「誰も“透明な存在”にしない」―。 子どもがいてもいなくても、安心して暮らせる世の中を。分岐の向こう側にあるキャリア&ライフを考える。

結婚、出産、そして子育て。これらのライフイベントごとにキャリアの岐路に立たされる感覚、選んだコースによって違う箱に仕分けられてしまうような、その箱によっては影を生きなければいけないような、そんな感覚は女性により色濃くあるかもしれません。
朝生容子さんは、子どものいない自分がまるで世の中にいない“透明な存在”になったような感覚をもったことをきっかけに、2014年に「子どものいない人生を考える会」というFacebookページを立ち上げました。何かを強く主張するわけでない“ゆるい”コミュニティはたくさんの方に支持され、フォロワー数は1,000人にものぼります。そのページを立ち上げた前後には、朝生さんご自身が感じてきたこと、これからも考えていきたいことが地続きでありました。

朝生容子 / Yoko Asou 1988年慶応義塾大学卒業後、日本電信電話株式会社(現NTT東日本)入社。人材開発部門にて若手社員育成、女性活躍推進に従事。その他、マーケティング、経営企画等に従事。
1999年に社会人向け教育機関(株)グロービスに転職。企業研修部門において人材育成のコンサルティング、およびキャリア研修講師を担当。2012年に独立。年間、200名以上のキャリア相談実績あり。2001年英国レスター大MBAを取得。現在はオフィス・キャリーノの代表を務めるとともに、執筆や研修講師としても活動中。Facebookページ「子どものいない人生を考える会」主宰。

 


30歳後半まで、仕事に全力で走り続けた

  ハードワークから体調を崩して

― 非常に充実されたキャリアをお持ちでいらっしゃいますよね。ご結婚された時期やその当時のお仕事の状況など、少し聞かせていただけますか?

新卒入社した当時は会社がまだ民営化されてから3~4年で、社全体に「変わっていこう」という気運があったのが魅力的でした。通信という業界も変化の時期にあり、仕事を通して新しいことをどんどん覚えられる環境で仕事が面白かったですね。

その後、27歳の時に同期と結婚したんですが、ちょうどその頃に役職についたこともあって、仕事を一生懸命やらざるを得ない状況が続いていて、帰りが遅くなることも多かったです。そんな状況だったので、「ちょっと子どもはまだ難しいよね」と後回しにする感じでしたね。

30歳くらいになると、ハードワークからか、生理不順や尋常じゃない出血量といった症状が出始めて、「まずいな」と思って病院に行ったら、「子宮内膜症(*注1)ですが、それほど深刻ではないので様子を見ましょうか」と言われました。

その後は転職もあり、「そのうち、そのうち」と言っているうちに30代も後半に入って、軽い貧血を起こすようになっていました。夏の暑い日に気持ちが悪くなって電車を途中で降りることも何回かあったんですが、自分では「疲れか老化かな」なんて思ってたんです。

ところが風邪を引いて行った病院で、「お腹がすごく張っているけど、これ子宮筋腫(*注2)じゃない? ちゃんと検査したほうがいい」と言われてしまったのです。それで婦人科に行ったら「筋腫がけっこう大きくなっているから、子どものことを考えるなら、何とかしないといけないですよ」と言われました。そのときに初めて状況の重さに気づき、年齢を考えても、子どものことにしっかり向き合わなくてはと考えるようになりました。それが、37~38歳のころだと思います。

不妊治療に入る前にその子宮筋腫の治療を始めたのですが、結局開腹手術をすることになりました。術後は間を置かなければならなかったので、不妊治療を開始できたのは40歳くらいのときです。

(*注1)子宮内膜症:本来は子宮の内側にしか存在しないはずの子宮内膜が、子宮以外の場所(卵巣、腹膜など)で増殖、剥離(はくり)を繰り返す病気
(*注2)子宮筋腫:良性の腫瘍で、子宮の内側(粘膜下筋腫)、子宮の筋肉の中(筋層内筋腫)、子宮の外側(漿膜下筋腫)に分類される

 

  “つくる”ものだと思っていなかった

ー 子宮筋腫があるとわかったことが子どもを意識し始めたきっかけかと思うのですが、それまでも「子どもがほしい」と思ったことはあったのでしょうか?

いつかは、とは思ってました。でも「自然とできるんだろうな」と正直考えてました。改まって子どもを“つくる”という認識ではいなかったので、直面するまでは人工授精や体外受精も自分のことという感じはしなかったですね。

― キャリアのことを考えたという側面もあるのでしょうか?

当時2年ごとに転勤と異動があって、異動1年目で仕事を覚えて、2年目で何とか成果を出して、というサイクルで、異動とともに昇格していく仕組みでした。その目まぐるしさのなかで考える余裕がなかったというのはあるかもしれません。

ただ異動先で、上司から「まだ子どもはつくらないで」と言われたことはあります。このことを周りに話すと、「上司はひどいね」と言われるのですが、私はそれほどとは思っていません。

当時、「女性なんか引き取って大丈夫なのか?」と言われるような時代で、まだ若く役職経験も乏しい私を部門に迎え入れてくれたわけです。上司たちもリスクを背負ってくれているからこそ、きちんと評価されるためには、着任後すぐに妊娠、育休ということにならないようにというアドバイスであったのだと思います。

でも実はNTTには子どもを産んでも働いている人が多かったんです。「3年育休制度」というものもかなり以前からありました。ただ、それは電話交換手の方たち向けに整備された」制度で、いわゆるキャリア採用の方で子どもがいる女性は稀でした。

キャリアということで言えば、わたしはずっとMBAを取りたいと思っていたんですね。半分は海外生活への憧れの気持ちですが(笑)。会社で海外のMBA課程への選抜派遣制度があり、私も一次選考に選んでもらえたのですが、それがたまたま結婚した直後で「君は結婚したばかりなんだから、留学なんて無理でしょう」と選抜面接の場で言われてしまったのです。

「えっ?だったら何で受けさせてくれたの?」という感じで、それが自分の中でけっこう悔しかった。

だから「会社がダメならいつか自分で受けようかな」と考えていました。そして、転職後に英国の大学の通信制度を利用して勉強を始めたんです。社会人教育を生業にしている会社だったこともあり、勉強していることには比較的好意的だったのもありがたかったです。それが30代半ばでした。とはいえ、仕事をやりながら勉強もして……というような生活は息つく暇がなく、子どもどころではなかったというのが正直なところです。

―「産まないで」と言われたとのことですが、逆に「何で産まないの?」と聞かれたことはありましたか?

結婚した当初からもちろんありました。結婚して最初に入居したのが社宅だったんですけど、周りの人は子どものいる専業主婦がほとんど。子どもがいるのは当たり前の環境の中で、「そろそろでしょ」と何度も聞かれました。

それに対し、不妊治療をし始めたころに在籍していた部署は、子どもがいない人も多く、そうした質問はあまりされなくなりました。ただ、大学時代の友人や、以前の上司などには聞かれましたね。その頃の質問は、「どうして子どもつくらないの?」。子どもをつくらないと決めつけられている (笑)。嫌な気持ちがなかったわけではないですが、それだけなら素朴な疑問と取れます。

「産め」とか「産むな」とか強制されているわけではないので、「つくらないんじゃなくてできないんですけどね」なんて軽く答えるようにしていました。

 


不妊治療と仕事の両立

  不妊治療、親の病気、夫の単身赴任、上司との不和

ー 一般に、不妊治療と仕事を両立させるのは難しいと言われますが、朝生さんの場合はどうだったんでしょうか?

治療に行くスケジュールを組むのは大変でした。不妊治療を始めた当時、私は法人営業の担当だったので、診察の予約をしていてもお客様のアポが入ってしまい、病院に行けないこともたびたびでした。

私が通っていた病院は予約の受付時間も11時~16時で、まさに営業に出ている時間帯。なので出先で「不妊外来をお願いします」と言って、電話しないとならない。でも街中で話すのも気が引けるので、どのタイミングでどの場所でなら電話できるかを考えていつも調整していました。出先のビルのトイレで、人のいない間を盗んで電話することもありました。

でも病院に行けたときは治療後、しばらくベッドで休ませてもらえるので、仕事の忙しさによる睡眠不足の調整をそこでさせてもらったこともありました(笑)。

実は不妊治療を始めた時期に夫の転勤が決まり、彼が単身赴任して別居することになってしまって、私は1人で治療に通うことになりました。それ以外にも、親が病気になったり、上司とうまくいかなくて抑うつ状態みたいになったりと精神的に辛いことが続く中で治療していたので、ストレスのためか全然うまくいかなかったんです。

 

― そこまで一度に多くのことがのしかかってくると、採卵にも影響してきそうですね。

そうですね。さすがに限界だと感じて、「不妊治療をしていて、今のままではスケジュール的に厳しいので、仕事の予定が立てやすい部署に異動させてください」と言って、経験のあるマーケティング担当へ異動希望を出したんです。当時、マーケティング専任の担当者が部署内にはいなくて、そんな現状に問題意識もあったので。

ところが、会社からは今の役職からの降格、一般職としての勤務を打診されました。「異動を希望するなんて経営の自由度を損なう」とも言われてしまって、結構ショックでした。一般職の職務定義書を読むと「総合職の指示のもとに業務を行う」と書いてある。それは私には無理(笑)。最終的には役職は外れたものの、総合職は続けさせてもらうことにはなったんですけどね。

 

  現実問題と悔しさと

― 衝撃的なことを言われて、会社を辞めてしまおうという気持ちにはならなかったんですか?

ショックはかなり大きかったです。それこそ私は子どもをつくらないで仕事最優先でこんなに頑張ってきて、単身赴任の夫とも別居をしながらでも仕事を続けているのに、何でこんなことになっちゃったのかなということは、自分でも疑問に思いました。

でも、不妊治療を続けていくことを考えると収入がなくなってしまうのは困る。あとは、こんな扱いのまま、会社を辞めるのは悔しいという気持ちもありました。じゃあ、会社を使ってやれ、と自分のペースでできる内勤の部署に異動し、体やメンタルを整えることを優先しました。とはいえ、仕事面で見返そうという気持ちもどこかであったのでしょう。WEBサイトからパンフレットまで、長年使われていたツール類を全部見直しました。そのために、徹夜なんてこともありましたが(笑)。

自分のペースで仕事ができるようになったせいか、内勤に移ったあとに、治療で採った卵の状態がすごく良くなっていたんです。「20代並みですよ!」と先生もびっくりしていました。数が多いのはもちろんなんですが、質も改善して、私自身もびっくりしました。

ただ、卵は良かったんですけど、着床がうまくいかなくて、妊娠には至りませんでした。結局、治療は43歳くらいのときに止めてしまいました。

 


治療のやめどき、決断のその先

  決断の周りにあった思い

私の両親や夫の両親には、孫の顔を見せられなかったのは申し訳なかったなと思います。

夫自身は「君がそう決めたならいいんじゃない」と言ってくれました。子どもができず離婚、と夫から言われる人もいると聞いている中で、私のことを尊重してくれたのはありがたかったと思います。

でも治療を続けようかやめようか悩んでいたときの私は、何を言われても複雑な心境になる不安定な状態でした。「君が決めたなら」という夫の言葉に、「あなたの問題でもあるのよ?あなたはどう思うのよ?」なんて反発することも、実はありました(笑)。

― 治療をやめることを決めたきっかけを伺ってもいいですか?

1つは、技術の限界ですね。卵の状態は排卵誘発剤といった薬などで改善できたんですけど、着床率をよくする薬は飲んでいたのに、効果が見られない。それ以上技術的にできることがほとんどなかったんですよね。

もう1つは、年を重ねることで妊娠確率がどんどん落ちていきますよね。今後を考えると、「私の人生、不妊治療ばかりになってしまっていいのかな」と疑問が湧いてきたのです。法的には制限があるわけではないので、続けようと思えば続けられたんですが、客観的に考えて今後産むのは難しい。残念だけど、今回は他の道を考えるしかないのかなという結論になりました。

 

  子どもを持てなかったからこそ、選べた道

ー 子どもを持たない先の道、のひとつが、朝生さんの場合は起業だったということでしょうか。

そうですね。もし子どもができていたら、独立しなかったかもしれません。もちろん子どもがいるからこそ組織から離れて裁量のある仕事を選ぶ方もいらっしゃいますし、結果論なので何とも言えないところもあります。ただ、ちゃんと決まった産休や育休制度が整った勤務先があるのは、子育てする上ではやっぱり大きいと思うんですよ。

あとは、47歳で会社員ではなくなったのですが、その10年後にフリーランスになるのは、体力・気力が足りなそうと思ったのもあります。40代であれば、まだ失敗してもやり直す力があると考えたんです。もし、子どもがいたらその分のパワーはなかったかもしれない、とは思いますね。

― 起業するにしても、いろいろな選択肢があった中で、キャリアカウンセラーを選ばれたのはご自身の経験とも関係しているのでしょうか?

内勤の部署に異動して一番辛かった時期に、わらをもすがる思いで勉強したのがキャリアカウンセラーの資格だったんです。当時、日本ではまだそれほど認知度は高くなかったですね。でも、たまたま同僚がその資格を持っていたこともあって詳しく知ることができたんです。そして自分自身のキャリアを真剣に考えたとき、「勉強してみよう」と思い、資格を取得しました。

そのときは「自分のキャリアをちゃんと考えたい」というモチベーションから始めたのですが、メンタルの問題や、挫折、転機の折に起きることを理論で学ぶと、自分のことも整理ができました。同時に、私のように、プライベートでも仕事でも、思い描いていた人生に挫折した人を支援することを仕事にしたいなと思ったんです。

社内でこういったサービスができないかについても打診してみたこともあったのですが、まだそのタイミングではなかった。じゃあ、独立してするしかないなあ、と決めました。会社を辞めてから産業カウンセラーの資格もとったのですが、それもメンタルの調子を崩した自分の経験が関係しているのかもしれませんね。

 


「子どものいない人生を考える会」ができるまで

  自分が“透明な存在”になった気がした

— 「子どものいない人生を考える会」をつくった背景にも、何か大きな出来事があったんでしょうか?

あれは思いつきなんですよ(笑)。最初から何か強い問題意識を持っていたわけでもなくて。ただ、自分が子どもを持たずにいることで、世の中から見えない、“透明な存在”になったような感覚があったんですよね。

― 透明な存在、ですか?

2013年ころ、「ダイバーシティ」をテーマにしたとあるメディアのシンポジウムがあって、行ってみたら「子育てをしながら、いかに女性が活躍できるか」というお話一辺倒でした。最後に編集長の方が「子どもを持つ女性の活躍を応援します」と言っていて、「あれ、私はここにいてはいけない?」と感じて。

ダイバーシティって、子どものいる人もいない人も共存することだと思っていたのに、この場には私の居場所がない…なんだか、ここにいるはずなのにいない、“透明な存在”だな、と。

今の世の中の「多様性」には「子どものいない」人は含まれていないのか?という違和感があったんですよね。「子どものいない人生を考える会」は、その前後でつくったのですが、その経験をきっかけとして、ちゃんと発信して、“透明な存在”から脱しなくてはという気持ちになりました。

運営としては友達に「良かったらフォローして」という感じでお話をしていたくらいでゆるくやっていたのが逆によかったのか、いつのまにかフォロワーが1,000人近くにまで増えちゃいました。

 

  多様な背景、共通する不安

― こう言っては失礼かもしれませんが、もっと大義名分のようなものがあるのかと思っていました。

「子どものいないことも多様性の1つなんだよ」、と言いたかっただけなんです。私は仕事柄、女性活躍にも関わらせてもらいますし、働く女性という立場からお話させてもらうこともあります。一方で、男性ばかりの管理職研修の講師もします。性別や役職経験など、私の属性の1つとして、「子どもがいない」ことを発信しているに過ぎないんです。でも発信してみたら、その属性の1つを必要としてくれる人がこんなにもたくさんいたということなのかな、と。

― 集まってくる皆さんには共通点のようなものがあるのでしょうか?

背景は本当に多様ですね。子どもがいないっていうだけで言うと、独身でいない人もいれば、結婚してもいない人もいれば、離婚していない人もいれば、子どもを望んでいた人もいれば、最初から欲しくなかったという人もいて。女性だけでなく男性もいます。そこで現状への問題意識を1つにまとめるっていうのは、すごく難しい。

アメリカで「子どもがいない」っていうライフスタイルをマーケティング対象にしたら、あまりにも価値観やライフスタイルが多様なので、「マーケティングできないね」ということになったらしいんですよ(笑)。

ただ、将来への不安は、かなり共通しているように思います。自分の老後に面倒を見てくれる「子ども」という存在は、確実にいないわけです。

私たちアラフィフくらいの世代だと、後期高齢者になって介護を必要としている親を目の当たりにしている人も多い。介護までは至らず日常生活はできるんだけど、たとえばネットショッピングやスマホが使えないなんてこともある。私たち子どもが、親のそうした問題をサポートしている中で、いざ自分たちが年をとったときに誰がそういったサポートをしてくれるんだろう?と、不安を抱くのは自然なことだと思います。

 


子どもがいる人もいない人も生きやすい世の中になってほしい

  働きながら子育てをする“だけ”が女性活躍の道ではない

ー 私がお話を伺っていて興味深いなと思ったのは、「子どものいない人生を考える会」の“ゆるさ”なんです。活動家のようにアグレッシブな発言をする方もいる中で、やわらかく活動を続けられる理由はどんなところにあるのでしょうか?

仮想敵がいないからでしょうか(笑)? 子どものいる人を批判する気もないですし、「子どもをつくらないの?どうしていないの?」と聞いてくる人も、必ずしも悪意があるわけではない。

私は均等法世代ですが、企業に入ってすぐに、「働くなら子供を持つなんてとんでもない」という価値観が根強くあることを感じました。それが約30年経って、「子どもをもって働き続けよう」というように、ガラッと変わってきています。その変化を基本的には素晴らしいと思っているので、「子どもがいない」立場から強く主張しないのかもしれません。

1986年に施行された男女雇用機会均等法というのは、「ジェンダーの観点で言えば男性も女性も企業の中にいることになったけれど、働き方としては女性も男性の働き方の基準に合わせなさいよ」というものだったと思うんです。

女性が男性と同じフィールドで働くことが制度的にはできるようになったのですが、従来の男性中心の企業社会の価値基準が是とされた。そうじゃない人たちは、適応できずに撤退を余儀なくされたという構図です。だから、均等法世代の私たちは「子どもをつくったら自分のキャリアが終わる」というような感覚があったんです。

でも気が付いたら育休法ができて「育休世代」と呼ばれる人たちが出てきた。この世代が一定のボリュームを持ったのは大きいですよね。さらにアベノミクス以降、働きながら子どもを持つのが、「女性活躍の理想」の1つのようになりました。

ただそうすると逆に「何で子どもをつくらないの? 子どもをつくるべきだ」という風になってくるのはちょっと違うんじゃないかなと。人それぞれ違っていいはずなので、うまく共存したい。Facebookページを続けている1番の理由は、そこです。

 

  作られたイメージを超えていく

― 共存という言葉で思い浮かんだのですが、結婚した人としない人、子どものいる人といない人など、女性間での溝についてはよくメディアで取り上げられていますよね。

実はそれも私が課題意識として持っているものの1つです。

女性同士の対立を煽るような言説がメディアを中心にチラチラ見られますよね。たとえば、女性活躍推進法が導入された頃に、「子どもを持っている女性をマタハラするのは、実は男性上司ではなく子どものいない女性上司だ」、「子どものいない人は、子どもがいる人をハラスメントするのは嫉妬しているからだ」とか。

もちろん、完全にない、とは言わないですよ。でも、子どものいない女性が、いる女性を注意したとして、それは単に上司として注意しただけかもしれないですよね。何をもって嫉妬と判断できるんでしょうか。その根拠を書かずに単なる憶測で書いていて、かつそれに同意している人が意外に多いことには驚きを覚えました。

そういった言説が出始めたことで、「そんなことはないですよ」と伝えることに力を入れるようになったかもしれません。

存在してもいない「嫉妬」が既成事実になってしまって、子どものいる・いないが本当の対立原因になってしまうことは避けたい、そう思うんです

 

  分岐の先にあるセカンドキャリアを考える

ー 「子どものいない人生を考える会」や、本業であるキャリアカウンセラーのお仕事など、幅広く活動されている朝生さんですが、今後の活動の展望を教えていただけますか?

今のテーマは「ライフシフト」です。日本、特に女性の中年期以降の人生は、これまで子どもがいることが前提とされてきた印象があります。でも私は子どもがいない人や独身の人 といった“想定されていない人”たちのモデルも考えていきたいです。

たとえば「セカンドキャリア」という観点で言えば、女性の場合は生殖年齢が終わるのと、セカンドキャリアを考える時期がだいたい一緒なんですよ。子どものいる・いないに関わらず、更年期などの体調の変化が大きくて、記憶力が落ちてきたり、会社勤めでのハードワークや、人の前に立つのが辛くなってきたりすることもあります。でも、そういうのを乗り越えてシフトしていかないと、平均寿命を考えても引退というわけにもいかないですよね。

身体の問題と経済的な面、仕事やキャリアの関係を考えたときに、どう乗り越えていくのがハッピーなのか。過去に体調を崩した経験も踏まえて、自分自身の興味としてもずっとありますね。

― 子どもがいる・いないを超えてセカンドキャリアをどう選んでいくか、というのはすべての女性に共通しているということですね。

そうです。もちろんセカンドキャリアの問題は、男性にとっても重要です。ただ男性と比べ、女性はキャリアの多様性の幅が大きいです。それだけに個別相談も重要であると思っています。

私のところにキャリアコンサルの相談に来られる人の中には、子どもを持たないバリキャリの方もいらっしゃれば、「仕事を続けることは続けていたけれど、子ども中心の生活を送ってきて、子育ての手が離れてみたら、会社に居場所がなくなってしまっていた」という、いわゆるマミートラックに入ってしまった女性もいます。

そこで、仕事中心でキャリアを積んできた人と、子育ての比重を一時的に高くした人が一緒にうまくやる方法はないかなと考えるんです。でも正直、ずっと仕事を中心にしてきた立場からすると、仕事への向き合い方の違いなど、言語化しにくいレベルで「あたりまえ」が通用しないことも多い。でもその違いも、見方を変えると実はけっこう興味深かったりするんですよね。

キャリアと子育て期の分岐を経て、また合流したときに、どうやって折り合いをつけていくのか?簡単な答えはないですけど、 何かそこから新しいものが生まれるのではないかという期待がありますし、今後も考えていきたいことの1つです。

 

  それぞれにあった貢献のカタチを

― 最後に、朝生さんが望む、理想の社会の形を教えていただけますか?

子どもがいる・いないの話で言えば、「子どもがいないことはネガティブなことである」というような価値観はなくしていきたいと思っています。叩かれる懸念もあり、「子どもがいない」ことについて実名を出さないで活動している人もいます。

私自身もメディアに出るときに「ごめん、名前が出るかもしれない」と親に言っていて(笑)。「子どもがいないことに堂々としているな、とか非難されちゃったらごめんね」などと言ってしまう自分がいるんですね。実際に、ある取材で名前が出たら、ホームページに匿名で否定的なコメントを書かれたこともあります。そういった社会全体の同調圧力のような空気も変えていけたらいいなぁと思っています。

ときに人口減の元凶みたいに言われることもありますけど、子どもがいなくても、未来への貢献の仕方はありますよね。

そういった違う貢献のカタチをキャリアコンサルタントとして一緒に考えていくことで、子どもがいないことへの後ろめたさが軽減されるならうれしいです。そして、子どもがいてもいなくても、安心して暮らしていけるような日本にしていきたいなと思います。

取材・文 / 佐々木 ののか、写真 / 内田 英恵

 


\あなたのSTORYを募集!/
UMU編集部では、不妊、産む、産まないにまつわるSTORYをシェアしてくれる方を募集しています。「お名前」と「ご自身のSTORYアウトライン」を添えてメールにてご連絡ください。編集部が個別取材させていただき、あなたのSTORYを紹介させていただくかもしれません!
メールを送る