「本当は何がほしかったんだっけ?」問いかけ、出てきたのは、“子ども”がほしい、ではなく、“家族”がほしい、だった。 <後編>

「家族をつくりたかった」という思いとともに、特別養子縁組で女の子を家族として迎えた、桑子亜希子さん。この<後編>では、親子になるプロセス、社会的承認を得ていく過程、そして、不妊治療を経ての養子縁組という選択への想いについて、伺った。

<前編>はコチラ!

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桑子 亜希子 / Akiko Kuwako     約4年の不妊治療を経て、2016年に養子縁組をして3歳の子を迎える。一般社団法人家族力向上研究所代表。未就学児の保護者の過保護・過干渉の防止、抑止や、園と父母との良好な関係作りを目的とした新サービスを展開している。

 


失われた時間を埋める、格闘の日々

  「ママ」が現実になるための第一歩

― ある日いきなり「ママ」になることに、抵抗はありませんでしたか?

抵抗というより、不安ばかりでした。

去年の夏は戦いでしたね。7月からの委託だったので、その少し前から、娘が私たちと一緒にいることに慣れていくステップとして、外出や外泊でうちに来ていたんです。その6月から8月の暑い時期は、本当に大変でした。不安で1,2分も離れられないんですよ、私から。どこに行くにもずっと抱っこです。でもこの期間は、私との愛着形成の期間なので、誰にも預けられない。そこが勝負、というか。

一番しんどかったのは、最初に、乳児院の大部屋から、「支援ルーム」という私たちだけで過ごす部屋に行った時。スタッフや同じ部屋の友だちから離されて、実質私とだけ過ごすんです。それが本当にきつかったです。

7時間ぐらい一緒にいるんですけど、ずっと泣いてるんですよ。

私の膝の上で抱っこされながら、大好きな担当の先生や仲良しの子の名前を呼び続け、叫び続け、泣き続けるんだけど、離れられないんです。膝の上でずっと、飲まず食わずで、おしっこもしちゃって、私も膝がもう、おしっこびたしで。

「そうだよね、そうだよね……。さびしいよね、さびしいよね……」って、背中を、トントンとたたいてあげることしかできなかった。もう思い出すと切なすぎて、今でも泣けてくるんですけどね。時々、先生たちが様子を見に来るんですけど、先生も泣いて、みんな泣いて。でもここを乗り越えないといけない。

この時までに、彼女は大好きな担当の先生ときちんと愛着形成ができていて、私は私で誕生日とか一緒に祝って、「ママだよ」って言われているんだけど、その、なんとなくふわふわした楽しい“ママ”が、現実になるための第一歩なんです。

「大丈夫」って無理に励ましてもウソになるから、「そうだよね。さびしいよね。かなしいよね。でも大丈夫だよ。一緒にいようね……」って、ゆらゆらしながら、ずーっと一緒にいるしかなかった。そのうち、あまりに泣いて、泣き疲れてぐてーっとなって寝ちゃったんですけどね。

この時がたぶん、彼女にとっても、最初の、最もつらい時だったんじゃないかな。

 

  「ママ」が現実になるための第一歩

その後、うちで暮らすようになってからも、ご多分にもれず試し行動があって。

じゅうたんの真ん中で、こっちを見ておもらしをするとか、食べ物を投げつけるとか、やめてということをわざとやるんです。彼女が自分でできることって、排せつ系か食べ物系のことしかなかったので、それでこちらが嫌がることをする。言うことは聞かないし食べないし、お互い緊張していました。

犬も怖いというので、仕方がないので飼い犬はケージに入れたままで。 

彼女もなかなか落ち着けなかったと思うんです。テントみたいなのを買ってきて、彼女がほどよく隠れられるような場所を作ろうかとか、あの手この手を考えました。 

でも、当初は四六時中離れられなかった私との距離の取り方が、徐々に部屋の中でちょっと離れられるようになったり、絵本を読んだり、DVDを観たりできるようになって。それこそパーソナルスペースとかできて、離れていても安心という感じになって。今はもう、待ってー!っていうぐらい遠くに行っちゃいます。

この距離の取り方で、愛着形成の確立度って分かるんだなぁと思いますね。 

子どもとの愛着形成については、幼稚園や保育園に関する仕事もして来たので、知識体系的には分かっていました。でも、本当にすぐそこの距離でも全く離れられなかったりとか、体感として分かったのは大きかったですね。

 

  安心感を得て、変わってきた娘の表情

最初のお試しから慣れるのに3ヶ月、もう少し慣れるのに半年、それで今、1年経って、なじんだというか、溜まっていたほこりが落ちたというか、彼女自身は本当に安心している。
今ではもう、他の親御さんと似たような感じではないかと思います。彼女はワガママ放題で、私は「何回言ったらわかるの!」っていうモードです(笑)。

この過程の中で、親族や友だちに紹介したり、彼女にとって今までになかった人間関係を作っていったわけです。

会話の中で「おじいちゃん、おばあちゃん」と出るんですけど、それまでは概念になかったんですよ。生後10日で乳児院に入っていますから。

彼女のその10日間がどんな風だったのかは知る由もないけれど、今は本当にみんなからかわいがられていて、彼女を囲む多くの手が出てきているし、彼女もそれを分かっている。だから、よりエネルギーが出ているし、ワガママも言えるようになっているんだと思います。

最初、試し行動の反抗的な時期が終わった後も、あんまり自由な感じはなかったんです。自分の欲求を表現しないというか。今でも時々、「〇〇していいの?」と許可を求めるみたいなところがあるので、「いいよ!しちゃっていいよ!」って返すんですけど。

でも、最初の頃に比べたらやっぱり表情が変わったと思います。乳児院ってたくさん写真を撮ってくれるんですけど、最初の方は、乳児院用スマイルというか、口の端だけ上げて、目が全然笑っていないというようなのがよくあった。

それが、本当に笑うようになったら、まぶたまで二重になってきちゃいました(笑)。

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子どもを迎え、社会的承認を得ていく過程で

  周囲に受け入れられて、始まる世界

― 出産を経て家族をつくるのと、養子縁組のかたちを取った家族をつくるのとでは、社会的に承認をさせていく過程で違いがあると思うのですが、周囲の承認という意味で、軋轢や、逆に思いがけない支援などがあったりしたのでしょうか。

何段階かあると思うのですが、まずは里親登録や養子縁組の申請のどこかのタイミングで、自分たちの親の許可を得なければならないんです。

ただ、自分たちの親は受け入れてくれるという確信があって、実際、主人の方の家族に説明する時には一般的な質問しかされなくて、「じゃ、いいんじゃない?」ぐらいで。私の方は、「他人の子を育てさせられるなんて」と、母親に不憫がられて泣かれましたけど、まあ反対されることもなく。

そこから兄弟、いとこ、仲のよい友だち、という風に輪を広げていき、本当に100%皆さんが受け入れてくれたんです。

産まれた時にはもらえなかった本当の意味での“出産祝い”を、祝福を、うちに来た時に初めてこの子はもらえたんだなと思うと、受け入れてくれた家族や友だちには、ありがとうという言葉しかないです。

 

  ブレない立場を取り続ける

ただ、出生の部分に関してはケアが必要だと思っています。もしかしたら、娘は、私が産んだと思っているかもしれないので。そこは、「真実告知」と言いますが、幼稚園に通わせている間にしようと思っています。

たまたま仲のよいママ友が妊娠してどんどんお腹が大きくなっているので、そういう状況をお借りしながら、こういう風に赤ちゃんは生まれてくるんだよ……、あなたを産んでくれたママがいて……、それで、今のママがいるんだよ……って。

あと幼稚園など子ども同士だと、理解できない部分もあるので、親が違うみたいなことで彼女が傷ついたり追い込まれたりすることがあってはいけない、そこにはならないようにと気をつけています。

それ以外に関してオープンにしていくことについて、抵抗感はないんです。私と主人にとっては隠す方が不自然、というか。

里親認定や研修を受けていく過程で、色んな里親さんと会ったり話したりしたんですけど、割とみんな隠してるんですよね。確かに日本は圧倒的に血縁主義で、難しい部分があって、それは私も実感している。ただ、子どもたちを見ていたら、そんなことを言っていられないという気持ちになって。

考えられないぐらいかわいい子どもたちが、ずっと施設で育っていくのかと思うと切ないですよ。だから、うちの家族を通じて、こういう選択をする人が出てくれたらいいなと。

それと、娘に対して私はコソコソしたくないという気持ちがある。後から色んなことが分かっていって、「自分は不幸だ」なんて思ってほしくない。オープンにしながらも、それでも愛されていることを感じてほしいんです。

他人が集まって家族をつくる時、欠けてはならないのは“ブレない立場”だと思っています。これからも色々あると思うんです。

「こんなうち来たくなかった、クソババア!」と言われることもあるかもしれないけれど、でもブレないで、「ああもうOK、OK。でもママはあなたを愛しているよ」と言い続ける、愛しているという立場を取り続けることに自信はある。それは主人もそう。

血がつながっていたって幸せとは限らないということは、私自身がよく知っているから。でも、だからこそ、あなたが来た時、ママはとっても嬉しかったんだよ」って伝えようと思っています。

それで彼女が「あ、この人たち、何があってもブレないな」と感じて、そこから自信をつけていってほしい。まあ、「こんなこと言われちゃった」って、陰で私も泣くかもしれないですけどね(笑)。

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子どもを社会で育む、そのメインの担当者として

  ひとつの「選択肢」として考えてみてほしい

私たちのように養子縁組を選ぶかどうかは別にして、そもそもこういう選択肢があることも知ってほしいと思います。実際、私だって卵子がどれだけ分割するか、何週間後にまた病院に行って、みたいな話でいっぱいで、主人の言葉がなければ、里親や養子縁組なんてまったく頭になかった。

声高に、この選択に手を挙げてください、というつもりはありません。ただ、私たちがこういう選択をしたということを言うことで、そんな選択肢があるんだ!と思う人がいるかもしれないし、この選択肢があると思えることでリラックスできる人もいるかもしれない。

実際、私がオープンにする中で、会いたい、話が聞きたいと言ってくれる人も出てきました。関心はあるんだけど勇気がなくて問い合わせができないとか、実際のところを聞きたいとかね。

私も、里親認定を取る過程で心境が変わった部分があって、子どもとの向き合い方とか、家族ってなんだろう、自分たちが本当にほしかったものは何だろうということを、改めて考えるきっかけになりました。

その体験も踏まえて、私の個人的な意見としてですけど、不妊治療の“次こそは”ループに陥っている人が、いったん視野を広げる意味でも、里親という選択肢をのぞいてみてもらってもいいんじゃないかな、と思っています。

 

  なるべくしてなった、という感覚

― 家族をつくるにはすごく努力も必要だと思うのですが、ご主人の生きてきた道、桑子さんの歩いてきた道、娘さんがたどってきた道の3つが、1本の線になったんだなという感じがします。

振り返ってみると本当にその通りで、感覚としては、なるようになったというか、なるべくしてなったんだなって。こういうことだったんだ! ウチの場合はこれだったんだ!って感じです。

“決める力”って、すごいと思うんです。子どもをつくるより、家族をつくる。そう決めたら迷いがなくなって、道が開けた。特別養子縁組か養育里親かで迷った時にも、私たちは一生つながっていたい、彼女が本当に社会的に自立できるところまで付き合いたい、それなら特別養子縁組だねと決めたら、狭き門だったけれど、養子縁組が成立した。

私は、自分の選択に対して後悔はない。不妊治療をやめたことに対してもスッキリしていて、私の家族のあり方はこうだったんだと納得できている。主人が言ってくれた「亜希子だったらできるんじゃない」というひと言が、大きかったですね。真意は分からないですけど(笑)。

私は色々と恵まれているのだとも思います。でもね、やっぱり、自分が手を出さなかったら、スタートしなかったんですよね。

 

  大切なのは“子どもの視点”に立てるかどうか

不妊治療も、あれはあれで頑張ったと思うんですよ。やっぱりやりきらなかったら、この選択に至らなかったと思うので。

肉体的にも限界が来ている感覚が、自分の中にあって。収束していくステージの中で大きかったのは、“私”とか“私たち”ではなく、“子どもの視点”に立てた、ということだった。「これから子どもが生まれてきたとして」と、親子の年齢差を考えたこともそうだし、「子どもを引き取るとして」と、子どもたちの置かれた状況を考えたこともそう。

それまでは自分たちの問題だけしか考えていなくて、子ども自身がどうか、ということを、完全に忘れていたんですね。養子縁組を考える過程で、“子どもの立場”というのをきちんと自分たちの中に置けたことが、大きかったです。

養子縁組も里親も、私は、「子どもが幸せになるための制度」だと思うんです。

私たち夫婦がインスパイアされたのが、“社会的養護”という言葉。「子どもは社会で育てるもの」と聞いた時、なんだかすごく腹落ちしちゃって。その通りだね、自分たちのものじゃないよね、と。

社会で育てる、そのメインの担当者が私たち。それでいいんじゃない? と思っているから、乳児院とも今も交流しているんです。それも彼女の社会のひとつだし、娘をここまでにしてくれたのは乳児院のスタッフだから、終わりにしたら娘がかわいそう。そこで育った記憶も含めて、彼女の大切な記憶として残してあげたいと思っています。

あの時、乳児院の「支援ルーム」で、私の膝で担当の先生や仲良しの子の名前を呼び続け、泣き続けていた彼女の写真、いつも持ち歩いているんです。

出産した人は、出産した痛みを忘れるって言いますけど、私も見ないと忘れちゃうので。この頃の経験を、私にとっての「精神的陣痛」、と言ってるんですけどね(笑)。

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取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 望月 小夜加

 


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