まるで映画を観ているような。生田早智江さんの12年にわたるストーリーには、どこか、そんな広がりを感じさせるものがあります。生きることに真摯で手を抜かない彼女の生き様が、私たちに、瑞々しく語りかけてくるからなのかもしれません。この<後編>では、“卒業”にまつわる想いと、大きな人生の流れから不妊を捉え直した先に拓けた景色のことなどについて、伺いました。
生田 早智江 / Sachie Ikuta 1975年愛知県生まれ、自然豊かな場所で活発な子として育つ。中学から父の転勤でハワイへ移り、さらに伸び伸びと過ごす。5年後に帰国、大学卒業後は日本企業に就職。のんびりとした世界から一転、昼夜を問わず働く“戦士”として3社を経た後、2010年に人材教育の領域で独立。現在は「自分軸」をテーマに活動中。「働く≒生きること」であり、「働く」を充実させるためにも、ときには立ち止まり自分と向き合う時間が必要、との想いで、数々の活動に携わっている。
「子どもがいなくても私、幸せだ」
「やりきった」先にあった、前向きな人生の選択
ー これまでお話を伺った不妊治療当事者、経験者の多くがおっしゃっていたのは、「やめ時」の難しさのことでした。治療を続けるほど出口が見えなくなる中で、生田さんのように明確に“卒業”を宣言された方は、稀なのかもしれません。皆さん悩まれるところでもあり、生田さんご自身、10年以上も踏ん切りがつかなかったことに、なぜ清々しいほどの決断ができたのか、さらに掘り下げて伺えればと思います。
そう聞かれると、私も未だに不思議なんですけどね(笑)。でも、一つ理由を挙げるなら「やりきった感」なのかな。今回のことに限らず、何かを大きく変える時はかならず、自分の中に「やりきった」という感覚がある気がします。
まさに不妊治療もそうでしたけど、やるなら妥協せず、出し切れるところまでやるんですね。そうすることは、私の中では「自分自身に誠実である」ことと同義で。
まだできる力があるのに、途中で終えてしまうのはもったいないし、自分にも申し訳ない。だったら、傷ついてでもやろう、と。ストイックすぎるかもしれないけど、その先に、「やりきった感」があることも事実なんですよね。
あともう一つ、何かを変える時の自分の状態は絶対にポジティブであろうと、たとえドン底にいても必ずそこから抜け出してからにしようと、マイルールで決めていた、ということもありました。
ー では、採卵をこれ以上しないとか、治療から卒業するとかって順に決めて行けたのも、ご自身の中で「やりきった先の前向きな選択」だと感じられたことが大きいですか?
そうですね。そう思います。
ー でも、まさにその「やりきった」と感じられることこそ、当事者には一番難しいのでは、と思うのですが…。よく聞くケースとして、例えば全然着床しなかった人が着床まで行けたら、「次こそは!」となり、余計に終われなくなる。さらに、通院の他にあらゆる代替療法も試し始め、それでもなお、どこまで行ってもやりきった、とはならない、と。
ああ。言われてみると、私も全部トライしましたね(笑)。高額サプリを色々買って、ヨガもやって、鍼灸にも通い、子宝に恵まれるというスポットには積極的に足を運び、あらゆる神様に神頼みもしました。
でも最終的には、子どもを授かるという成果だけじゃないところに、自分の中での納得感、達成感みたいなものを感じられたから。それは本当に、感覚的なものですけれど。
「なぜ子どもが欲しいんだろう?」に、答えられない
― やめ時と同時に、例えば養子縁組についても考えられたんでしょうか。
考えましたね。ただうち、夫がもう今年で50なんですよ。そうするとどうも、養親の年齢制限に引っかかってしまう可能性があるみたいで。たまたま、私が見たところの情報がそうだったのかもしれないですけれど。
あとこれは、そもそもの話なんですが、こうしていろいろと突き詰めてきた中で、子どもがそんなに是が非でも欲しいかと問われると、正直、「?」が浮かぶ自分もいることに気づいたんですね。
もちろん、夫と自分の子を見てみたい気もするし、その成長に関わっていきたい気持ちもあります。でも、例えば従姉妹の子どもたちでも、もう本当に充分可愛くって。その子たちと何が違うんだろう?…と。
ー 今になって思えば、子どもをすごく育てたかったわけではない、と感じられたということですか?
うーん。正直、そうみたいなんです。なのに、振り返ると、子どもを授かるために10年以上も年月を費やしていて。じゃあ、私は何がしたかったんだ、っていう話なんですけれど。
治療の只中で苦しんでいた30代半ばくらいに、友人から「さっちゃんは、なんで子どもが欲しいの?」って聞かれたことがあったんです。それで私、「えっ…」って、絶句してしまって。
当時はまだ自分の中に「妊娠したいのにできない」という痛みがあって、それを直視できなくて、逃げたい気持ちが強かった。だから、その友人に、牙を剥くみたいに言い返したんです。「あなたはさ、産むのになぜ子どもが欲しいのか理由があったわけ?理由がないと子どもってできないの?じゃあ、それを教えてよ!」って…。とにかくガーッと、怒りの矛先が相手に向いたんですね。
でも今考えれば、図星を突かれる痛い質問だったから、あんなにカッとなってしまったのかな、と。「なんで子どもが欲しいんだろう、産みたいんだろう」って自分に問いかけても、やっぱり答えられないんです。
まあ、世間の子どものいる人たちがみんな、答えを持っているのかはわからないけれど。少なくとも私はそこに、未だに、答えを出せない。
自分の本音に気づいて思うのは、過去の私は、子どもを作らねばという自分に執着していたのかもしれない、ということです。でも、よくよく冷静に心の声を聞いたら、「私、子どもがいなくても幸せじゃない?」って(笑)。ああ、確かに幸せだ、と。
もし子どもがいれば、本当に未知なる世界が待っているだろうし、従姉妹の子どもですらこんなに可愛いのに、自分たちの子どもだったら愛してやまないだろうなって思うから、その世界を見てみたい好奇心は未だにあります。だから今も、自然に授かれるならウェルカムとは思っているんです。だけど、熱望するかのように願っているかというと、そうでもないんですね。
そんな自分が今いることに、改めて愕然としています。でも言い方はおかしいかもしれないけど、何が何でも欲しいと思っていた頃からすれば、憑き物が落ちたような感じがしますね。
再スタートのための、完全な休息
「踊り場」で、“私”を一回立ち止まってみる
ー ここまでお話を伺って、生田さんは、人生の岐路にいつもご自身で決断し、自覚的に次に進むということをされてきたんだなあ、と。すごいことですね。長年治療を続けていると、「次の自分」がなかなか描けなくなってしまう部分があると思うんです。そんな中でも、生田さんを見ていると、全力で取り組んだことに自分で区切りをつけるのは、その先を生きる上ですごく大事だと感じます。
ありがとうございます。正直、決めて進んできたことだけではなく、「人生迷子」にもたくさんなっていますけれど(笑)。最初の頃とかは、もう迷子になったらなりっぱなしで、ただ右往左往していましたね。
それが、20代を過ぎた頃からは、思うように進まない、体が動かない時は「踊り場」だな、と思えるようになって。折々で、一回休む、立ち止まる時があっていいよね、と。ずっと進み続けるのって、疲れちゃう。だからそんな時は、一回座っとこ、って(笑)。
実は、この数ヶ月がそうだったんですよ。3月に治療卒業を宣言した後から、燃え尽き症候群みたいになって。一つにピリオドを打ったら、急に踊り場に出てしまったんです。今まで一生懸命登って来たけど、あれ、登り終えちゃった…。で、どこ行く?って時に、階段も道も出てなくて、無性に疲れている気もするし…休むか!と。
それで一回座ったら、もう力が抜けちゃって。今まで本当にがんばってたんだなって、脱力してしまったんですね。一度そうなると、しばらく抜けられないんです。次に立ち上がるまでに時間がかかるというか。
6月頭くらいまで、スケジュールが入れられない、何も決められない、やる気が起きない、もともと決まっていた仕事だけ、気力を振り絞って何とかやり切る、という感じで。
この踊り場にいる間は、もうとにかく、自分に休憩が必要だったら休憩するし、癒しが必要だったら癒すようにしています。
そこで全部癒しきった時に、初めて、じゃあ次はこうしよう、が見えてくることがわかってきたので。だからもう、ままならなくても焦らなくなりました。自然のリズムに任せよう、と。
今回も何となく、夏至前後で復活する予感だけはしていたんです。そうしたら実際に、夏至を過ぎたあたりから、「私、ようやく戻って来たかも」という感覚がありました。エネルギーがまた、みなぎって来た!という感じがして。この先どこに向かっていくかは、まるでわからないですが(笑)。
不妊治療ならではの、特殊なストレス環境
ー 実際、それだけの休息を必要とするくらい、心身に負荷がかかっていた、ということでもあるんですよね…。
はい、そうなんだと思います。だから「私、がんばった、がんばったね」ってやっと自分に声をかけてあげられたんだと思います。
ー やっぱり、毎度あの内診台に乗るだけでも、全くストレスがないと言ったら嘘になりますもんね。
本当にそうなんですよ。「台が上がりまーす」と看護師さんに言われて、先生が来るまであの状態で待っている、何とも言えない時間。何も履いていない状態で両脚を開けたまま、目隠しに自分と先生の間にカーテンとかされちゃって。仕方がないことはわかっていつつ、下半身丸出しで人を待っているこの感覚。そもそも脚を開くのって、先生が来てからでよくないか?って(笑)。
ー ですよね(笑)。かつ、自由診療でお金もかかりますしね…。
もうね、麻痺するというか、変な感覚になりますね。私は現金払い制のクリニックに通院していたんですが、1万2万くらいなら「安い!」と喜ぶ自分がいて(笑)。
ある日の会計時も、まさかそんなに一回でかかると思わず、5、6万だろうと思っていたら、「13万です」って…。「ちょ、ちょっと銀行、行ってきてもいいですか…」と言って待合室から出てくるのは、我ながら情けない感じでした。でも今考えてみれば、普通はそんな10何万も、お財布に入れてないですよね(笑)。
家族たちに支えられて、救われて
「さっちゃんが、終わりにしようと決めたのなら」
そんな風に少なからず、ストレスフルな状態の数年間で。でも何とかやって来られたのは、夫の関わりのおかげも大きかったなと思います。
とにかく、彼は常に「どっちでもいいよ」というスタンスで(笑)。「さっちゃんと生きて行く。それで、普通にじいちゃん、ばあちゃんになって。そのままの2人の関係性でも十分満たされているし、僕はそれでいいと思う」と、彼はずっと言ってくれていて。
それが、今思えば、私にとってはすごく安心安全な場でした。自分がどういう状態になってもいいし、「どうにでもなれる自由な自分」でいられた、というか。でも、やっぱり渦中の時には、その彼のスタンスにキーッとなることも多々ありましたけれど。「おーまーえー!やる気あんのかぁ?!」って(笑)。
ー なるほど(笑)。でも、本当に素敵なご夫婦ですね。ご主人のスタンスは、終始一貫してブレなかったということですが、生田さんが治療卒業を決めた時には、何か、特にリアクションはあったんですか。
そのことで言えば、とにかく彼は、ずっと「さっちゃんはどうしたいの?」って聞き続けてくれていたので。私が、「もうそろそろ終わりにしようかな」と言ったら、「そっか」くらいの反応で、もう本当に、あっけないんですよ。私からすれば、「感情をはっきり出してくれ!」という感じがあるんですけど(笑)。
ー 「さっちゃんがそう決めたのなら」、ていう?
そうですね。もう本当にあの人、淡々としてるんですよ!ちょっと、おかしいくらい(笑)。でも、そこに救われていたこともあるのかもしれないです。
例えばこの数ヶ月も、ホルモンバランスの関係か、私がすごくイライラしていた時があり。「何がそんなに?」って自分でもわからないけれど、とにかく、何かにつけて全てがイラつく。ほとんどもう、思春期ですよね(笑)。
当然あたるのは夫しかいなくて、全ての矛先が彼に行った時にも、「さっちゃんは、イライラしたいんだね。でもそれ、他の人にはやってないよね?」って言われて。「やれるわけないじゃん!あなただけだよ!」って怒ったら、「そっか、そうしときな。それ外でやっちゃダメだよ」と、また淡々と諭すように返されて…。
そのことを友人に話したら、「さっちゃん、それはね、旦那さんに感謝しなきゃだめよ。そんな人いないよ」って戒められまして。「そんな風に、イライラしたいんだね。なんて普通、言ってくれないよ。逆ギレされておしまいだよ?」、と。
ー 本当に!そんな旦那さん、なかなかいないと思います。
そうなんですか…。でもそれはちょっと、納得がいかないですね(笑)。私、喧嘩っ早いというか。喧嘩ができる仲って信頼関係の証だと思うから、あえて相手にふっかけたりするんですけど、夫は“のれんに腕押し”で。どんなに突っかかって行こうとも、サラサラーって感じで流され。また私は悶々とする、毎回この繰り返しです(笑)。
ー お互いがその熱量で、真正面からぶつかり合っていたら、完全に砕け散って共倒れしそうですよね(笑)。
あっはっは!確かに。なので今くらいが、ちょうどいいんでしょうね。凸と凹でバランスが取れている、この状態が。
ともに生きてくれた、亡き愛犬の大きな存在
あともう一つは、愛犬ムーの存在が、やっぱりとても大きかったなと思って。この12年、彼女がともにいてくれたから、乗り越えて来られたんですよね。
彼女を通して、命を育むこと、生死をみていくこと、そして家族を亡くす、ということも。本当に、全部経験させてもらったんです。
最後の1、2年は、介護もさせてもらったし。彼女を通じて知り合った人たちとの出会いもかけがえがなくて、本当にみんなに愛され、みんなに対しても愛を与えられる犬だったんです。私が不妊と向き合ってきた年月は、まさに、彼女とともにいた日々に重なってあったなと。
ムーの話をするとまだちょっと、涙腺が緩んでしまいますね。聞いていただいてありがとうございます。
人生全体から経験を捉える
不妊という、越えていける一つの「通過点」
自分のことをたくさん話して気がついたんですけど、結構、私、人生において「痛み」に感じる出来事が、形を変えては繰り返しやって来ているんですよね。もう、この世から消えてしまいたいほどの痛みが。生きるってそういうことなんでしょうけどね。それがどういう頻度でやってくるかは、人それぞれだとしても。
他の人からすれば大したことではなくても、自分には絶望的に思えてしまうことが何度かあった中で、実際に越えてきたし、越えられることはわかっている。だけど、本当にその渦中の時はもう「どうすることもできない」ってことも、経験上わかっている、と。
だから、その繰り返しを経て、どうにもならない時は自分だけのせいにせず、「仕方のないことなんだな」と俯瞰し受け入れてみることも、徐々にトレーニングされてきたのかな、と思います。
ー そうですね。お聞きしていても、今の生田さんはご自身を客観的に、冷静に見ている感じを受けます。不妊との向き合いって、どうしても自分を見失いやすくしてしまうと思うんですね。子どもの産めない自分はダメだ、価値がないと、築いてきた自分の土台が揺らいでしまうような。
なんかそれって、「フェーズ」なんじゃないかと思うんです。自分を責めるフェーズ。自分以外の人を責めるフェーズ。で、そもそも神様を呪うフェーズとかも(笑)。人にはそういう、いろんな段階がきっとあって。
それに不妊っていうのも、今はようやく、人生におけるアップダウンの、ダウンの一つだと思えるんですよね。これが自分にとって唯一の、絶体絶命のダウンではなくて。あくまで、繰り返し来るものの一つに過ぎない、と。
「また来たかダウン、もういいんだけど!むしろ、もっとアップして、アップ!」みたいな本音も正直、ありますが(笑)。
いずれにしても、大局の流れの中では、一つの「通過点」なんだなあ、って。そこを越えれば、また間違いなく新しい展開があるわけですし。まあ、でも今回の私の場合は、12年。長かったですね…ははは。
選べるなら、私はまたこの人生を生きよう
ー その渦中を過ぎたら、どんな経験であっても、そこには意味があるということでしょうか。
はい!本当に。意味がある、ありますよね。
映画で「メッセージ(原題=Arrival)」って観ましたか?世界の12カ所に、地球へのメッセージを持った宇宙船が降り立ち、各国がコンタクトを始めるんですけど、言語がお互い通じなくて。主人公は、そのメッセージを読み解くことにあの手この手で向き合って行く、そんな話なんですが。
ここから若干ネタバレになっちゃうんですけど、ラストの一場面で、要は自分の未来が見えていて、それが自分にとってすごく痛みを伴うことがわかっていても、その未来を選ぶか、と。その決断を、主人公が突きつけられるようなシーンがあるんです。私にはとても印象的で。
自分に照らして考えるなら、アップダウンの多い半生を生きて来て、不妊もそのうちの一つで。じゃあ、仮に、また同じ人生をもう一回選べるとして、あなたはそれを選びますか?と問われたとしたら。
ああ、その答えはたぶん、「YES」だろうなって思ったんですよね。そこにはすごく、自分の大切にしているものに気づくチャンスがある、というか。
ドン底を何度か経験して、同じような立場にいる人や、性質は違えど痛みの渦中にいる人に、完璧には寄り添えなくても、せめて想いを馳せることができる私でいられることが、本当にギフトだと思いますし。
だから、その全てを経験せずに、ただ平坦に生きる人生があるくらいなら、言いながらもうやりたくない気持ちもあるけど(笑)、でも、私は今の生を選ぶか選ばないかで言えば、たぶん、選ぶんだろうな、って。
…あら、今これを嘘偽りなく言えている自分がいます。私、とうとう本当に復活したみたいです。やったー、復活した!(笑)
ー おめでとうございます、本当に!
ありがとうございます(笑)。
探求の旅路は、未知の自分へと繋がっていく
ー 不妊治療の卒業を宣言され、生田さんの人生の一幕が終焉したとともに、またこれから、きっと次の章が始まるんですね。
はい。そうですね。振り返れば、私にとっての30代は、「自分は何者か」という、自分のアイデンティティを確認するための、探求の旅だったと思うんです。私の使命は何だ?何をするためにここに生まれて来たんだ?ということをずっと、ずっと問い、考え続けてきて。
その自身の探求というプロセスにおいては、成長の機会が多々あり、そこに相まって、不妊という事象がピッと乗っかってきたんですね。
だからこそ余計に、この一連の経験は本当に大きな気づきをくれたし、いつの間にか、いろんな見方を許容できる自分を作ってくれていました。
その道のりを経て、40代の今。目の前に見えているものとしては、まずは教育、人財育成・人財開発の仕事、そして踊り場にいる人たちが立ち寄れる場の創造です。でも、私の中で持てあましているエネルギーが、果たしてそこだけで留まってくれるかな?という問いもあり、もしかしたら、全く違うところに今後、転換していくのかもしれないです。
ちょっと私自身も未知で。だからこそ未来が、心から楽しみですね。
取材・写真 / UMU編集部、 文 / 西部 沙緒里、協力 / 今井 由美子、水野健太郎
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