妊娠中に子宮破裂。待ち望んだ子を失い、自身も生死をさまよった。もう、産むことは難しいかも…。苦しみの淵で提示された「代理出産」という選択。<後編>

「もう自分が妊娠・出産することは難しいかもしれない」—子宮破裂を経験し、苦しい現実に直面した石原理子さん。養子か、代理出産か…。実妹が代理母になると自ら提案してくれたことを受け、代理出産に挑戦することに決めます。<後編>では、代理出産に向けて動き出した時のこと、そこで立ちはだかった年齢の壁。ようやく現実となった、妊娠と出産。我が子の出産に立ち会ったことを契機にアメリカ・ロサンゼルスで立ち上げた事業と、そこに懸ける想いについて伺います。

<前編>はこちら

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石原 理子 / Riko Ishihara ミラクルベビー代表取締役。日本で短大卒業後、AIU保険会社に勤務。1992年に渡米。学生からスタートし、その後、弁護士事務所勤務を経て、アメリカの永住権を取得。そこでの様々な経験と苦労が自身のアメリカ社会での仕事の基盤となる。代理母から生まれた我が子の出産に立ち会ったことがきっかけで、同じ境遇の人を助けたいとミラクルベビーを設立。卵子提供、代理出産、精子提供のサポートを、一般の夫婦を始めシングルや同性カップルにも提供している。

 


いよいよ始まった、代理出産への挑戦

  なかなか育たない卵胞。40歳目前という、年齢の壁

代理出産を決め、一通りの手続きを済ませた後はすぐに体外受精の準備に入りました。私はホルモン注射も打ち始めて。でもなかなか卵胞が育たなかったんです。私の年齢だと8個は採卵したい、とドクターは言っていましたが、見えたのは3個。3個採卵したとして、全てが受精できるとも限らない。その受精できるか分からない、数も少ない卵子を採るために、採卵に何千ドルかける価値があるのか? という話をしました。

ああ、ドクターがあのとき、毎日がチャレンジになるよって言っていたのはこういうことだったのかと。年齢のせいで、思うように卵胞が育たないという壁にぶち当たりました。

その時は結局採卵せず、卵巣を休めるために3ヶ月ほど間を空けることをすすめられました。「毎日がチャレンジ」のはずが、3ヶ月も待つ時間はあるんですか? と思いながらも仕方なく待って、3ヶ月後にまたトライすることにしました。

同じように薬を打ち始めたら、今度は8個の卵胞が見えて、やっと採卵できたんです。受精卵もできたんですが、医師によれば、着床前診断(*注1)にまわせるほど元気がないとのことで(*注2)、すぐに移植することになりました。

(*注1)着床前診断: 細胞分裂の進んだ受精卵の遺伝子や染色体の異常を、解析して診断すること
(*注2)アメリカでは体外受精を行う際、受精卵の移植前に着床前診断を希望すれば受けられる。

 

  支えになった、家族からの励まし

妹も子宮内膜を整えてシアトルからロサンゼルスに飛んで来てくれて、すぐに移植することになりました。妹と相談して、双子を授かった場合の妊娠中のリスクを考慮し、3つの受精卵のうち1つだけ、妹へ戻したんです。
その移植は、結局失敗に終わりました。

その後ナースと話した時に、「あなたの年齢の受精卵ではなかなか着床しないですよ。次は、2個は戻したら」と言われて。私の年齢で、移植したものが全て着床することは稀だと、そのときに知りました。

他の2つの受精卵は凍結できるほど質の良いものではなく、廃棄。
私はひどく落ち込みました。みんなに応援してもらって、私自身も痛い注射に耐えて、それでこの結果? って。

でも主人と妹はすごく楽観的で「一回くらい失敗したからってそんなに落胆しなくても。次はきっと大丈夫だよ!」という感じでした。不妊治療の薬だけで何千ドルもするし、注射も痛い。これを続けても本当に授かる保証もないし、次にうまくいかなかったら止める、と私は思っていたんですけどね。

家族にも励まされ、その後3回目のトライを始めました。また8個採卵できて、3個の受精卵ができたんです。前回の反省から、妹とも相談して今回は複数個移植をしようと決めていました。2つの受精卵を妹に移植して、そのうちの1つが着床しました。

その時に妊娠し出産した子どもが、今の娘です。

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忘れられない妹の出産シーン。起業の出発点

  戸惑い・不安と、赤ちゃんを迎え入れるまでの気持ちの変化

妹の妊娠中、とても不思議な感じがしていました。私たち夫婦の子どもがお腹の中で育っているのに、私はそれを感じることがない。それを経験できない。自分が妊娠していなくて、ある日突然この家に子どもがきて、実感がわくんだろうか、とかね。子どものものを買い揃えていても、現実味がわくのに時間がかかりました。

でも、妹が今こんな感じだよ、と超音波検査で撮った写真や大きなお腹の写真を送ってくれたりして、自分の体を通しての実感はなくとも、そんなことから少しづつ、うちに赤ちゃんが来るんだなあと思えてきました。

 

  初めて見た、あんなに苦しそうな妹の形相

出産に立ち会った時、私は代理母が妹だったので、ナースも「ほらほら、髪の毛見えてるよー」とか教えてくれて、私も「え、どこー?」と言って覗き込んだり、そんなこともできちゃったりして(笑)。

出産のシーンは、今でも鮮明に思い出すことができます。妹だからずっと一緒に育ったわけですが、あんなに苦しい顔を見たことがない、というくらいの形相で。産まれた瞬間のことも、その時の感動も、鮮明に残っています。その時のことは、ずっと忘れられないです。今の仕事の出発点になっていますね。

あんな大変なことを、嫌な顔ひとつせずにやってくれて、妹には感謝しかないです。産むって行為は本当に大変なことだと思うから。あんな苦しいことを人のためにって、なかなかできることではないと思うんです。

小さな点だった受精卵が子宮に送り込まれて、9ヶ月の間(*注3)成長を重ねていく。妊娠・出産は本当に生命の神秘だなと思いました。

(*注3)アメリカでは日本と妊娠週数の数え方が異なり、妊娠期間は9ヶ月間とされている。

 

  出産の感動が、事業を続ける原動力に

私が今、代理出産のコーディネートを生き甲斐に感じているのは、今まで立ち会った全ての代理母の出産の感動が忘れられないからです。代理出産を依頼したい人がいて、引き受けてくれる人がいて。

依頼者にしてみたら、そのおかげでやっと親になれた、子どもを持てた、ということなんですよね。それはもう、お金には代えることのできない価値があると思うんです。

私の仕事の醍醐味は、ここにあります。サポートした方々に赤ちゃんが産まれ、「ありがとう」というメールや手紙をいただく時が、一番嬉しい瞬間です。

日本では卵子提供や代理出産は身近ではないし、なんで、そこまでして…って思う人も少なくないはずです。こういうことを仕事にしている私に対して批判的な考えを持つ方も、中にはいらっしゃると思います。

ですが、アメリカでは不妊治療の次の選択肢として、養子縁組と同様、卵子提供が、州によっては代理出産も当たり前に提示される、それもまた事実です。また、卵子ドナーや代理母は営利目的と言われることもあるけれど、私自身の考えとしては、そうは思わないんです。

卵子ドナーも決められたスケジュール通りに注射を打ったり、少ないとは言え採卵時のリスクもあります。代理母は依頼者の代わりに子どもを9ヶ月間お腹の中で守り、出産します。やはり、困っている人にすばらしいギフトをあげたい、という気持ちがなければできないことだと私は考えています。

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子どもを望む人の助けになりたい

  不妊治療における、日本とアメリカの選択肢の違い

— 一般的に日本の不妊治療は体外受精や顕微授精までしか選択肢がないこともあって、国際機関の調査結果(*注4)を見ても、結果が出るまで体外受精や顕微授精の回数を重ねることで治療が長期化する傾向が、統計データからも想像できます。

そうそう。日本では、ここで終わりにしようっていう線を引くのが難しいですよね。自分たちが治療を終わりにするって決めるときは、養子縁組を除けば子どもを持たない人生を受け入れるっていうこと。医師も、たとえどんなに可能性が低いとしても、体外受精や顕微授精まで治療が進んでいる場合、それ以外の提案が難しいわけですから。

日本でも、海外に行けばこういう選択肢があるよって教えてくれる医師も、中にはいるみたいなんです。でも費用もかかるし、価値観としても抵抗があったりして、日本ではまだまだ「大っぴらに言えないこと」でしょう? 

アメリカでは、医療費が高いこともあるでしょうし、可能性が低い場合は低いとはっきり言われます。望みが薄いことは長く続けない。結果が全ての国なんです。あなたの年齢で妊娠できる確率はこのくらい、他にはこんな選択肢があるよ、ってことをね。

日本人の中には、あまりにはっきり言われるのでショックを受けてこちらのドクターとは合わない、という人もいます。

でも私は、もしあの時、代理出産の選択をドクターが提示してくれなかったら知ることもなかった、子どもも持てなかっただろうと思うと、ドクター、本当にありがとうと思っているんです。

(*注4)生殖補助医療の効果や安全性を監視する組織「国際生殖補助医療監視委員会(International Committee Monitoring Assisted Reproductive Technologies:ICMART )」が2016年に発表したレポートによると、日本は体外受精の実施件数が60カ国中一位である一方、採卵1回当たりの出産率は最下位であった。

 

  子どもが欲しいという気持ちに、シングルでも同性間でも区別はない

— アメリカは、州によっては中絶を厳しく制限していたりと非常に保守的なところがある一方、カリフォルニアのように柔軟な州もあって、すごく不思議な国だと思います。

そうですね。代理出産を認めている州も数えるほどしかないですから。州によっては、代理出産は認めているけれど謝礼金は禁止、というところもあります。カリフォルニアは、シングルでも同性カップルでも、卵子・精子提供や代理出産が認められています。それが緩すぎるのではないかという話もありますが、法律面・医療面での整備は整っていると言えます。

私のところに相談に来る人たちの中には、同性カップルもいるし、最近はシングルの方も増えています。日本では今のところ、同性カップルで子どもを持つことは難しいし(*注5)、シングルで子どもが欲しくても医療行為はしてくれない。

あくまで個人的な考えですが、私は同性カップルでも、責任を持って育てていけるのであれば応援したいと思ってます。好きな人との間に子どもが欲しい、家庭をつくりたいと思う気持ちは誰でも一緒。それが同性だったと言うだけで、何を区別する必要があるんだろう、と思います。

シングルでも、そう。周りからのサポート環境があったり、子どもを幸せに育てていけるなら、いいのではないかと。もちろん、一人で育て切る覚悟や、そこから起こりうることに対応する覚悟は必要ですけどね。

同性カップルだから、シングルだから、それだけが理由で子どもが不幸になるってことは全くないと、私は思うんです。両親が揃っていても大変な育ち方をしている人もいるし、こんなに望んで子どもを持つことができたなら、親子の絆も大切にしていくだろうな、と。

日本から私のところに相談に来る人たちも多いですが、みなさんすでにもう十分がんばってきています。もうこれ以上がんばれないとなった時に、他の選択肢があることを知れば、また違う道が拓けるかもしれない。あの時の、私のようにね。

子どもがいないと幸せじゃないのかと言われたら、もちろんそんなことはないと思います。でも、もし子どもを望む気持ちを強く持っている人たちがいれば、私はそれを叶えるお手伝いがしたい。

「子どもを持つ」という、私にとっての夢を叶えてくれたこの場所で。
そういう思いで、この事業を続けています。

(*注5)戸籍上の親子関係はないが、日本では大阪市にて2016年12月、同性カップルが養育里親として認定された。

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写真・取材・文 / 瀬名波 雅子

 


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