「本当は何がほしかったんだっけ?」問いかけ、出てきたのは、“子ども”がほしい、ではなく、“家族”がほしい、だった。 <前編>

不妊治療の果てに、特別養子縁組という道を知った、桑子亜希子さん。自分を追い込み、否定し、負のスパイラルから抜け出せなかった時、夫からかけられた「里親や養子縁組でもいいんじゃない?」という言葉。そこから、親が育てられない子どもたちの背景や環境を知り、自分の家族のかたちはこれなのでは、と思ったという。家族とは、血のつながりとは、そして当の“子ども”たちの気持ちに、思いを馳せる。

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桑子 亜希子 / Akiko Kuwako     約4年の不妊治療を経て、2016年に養子縁組をして3歳の子を迎える。一般社団法人家族力向上研究所代表。未就学児の保護者の過保護・過干渉の防止、抑止や、園と父母との良好な関係作りを目的とした新サービスを展開している。

 


不妊治療で自分を追い込んだ

  のんびり構えていたら

結婚した時すでに40歳だったんですが、その時点で、ちょっとのんきに構えちゃってたんですよね。40歳過ぎても出産している友達が多かったので、なんだか自分もいけるんじゃないかと思ってしまって。

 入籍と結婚式を済ませて、1度自分の身体の状態を知っておこうと不妊治療のクリニックに検査に行ったら、その時点で急ぎなさい、と言われて治療を開始しました。それでもどこか危機感が持てなくて、まずは人工授精から始めることにしました。それが2010年の春のことです。そこからご多分にもれず、段階をどんどん深めていきました。

 

 「もうあなたには先がない」と言われる

最初は何の情報もなく、とりあえず地元のクリニックに通院を始めました。そこでおばあちゃん先生に、「あなたは高齢だから」、もう先がないということを言われて。不妊治療もはじめてだし、こんなもんなのかな? と思ってみたんですが、あとで人に聞いてみたら、それはそのクリニックの話であって、ふつうはそんなことを言わないよ、と。

そこから徐々に危機感を感じるようになり、気持ちにも余裕がなくなってきて。私の場合、治療に使用した薬が合わなかったのか体調的にも厳しくて、だんだんと追い込まれていってしまいました。

追い込まれると、やっぱり色んなことを考えるんですね。「このまま子どもができなかったら……」とか、果てしなくネガティブな思いが出てくる。

その頃は、まあよく色んな方のウェブサイトを見てましたね。治療に成功した人のを読んでは力づけられたり、夫婦ふたりの道を選んだという人のを読んでは落ち込んだり。そんなことをずっとやって、自分で自分を追い込んでいたようなところもあります。

しかも、不妊治療をしている時に急性肝炎にかかってしまい、肝臓も悪くなって極限までだるくなって、家で寝てるしかなかった時期がありました。

ちょうど震災直後で、まだテレビも「ポポポポーン」(*注1)ってACのCMばかりが流れている頃。ポポポポーンを聴きながら、被災された方たちを思ったら自分の悩みなんてと思ってみたり、でもそれも失礼かなと思ったり、とにかく不毛な葛藤を繰り返して、なんだかもう八方塞がりな感じでした。

(*注1) ポポポポーン:東日本大震災の後、多くの一般企業がテレビCMを自粛する中、公共広告機構(AC)によるアニメと歌からなるCM『あいさつの魔法。』が繰り返し流された。そこで登場する「ポポポポーン」というフレーズは流行語になった。

 

  夫に対する負い目

実は主人は以前離婚をしていて、縁あって私と結婚したのですが、私との間に子どもがほしいとも聞いていて。それで余計に、自分にプレッシャーをかけたのもありました。

主人は6歳年下なので、もっと若い人と結婚したら子どもができただろうな、クリニックに一緒に行ってもらうとか、私のイライラを受けなくても済んだだろうな……とか、申し訳なさを感じて、ネガティブな自分にさらに追い打ちをかけました。

治療も、けっこう惜しいところまでいくんですよ。受精卵が分割していって、それを自分の体内に戻したら妊娠反応が陽性になり何週間かいけたりしたので、これはうまくいくんじゃないかと思うことがあって。だから、なかなか手放せなかったんですよね。

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求めていたのは、「家族」という安心できる居場所

  夫からの「里親や養子でもいいんじゃない?」という言葉

結局クリニックは3カ所行きました。最後は、他県に引っ越した経緯で、その県内にある有名なクリニックへ。ここは早朝から予約に並んで3時間待ち、みたいなところですが、まあ通えるし、実績があるクリニックだからいいかなと思って。 

ただ治療については、43歳ぐらいの時にはもう無理かなとも思い始めて。先生もグラフを見せながら、確率がほとんどないということを一生懸命に示している中で、あとは“やめ時”というか、いつ、どうするの? と。

 そんな時に、主人が、「里親や養子縁組でもいいんじゃない」と。衝撃が走りましたね(笑)。そんな選択肢は考えていなかったけど、そのひと言でものすごく肩の荷が下りて、楽になりました。いろんなつらさから解放されることが、とても魅力に思えてきて。「え、いいの?」って。

 

  「あなたならできる」という承認を得て

「え、いいんじゃない? 亜希子だったらできるんじゃない?」と、夫が言ってくれたんです。それがすごく嬉しかった。自分の産んだ子じゃなくてもかわいがれる、私だからできるという“承認”というか。

それまでは、いくらでも自分のことを否定していたのでね。もともと私は自己肯定感や自己承認が低い傾向があったので、不妊治療をしている最中は、人として、女性として、妻として、仕事人として、いくらでも自分を追い込めた。「こんなに結婚が遅くなったことも含めて、本当にダメな人間だな」って、完全に自己否定してました。当時、私は自分を客観視できる状態じゃなかったし、主人もそんな私が限界に達しているのを見ていたんでしょうね。

主人がふとした時に見せる大胆さや決断力は尊敬していて、この特別養子縁組にしても、パッと決める時の感覚というか感性は、なかなかすごいものがあると思います。じゃあ、養子という選択で家族を作ればいいんじゃないっていう……家族の結びつきというものを、割と大きく見ているんですね。

 

  本当は、何がほしかったんだっけ?

不妊治療期間が長くなり、心が折れてくる中、あらためて「何がほしかったんだっけ?」と考えるようになりました。それは主人とけっこう話し合いました。それで出た結論が、「子どもがほしいというか、『家族』がほしかったんだよね」ということ。

私たちがそもそも結婚した理由のひとつが、「家族を作りたい」だったんです。

私も主人も、自分たちの生い立ちで色々と複雑な思いをしてきて、自分たちの居場所というか、リラックスできる、絶対的な味方みたいな、そういう「家族」がほしいという思いが強くありました。

そこで主人の方から養子縁組の話をしてくれたのが、すごくありがたかった。私から言い出すとエクスキューズみたいになっちゃうというか、俺がこんなに協力したのにって思われるんじゃないかとか考えてしまうし、そもそも「養子縁組」ということ自体、自分の視界にまったく入っていなかったので。

 


ピピピと来た、養子縁組という選択肢

  夫と妻、それぞれの「家族」への思い

―「家族をつくる」ことへの思いがお互いに強かったとのことですが、その背景について少し伺いたいのですが。

そうですね……。私は、母がすごく精神的に不安定で、今でいう虐待に近いというか、言葉の暴力とかがすごくあった人なんですね。睡眠薬とお酒を一気に飲んだり手首を切って救急車が来たり、そういうのが何度もあり、それを、私と父親のせいだと言うんです。いつも口癖が「死にたい、生きていてもいいことは何にもない」で。

弟には優しくするんですけど、私にだけつらく当たって。それがだんだんひどくなり、中学生になる頃にとうとう耐えられなくなって父親に相談したら、「家のことはあいつにやってもらわなきゃいけない。嫌ならお前が出て行け」と言われて、ああ、味方がいないなって。

家族なのに家にいるとずっと緊張していて、いつ叩かれるか、怒鳴られるか、おびえながら過ごしていたんです。だから「“安心できる場所”としての家族」がほしいという思いは、長年かけて培われてきました。

主人にしても、母親が早くに亡くなって家族も色々あって。彼は彼なりに絶対的な味方としての家族がほしくて結婚はしたんだけど、うまくいかなくて。それぞれの経緯の中で、「家族」に対する渇望があったのだと思います。

 

  「私の場合、これかもしれない」

昔は、自分の過去の話をすると悔しさやみじめさでつい泣いたりしてたけど、いまは色んなトレーニングを受けてきた中で完全に消化できていて、もう母親に何か言われても、まったく動じないですけどね。「お前なんか縁を切ってやる!」って言われても、「はいはい、結構です」とまで言えるようになりました。

そういう意味では、もう私たち夫婦ふたりとも完了しているんですけど、だからこそ、「家族というものはつくることができる」という自負があります。“素敵な家族”、かどうかは別にしてもね。

私たちの家族も、血縁関係でいうと一般的とは言えないところもあるのですが、でも血縁がなくてもかわいがったり、分け隔てなく迎えているのを見ていると、そこに違和感はまったくないんですよ。だからきっと、「家族です」と言って家族になることは、できると思った。

「養子縁組」と聞いた時、自分の中で色んなことがピピピと結びつきました。踏ん切りがつかずにいた不妊治療の区切りがつくということだけではなくて、ああ、私の場合、これかもしれないって、腑に落ちた感じがあったんです。

家族という意味では夫婦ふたりでも家族ですけど、親にはなりたかったし、子育てもしてみたかった。その時初めて母親の気持ちも分かるかもしれないな、とも思いました。

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里親認定から養子縁組に向けて

  不妊治療をやめる

主人からの提案の翌日、すぐに児童相談所に電話をしました。そうしたらちょうどいいタイミングで里親認定のための説明会があって、「行く行く!」という感じで参加しました。

住んでいる市は里親の年齢制限があって、主な養育者、うちで言えば「母親」になる私が45歳になるまでという規定があります。養育里親も特別養子縁組も(*注2)、まずは「里親認定」を取ってからの話です。

里親認定を取りながら治療を続けることにし、治療も45歳の誕生日までと決めました。

でも正直、乳児院や児童養護施設を見学したり、座学での講座を受けたりしているうちに、気持ちがどんどん養子縁組の方に向いていってしまいました(笑)。子どもたちの背景を知るたびに、「この子たちの中に私たちを待ってくれている子がいるんだな」という風に感じて。

乳児院の研修に行ったら、もう完全に気持ちを奪われました。

2か月から3歳までの子どもたちのおむつを替えたり、一緒に遊んだりを3ヶ月ほどやるんですけど、やっぱり現場で子どもたちと触れあってしまうと、この子たちの誰かがうちに来たら、それでいいと思うようになって、それで、“里親になる”という自分たちの腹が決まりました。

(*注2) 養育里親と特別養子縁組:養子縁組を前提とせずに、要保護の子どもを預かり育てるのが「養育里親」。子どもと実親または保護者の親権は継続しているため、実の家族との再統合のため子どもが実の家族の元へ帰っていくこともある。「特別養子縁組」は裁判所の審判により成立し、子どもに対する実親の親権はなくなり、実子として籍に入れることが可能になる。

 

  「里親」か、「養子縁組」か

里親認定を取る時に、「養育里親」か「特別養子縁組」か丸をしなければいけなかったんですが、後から変えることはできないと言われていたので、すごく迷いました。

ただ、聞けば聞くほど、養育里親は「おじさん、おばさん」という立場というか、里親さんにもすごく苦悩がある。今はパパ、ママと言っていても、里子は18歳になったらほとんどが、社会に出て行かなくてはいけない。(*注3)

自分が18歳の時に、はい、サヨウナラって言われたら生きていけただろうかと思って。ワーキングプアになってしまう可能性もあるし、その子が結婚したり出産した時には子育てだって手伝いたいよね、と主人と話して、じゃあやっぱり私たちは、特別養子縁組を選ぼうということになりました。

里親認定を取った後、どういう風に子どもとのマッチングが行われるのかを聞いた時に、親と子の年齢差も考慮されますと。当然私は高齢なので、0歳児が来る可能性はあまりなく、子どもの年齢希望が0歳だけだと厳しい、と説明を受けました。そうは言っても愛着形成の問題もあるので、あまり大きなお子さんだとお互いに難しいのではと思い、私たちは「2歳半まで」「男女どちらでも」と書きました。

そんな流れの中で、結局不妊治療は、45歳の誕生日より前にやめました。あの追い込まれ感に加え、マッチングについての説明で伺った年齢差というところも考えるようになって。これはあくまで私が感じていたことですが、仮に子どもをこれから授かったとしても、子どもとの年齢差が45歳って、親にも子どもにもどうなんだろうというのもあって、やっぱりもうやめようと。

(*注3) 里子の年齢制限:養育里親の元で暮らす里子は、基本的には満18歳で里親委託が解除されるため、その後は独り立ちを迫られる。

 


娘との出会い

  連絡を待つ緊張の日々

児童相談所経由での特別養子縁組は、マッチングの確率が低いということは分かっていたんです。(*注4)
私の居住市でも、去年は数組しか成立しなかったようです。ただでさえこの年齢なのに、賭けみたいなものですよね。

里親認定を取った後、研修があるんですが、施設でボランティアをすると正直、恋い焦がれてしまうんです。いったいどの子かしら、って。

里親として登録はしているので、時々、子どもの一時預かり依頼の電話がかかってくるんですよ。電話がかかってくるたび「来た!」と思って出るんだけど、「3日間預かってください」という内容で、「……落ち着け、落ち着け」みたいな(笑)。

おまるを買ってみたり、食器を揃えてみたり、ちょこちょこ準備をして。でも「一時預かりは必要なくなりました」「なんとかなりました!」という連絡があるたびにがっくりして。そんなことを繰り返すうちに、これは、不妊治療とは違うけど、また考え始めたら止まらない無限ループに陥りそうだ……と思って、いったん、養子縁組について考えることはやめました。

それで、いつものようにまた電話があって、「ああ、また一時預かりかな」と思って出たら、今度は「桑子さんのところにどうかな、と思うお子さんがいる」という話だったので、もう、まさに「キタ――(゚∀゚)――!!」って、頭の中に絵文字が流れて(笑)。

まずは話を聞くのですが、その時にはまだ実名も伏せられて、2歳9か月の女の子ということと、ざっくりとした背景だけ教えてもらいました。で、最後に1枚だけ、写真見ますか?と訊かれて。“口から心臓が飛び出る”って、こういうことかという感じですよ。「み……、みます」って(笑)。

この、打診をもらったのが、去年の2月のことでした。

(*注4) 特別養子縁組の方法:現在の特別養子縁組は、児童相談所により里親制度の中で行われるケースと、民間の養子縁組団体(あっせん業者や医療機関)が行うケースと大きく2通りある。前者は、生まれた子どもの多くが生後1、2年は乳児院などの施設に入所し、実親の意向や病気や障害の有無を確認する手順を踏むため時間がかかり、また養子縁組希望者の多くが新生児や0歳を希望するため、マッチングの確率が低いと言われている。後者は新生児での養子縁組も多いが、養子縁組希望者にとって費用の負担が大きい。

 

  「どうも、ママです」

次に、一方的にこちらからその子を見に行くという段取りになり、乳児院の食堂の窓越しに、あの子ですと教えてもらいました。 

2歳過ぎてから「パパとママはいつ来るの?」と、ずっと言っていたみたいなんです。私たちとのことが決まってからは、乳児院の担当の方が私たちを念頭に置いて、パパとママということをあらかじめインプットしてくれていたので、初めて会った時には「どうも、ママです」「どうも、パパです」って感じで。すごい気合い入っちゃって、保育士のエプロンみたいなのを4枚ぐらい買っちゃいました(笑)。 

3月に初めて会ってから、数か月準備期間があって、去年の7月から半年間お試し期間で、縁組里親として自宅で一緒に過ごしました。今年の5月に正式に養子縁組が成立し、籍が入りました。

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取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加

 


不妊治療を経て、「家族をつくりたかった」という思いとともに、特別養子縁組を選択し、女の子を家族として迎えた桑子亜希子さん。<後編>では、親子としての愛着形成、社会的な承認を得ていく過程、そしてそこにある想いについて、伺います。

<後編>はコチラ!

 


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