見合わせて、微妙な顔しちゃったり(笑)。

これって、周囲からすれば「複雑な関係で大変そう」とか、「触れちゃいけないとこ触っちゃった」とか思う人もいるのかもしれないけど。

でも私たちの中では、いまの関係がしっくり来ていて、普通のことになってる訳なので、「まあいっか」と言ってるんですよね。

 

  家族の中に異物が入ってきた

中川 父親として、子どもの成長を考える上でよかったなと思うのは、“家族の中に異物が入ってきた”、ということ。

自分たちとは違うものが入ってきたことで、家の中に小さな社会ができるわけです。それと折り合いをつけながら、どう付き合っていくかを、みんなで考えないといけなくなった。

甘えてもいいんだけど、やるべきことはやらなきゃいけない。家事もするし、食事も作るし、勉強もする。他の子はそんなことをしなくていいのに。本人は大変だっただろうけど、僕は、自分の頭で考えて行動できるようになってほしかった。

折口 中学の終わりから高校にかけての思春期は、やっぱりムスっとしてましたけどね。

でも、1年ぐらい前、急に機嫌よくおしゃべりするようになって、「よくおしゃべりするね」って言ったら、「もう俺、反抗期終わったから」って(笑)。自分で宣言して、反抗期が明けたんですよ(笑)。そこからは、自分から会話してくれるようになりました。

 

  家族は「あるもの」ではなくて「作るもの」

― 結婚5年目に入ったということですが、折口さん自身の気持ちに変化は感じますか?

折口 私にとっての家族って、そもそもあるものじゃなくて、作るものなんだというのが実感できました。いまは家族というより、一緒にいる仲間のような感覚ですね。

思い返すと不思議なんですけど、身近に子どもがいると、コントロールしたくなる自分がいたんですよ。

彼の人生だから、彼の選択を尊重したいと思う反面、「こうしたらきっと幸せになる」という私なりの成功体験や考えを、彼に押し付けがちだった。言葉にはしないんだけど、「なんでこうしないの?」みたいな。

中川 それは僕もあって、彼のために良かれと思っていたこと、たとえば自立してほしいから「大学に受かったら家を出る」という話を僕から折りに触れしていたら、どうもそれが、彼には気に入らないらしいということが分かって。受かったら、自宅から通うのか家を出るのか、それも自分で選んだらいいことなはずなんだけど、そこをコントロールしようとしていたなと。

子育てのプロセスで、子どもから学ぶことはたくさんあると感じています。

自分の子どもか、よその子どもかは関係なく、人間対人間として付き合うという意味では、どこの子であっても違いはない気が僕はしています。

折口 私はすごく、ラッキーなんじゃないかと感じています。こういう葛藤や喜びって、子どもを産む選択をしないとできないと思っていたんですけど、いまの家族の関係性を通して、本当の親子に近い感覚での体験ができているのは、幸せなことだと思います。

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写真 / 望月小夜加・善福克枝(最終カット)、取材・文 / 矢嶋桃子、協力 / 菊川恵

 


― 家族を“作る”、その中で生まれた迷いや葛藤を越え、対話しながら関係性を育んできた、折口・中川さん夫妻と息子さん。<後編>では、そのプロセスを越えてきたおふたりが感じている、「幸せのなり方」について、語っていただきます。

<後編>につづく

 


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