血縁があってもなくても、別の人間。 血のつながりを言い訳や拠り所にせず、 真摯に、個として向き合って生きる。

母の再婚により、「新しいお父さん」という“血のつながらない”家族ができた、新井玲子さん。血縁の実父との別れ、そして、元は他人だった義父との出会いを両方経験したからこそ、言えることがある。家族は血のつながりがあるから、うまく行くわけではない。むしろ、健全な家族関係に必要なのは、お互いが別の人間であることを認めることなのではないか―。自身が出産をへて親になった今、その想いを語ってもらった。

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新井 玲子 / Reiko Arai  1975年、東京都生まれ。Hobart & William Smith Colleges 卒業(経済学部 BA)、中央大学大学院国際会計研究科卒業(MBA)。会計事務所や外資系の格付け会社などを経て、2016年4月より丸ノ内の信託銀行審査部にて仕事再開。4歳と1歳の息子、アーティストの夫の4人家族。NPO法人ハッピーステップス創設者。

 


両親の離婚と母の再婚

  下町の大家族

生まれは江東区。実家が繊維関係の工場を営んでいたので、両親と弟だけでなく、祖父母、おじさん、おばさんとその子どもたちも一緒に暮らす、コテコテの下町の大家族でした。それに加えて工場で働く人たちがいつも来ていたので、家に鍵なんてかかったことがなくて、常に20人ぐらいの人がいる中で生活していました。

だけど、繊維業もだんだん斜陽産業になってきて、祖父が亡くなり父が跡を継いだけれど、うまくいかない。途中で父に愛人がいることも発覚し、すったもんだのあげく、会社は倒産。母も食べていけないから働きに出て、結局離婚しました。

昔の離婚は、今みたいにさっぱりしたものじゃなかったから、泥沼で大変でした。工場も借金の抵当に入ってしまって、みんな差し押さえの赤紙が貼られて持っていかれちゃった。

私が小3で、弟が小1の頃に母に連れられ、夜逃げ同然で家を出ました。それから母方の祖父母宅の近くに引っ越して、母と今の父が再婚したのが、私が小学校6年生の時でした。

 

  「おじさん」が義父になるまで

今の父というのは、実は実父の仕事関係の友人で、両親が離婚する前からうちに遊びに来ていて、よく知っていたんです。いつも遊んでくれるから私も弟も「おじさん、おじさん」って、よく懐いていて。

詳しく聞いてはいないけれど、おそらく今の父は、実父に対してお金の融通をしてあげていたみたいで、数千万ぐらいのお金は返ってこなかったようです。離婚のいざこざがあった時にも、母の相談に乗ってくれていたのが、今の父のようでした。

離婚して母子で生活するようになってからも、おじさんはよく遊びに来てくれたんですけど、違和感なく、素直に受け入れてましたね。「あー、早くおじさん来ないかな」って感じで弟と待っていて、やってくると、「おじさん、来た!」みたいな。

そんな週末を毎週過ごして2年ぐらい経ったある日、祖父から言われたんですよね。「おじさんに、お父さんになってほしいか?」って。

「なってもらいたい!」って言ったら、「じゃあ、お前たちから頼んだらどうだ?」って言われて。今から考えると、すでに結婚しようという話があって、それを子どもたちにどう伝えるかを母と祖父で話し合っていた末の、やり方だったんですよね。まあ私たちは、まんまと騙されて(笑)、「じゃあ、頼んでみよう!」って。

結局、私は恥ずかしくて言えなくて、弟に言ってもらったの。「おじさん、お父さんになって!」って。そしたらおじさんはびっくりしてたけど、「お前ら、おじさんの言うこと聞くか?」「うん!」「じゃあ、お父さんになってあげる」みたいなやり取りがあって、再婚したんですよね。

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甘えたくても、甘えられない

  南国育ちのおおらかな義父

義父は宮崎出身で、終戦の年に生まれ、おなかがすいたら海で魚を獲って、甘いものが食べたければ山で桃を採るような、そんな野生的な子ども時代を過ごしていた人。義父の父は戦争で死んでしまったから、義父は母親と二人になってしまったのだけど、親戚一同がいてやっぱり大家族の中で育った感じなので、そのへんこう、南国的、おおらかっていうか。

だから、母のことを好きになっちゃったから、子どもがいても結婚しちゃう、みたいな(笑)。そういう環境も影響しているのか、あんまり責任感というものもないんですよ。ダメでもどうにかなる、田舎に帰りゃいいんだ、みたいな感じの人ですね。

義父の仕事も実父と同じく斜陽産業の繊維関係だったので、私が20歳の時に、会社が倒産しちゃうんですよ。うちはその時、母が働いていて大黒柱だったので生活は何とかなっていたんですけど、義父は一文無しになっちゃうし、まだ50歳ぐらいだし再就職する? って母が色々と提案しても、やりたくない、みたいな感じで(苦笑)。

それに対して母は、「本当の父親じゃないんだから、責任感がないのもしょうがないわよ」みたいな言い方で、私も、「そういうことなのかな? 本当の父親だったら頑張るのかな?」とも思っていたんですけど、でもね、実は今の主人がそういうところ、本当に似ているんですよ!(笑)。

それまで会社員だったんですけど、知らないうちに起業準備をして会社を辞めちゃって。今は私がメインで働いて、彼は家事をやって、隙間を見つけて絵やデザインの仕事を受ける、みたいな生活です。

だから別に、本当の父でなかろうが、実の子だろうが、責任感というのは、あんまりそういうことと関連がないんじゃないかと思いますね。

 

  母の「父性」優勢の環境に、苦悩

父親がいない家庭というのは、「父性」がなくなるんじゃなくて、「母性」がなくなるケースがあると、人から聞いたことがあります。母親が、父親のようになっちゃうんですって。

その話に根拠があるのかは分かりませんが、私の実感として、うちはそれが顕著な家庭だった気がします。母は保険の外交員を30年続けて全国一位を何度も取ったり、優秀な成績なんですけど、男みたいな人で、すごいファイターなんですよ(笑)。他人の気持ちに寄り添うみたいな母性的なものはまったくなくて、私がグチっても、「大変ね」なんて言葉は絶対に出てこない。「頑張んなさい。とことんやんなさい」としか言われないんです。

今は半歩引いたところから見られるようになって、母の言動にいちいち傷ついたりしないけれど、思春期に、友だち関係の悩みや成績の相談をしても、「悩む方がバカだ、何の解決にもならない。悩む前に行動に移せ」とか一刀両断されてきたので。

そこから、すごく自分を抑えてしまったり、苦しいことを苦しいと言えない、甘えられないという、歪みのようなものはかなり抱えていた気がします。

だから、義理の父と私の関係というよりも、それを含めた母との関係が、自分にとても影響していると思います。母親自身が、自分が頑張らなきゃっていうのがすごく強かったから、これは私の想像ですが、義父と家族になってからも、あえて「義理の父だから」と決めつけて、甘えないようにしていたのかもしれないですね。

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血のつながった親子でも別の人格

  血のつながりがあるからといって、うまくいくわけではない

これは個人的な意見ですけど、私は親と子が似ているとは限らないと思うんです。性格も価値観も違うし、同じ環境で育っても私と弟はまったく違うんです。だから血がつながった家族だからといって、すべてうまくいくわけではないし、問題だってもちろんあるでしょう。

例えば義父は、「お前がそう思うならそれでOK」みたいな人なので気楽です。母は逆に、自分が正しいと思ったものはすべて正しいと信じていて、ものすごくああしろ、こうしろと強く言ってくるので、反発する事も多いです。これはもう、パーソナリティの問題ですよね。

私は、自分の子どもに対してそこまで言えません。たぶん、大きくなっても言わないと思う。というのも、私にとって正しいことが、彼にとって正しいかどうかは分からないという思いが強いから。どこかで、この子は自分とは別の人間である、という感覚を強く持っているのだと思います。

子どもには、自分の人生は自分で決める、というのを身につけてもらいたいと意識はしていますね。一般的に、高齢出産と言われる年齢で産んでいるので、そうそう長生きして、面倒を見てあげることもできないかもしれないし(笑)。

 

  子どもを「産まない」という選択肢もありではないか

子どもを産む、産まない、について、私は「産まない」というのもありだと思うんです。何か本当にやりたいことがあって、それに邁進したい人は、子どもがいない方が一心に進める場合もあると思うんです。子どもがいるとやっぱりすごく時間が取られるし、中途半端になってしまうことも多いから。

「子どもを産まなきゃいけない」というのも思い込みなのかもしれないというのは、自分が産んでみて、思ったことです。

子どもが生まれると日々忙殺されて、そのうちに子どもが自分の存在意義を作ってくれる部分がある、と感じています。ママーと言って来てくれることで、「私はここに居ていいんだ」とたやすく承認を得られた気になるのだけれど、私の考えとして、それに頼っていることは、本当の意味での自立ではないと思うのです。

私たちより上の世代の方たちがよく「子どもを持ってこそ一人前」というようなことを言いますが、私は逆に子どもを持ってみて、そうとも限らないと思うようになりました。特に、私たちの母親世代は、一人暮らしをしたことがなく若くして結婚して、子どもを持った人が多いじゃないですか。

子育てって本当に大変だけど、自分の存在意義はすごく得やすい側面もあると感じています。ともすれば自分の価値を子どもにすり替えることで、自分自身ときちんと向き合わずに生きていくことも、できてしまうように思うんです。

この意味で、子どもを持たずに自分の価値をしっかり見つけている人は尊敬するし、強いと思います。

 

  人間万事 塞翁が馬

私自身の半生を振り返ってみて思ったのは、自分の歪みというか思考のクセみたいなものがあるのだけど、それは義父と血がつながっていないからということが理由ではなく、母からの「本当の父親じゃないから」という思い込みを押し付けられたことが大きい、と感じる訳です。

だから、義理の親、という血のつながりは、私の場合はそこまで大きなウェイトを占めていない。

義父がそれについてどう思っていたのか、直接聞いたことはないけれど、日頃の態度から感じるのは、“そんなに深く考えてもしょうがないじゃん”みたいな感覚。南国風なので(笑)。「幸せは自分の心が決めるもの」みたいなのを地で行っている人なんですよ。

若い頃はそこそこモテて毎晩飲み歩いて楽しかったみたいだけど、なんでかうちのお母さんを好きになっちゃって。

もっと他に条件のいい人もいたんだろうけど、そこまで深く考えずに結婚して、結果として年相応の子どもができてしまい、それなりに楽しく暮らしていたけど会社はつぶれて、でも母が稼ぎがいいからどうにかなって、今は悠々自適に河口湖の別荘で大型犬と暮らしている、という(笑)。

“人間万事 塞翁が馬”じゃないですけど、やっぱり自分が選べるところからベストをチョイスすればいいんじゃないかと、義父は思ってるんじゃないかと思います。

私も、若い頃はもっとアンビシャスで、努力すればできるという思いや、やりたいことが色々とあったけど、歳を取るにつれて、結局これしかできないからこれでやっていこうかな、という感じになってきました(笑)。

年齢が上にいけばいくほど、与えられたものの中から選ぶしかない場合が、だんだん多くなってくる。だからこそ、そこから自分にとってベストなものを選んで、それで自分の幸せを決めていけたらいいんじゃないかな、と思います。

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取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加

 


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