母親になれなくていい、一番の応援者でいよう。「幸せのなり方」を話し合い、選ぶ、自由で新しい「家族のかたち」を目指して。<後編>

「ステップファミリー」という、家族の選択。中川繁勝さんと息子さん、そして、折口みゆきさん。形式上ではなく、3人が本当の意味で家族になっていく過程には、いろいろな葛藤があった。それぞれの内側にある真実を言葉にし、理解し合うことで葛藤を乗り越えながら、家族のカタチを作り上げてきた。この<後編>では、おふたりが考える「幸せのなりかた」について、伺った。

前編>はこちら

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折口 みゆき / Miyuki Origuchi(妻)  1973年生まれ。ギビングツリーパートナーズ(株)取締役、組織開発ファシリテーター。一橋大学卒業後、(株)リクルート入社。広告営業や企画営業だけでなく、社員教育や人材マネジメント、人材育成に携わる。ナレッジマネジメント室では、全社組織活性のプロジェクトや組織サーベイの設計に携わる。その後、教育ベンチャーにて営業マネージャーに従事し、独立。現在は人材開発分野で対話を通じた組織活性化をサポートする他、立教大学経営学部兼任講師も務める。

中川 繁勝 / Shigekatsu Nakagawa(夫)  1967年生まれ。ギビングツリーパートナーズ(株)代表取締役、人財育成プロデューサー。中央大学理工学部卒業後、企業でシステムエンジニア、新規事業推進、社内の新人研修の改革に取り組み、研修と新人の育成に関わる。その後、数社でユーザートレーニングのマーケティングや人財開発マネージャーとしてコンサルタントの育成に携わるなどして独立。企業向けの研修プログラムの開発や研修講師として活動し、人と組織の活性化に従事している。

 


自分の選択を尊重してくれる相手がいるということ

  「産む、産まない」という選択

― 折口さんご自身が子どもを産む、ということは考えましたか?

折口 「考えていました」というのが、正確なところですね。

もともと子どもはほしかったので、結婚した時にも、自分の子どももいるといいなと思っていました。最初の1年ぐらいはシゲさんに話せなくて、でもやっぱり話した時に、シゲさんが「2人はもういい。1人で勘弁」って言ったんですよ。

中川 人数の問題ではなくて、僕の中では子育ての山場は越えた、という感覚があったので。ようやく親があれこれしなくていい状態まできたのに、これからまた一からそれをやるというのは、僕にとっては、積極的には考えられなかった。

でも結局、そういう話をしていて、夫婦二人の間では「できたらそれもいいよね。そういう選択肢もあるよね」という結論になったんですよね。子どもは、授かりものだから。

それを息子にも話したんです、「弟か妹ができるかもしれないけど、どう?」って。そしたら「どっちでもいいよ」って。

折口 その時に、「自分の子どもがほしい」という気持ちが話せて、二人から「どっちもあり」と言ってもらったことで、私にとってはひとつ“完了”した感じがありました。

個人的な感覚ですが、「産める選択もあるし、産まない選択もある」という自由さが、私自身に安心感を与えてくれました。

私も、正直な気持ちとして、どうしてもほしいというわけではなかったのかもしれません。なので、もし子どもができたら、それは人生における使命だろうから頑張ろうという自然な感じで、無理せずに、だけどいまも、自分の選択肢は持っておいている感じですね。

「産む」ということに関して、シゲさんは私の選択肢を尊重してくれたし、違う部分では私がシゲさんの考えを尊重することもあるし。家族みんなで話し合えて、お互いに受け取ってくれたという安心感のある状態が、私にとって、ベストな環境なんです。

独身の時に、「結婚しなくても、子どもがいなくても、どちらにしても幸せになる」と思ったのと同じで、どんな結果であろうとも、「私たちは幸せな家族でいたい」という気持ちは、家族みんなに共通する想いとして握っているので。

 

  「自分の子どもを産む」ことへの欲求を手放して

― 折口さんは専業主婦の家庭で育ち、元々は、自分の子どもを産むことが当たり前、という意識を持っていたように思います。でも、現在はそこへの拘りをほとんど感じないのは、なぜでしょうか。何か明確にきっかけがあったのでしょうか。

折口 だんだんそうなってきた、という感じでしょうか。

ひとつには、息子くんと関われたことかな。結婚を機に、結果として子育てに関わることになったことで、自分が産む以外の選択肢があると、私にとっては実感できたので。

それと、いま大学で教えていて、「未来の人たちを育てている」という感覚がどこかにあるのも、大きい。親という立場ではないけれど、人間の成長に関わることを体感させてもらえていて、教え子はみんな自分の子どもみたいな感覚で、かわいいんです。

その2つのおかげで、私の中にあった「自分の子どもを持つ」という思いから、自由にさせてもらっている気がします。

私の感覚としては、愛すべき子どもがいっぱいいるような感じがあるので、そこに少しでも関われたら、私は満足できるのかな。でもそういう機会をいただけなかったら、いまでも、自分の子どもを持つことに固執していたかもしれません。

私は、いい立場で関われていると思うんです。もちろん戸籍上は親でありつつ、血縁の親子とは少しだけ違う、「距離感のある、ちょっと近い大人」として関われているのは、表現に語弊があるかもしれませんが、おいしいとこ取りをさせてもらっているのかな。

中川 それはあると思うよ。子どもは小さい時はとにかく手はかかるけど、その時期を、結果として経験していない。

折口 そう。自分の性格を考えると、あくまで私にはその距離で関われる関係が、よかったのかもしれない。

昔は私、いい専業主婦になれると思っていたけど、いまは自分の特性を理解していて、本当は密着した関わりが得意じゃないのかもしれないんです。

だから、本当に子どもができたとしたら、私にとって全部をやるというのは、正直に言えば、すごく難しさを感じることだったかもしれないので。

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自分と異なる社会通念との付き合い方

  「自分の子どもを産んでこそ一人前」という、社会の文脈

折口 社会人になって5、6年目に転職をしたんですけど、その時もうちの父から反対を受けて、「女は所詮、子どもを産んで一人前だから」と書かれた手紙をもらったことがあるんです。

その時はバリバリ仕事をしていて、それが社会に認められていると思っていたので、「子どもを産んで一人前」ということに大きなショックを受けて。

2年くらい前までは、「子ども産まないの?」って結構周りからも訊かれて、それをプレッシャーに感じていたこともありました。40歳超えると、あんまり言われなくなったけど(笑)。その前は「結婚しないの?」だったし、そういう社会の文脈でその人をラベリングすることは、変えていきたいことでもあります。

人は自分の文脈で会話をしてしまうので、それに対する耐性も、必要なんじゃないかと思います。

たとえばこの間、若い男性に「彼女いるの?」と訊いたら、「男の人が好きなんですよ」ってさらりと返ってきて、こういう風に気軽に言えるようになったらいいなと思った。

もちろん、私も、相手は女性が当たり前だろうと思って訊いてしまったことに自戒を込めつつも、例えば誰かから「子ども産まないの?」と訊かれた時にも、「私、産まないことを選んだんです」とか、「いま頑張ってるんですよ」ということが普通に言えたらいいのにな、と。

「自分はこういう選択をした」ということを明らかにできるのは、ひとつの強さであり、自由さを保てる秘訣だと思うんです。

一方で問いかける方も、どうしたらいいのか悩みつつも、「そういう人たちもいる」ということが、自分の文脈の中に落とし込まれるといいなと思います。

 

  違う意見にも耳を傾けることで、見えてくること

折口 この結婚に反対していた父とは、いまは普通に話せるようになりました。

半年ぐらい前かな、もしかしたら、私がこの世界を作っているのではないか。つまり私の考え方が、父を悪者にしているんじゃないか、と思ったことがあって。父の話を聞くために、実家に帰ったことがあったんです。

その時、私、本当に自分の言いたいことばかりを言っていて、父の話を全然聞けていなかったということに気がついて。

話を聞いてあげるだけで、父も安心するんだな、主張は違ったとしても、聞ける関係性を作ることが大事なんだな、と思ったんです。

父がまだ反対していたとしても、それはそれでいいや、父の話を聞ける人になろうと思ったら、私の中で関係性が変わったような感じがして、もしかしたら父も、中川家のことを好きなんじゃない?って思うように(笑)。

母に「息子くんが、サツマイモの入ったさつま揚げが好きだ」って伝えたら、うちに贈るさつま揚げのセットを買いに行った時に父が、「好きだったら入れてあげなさい」って母に言ったらしくて。送ってくれたりするので、きっと本心は、応援してくれてるんじゃないかなと。

表面的な主張の違いは、家族だけではなくて誰にでもあると思うのだけど、それをちゃんと聞ける。ただそれだけで、関係性って変わったりするんだと思います。

お互いに主張ばかりでは受け入れられないし、さらに攻撃するようになってしまうから、相手の言葉に耳を傾けることが大切なんだと思います。

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「幸せになる」ことについてとことん考え、話し合おう

  結婚前からどんな家族を作るか考える機会を

折口 いまは、女の人も男の人も、若い頃から子どもに接する機会があるといいなと思っています。

子どもが身近にいる社会だと、子どもを持つことが具体的にイメージできるし、自分たちが将来どんな選択を取るか、想像しやすいのではないかと思うんですよね。

これは私が感じていることですが、現代の社会では「結婚してから相手との子どもを産む」というのが自然な形だとされていて、まずは結婚が前提になっているので、子どものことはなんとなく、“後から考えればいいや”って感じになりがちなところがあるような気がする。

でも結婚する前に、子どもに対してどう思っているかとか、変にタブー視したり躊躇したりせずに、そういうことも含めて話せたらいいと思います。

恋愛中にそんな話はできないと思われるかもしれないけど、話せる関係を作れるというのは、とても大事なことだと思うんです。

シゲさんとうまくやれそうだと思ったのは、私の話をきちんと聞いてくれたということ。そして、私が息子くんの一番の応援者でありたいと思っているように、シゲさんも、どんなことがあっても私を応援してくれるという感覚があったから。

これは、将来の子どもについての選択だけに限らず、お互いのスタンスをちゃんと知った上で、重要な場面で、話し合って結論を出す体験が、結婚前にもあるといいと思います。

 

  幸せのなり方はいろいろある

中川 子どもがほしいという人も、“なぜほしいのか”をきちんとふたりで話し合うことができるなら、それはすごく意味があると思うんですよ。僕の個人的な考えですが、究極の目的の一つは「幸せになること」だと思う。その人生において、なぜ子どもが必要か、なぜほしいと思うのか、考えてみてもいいんじゃないかと思うんです。

“幸せのなり方”は、いろいろある。自分が思い描いているのではないパターンでの幸せのなり方にも、目を向けてみたらいいのでは、と思うんです。

だけど、家族はこうじゃなきゃいけない、子どもは産まなきゃいけないとか、“こうでなければ”という思いが強すぎる人もいると感じる。だから、現実とのギャップで苦しくなるような気がしてならない。

「そうでもいいし、こうでもいい」って考えた方が、自分たちが楽になると思います。

折口 一般的に、「血を分けた子どもがいてこそ家族」というのはいまの世の中で大多数の考え方で、幸せなイメージもあるように感じます。

でも、違う幸せのかたちもいろいろあるよというのは、見せたいと思っているんですよね。それが誰かの勇気となると思うし、自分に合っていそうだって、選択肢として考えるかもしれない。

中川 みんなが「普通」だと考えていることだって、本当に普通なのか分からないとも思うんですよね。そもそも、あんまり表に出ないけど、いっぱいいるはずなんだよ。「そんなのあり?」みたいな人が。実際、この歳になると見えてきて。いい意味で、「普通」じゃない人って実は、本当にたくさんいるんだって感じる(笑)。

僕も、違う形の幸せの選択肢や理想像を持ってもいいんじゃないか、と思います。「道はこれだけじゃない」って思えるだけで、ちょっとは楽になれることも、あるかもしれないので。

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取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加・善福 克枝(トップ&最終カット)、協力 / 菊川 恵

 


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