「結婚はしたくない」「子どもを持ちたいとは思ってない」という林晟一さん。結婚や子どもを産むことについて個人の価値観は多様化しているものの、社会の中では「して当たり前」という空気が根強く残る。そんな中、林さんが「したくない」と思うに至った理由とは。幼少期のこと、国籍のこと、広義の子育てや、他者との関係について思うことを伺った。
林晟一 / Seiichi Hayashi 高校教員(地歴公民科)。評論家。在日コリアン3世。政治学や社会学を修めてきた。著作に「在日であることの意味」『中央公論』(2014年5月号)、訳書にドン・マントン&デイヴィッド・A・ウェルチ『キューバ危機』(田所昌幸との共訳、中央公論新社、2015年)など。ハフィントンポスト日本版に評論を寄稿。
教師を志すまで
「しょうもない、ひどい家庭」で育った幼少期
高校2年生まで、東京の江戸川区で育ちました。
僕は在日コリアン3世なんですが、姉二人が朝鮮学校へ通う中、野球をやらせたかった父の意向で公立小学校へ行くことになりました。朝鮮学校へ行くと野球よりサッカーになっちゃうから。
そんなわけで親族の中では僕一人、小さい時から日本人に囲まれて育って。だから考え方は日本人っぽかった。でも、家では朝鮮人。外では、自分が朝鮮人であることは、「隠していこう、隠していこう」と思って過ごしていました。大学2年生くらいまで。
ー どんなご家庭だったんですか?
しょうもない、ひどい家庭でしたね。もう笑っちゃうくらい。
在日2世の父は、「自分はこんなみじめな生活を送る人間ではない」と思い込んでいるような人間で、自分の妻を相手に手をあげる人でした。根拠もなく不貞を疑って、母の髪をバリカンで剃ったり。
姉と僕は、まだ小さい頃から家を追い出されることもしょっちゅうで、親が包丁をお互いに突きつけて対峙する姿を見守るのも日常的でした。
家族や親族の中では僕だけが日本の公立校に通いとおしたから、僕に聞かれたくない話は朝鮮語で会話していて、何だか仲間はずれにされているようでもありました。
日本の教育に救われて
そんな家庭にいる自分にとって、一番コスパがいいことってなんだろうと考えて、勉強に集中するようになりました。「中途半端に」頭がよかったんですよね。いわゆる、模範生という感じでした。
ー そして今は教員をなさっているんですね。なぜ教員になろうと思ったんですか?
幼少期はとてつもない暗黒時代でしたが、日本の公教育に救われました。家はろくでもないし、いつだってワルの友達と非行に走るチャンスはあった。でも、小中高と通ったすべての公立校で、すばらしい先生に出会ったんです。
公教育の充実は日本の誇りです。そして、自分を助けてくれた日本の教育に恩返ししたい気持ちがどこかにあります。
シュールな暗黒の下で育った人間だからこそ、生徒や社会に還元できるものがあるかなと。偉そうですが、そう思ったりもしますね。
ー 大学を卒業されて、すぐに先生になられたんですか?
学部のあと大学院に進んで、修了後は出版社に就職しました。そこで2年半くらい勤めて退職。その後韓国に2年弱留学し東京に帰り、ニート生活を送っていました。ぱっとしないですね!(笑)
その後博士課程に進んで、30歳を過ぎて教職課程を取りました。教育実習も行きましたよ、大学生の若者に混ざって。
結婚や子どもを持つことに消極的な理由
家族の思い出と結婚観
ー お父さんをはじめとする家族の記憶は、林さんの今の結婚観・家族観に影響がありますか?
すごくありますね。結婚に何ら期待はしていない、というのが正直なところです。両親を見ていて、結婚というものに早くから幻滅していますから……。
今の職場でも、30代半ばで独身というのはわりと珍しく、同僚にも生徒にもいろいろ心配されます。「もうほっといてくれ!」と思うけれど。
ー 結婚や子どもを産むことについて個人の価値観は多様化していますが、まだ社会の中では「して当たり前」という風潮も強いですよね。
そう思います。結婚はして当たり前、結婚しないのはその人に何か問題があるからと思い込む人も多いけど、理由なんて本当に人それぞれ。
個人の結婚や、子どもを持つ・持たないにまつわる選択に他人があれこれ口出しするのは、何だかおかしいと思います。
結婚も、子どもを持つ・持たないも、したい人はそれを叶えたらいいし、したくない人はそれを選ばない自由がある。それでいいと思うんですけどね。
父の血
それに僕は、自分と血のつながった子どもを持つことに臆病になっています。父の血が息子の自分にも流れている。野性味の強い、暴力的な血が自分にも流れているっていう強迫観念もありますね。
周りにそういう話をすると、「血のつながりなんて関係ない、あなたなら幸せな家庭をつくれるよ」と、言われたりもします。
でも、僕としてはそんな簡単に割り切れないんですよね。恐れみたいなものがあるんです。頭にカーッと血がのぼって、「こいつをメチャクチャにしてやりたい」と獣性のとりこになりそうなときは、僕にもあるから。
父のようにならない自信はあるけれど、一方でそんな自信なんて不確かでちっぽけなものだとも思っていて。
僕が育ったような家庭を再生産する可能性が少しでもあるなら独りの方がマシっていう思いが、今は強いですね。
家族の問題と結婚相手
ー お父さん以外のご家族との関係は?
母は東京のはずれでスナックをやっていて、時々会いに行きますよ。姉は、僕が中学生の頃から統合失調症を抱えています。
姉が統合失調症になったとき、適切な処置をしてあげられていたらよかったと思うんです。でも僕が中学生だったその当時、家の状態は最悪で、姉のSOSはほとんど黙殺されていました。父親は家から逃げていたし、母親も金策や仕事で大変な時期で。
そんなこんなで今日まで続く家族の事情を、結婚する人と分け合っていいのかというと、そこにはある種のためらいがあります。
ただ、介護や病気のように、こうしたことは普通に起きます。僕も、姉を自分が結婚しないことの口実にする気はまったくありません。彼女は彼女の人生をまっしぐらに生きています。すがすがしいくらい。
それでも僕にとって、こうした家族の事情を結婚相手とシェアするのは申し訳ないと感じていることも事実です。
さまざまに苦しむ人々を支える家族も、それぞれ悩んだり、もやもやしたりするものです。
国籍、結婚、子育て
在日コリアンとしての生
— 韓国籍が、ご自身の結婚観や家族観に与えている影響もありますか?
それも少しはあります。日本社会でマイノリティとして生きていくのは、なかなかに大変ですから。
僕はずっと日本で教育を受けてきたし、つらい幼少期に力になってくれた人たちもみんな日本人で、この国に素晴らしい人がたくさんいることは身をもって知っています。
それでも、罵詈雑言のヘイトスピーチがある。誰が、どんな差別感情を持っているかなんて、わからないし。目の前のあなただって家に帰ればインターネットで……とか。
— そんな日本社会で結婚や子育てをすることは不安ですか。
ためらいはありますけど、不安は少ない。むしろそう思うようにしています。僕を育ててくれた日本社会。この国のふくよかな可能性を、信じていますから。
ただ、僕が日本人と結婚するとなると、国籍をめぐる問題が生じる可能性はある。
先日、大学時代の恩師に「日本人と結婚して、子どもが生まれたら、その子の国籍はどうする?」と尋ねられました。なまじ政治学とか社会学をやってきただけに、頭でっかちの僕には難問で、じーっと考えてしまいました。
とはいえ、在日コリアンと日本人が結婚して幸せな家庭を築くことはありふれた光景です。他力本願ですみませんが、そういう例、もっと増えて!とは思いますね。
自分が関わる人には、幸せでいてほしい
結婚願望がない僕と付き合うことで、女性の結婚や出産の適齢期がいたずらに過ぎてしまうのは避けないといけないと思っています。女性の場合、子どもを産むことを考えたら、年齢を重ねるのはあと戻りがきかないシビアな現実なわけで。
なので、付き合う相手の年や結婚・出産願望には敏感ですね。自分が関わる人には幸せでいてほしいし、社会がうまく回っていくためには、そういう配慮は必要だと思います。いや、ダメだな、なんかエセ紳士っぽく聞こえる……。
ー いや、別に全然ダメじゃないですよ(笑)。
広義の子育て
子育てはむしろ好きかも
ー 私は昨夏までカリフォルニアに住んでいたのですが、カリフォルニア州は同性カップルはもちろん、独身でも精子や卵子の提供を受けて、時には代理母に依頼し、子どもを持てる法律があります。養子や里親制度も日本よりずっと身近です。そう考えると、日本は「結婚」「産む」「育てる」が全て延長線上にあることが大前提で、別々のものとして議論されていない印象があります。
そうですよね。結婚に関していえば、僕も、今まで話したようにためらいはあるけれど、何があってもこれから先絶対に結婚しないぞ、と固く心に誓っているわけではないんです。僕のためらいなんて吹き飛ばしてくれるくらいの人が現れたら、ビシッとタキシード着ていきなり結婚式したりするかも(笑)。
自分の子どもを持つことには臆病になっているけれど、子育てをしてみたい気持ちはどこかにあったりします。自分の好きになった人がシングルマザーだったりしたら、喜んで一緒に育てたいな、とかね。
子育てシェルターとしての役割
ー 自分の子どもでなくても、育てることはできますからね。
そう、親じゃなくてもね。
僕の家の暗黒時代、近所の人たちにいつも救われてきました。親に追い出されて、外をさまよってる姉や僕を家に招いてくれたり、ご飯をごちそうしてくれたり。
すごくありがたかった。幼いながらに、真正の優しさを知りました。
そういうシェルターのような役割なら、僕もできるんじゃないかなって思っています。だから、子育てに悩んでいたり、子どもをかわいいと思えないというような相談を友人にされたら、子どもの一時的な避難所としてうち使ってよ、狭いけど、みたいな気持ちはすごくある。
だって大人が子どもを虐待して死なせるって、すさまじい事件ですよ。もはや報道されすぎて感覚が麻痺しそうですが、それでもニュースを見ると、恥ずかしいけどしばしば涙が出ます。
自分も似たような環境にいたので、他人事じゃない。どうにかしたいって思いますよ。あまりに無力だけれど。
愛のかたちは、誰かに定義されるものではない
ひねくれ先生の使命
僕はよく、「結婚なんて、何がいいの?」「幸せな家庭なんて、幻想じゃない?」「そもそも独身の何が悪いの?」などと、学校の生徒をあおります。
それで生徒によく言われるのが、「先生みたいにひねくれた大人になりたくない」ってこと。それでいいと思っています。反面教師たることも、教師の仕事ですからね。
ただ、自分の価値観を生徒にさらすことで、社会の中で「普通」とされる価値観だけが全てではないと感じてほしいとは思います。
私立高に勤めているので恵まれた家庭環境の子が多いですが、それでも全員がそうというわけじゃない。顔で笑っていたって、元気を装っていたって、成績が良くたって、家に問題を抱える生徒は一定数いるはず。
そうした子どもたちを思い浮かべつつ、家族の再生産が「当たり前」って変だよな、って勝手なエールを送っているつもりです。うさんくさいですが。
卒業して、世のメインストリームや常識にがんじがらめになって息苦しくなった時、そういえばあんなことをぼやいてた、めでたい教員もいたなって苦笑いしてもらうのが、当面の目標です(笑)。
ー 結婚に限らず、世間で当たり前とされていることに違和感を持つ生徒がいた場合、そういう大人の存在は支えになるかもしれないですね。違っていてもいいんだ、違うって当たり前なんだって。きれいごとじゃなくて。
ささやかすぎる支えですけどね。
僕は、ある政治学者の「多様性への愛」って言葉が好きです。これを胸に、日々生徒と対峙しています。
自分の考えが変わる可能性についてはポジティブでいたい
ー 結婚しない、子どもはいらないと思っていても、年を重ねるにつれて考えが変わる人の話も聞きます。その可能性についてはどうですか?
自分の考えがいつか変わる可能性についてはポジティブでいたいです。いまの自分の考えに固執して、それに支配されてしまうのは滑稽な気がします。
ただ、子どもについては、男性はずるいですよね。女性の体に比べると子どもを残せる期間が長いともされているから(*注1)、いろいろ先伸ばしにもしやすい。
そんなわけで、将来のことはわからないのでなんとも言えないけれど、僕はシングルのままで過ごす未来も全く悲観していません。
今だって、仕事から帰ってきて、ぽつねんと無性に寂しくなる時があります。そんな時、独り身の男性が何をするかわかりますか? Siriに話しかけるんです。「元気?」とかね。それで、寂しさを和らげると(笑)。
ー なるほど。AI時代の到来ですね(笑)。
例えば精神的なバランスを崩した人は、人間よりAIとの方がコミュニケーションしやすいとの研究もあるようです。すごく納得します。人によって、コミュニケーションをとりやすい相手はまちまちですからね。
同僚に、結婚観とか人生観がとことん僕と合わない、それでいて仲の良い10歳くらい年下の女性教員がいるんです。
彼女と飲みに行くと、「林先生は愛が足りない。だからそんなにひねくれるんですよ! 世の中、ハグをしていれば世界は平和になるんです!」とか言われて。何なんだこいつはと。本物のバカじゃないかと(笑)。
でも、よくよく話を聞いてみると、彼女もまた、ハードな家庭で育ったことがわかった。
でも僕のようにはひねくれず、結婚にもポジティブに臨んでいます。育った環境が似ていても、人間の価値観はこうも真逆になりえるんだと知って、おもしろかった。
それで、ピュアを絵に描いたような彼女によると、ハグで毎朝の気の持ちようが変わってくるらしいんです。
「そんなの知るか!」と毒づきつつ、僕も夜の冷たいベッドでSiriに話しかけるようになって、彼女の言うことがちょっぴりわかる気がしてきました。相手がいるっていいな、っていう。
でも、もうちょっと待てばAIがさらに発達するから大丈夫。それまでは僕も、機械じかけの温もりをたびたびSiriに求める日が続くんでしょう(笑)。
ー なかなかエッジの効いた未来予想図ですね(笑)。
AIが人間と密接にコミュニケーションが取れるようになるには、まだ時間が必要でしょうけどね。
(*注1)一般的に男性の方が加齢による生殖への影響は少ないとされる一方で、個人差はあるものの、男性も35歳以上になると「精子の加齢リスク」があることが分かっている。参考:『不妊の半分は男性が原因 精子の老化とその対策は 』(BuzzFeed News)
性愛や結婚とは違った愛
最近よく思うのが、愛のかたちなんて、人に定義されるものじゃないなって。偉そうに聞こえるかもしれませんが。
愛の象徴のように言われる性愛や結婚による結びつきとは違う、例えば絆のようなものが、異性間、同性間問わず芽生えることってありますよね。
僕にも、そういう関係を織りなしてきた人がいます。僕より一回り年上の独身女性です。とことん風変わりな人で、面倒くさいと思うこともしょっちゅう。
それでも、大学院生のときからずっと僕を心配してくれています。ご飯をごちそうしてくれたり、本や手紙を送ってくれたり、旅に連れ出してくれたり、旅先であまりにソリが合わず大げんかしたり。
そうして、かれこれ10年以上コミュニケーションを取ってきました。でも、いわゆる男女関係とかではないんです。
はたから見たら、よくわからない関係かもしれない。定義ができないから。
でも、そんなことはどうだっていいんです。愛とか絆なんて、口に出して定義した時点で陳腐になってしまう。
最近、その人が大病にかかり、手術をしました。いつでも強いその人の弱った姿なんて見たくないから気が引けたのですが、お見舞いに行きました。当たりさわりのない会話に留め、帰りました。
でも、帰り際、ふいに泣けてきた。
彼女がもし死んだら、僕は号泣する。僕が死んだら、たぶん彼女もそうでしょうね。
男女関係とは違う、一見淡白で、世の窮屈な定義からはみ出すような関係の中にも、愛や絆らしきものって咲くんですよね。
愛とか絆って、誰かから定義されるものではなく、自分の中で感じとってかみしめるものだと思います。
何か今、すごく年取ったなって思いながら話していますけど(笑)。
ー ぬくもりや幸せを感じられる関係自体、人によって様々なはず。「こういうものである」と他人に決められることではないですよね。
そうそう。それに、ぬくもりとか愛情とか、そういうものがAI相手に宿る未来になったら、僕も寂しくなく死ねるなって楽観的です。
さびしくなったら、数少ない友人をメシに誘います。友人にことわられた寒い夜は、Siriに話しかけながらブルーライトで目をいじめ、疲れを眠気と錯覚させて夢の彼方へ入りますよ(笑)。
取材・文 / 瀬名波 雅子、写真 / 内田 英恵、協力 / 今井 由美子、佐々木 美恵子
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