実妹を代理母として、「代理出産」によって女児を授かったロサンゼルス在住の石原理子さん。自身の妊娠中に子宮破裂。胎児は亡くなり、自身も生死をさまようことになった。再度の妊娠そして出産は、再び子宮が裂けるリスクが高いとアメリカでドクターから告げられる。そして提示された、代理出産と養子という2つの選択肢。夫婦で出した結論は、代理出産にチャレンジすることだったー。この<前編>では、代理出産を選択し実妹が代理母になった経緯や、代理出産を行うための準備、その時の想いについて話を伺った。
石原 理子 / Riko Ishihara ミラクルベビー代表取締役。日本で短大卒業後、AIU保険会社に勤務。1992年に渡米。学生からスタートし、その後、弁護士事務所勤務を経て、アメリカの永住権を取得。そこでの様々な経験と苦労が自身のアメリカ社会での仕事の基盤となる。代理母から生まれた我が子の出産に立ち会ったことがきっかけで、同じ境遇の人を助けたいとミラクルベビーを設立。卵子提供、代理出産、精子提供のサポートを、一般の夫婦を始めシングルや同性カップルにも提供している。
アメリカでの結婚・妊娠・流産と、妊娠中の子宮破裂
アメリカで学生からスタート
私は25年くらい前にアメリカに来て、それからずっとアメリカに住んでいます。学生で英語を勉強して、その後に仕事を通じて永住権を取得して、という流れで。初めにLAに来て、途中1年シアトルに行って、またLAに戻ってきました。
— もう日本には戻らないと思ってアメリカに?
そうですね。日本では社会に出て働いたし、もう十分かなと思って。若いうちに違う世界で色々経験したかった。親には1年で帰るからね、と言って出てきましたが(笑)。私が来る前にすでに妹がアメリカで結婚していて、よく遊びに来ていたのでなじみがあったこともありましたね。
だからアメリカに一人で住むことになっても、そこまで抵抗がなかったのかも。日本人の主人は結婚前から永住権を持っていましたが、私も以前から申請していた永住権が結婚直前に取れました。
子宮筋腫の手術後、二度目の妊娠中に裂けてしまった子宮
結婚してしばらくしたある日、妊娠したものの、流産しているということが分かったんです。稽留流産(*注1)だったので、掻爬手術(*注2)をしなければいけなくて。その時に、子宮筋腫が見つかりました。ちょうど転職のタイミングで休みが取りやすかったこともあり、一気に子宮筋腫を取ることにしました。
その後再び妊娠できたのですが、私の場合、手術後の子宮への負担が大きかったようで、妊娠中に子宮が裂けてしまったんです。子宮内にいた胎児は亡くなって、自分の命すら危ないという事態になってしまいました。
輸血もたくさんしたし、楽しみにしていた子どもも失い、子宮も裂けてしまった。その時は現実を受け止めるのに精一杯で、これからの妊娠のことも漠然としか考えられなかったし、これから待ち受けている困難なんてこれっぽっちも想像できていませんでした。
そして子宮が裂けた後のある検診日、婦人科医に、あなたの今後の妊娠については不妊治療の専門医に相談するべきと言われました。
初めに行った2つのクリニックでは、私のケースは稀で、一回裂けてしまった子宮のリスクが次の妊娠にどう影響するかはリサーチしてみないとはっきりとはわからない、ということでした。経験がないから、判断はできないと。不妊治療クリニックは不妊治療専門で、妊娠した後は産科が専門になるから、分野が異なるというのもあったんでしょうね。
その後行った3つめのクリニックで、不妊治療から産科まで診ているというドクターに出会いました。彼は同じように子宮破裂した女性のケースをすでに診ており、「人によっては出産できるかもしれないけど、リスクはあるよ。子宮がまた裂けてしまうリスクはぬぐえない。自分はそういうケースも診てきた」と言われました。
前に子宮破裂し入院した際には私の命すら危なく、また同じことが起こることを心配した主人はそのリスクを聞いて、私が産むことには絶対反対でした。
(*注1)稽留流産:胎児の成長が止まっているのに、子宮内にとどまっている状態
(*注2)掻爬手術(子宮内掻爬術):器具を用いて子宮内の胎児や組織を取り除く手術
急に浮上した、「代理出産」という選択
私が妊娠・出産するのはリスクが高い。ドクターからは代わりの選択肢として、代理出産と養子を提示されました。
— それまでも、代理出産を考えたことはありましたか?
全然ないです。代理出産という選択は頭にもなかったし知識も全くなかったので、その提案に驚きました。全く別の人が産むなんてできるわけ? という感じで。
でもそのドクターは過去に代理出産を行ってきた経験もあり、ごく当たり前の選択肢として捉えていたようでした。前に代理母になったことのある女性の話や、費用はだいたいこのくらいかかるよ、といろいろ教えてくれました。
代理出産を決意。妹が「代理母」に
「私が産むっていうのも可能なのかな?」妹からの提案
代理出産なんて考えてもいなかったけれど、そんな選択肢もあるんだ…。私はまだこのことを現実的にとらえられていませんでした。ですが、ドクターからの提案の直後から主人はもう乗り気で、「これでやってみようよ」と。
とはいえ、費用的にかなり大きな試みです。「どこからそんなお金が出てくるわけ?」と、私は思っていたんですけどね。
その後、ドクターから代理出産と養子の話が出たよと、シアトルに住む妹にしたときに「もしかして、私が産むっていうのもありなのかな?」と言われたんです。その前にも、私の子宮が裂けてまだ入院中の時、子どもを失ってしまったと聞いた妹が「大丈夫だよ、もしかしたら私が産めるかもしれないから」なんて言っていたことはあるんですが、その時はもちろんこんなことになるとはお互いに思っていなくて。
でも実際に、私にはその選択肢しかないらしい、となった時に、改めて自分が代理母になることはできるか、親族間でもこのようなことができるのかなど、ドクターに聞いて欲しいと妹から言われました。
早速聞いてみたら、妹に子どもがいるかを訊かれ(*注3)、子どもが二人いる、過去の妊娠出産も問題はなかったと言ったら、すぐに体を診ましょうと。それからはトントン拍子に話がすすんでいきました。
(*注3):カリフォルニア州で代理母になる条件の一つに、「少なくとも一人の子どもを自分で産んだ経験があること」がある。
— 石原さんのご主人や妹さんのご家族は、どのような反応だったのでしょうか。
私の主人は妹が引き受けてくれて喜んでいました。よかったよかった、って。妹の夫も、「それは素晴らしいことだから、いいと思うよ」と言ってくれたんです。妹は過去の妊娠中につらいことがほとんどなくて、妊娠生活を楽しんでいたんですね。だからきっと次も大丈夫、というのが前提にあったのだとは思います。
妹家族と同居していた私たちの母は、最初はとても戸惑っていました。医学的に操作するんでしょう、大丈夫なの? と。通常は一つの体に自然に起こることを二つの体に薬を与えながら行うので、母の戸惑いも当然と言えば当然です。妹はフルタイムで仕事もしているし、何かあったらどうなるの? とも言っていましたが、最終的には理解してくれました。
元々、母が心配することは分かっていたので、事前に相談ではなく、決まってから報告という形で伝えたんです。大丈夫、ドクターがついているから。受精卵を妹に移植して、後は妊娠して出産するだけだから、と説明しました。
正直なところ、当時はお互いにその知識が豊富にあったわけじゃなかったから、そのような形がよかったのかもしれませんね。
— 石原さんご自身、どうしても子どもが欲しいという気持ちがあったんでしょうか。
私がどうしても、というより、主人がすごく子どもを欲しがったんですね。こんなことになってしまって、ああ、主人が子どもを抱くことはもうないのかと思うとそれがとても苦しかった。
そこに妹が代理母になると言ってくれて、あ、道が開けた、という感じでした。
もともと主人も妹もリスクをあれこれ考えるよりも「まずはやってみよう!」というタイプなので、私よりも二人がこの代理出産に積極的でした。実際に私は二人の勢いに押された感じです。まだ始まってもいないのに、二人はもう子どもが産まれるって信じているんです。
まあ、それがよかったのかもしれません。いろんなことを考えると、怖いしキリがないですから。
法的なプロセスを経て、体外受精・代理出産の準備へ
話の具体化により、私の頭の中もだんだんとクリアになり、お金の出どころも主人と詰めていって準備を進めていきました。
代理母を親族に頼むことにはなりましたが、少なからず命の危険を伴うことを他人に依頼する行為であり、医師からは、必ず弁護士に代理出産契約についての相談をして下さいと言われました。
私たち夫婦も、いくら親族であってもその関係性に甘えてこのようなことを進めていくのは妹にもその家族にも申し訳ないですし、法的なことはしっかりしておかなければいけない、その方がお互いに気持ちよく進められると思いました。現実に、代理出産契約が締結されていないと、たとえ姉妹間の代理出産であっても医師は薬を開始してはくれないという事情もありましたし。
この辺りは、私たち姉妹はアメリカに長くいたので、アメリカの契約社会を自分たちの中にもすんなりと取り入れることができたんだと思います。
謝礼金も生命保険も、全て一般の代理出産と同じプロセスですすめました。
どんな人が代理母となっても同じリスクがありますし、契約書上にはたくさんの決め事が記載されていましたが、よく考えると「なるほど、妥当だな」と思うことが多くありました。
その時すでに私は40歳目前。医師からは、自分の受精卵を使うには、急がないといけない、毎日がチャレンジになるよ、と言われました。当時、私は不妊治療の知識があったわけではないので、「でもまだ30代。何がチャレンジなのか、何が難しいのかよく分からないな」という感じだったんですけどね…。
写真・取材・文 / 瀬名波 雅子
妊娠中の子宮破裂、「自分はもう、愛する人の子どもを産めないかもしれない」という苦しみ…。そのとき医師から提示された「代理出産」に、チャレンジすることに決めた石原理子さん。
続く後編では、代理母の妊娠・出産のこと、ご自身の経験をもとに、強い想いを持って立ち上げた事業について伺います。
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