「がん治療の影響で、子どもができない」。もう誰にもそんな思いをしてほしくない。骨髄バンク設立に尽力した大谷貴子さん、がん患者の妊孕性を守る取り組み。

2017年7月13日、日本癌治療学会は「小児、思春期・若年がん患者の妊孕性温存に関する診療ガイドライン」を発表しました。抗がん剤治療によって髪の毛が抜けるといった副作用は知られていますが、妊孕性(にんようせい)が低下するという事実にはあまり注目が集まってこなかったように思います。
このガイドライン発表では、がん治療による妊孕性の消失が予想される、40歳未満で治療を開始したすべてのがん患者に対し、医師は妊孕性に関わる告知と妊孕性を温存するべく適切な処置をすることが義務付けられました。
今回のガイドライン発表は、どんな意味合いを持つのか。ご自身も白血病を発症されたご経験のある、特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問、大谷貴子さんにお話を伺いました。


大谷 貴子 / Takako Otani 1961年大阪市生まれ。1986年12月大学院在学中に慢性骨髄性白血病と診断される。1988年1月母親から骨髄提供を受け、生還。闘病中より日本での骨髄バンク設立運動に参画し、1989年10月東海骨髄バンク設立。1991年12月日本骨髄バンク設立に寄与する。2000年より自身の不妊体験から「がんと生殖」に取り組み、現在に至る。日本骨髄バンク評議員、全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問。著書に「白血病からの生還」「生きてるってシアワセ!」等。

 


  死を覚悟する中で出会った「骨髄バンク」という新しい概念

―「骨髄バンク」をはじめとした活動をされようと思ったプロセスをお聞かせいただけますか?

私自身が白血病を患っていたことがきっかけですね。発症したのは1986年12月、25才のときのことでした。当時は、他人から骨髄移植(*注1)を受けられる骨髄バンク(*注2)というシステムどころか、親子の骨髄の型は合わないと教科書に書かれている時代で、どの血液内科の先生も両親の骨髄を調べようとしなかった。なので、唯一の兄弟である姉と骨髄が合わなかったときはもうダメだと思いましたね。結果的には、母の骨髄を移植して今があるんですけど。

― どうしてお母さんの骨髄が合うということがわかったんですか?

本当にラッキーだったんですが、姉の旦那さんがアメリカ人で、私のために何かできることはないかとアンテナを張っていてくれたみたいで「アメリカで骨髄バンクというものができた」と教えてくれて。1987年の10月くらいのことです。

いろんな情報を集める中で、HLA(*注3)を趣味で研究している血液センターの所長さんのことを耳にして、アポなしで飛び込んだんです。それで仕事中だった所長さん相手に、姉と2人でガーっと一方的に事情を話して。そのうちに、両親のこととかを色々聞かれたりして、条件がそろえば親子のHLAでも型が合う可能性があるということがわかってきたんです。

京大病院の先生も、医師であった父も「誰がそんなこと言ってるの?」と言っていたし、私も半信半疑だったんですけど、いざ検査してみたら、母のHLAと型が合うことがわかりました。それが1987年の12月で、実際に骨髄移植したのが1988年の1月。発症からちょうど1年くらい経っていました。

(*注1)骨髄移植:白血病等の病気によって正常な造血が行われなくなってしまった患者の細胞を、健康な人の細胞と入れ替えることにより、 造血機能を回復させる治療法

(*注2)骨髄バンク:骨髄移植が必要な人のために、健康な人(非血縁者)の骨髄のデータをあらかじめ調べ、登録しておく機関

(*注3)HLA(Human Leucocyte Antigen) : HLA型は両親から半分ずつ受け継ぐため、兄弟姉妹の間ではHLA型が完全にあったドナーが4分の1の確率で見つかると言われるが、多くの患者は家族内にHLA型が適合するドナーを持たない。 また、非血縁者間でHLA型が合うのは、数百から数万分の1の確率と言われている

 

  がん治療で無自覚のうちに不妊に 

― 日本では初めての親子間の骨髄移植だった、ということですよね? 注目がかなり集まったのではないですか?

そうですね。親子間の骨髄移植もそうなんですが、アメリカで発表されたばかりの「放射線を浴びない骨髄移植」という最先端医療を受けることになったので、医師たちもどんなものか見たかったみたいで、薬を飲むときもたくさんの先生たちに囲まれて、まさにモルモット状態ですよ(笑)。

最終的には移植がうまくいったので命は助かりました。ただ、そのとき使った「ブスルファン」(*注4)という薬は、妊孕性(*注5)に一番悪影響を及ぼすものだったんです。それを知ったのは、3年後の検査で不妊が確定した後でした。

― 薬の副作用による不妊の可能性について、事前や事後に説明はなかったんですか?

私の場合は最先端医療だったこともあって、妊孕性に影響が出るかどうかは先生も知らなかったと思うんです。私自身も生理が戻らないことが気にはなっていたけど、検診のときに先生に聞いても「石の上にも3年って言いますから」と気長に待つように言われたし、当時は日本の骨髄バンクの立ち上げで忙しかったので、そのせいかな、と思っていました。

その後、3年経っても生理が戻らないので、おかしいなと思って採血してみたら、妊娠できないことがわかった。骨髄移植後3年目で29歳くらいだったんですけど、そのころって結婚とか第一子誕生とか、そういう時期のピークじゃないですか。そういうのを見ながら、私は、「子どもが産めない=結婚できない」と思い込んで自分を余計に追い込んでしまっていました。

― 妊孕性の問題について告知されないことは、珍しいケースだったんでしょうか?

私にだけ言わなかったのではなくて、当時は妊孕性の問題については誰にも告知しなかった。

患者の側も、セカンドオピニオンという言葉や、その概念すらもない30年前の話なので、お医者さんに何か質問や意見をするなんてありえない時代だったんですよね。「生きるための選択」をするだけで、精一杯。

でも、助かるにはその治療しかないという状況下でも、その治療によって妊孕性に影響があるかもしれない事実を事前に知るのとそうでないのとでは、その後の気持ちが違うと思うんです。

私自身は、治療によって無自覚のうちに不妊になり、その事実を突然、突きつけられてしまった。もう誰にもこんな思いをさせたくないと思いました。

(*注4)ブスルファン:抗がん剤の一種。DNAに強力に結合し、細胞分裂を止め死滅させることにより、がん細胞の増殖を抑える。
(*注5)妊孕性(にんようせい):妊娠のしやすさを表し、加齢によって低下するとされている

 

  未受精卵・精子の保存は、生き延びた先の“希望”になる

― 大谷さんが若年がん患者の妊孕性の問題に本格的に取り組み始めたのは、いつ頃ですか?

2000年ごろだったと思います。主治医の先生から「ガラス化法」(*注6)を用いた卵子凍結にて未受精卵子が液体窒素の中で半永久的に保存できるという記事を見たが、これを白血病患者に応用できないか」と連絡がありました。きっと私が不妊になったことをずっと気に留めていてくれたんだと思います。

すぐに主治医の先生と一緒に記事に載っていた、加藤レディースクリニックの加藤修先生に会いに行きました。私はその数年前に結婚していたのですが、先生は、私にも妊娠の可能性はまだあるんじゃないかと診察や検査までしてくれて。「あなたたちに子どもができる道がないか、探ってみる」と言ってくださったんですね。そこまで考えてくれたことがうれしかったです。

加藤先生はそれまでも、卵巣がんや子宮がんの人たちのことは見てきたと思う。でも白血病の薬で妊娠する可能性が消滅するっていうのは考えたこともなかったんじゃないかな。そんなに抗がん剤使うんですか、と驚かれたから。

結果的にその検査で改めて、私は不妊であることが確定して、それはショックだったけど、そこでまた強く「もう同じ思いを誰にもさせたくない」と思いました。卵子や精子の凍結保存がもし実現できたら、「社会が変わるかもしれない!」とむしろワクワクしましたね。

加藤先生に、「これからのがん患者さんに、未受精卵子・精子保存を格安な価格でお願いしたい」などと伝え、「ガラス化法」を開発された生殖工学博士の桑山正成先生が同席して、加藤レディースクリニックでの全面的な協力を引き受けてもらいました。

(*注6)ガラス化法:胚を急速に凍結することにより、細胞を傷付けることなく保存することができる方法。この方法では、受精卵、胚盤胞、未熟卵、卵子のすべてが凍結可能。

 

  患者本人が一番大変なときだからこそ、周囲の人がサポートを

― その後、未受精卵子・精子保存に関する具体的なエピソードにはどんなものがありますか?

夜中に白血病で救急に運ばれてきた18歳くらいの男の子が、その日の午後から抗がん剤治療をしなければいけない状況になって、「午前中に何とか精子保存させてもらえないか」って、私のところに朝、男の子の主治医から相談の連絡が来たの。精子保存をするためには加藤レディースクリニックまで連れて行く必要があったけれど、世界最大級の不妊治療の専門施設だから予約もいっぱいだし、普通は当日朝で午前中の予約なんて絶対に無理なんですね。

でも、加藤先生も承諾してくれて、その男の子の主治医も「僕が病院まで車で送る!」って言って。精子や卵子の保存って命には直接関わらないから、本来治療を優先するはずのお医者さんが率先して車まで出してくれるなんて、本当にすごいことで。

そうした皆さんの協力があって、男の子は無事に精子保存ができて、その後に抗がん剤治療を受けることができた。その男の子自身はそのときは命を取り留めることに必死で、治療の前になぜ慌てて精子保存しなきゃいけなかったのか、正直なところあまりピンときていなかったでしょうね。

でも、本人が一番大変なときだからこそ、周囲の人がすすんで10年後の可能性を残してあげる必要があると思うんですよね。

 

  「がんになっても、子どもを作りたいんです!」

― 今回の「小児、思春期・若年がん患者の妊孕性温存に関する診療ガイドライン(*注7)」発表について、大谷さんの率直なご感想を教えてください。

ガイドラインを読んだら臓器別にすべてのがん患者さんに向けて書かれていたので、このガイドラインの発表で白血病だけでなく、どの臓器の患者さんもすごく喜んでいると思う。実際、子宮がんや卵巣がんなど、元々妊孕性に関係のある婦人科専門の先生でさえ、卵子保存などの高度生殖医療のことはよくわからないらしいんです。今の専門医を育てるというお医者さんの育成システムの都合上、それは仕方のないことだったのかもしれない。

でも、今回のガイドラインも含め、その壁を突破させたのは患者さんなんだなと思う。「がんになっても子どもを作りたいんです!」と強く言い続けた人がいたから今があるんだと思います。

― このガイドラインができたことによって、今後どのようなことが変わっていきそうですか?

ガイドラインができたことによって、妊孕性についての告知が義務になったので、がん患者さんは事前に精子や卵子を保存してから、抗がん剤治療に入ることができる可能性が高くなる。先生もできる限りの協力ができるよう、スケジュールを組みなおしたり、知識をつけようと努力してくれたりするから環境が整いやすいと思います。

もちろん急性のがんは一刻も早く抗がん剤治療をする必要があるから、女性の場合は特に生理周期の関係で保存できずに終わってしまう場合もあるんだけど、それでも事前に話を聞いたうえで治療に入ることができますよね。

(*注7)外部参考リンク:「小児、思春期・若年がん患者の妊孕性温存に関する診療ガイドライン」

 

  モチベーションの源泉は“怒り”、その延長線上には“愛”

― 大谷さんの活動はいつも“誰かのために”という大きな愛がベースにあるように感じます。ご自身の白血病発症から30年近くこうした活動に携わられてきたわけですが、そのモチベーションの源泉は何なのでしょうか。

怒り。これはすぐに即答できますね。「アメリカに骨髄バンクあるのに、何で日本にないねん!」「何でわたしには子どもができないの!」って。

“人のために”なんて、私はそんな優しい人間ではないです。未だに思うけど、私がもし再発したら母は85歳だから、たとえ母がもう一度骨髄移植のドナーになると言ってくれても、高齢で病院が許可してくれない。私自身、そもそも骨髄バンクがなくて死にかけたわけだから、再発したときに助かるように作った。それだけです。

― ただ、妊孕性の問題に関しては、ご自身が問題の当事者でなくなる時期も来ますよね。そうすると活動を続けても、大谷さん自身に返ってくるものが少なくなってしまうのかなと思うのです。ですからこの活動を続けるということの根底には、他の患者さんへの大きな愛のようなものがあるのかなと感じています。

私は活動しているうちに、自分が子どもを産める年齢を超えちゃった。でも、結婚してからは憑き物が落ちたみたいになったんです。「子どもができない=結婚できない」と思いこんでいたところに、子どもを産めないことを理解した上で結婚してくれる人が現れたわけです。確かに結婚して以降の活動は、他の患者さんへの愛と言ってもいいのかもしれないですね。

 

  自分の「理想の未来」が叶ったときのこと

今までで一番嬉しかったのは、未受精卵子を保存しておいて、その後付き合って結婚した人との子どもを授かった人がいることですね。もちろん発症当時に付き合っていた人と結婚してもいいんだけど、発症したときにパートナーがいるかってわからないでしょう?

病気を経て、そこからまた新しい恋愛をして、全てを受け入れてもらった上で結婚して子どもを授かる。他の人はわからないけれど、それが私にとって理想の未来そのものだった。

だから、保存していた卵子を使って赤ちゃんができたご夫婦に結婚式に呼んでもらったときは「私の体、揺れてんちゃうか」っていうくらい、感動しちゃって。

― 大谷さんの夢が代わりに叶ったような。

そう。もう「おばあちゃん」って呼んでもらってる(笑)。病気になったときに付きあっていた彼氏でもないし、「どこかに卵子を凍らせている」って言ったら、理解のない人だったら「気持ち悪い」と思う人も中にはいるかもしれない。そういう壁をすべて1個1個クリアしていってくれた。

その患者さん、生まれた赤ちゃんと一緒に血液学会にも登壇してくれたんですけど、治療の合間の卵子凍結にあれだけ反対していた血液の先生たちもみんな、赤ちゃんに向かって笑顔で手を振っていて。あれも感動したなぁ。そこから変わってきた気がする。

 

  白血病を薬1錠で治せる世界を見たい

― 大谷さんの“これから”の夢は何ですか?

白血病が薬1錠で治せるようになることですね。医療が進歩して、白血病が今ほどの大病でなくなる世界になるといいなと思っています。骨髄バンクも必要ないくらいに。

それから「妊孕性」についても、当たり前に語られる世の中になってほしいですね。そういった意味で、今回のガイドライン発表は、私のこれからの夢への第一歩なのかもしれません。

取材・文 / 佐々木 ののか、写真 / 内田 英恵