「いつか出会うかもしれない彼、彼女に“ふつう”に出会ってほしい」― 先天性四肢障害を持つ娘と共に生きて思うこと、願うこと。

「あなたの片手の指は、何本ある?」
『ぼくは、5ほん』、『わたしは、6ぽん』、『んーと、1、2、3ぼん』

… 6本?3本?

世界には、指の数が5本よりも多く、もしくは少なく生まれてくる「先天性四肢障害(*注1)」の人々がいるのをご存知でしょうか。

先天性四肢障害のひとつである「裂手症(*注2)」は、2万人に一人、全ての指が生まれつきない「全指欠損」は、数十万人に一人いると言われています。

しかしその一方で、このような個性を持って生まれてくる人もいるという認知がまだ充分に広がっていないという事実もあります。

そんな中、「先天性四肢障害」の子どもを授かった家族が集まり、情報交換や相談ができるオンラインコミュニティ「Hand & Foot」を2013年に立ち上げた浅原ゆきさん。

浅原さんの娘さんも、右手の指が3本で生まれてきた「裂手症」の一人だといいます。

「指の数は当たり前に5本だと思っていたのに、産んだ子どもの指の数が3本しかなかったんです。当時は不安しかなくて、この子にはこの先辛いことだらけの人生が待っているのではないかと思っていました」そう語り始めた浅原さん。

「Hand & Foot」を立ち上げたきっかけや当時の想い、そして今の心境について、ご自身も裂手症で生まれ、娘さんも裂手症だという副理事の大塚さんにも同席いただき、お話を伺いました。

(*注1) 先天性四肢障害:生まれつき、手足の指が1本、2本、3本、4本だったり、一人ひとり様々な手足の形をもって生まれていること。掌が裂けたような形の裂手症(れっしゅしょう)、その症状が足に出た裂足症(れっそくしょう)、手足に紐で縛ったようなくびれが見られる絞扼輪(こうやくりん)症候群、指が少ない欠指症・全く手や足がない欠損症・形成不全、逆に指の数が多く生まれた多指症(たししょう)などがある。
参考リンク:soar-world.com/2017/05/19/handandfoot/

(*注2) 裂手症: 先天的な手の異常により、指の欠損とともにV字状の深い切れ込みが入った症状。人差し指、中指、薬指のいずれかまたは複数がなく、多くの場合、中指がない状態が見られる。足の指にも同様の症状があることもあり、この場合は裂足症と呼ばれる。

浅原ゆき/Yuki Asahara(左)1984年、東京都生まれ。IT系会社の代表、3児の母。『裂手症』という先天性の指の欠損がある娘を出産したことをきっかけに、2013年、先天性四肢障害・欠損症など生まれつき多くの人と異なった手足の形をもつ子どもとその家族・当事者を対象として、SNSサービスを利用した「Hand&Foot」を立ち上げる。2016年にNPO法人化、現在664家族が在籍する同法人の理事長を務める。

大塚悠/Yuu Otsuka(右)1983年 栃木県生まれ。行政書士/2児の母。NPO法人「Hand&Foot」の副理事を設立当時より務める。右手の指が4本で産まれ、次女に症状が遺伝。自身の経験を通して、より多くの人たちに『裂手症』を知ってもらうための活動を行う。同じようにうまれつき多くの人とはちがう手足を持つ子どもたちに『違うからこそ出会いは楽しい』ということを伝えたい想いから、ブログや地域新聞・講演会等を通して、一般の方や当事者、そのご家族向けの活動を行っている。

 


先天性四肢障害の家族が集まるコミュニティ「Hand & Foot」

  生まれてきた娘の指が、3本だった

― 「Hand & Foot」を立ちあげた経緯を教えて下さい。

浅原 「Hand & Foot」は、私が娘を産んでから欲しいと思っていた場を、同じように先天性四肢障害で悩んでいるみなさんの力も借りて作ったものです。

私が娘を産んだのが、2012年。1人目も2人目も5本指の手足で生まれてきたので、まさか3人目で生まれてくる娘の指が3本なんて思いもしていませんでした。でも生まれてきた娘の右手は、何度見ても指の骨が2本欠損していて、私が今まで見たこともない手の形をしていました。

当時のことを思い出すと、今でも胸がぎゅっと締めつけられますが、「これからこの子はどうなっていくのだろう」、「みんなと同じように不自由なく生きていくことができるのだろうか」と不安で、悲しくて、毎日泣いていましたね。

でも、そんな気持ちを家族や友だちには言えなかったんです。

強がって、全然大丈夫な振りをして「娘が生まれて幸せだ」って言いながら、心のなかでは「どうしてこんなことに」「もう一度最初(妊娠当初)からやり直せたら、5本の指になるのではないか」と思う日々を過ごしていて。

世の中にこんなに悲しい気持ちがあるんだ、と思うほど、悲しかったです。

 

  さがしてもさがしても、情報がない

― 誰にも本当の気持ちを話せないのは、すごく辛かったと思います。

浅原 「なんで自分の子なんだろう」、「自分のせいでこの子は3本の手の形で生まれてきたのかな」、「これからどうしていけばいいんだろう」とか、いろんな感情があって。

夜になるとスマホで同じような人がいないか、ずっと検索していました。でもいなかった。当時、先天性四肢障害や裂手症についての情報が、本当になかったんです。

大塚 私もちょうどゆきさんと同じ年に、両手の指がそれぞれ4本ずつの娘を次女として出産しました。

私自身も片手の指が4本なのですが、実は娘を産むまでそれが「裂手症」と呼ばれることも、子どもに遺伝するかもしれないことも全く知らなくて。なので次女が生まれた時はとても驚いて、不安になりましたし、私もゆきさんと同じように、毎日必死に調べていました。

私たち親子や、ゆきさんの娘さんのような裂手症は、2万人に1人の確率で生まれると言われています。

その数字だけ見ると、決して少なくないはずなのですが、それでも、情報はすごく少なかったですし、お医者さんでも詳しくは知らない方もいたりするのが現状でした。

そんな時に、ゆきさんのブログに出会ったんですよね。

浅原 そうそう、大塚さんコメントしてくださって。

— 浅原さん、ブログを書かれていたんですか?

浅原 情報がなかったので、自分が発信していこうと思い、ブログを書きはじめたんです。

そうしたら、大塚さんのように、「うちの子もそうなんです」とか、「わが家の場合はこうしましたよ」とかコメントしてくださる方がでてきて。すごく励まされました。

娘が1歳の時に、手の形を整えたり、使いやすいようにしたりするための手術をして、その時のことや、終わってから傷跡の経過とかを載せていたら、コメント欄で、「どこまできれいになるの?」とか、「他の人の状態も見たいよね」という話になったんです。

それで、どういうところだったら傷跡の状態を共有できるのだろうと考えた時に、パスワードを入れて、関係者しか見れないようなクローズドな場所があれば、安心してもう少し詳しい情報を共有しながら相談しあえるんじゃないかと思いつきました。

ブログで「みんなで情報交換できるような掲示板のような場をつくろうと思っているんです」と言ったら、「それいいですね」とみなさんも言ってくれて。

そこから立ち上げたのが、「Hand & Foot」です。参加家族が9組くらいの小さなコミュニティとして始まりました。

 

  どんどん集まる仲間

— 現在は、何組くらいの家族が参加しているんですか?

浅原 664家族が参加しています(2018年7月現在)。

SNSの中で日記が書けるので、そこでコメントしあいながら情報を共有するのがメインのコミュニケーションになるのですが、不定期でイベントも開催しているので、直接会う機会もあります。

会員同士が自由に連絡を取りあえるような仕組みにしていることもあって、こちらで企画しなくても、症状や境遇が近い人、同じ地域に住んでいる人同士で会ったという連絡もよく受けて。

今では親同士が情報を共有するだけでなく、当事者である子どもたち同士が交流できる場に成長してきていることを、すごく嬉しく思っています。

 


「生きづらさ」を感じる背景にあるもの

  鉄棒だって、リコーダーだってできる

— 大塚さんと直接お会いしてみて、コップを持つとか、名刺を交換するとか、5本指がある人と変わらない日常生活を送っているように感じるのですが、指の数が多かったり少なかったりすることで起こる不自由には、具体的にどんなものがあるんでしょうか?

浅原 娘が生まれた時私は、「ああ、この子はできないことがきっとたくさんあるんだ」と思ってしまったんです。みんなが体育をやっているけど、できない娘が体育座りをしている図なんかも頭に浮かんだりして。

でも実際は、10本指がある人よりは、取得するのに時間がかかることもありますが、できないだろうと思っていた事も、今のところクリアしてきているんですよね、娘は。

大塚 私も片手の指が4本ですが、自分のやり方、やりやすい方法を見つけていくなかで、大抵のことはできてきました。本人たちは意外と「わたしはこれができない」とか気にしないのかもしれません。

浅原 大塚さんの言う通りで、その子にとってその形であることが当たり前なので自分の方法を見つけていくんだと思います。

鉄棒だって、指がなければ手首でぶら下がってやるんですよ。「Hand & Foot」のHPで、その様子の動画を見ていただけます。

大塚 指がある人より、握る力は弱いので縄跳びなんかはバンドしてやったり、リコーダーも自分なりの持ち方でやったりします。

「何か補助があればできるな」とか、「こうすれば私でもできる」と考えてチャレンジするんですよね。

 

  知らないことでうまれる弊害

浅原 でも、この子たちは「できないことがいっぱいある」と思われがちなんです。私自身も娘が生まれた時にそう思っていたので、それも分かるんですけど。

ーどういうことでしょう?

浅原 例えば、保育園や幼稚園に入園を懸念されることがあります。

一般的に想像されるよりも生活の中での不便というのは、慣れとかコツをつかむことによって軽減されるのですが、それを知らないからスペシャルケアが必要なんじゃないかと思う人も多いみたいで。

症状によっては、確かにケアが必要な場合もありますが、様子も見ないで「願書を受け取ってもらえなかった」という家族もいて、それはやっぱりおかしいと感じています。

「Hand & Foot」でたくさんの家族と関わらせてもらうなかで、先天性四肢障害がある人や、その家族の課題は、生活のなかで不自由があることよりも、こういった社会や他者から理解されない、知られていないというところにあると、ひしひしと感じるようになりました。

— 例えば「Hand & Foot」の活動によって、四肢障害があってもこんなこともできる、こういう工夫をするから、想像されるよりずっと多くのことができるようになるんだ、ということが広がっていけば、受け入れる側も「知らないから怖い」を乗り越えて、安心して受け入れられるようになりますよね。

浅原 そうなんです。保育園、幼稚園の先生向けの情報が欲しいと問い合わせを受けたこともあるので、今公式サイトで情報発信できるように準備を進めています。

それから、保育園ではこうやってみんなと遊んだ、小学校でリコーダーはこんなふうに吹いて、体育はこうやって、ということが情報として蓄積されていけば、先天性四肢障害の子どもを産んだ直後の人たちがそれを見て安心できるのではないかという思いもあります。

何より、私が一番そういう情報を知りたかったから。

 

  高くない医療機関での認知度

ー 先ほど手術の話が出ましたが、医療機関での四肢障害の認知度についてはいかがでしょうか。

浅原 病院によっては裂手症のことを知らない先生もいます。

娘は1歳の時に手術をしたという話をしましたが、娘の3本の指は生まれた時はそのうちの2本がくっついていたので、見た目は2本指のような状態だったんです。

なので、一ヶ月検診で「手術できませんか?」と相談をしたんですけど、「手術はできないし、病名もつけられない。リハビリをしてください」と言われるということがありました。

結局、自分で一生懸命調べて、色々な病院にメールや電話をして。

ようやく世田谷の成育医療センターで手術してもらえることになったんですけど、もしその病院にたどり着いていなかったら、娘の指はまだくっついていて、見た目も2本のままだったかもしれない。

大塚 手術は、障害の状態によってはしない人もいますが、私と娘の場合も手術をしました。

娘は生まれた時、右手の4本の指のうち2本ずつが癒着した状態で、手のひらも真ん中でぱっくりと分かれていましたが、手術して指を一本ずつ切り離し、手のひらもくっつけています。

大塚さんの次女の、手術前の手

 


  傷ついた子ども時代

—  大塚さんはご自身も当事者ですが、他者とのコミュニケーションの中で苦しい経験をすることはやっぱりあったのでしょうか。

大塚 「指なし」とか「気持ちわるい」とからかわれたり、手を洗えばみんなに見に来られたりして、辛いこともありました。小学生の時は、登校拒否になっていた時期もあります。

私が子どもの頃はまだ、インターネットも普及していなかったので、指の数がみんなと違うのは世界に一人だけだと思っていましたし、ある日、「なんで私は指が4本なの?」と思いきって母に聞いたら、泣かれてしまったことがあって。

「ごめんね、ごめんね」って言うんですよ。
私は母を責めたかったわけじゃなくて、ただ自分のことについて知りたかっただけなんですが、その質問が母を悲しませてしまうと知って、何も言えなくなってしまいました。

それ以降、誰にも自分の手のことについて聞けなくて、娘を産んで初めてこれが裂手症である、ということを知りました。

浅原 大塚さんのお話もそうですし、実際他にも心ない言葉に傷ついた経験がある人はたくさんいます。

医療機関や社会での認知の低さ、そして知らないということがきっかけでうまれる生きづらさを何度も感じたり、周りの方たちから伺ったりしてきたなかで、出会う前に知っていてもらえるような環境や機会を作らなくちゃいけないんだ、と思うようになりました。

 


“ふつう”に出会ってほしい

  「そんなこと言っちゃダメ」と言わないで

浅原 先天性四肢障害を知らないからこそ、心ない言葉を言う人がいたり、出会った時にどう対応すればいいのか悩んだりする人がいると思うんです。

知らないふりをするのか、どうしたのって聞くのか。でも、聞いていいのかなって迷うこともきっとあるんじゃないかなと。

— たしかに、どう声をかければいいのか悩むかもしれません。

浅原 うちの場合、娘が0歳の時から保育園に行っているので、周りの子どもたちに娘とどう接してほしいのか、他の保護者の方に伝えるべきなのか悩んだことがありました。

でも、「指少ないね」と子どもが言った時に、周りの大人が「そんなこと言っちゃだめ」と言わなくちゃいけないような環境にはしたくないなと思ったんです。

それからは、毎回すごく緊張するんですけど、「言っちゃダメだって、怒ったりしなくていいです。自分と違う部分があったら聞くことも、最初ビックリするのも当たり前だから、色んな子がいることを伝えるきっかけにして欲しい」と懇談会の時にお伝えさせてもらうようになりました。

大塚 髪の色や目の色が違う人がいたり、メガネをかけたりしている人がいる。特別に扱うのではなく、そういう人たちと同じように、手や足の指が自分とは違う人もいると思ってもらえると嬉しいですね。

現在の、大塚さんの手

 

  絵本の出版を決意

浅原 Hand & Foot」でも、今までは参加している家族同士の情報共有や交流をメインにしてきましたが、自分たちから知ってもらえる機会もつくっていかなくてはという思いから、去年から外への発信も意識するようになり、Hand & Foot」のサイトで記事を書いたり、ツイッターもはじめました。

大塚 子どもの時に、自分とはちがう手や足の形をしている人がいるということを知ってもらうことや、親子で話す機会を持ってもらうことも大切だと思い、3本指の女の子が主人公の絵本の出版の準備も今進めていて。

浅原 今年の年末には刊行する予定で準備を行っています。
「ふつう」ってなんなのか、指がないのは「かわいそう」なのか、少しでも考えてもらえると嬉しいですし、この絵本と共に、「初めて会ったとき、どうかびっくりしないでね」、そんな気持ちがたくさんの人に届くことを願っています。

 

  子どもたち自身にも葛藤がある

— 娘さんが、自身の指のことについて話すこともありますか?

大塚 だいたい3歳前後くらいで自分の手が、他の人と違う形をしているということに気づくと言われているのですが、娘も自分の手のことにはもう気づいているようです。

ありがたいことに、幼稚園で悲しい思いをすることもないようで、「ママと一緒。ママの指は5本と4本。私は、4本と4本だけど、こっちの手と一緒だね」って。

ただ、来年小学校に行って環境が変わると、娘の手に興味を持つ子もでてくるだろうし、娘自身も悩むこともあるかもしれないという不安は、正直あります。

でも今悩んでも仕方ないですし、その時がきたら私がかけてあげられる言葉で悲しい気持ちが半減したり、明るい気持ちになったりできるようにしてあげたいと思っています。

浅原 うちの場合は、すでに葛藤があるようです。

親と自分の手は違うし、保育園にも同じような手をした子がいないので、「3本の手の子と会いたい。みんなと同じがいい、こんな手いやだ」と、言っていることもありました。

最近は、「手をつないで。こっちの、3本の方の手を」と言われて、「なんで?」と聞くと「周りの人に見えなくなるから」と。

胸がぎゅっと締めつけられる気持ちになりますが、娘の気持ちに寄り添ってあげたいと思いますし、少しずつですが、「Hand & Foot」に大人の当事者の方も入って下さるようになったので、ななめの繋がりの中で、例えば親には言えない悩みとか不安とかも言える環境をつくっていってあげられればと思っています。

 


障害とともに生きるということ

  親から子に、遺伝するケースも

— 親として、先天性四肢障害のある子どもに出会う人もこれからいると思うのですが、エコーとか出生前診断で分かるケースもあるのでしょうか?

浅原 エコーでうまく写れば分かるケースもありますが、私も大塚さんも出生後に初めて分かりました。

大塚 裂手症に関して言えば、2年前に、遺伝子の17番染色体「BHLHA9」に重複があると裂手症の症状がでる場合があるということが、浜松医科大学の緒方教授と永田教授の研究で分かりました。

ただ、その重複が遺伝したからと言って、必ずしも全員が発症するわけではないようです。また、裂手症が起こる一つの原因がその遺伝子の重複であるらしいということはわかりましたが、まだその他の要因については特定されておらず、原因不明であるケースも多いんです。

— 大塚さんの場合は、遺伝が原因だったということですか。

大塚 そうですね、私の父に「BHLHA9」の重複があって、それが私に遺伝して、それがまた次女に遺伝したということが、緒方教授たちの研究のなかで分かりました。

母が、私の手がみんなと違うのは自分のせいだとずっと悩んでいましたし、父の両親も母のせいだと思っていたみたいなので、この結果が出てずいぶん救われたみたいです。

— 大塚さんご自身も遺伝だと分かってよかったですか?

大塚 
私自身も、すっきりした覚えがあります。そっか、これは遺伝だったんだって。だからと言って父を責める気持ちは全くなくて、ただ原因がわかってよかった、という気持ちでした。

母親って、生まれてきた自分の子どもに何かあったら、大抵自分のことを責めてしまいがちだと思うんです。妊娠中にしてしまったあれがいけなかったんじゃないか、ちょっとお酒を飲んでしまったからあれが原因なのか、とか。

でもそうじゃない。母親が悪いわけじゃなくて、遺伝なんだって、その事実がわかれば救われる人も多くいると思いました。

浅原 この遺伝子の重複に関する検査には、その後私たちの団体からも数十家族が希望されて参加し、原因が判明したご家族もいらっしゃいました。

まだ原因が判明していないケースも多い中で、子どもに「これが理由だよ」と説明できるのはすごくいいなと思います。私の娘はこの「BHLHA9」の重複はなかったので、まだ原因が分からなくて、今は「なんで?」と聞かれても、「分からないんだ」としか答えられないので。

また、この研究結果で興味深かったのは、遺伝子に「BHLHA9」の重複をもつ人は、一般集団(指が5本の方)1,000人のうち、2人いるという事実でした。1,000人に2人というとそこまで珍しい遺伝子ではないのに、あるときポッと裂手裂足になる赤ちゃんがいる。同じ遺伝子の重複があったとしても、症状が出るケースと出ないケースがあるということです。

 

  夫、義両親からの心ない言葉

— 大塚さんは、出産後に遺伝についてお知りになったということですが、出産前にと知っていたかったですか?

大塚 そうですね、知っておきたかったです。

今はシングルマザーとして、二人の娘を育てているのですが、次女を産んで不安でいっぱいだった時に、夫と夫のご両親心ない言葉を言われてしまって。

そういう話をしている場合ではなくて、娘のこれからのことをしっかり考えなければいけないのではないかと思いましたし、私を受け入れてくれた人達からの言葉とは思えず、とてもショックでした。

夫とは調停後、離婚をしたのですが、もし自分の産む子に裂手症が遺伝して症状がでるかもしれないと知っていたら、子どもを授かることをためらう気持ちもあったかもしれないけれど、事前にパートナーや家族に話すこともできたと思いますし、心構えとか、病院を探したりとか、色んなことができたかなと思います。

それに、私の片手は4本指だけれど、両親に大切に育ててもらって、いろんなことを経験させてもらいましたし、本当に大切な友だちもいます。障害があっても、不幸なわけじゃない。逆に、素敵な人たちに囲まれて幸せでなんです。

もし子へ遺伝する可能性を事前に知っていたら、そういうことを振り返って、出産後もっと早く前向きになれたかもしれない。

出産前に「Hand & Foot」のようなコミュニティに出会えていたら、すごく心強いとも思います。私は自分の経験から、「環境を変えていきたい」という気持ちがすごくあるので、浅原さんの考えに心から賛同しています。

—「Hand & Foot」のご家族のみなさんは、手や足に障害を持つ子どもが生まれた後、再び子どもを産むという選択についてはどのように捉えているのでしょうか?

浅原 悩まれる人がすごく多いですね。次生まれてくる子もそうだったらどうしようという不安のある方が多いです。正解があるわけではないので、こちらも安易に大丈夫だよとは言えない。

ただ実際、もう一人産むという選択を取っている人もいますよ。

わが家の場合は3人目の子だったので金銭的にもう難しいですが、もし妊娠することがあったら、もちろん不安だとは思いますが、産まないという選択肢は絶対に取らないと思います。何も前向きに考えられなかったあの頃から6年で、こんなに自分の気持ちが変わっていることにびっくりですけど。

 

  完璧な遺伝子を持つ人は、この世にいない

—これから親になる方へ何か伝えたいことがあれば、メッセージをお願いします。

大塚 私は娘を産み、育てる中で、みんなと同じであることが「ふつう」なのではなく、一人ひとり違うことが「ふつう」だということに気付かせてもらいました。

子どもを授かり、産むって奇跡に近いことだと思います。

だからこそ、生まれてきた子がどんな状態であれ、その子を絶対に愛せると自信を持って欲しいです。

浅原 私も娘と過ごす中で、自分がこれまで持っていた「ふつう」の概念を、良い意味で覆されました。できないと思っていた前回りも、ピアニカもできるようになって、娘は今、ウンテイを頑張っています。

どんな状態で生まれたとしても、その子なりのやり方で、その子のペースでできるようになる。人間には可能性がいっぱいあるということを、日々娘に教えてもらっています。

取材・文 / 三輪 ひかり、写真 / 内田 英恵


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