6年間で600万円を使った不妊治療のどん底で見つけた希望の光、里親制度。5ヶ月の赤ちゃんを里子として迎えた前作の子育てエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』が好評の漫画家の古泉智浩さん。今回、里子の「うーちゃん」を特別養子縁組し、晴れて「自分の子ども」となり、『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』を刊行。聖人君子でもない、“ダメダメな”男でも親になれる? ざっくばらんに、率直なところを伺いました。
古泉 智浩 / Tomohiro Koizumi 1969年生まれ。新潟県出身・在住。漫画家。ヤングマガジンちばてつや賞大賞受賞。代表作『ジンバルロック』『チェリーボーイズ』『ワイルド・ ナイツ』、原作漫画『青春★金属バット』、『ライフ・イズ・デッド』『死んだ目をした少年』が映画化。2015年に子育てエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』(イースト・プレス)を刊行。2017年12月コミックエッセイ『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』(イースト・プレス)を発売。
「うちの子」――里子が自分たちの本当の家族になる
―前作『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』では不妊治療の末に5か月の赤ちゃんだった「うーちゃん」を里子として迎えての日々がつづられ、今作『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』では少し成長した「うーちゃん」を特別養子縁組で自分たちの戸籍に入れるプロセスや、「うーちゃん」との日々の生活が描かれていますよね。その「うーちゃん」との日常は「本当にふつうの子育てだな」と共感を持って読みました。まず、前作『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』について伺いたいのですが、ご自身のこともかなり赤裸々に書かれていますよね。周囲の反応はいかがでしたか?
前作は、これまで僕が出したどの本よりも売れたんです。漫画よりも(笑)。だから変なこと書かなきゃよかったと思って。里親をする親切なおじさんの話を読みたくて手に取ったら、こいつクズじゃねえか、みたいなレビューがあって、あー、失敗したなあって思いました。でも変に隠し事をして、あとから掘られて叩かれてホコリが出る方が恥ずかしいし、まあ、聖人君子じゃなくても児童相談所は里親登録させてくれますよ、ということが伝わるかなあと思いました。
― 今回の『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』では、里子だった「うーちゃん」を、特別養子縁組という制度で、実子と同じように自分の戸籍に入れた体験が描かれています。専門用語の解説や、特別養子縁組に必要な要件など、専門知識のない人でも分かりやすく書かれていました。家庭裁判所とのやり取りなど、あまり知ることができない部分もリアルで興味深かったです。
裁判所とのやり取りは本当にあっさりしたもんでした。調査官には、僕のFacebookの育児日記を出力して提出しました。審査で不適格だと判断されると困るので、そのために写真アルバムも作ったんですけど、いざアルバムを作るとベストセレクションで、いいもんですねぇ(笑)。
― 裁判所の調査官に「離婚はしませんよね」と質問されるくだりは印象的でした。ああいうことを聞かれるんですね。
あれはドキッとしました。そんなことを聞かれると思ってなかったので。妻も同じ質問を受けたみたいです。
― 奥様もあとがきで「たとえ仮面夫婦になっても離婚だけは絶対にしない」と書かれていますね(笑)。
ハハハハ(笑)。
どん底の不妊治療、そして里親登録へ
― もともとは自分たちのお子さんを持ちたくて、不妊治療をされていたんですよね。前作に書いてありましたが、最終的に6年間で600万円使ったと。
流産しちゃったんですけど、人工授精で1回妊娠したんです。だから続けていれば、またすぐできるんじゃないかと、最初は軽く考えてました。まさかそんな泥沼にはまるとは想像だにせず……。
世間では、「40ウン歳で第1子妊娠成功しました!」みたいな成功例ばかりが取りざたされて、あんまり不妊治療がうまくいかなかったという情報が流れていないじゃないですか。それってひどいぞ、と思いました。不妊治療の成功率が何%かとか言われてますけど、精子と卵子の状態にも左右されますし、何回かやっていれば妊娠できるとか、そういう確率でもないんですよね。
― なかなか自分の子どもがほしいという気持ちを手放すのは難しいという方も多いと思いますが、里親に踏み切ったのは、きっかけがあったんでしょうか?
不妊治療を続けていても、いつになったらうまくいくか全然わからないし、だんだん焦ってきて、僕が、「1秒でも早く子どもといる生活をしないと、もう狂ってしまう」、みたいな感じだったんですよ。誤解を恐れずに言えば「子どもならもう誰でもいい!」ぐらいの気持ちでいました。
それで、民間の特別養子縁組あっせん団体を調べていたら、「児童相談所の里親登録をしてることが前提です」という項目があるのを見たんです。里親になる年齢にも上限があったり、けっこう細かい条件があったので、なんにしろ「まずは児童相談所で里親登録しておこうという話になりました。でも別に里親登録をしたからといって不妊治療をやめるわけではないので、「同時進行でやればいいじゃないか」と妻を説得しました。実際そうしてましたしね。
でもまさか、里親研修を受けてすぐ、子どもを預けてもらえるとは思ってなかったんですよ。「そんなもん所詮、お役所仕事だろう」と疑って、信用してなかったんです(笑)。今では失礼な考えであったと反省しています。
― 一応、登録だけはしておくけど、という感じだったんですね。
そうそう。本当、最初は民間のあっせん団体で養子縁組してもらうための踏み台ぐらいにしか考えてなかったんですよ(笑)。そしたら児童相談所がすごく手厚くケアしてくれたのでびっくりしました。
「社会的養護」との出会いと衝撃
― 奥様があとがきで、自分たちはすごく子どもがほしくて里親登録の説明会に行ったけれど、そのときに、「里親制度は子どもがほしい親のための制度ではない。子どものための制度なんです」と言われて、どこまでも自分本位だったことに気づきショックを受けた、でもその「社会的養護(*注1)」という考え方はすごくいいと思う、と書かれていました。それについて古泉さんはどう思われますか。
説明会でそう言われた時もショックではあったんですけど、児童養護施設に研修に行って子どもたちと触れあったら、やっぱりなんかもう切なくなっちゃったんですよ。
こんなにも手を差し伸べるべき存在がいるのに、何もしないでのうのうと自分のことだけ考えて、いい大人が恥ずかしい、くらいのことを考えたんですよね。だから児童養護施設に行ったときからグッと「これは子ども中心の制度、子どものためのシステムなんだ」という気持ちが強くなりました。
― 里親として預かる子どもについて特に希望は出されなかったんですか?
登録希望には「養育里親」(*注2)と、「養子縁組里親」(*注3)と2コースあったんですけど、養子縁組里親だけにして自分から条件を出すと狭まるし、児童相談所の対応も遅くなるだろうから、無条件にしようと妻と相談して、養育里親と両方に登録しました。できれば赤ちゃんがいいな、とは思ったんですけど。
(*注1)社会的養護:家庭にかわり、社会が子供を養育すること。おもに保護者のない児童、保護者に監護させることが適当でない被虐待児(要保護児童)などを対象とし、公的な責任のもとに養育し保護すること。
(*注2)養育里親:要保護児童を養育する里親(戸籍上の親子関係はない)。
(*注3)養子縁組里親:養子縁組によって、要保護児童の養親(戸籍上の親子関係あり)となることを希望する里親。
「うーちゃん」との運命の出会い
― 里親登録してからすぐにうーちゃんがやってきたんですか?
そうなんです。10月か11月に研修が終わって、12月に預けていただいたんですよ。だからまだ正式な里親登録が済む前で、心の準備なんか全然できてなくて。うーちゃんは予定より早くに生まれてしまったので5ヶ月まで病院の NICU にいたんです。
10日に預かってくれと言われて、15日に漫画の締め切りがあったから、15日より後にしてもらえませんかって訊いたんですけど、「それはだめです」って言われました(笑)。
― 最初に児童相談所から電話があった時には悩まれましたか?
木曜日に連絡いただいて、返事の締切が月曜日だったのですが、新生児に近い赤ちゃんを預けてもらえるなんて、この機会を逃したら次はいつになるかわからない。その日の晩に一生懸命考えて、翌日、「やっぱり預かります」って連絡しました。
― どんな子でもいいから赤ちゃんがほしい!と思ったときにやって来たんですね。そのときの心境は。
とにかくかわいらしい。ちょっとしたリアクションとか寝てる様子とか、目が合うだけで胸がキュンってなって、もう本当にスーパースターが家に来た気分でした(笑)。
最初に病院で対面した時はちっちゃくてびっくりしたんですよ。病院で沐浴の仕方を習ったときに、看護師さんから、この子は沐浴が苦手ですごく泣くんですよと聞いていたのに、僕らがやったときは大人しくしていて、全然平気じゃん、簡単だなぁなんて思った。そしたら翌日からもうギャンギャン泣くようになって。よそいきの顔してたんですね(笑)。
― 前作で、古泉さんが釣りをしてゴンズイの毒針で刺されてすごく体調が悪い時に、うーちゃんが部屋中うんちをもらしてニコニコ笑っている姿を見て、初めて嫌悪感を感じたというエピソードがありました。「このまま赤ちゃんを嫌いになってしまったらどうしよう」「血のつながりがない分、距離を感じてしまうともう取り返すことができなくなるのではと不安だった」と、血がつながっていないことへの不安が書かれていましたが、やはりあれは強烈な印象として残ってるんですか。
そうそう、「こんなに汚いのに平気なのかよ」ってムカッとしたんですよ。で、「このまま嫌いになっちゃったらどうしよう」って。
やっぱり自分の気持ちに余裕がなくなるとね。今だって自分の感情の方を優先させちゃうんじゃないかという不安はあります。だから余裕をなくさないように、「頑張らない育児」を頑張ろうと心がけてます。
思いのほか早くやってきた、特別養子縁組の成立
― 当初は里親をやりながら、うーちゃんが4歳ぐらいで特別養子縁組を申し出てみようと考えていたとあったんですが。
そうなんですよ。それが去年、うーちゃんが2歳のときに急に児童相談所から「特別養子縁組しませんか」と言われて、すごいびっくりしました。特に反対する人がいなければ、そんなに問題なくスムーズに手続きは進んでいくようです。
― これまで特別養子縁組を担ってきたのは民間のあっせん団体がほとんどですので、児童相談所の特別養子縁組は珍しいと思います。
そうなんですか? でもね、僕も全然知らなかったんですけど、僕たちの住んでいる地域は里親の委託率が全国でもトップクラスだそうなんですよ。
80歳の先輩里親さんに聞いてもやっぱり、他県より里親の支援が手厚いと言ってました。
― 去年、児童福祉法が改正されて、里親や特別養子縁組などの家庭養護の推進が示されましたが、その影響は感じますか?
ええ。月に1回定例で「里親の広場」というのがあるんですけど、今まで赤ちゃんを預からせてもらえなくて悲しそうにしていた人たちが、今年になってバタバタとみんな養育し始めました。私の周辺では、以前は里親登録しても、5年、6年と待たされることも多かったようですが、法律が変わって、割とパッと委託されるようになったように感じます。
― 里親という立場でうーちゃんを預かっているときと、特別養子縁組で戸籍に入ってからとで、気持ちに変化はありましたか?
里子のときはやっぱり、僕らに何か不手際があったら児童相談所に戻されてしまいますし、実親さんの状況が変わったら引き取られる可能性もありました。でも、もう完全に「わが子」であるし、家族です。
確固たる“うちの子”がいることで、他にも養育の里子を受け入れやすい気持ちになりました。仮に短期の預かりですぐにいなくなってしまっても、そこまでさみしくないと思います。
― 奥様によるあとがきで、「一生この子の母親でいられるんだ」という安心感が綴られていました。どんなに親子として仲良く過ごしていても、もしかしたら取り上げられてしまうかもしれないという不安が常にあるのが里親なのかと感じました。
そうですね。それを今はまったく気にせず暮らすことができていて、助かっています。
僕らは制度に救われた
― はじめから血縁がない人たちで家族を作る、ということについて伺いたいです。
僕らは乳児のときから受け入れているけど、預かるお子さんが3~4歳ぐらいだとまったく状況が変わると思います。試し行動があったり、「お前なんかパパじゃない」って反発があったり。本当に苦悩しながら子育てされてる里親の先輩方がいっぱいいます。
赤ちゃんの頃から預かっていて養子縁組を希望しても、実親さんがOKしないので、里子のまま成人してしまうこともあります。大きい子を養育するのは難しい面も多いので、家庭が本当に壊れてしまうこともあります。子どもも親も全員ボロボロになって、子どもがまた児童相談所に帰っていくとか施設に戻るとか。
それに比べると、僕なんか本当に手ぬるい状況で楽しいばっかりで(笑)申しわけないです。
僕のケースは本当に恵まれているので誰にでも当てはまるとは言えないんですけど、うちは里親制度に救われました。児童相談所にも、産んでくれたお母さんにも感謝しかないです。
― 特別養子縁組が成立しても里親の会との関係が切れたりはしないんですか。
まだ里親登録してますから、関係は全然切れません。週末や夏休みに短期で預かるのも里親活動のひとつなんですよ。ゴールデンウイークに高校生の女の子を預かったりもしました。
― では、たとえば「もう1人」という話が来る可能性も?
そうですね。実はうーちゃんが1歳のときに、10ヶ月の男の子を預かったんです。ただ、うーちゃんがやんちゃな方だったので、それだけでも手一杯なところにもうひとりというのはきつかった。その子はおとなしくて、よく食べる、手のかからない子だったんですけど、何しろ小さな子が2人いると……。結局、8日間で音を上げてしまって、大きな挫折体験となりました。
その後、「小5や中1の子を里子で預かれませんか」という話があったときも、すごい考えたんです。今はうーちゃんだけで手一杯で厳しい。だけど手を差し伸べるべき存在があって、それを断るのはどうなのか……って、妻ともすごく話して、真剣に悩んで。でも、やっぱりうちとしては、とにかく最初に来たうーちゃんを一番に考えなければならないというのは動かせない。そこでもし、大きい子がうちに来ても、すでに気持ちが傷ついているその子たちが一番に扱ってもらえないのでは、余計に悲しい思いをさせてしまうんじゃないかとも考えた。
それで、次に長期で預かるとしたら、うーちゃんより年下の子にしようという結論に、今は達しています。
― 今回の本は、特別養子縁組を考えている方が手に多く取ってくださるかもしれませんね。
そうですね。特別養子縁組は本当にご縁やタイミングもあると思うので、機会があったらぜひしてほしいです。
この前、里親父の会の研修で、「子どもを委託することは、預け先の家庭の調和を乱す可能性もある」という意識を持って対応しようと、児童相談所の職員同士で話していると聞いて、「へぇ~」と思ったんですよ。それはうちの場合は違ったので、研修後の飲み会で言いました。「うちの場合は違います。子どもが来る前の方がよっぽど家庭に波風立ってました」って(笑)。「子どもが来て、とっても明るい家庭になって、楽しくみんな幸せに生活しています」って言ったんです。
それまではやっぱりね、不妊治療をしても全然子どももできなきゃお金は出ていくし、ギスギスして、暗くなって。もう離婚寸前でした。もともと僕自身には結婚願望がなかったので、半年に1回は、本気で離婚しようとしてましたから(笑)。
もちろん今はもう、絶対、離婚しないつもりですよ!
真実告知や将来のこと
― 「世間の目」のようなものを感じることはありますか?
祭りの時に、僕の中学の同級生に会ったんですよ。そしたら、「おめーのところ、子どももらってきたんか」って意地悪言われてからかわれました。そのときは「そんなこと子どもの前で言ったら殺すぞ」って思いました。
― 地元でも公表してるんですか。
そうですね。実家がお菓子屋をやっているので店の従業員もみんな知ってますし、かわいがってもらってます。母が家でお茶会をやるので、生徒さんが来たときもそこで預かってもらって、みんなに代わる代わる抱っこしてもらったり。
― 初めから、里子を受け入れたり養子縁組したことをオープンにしていこうというスタンスだったんですか?
うーん、まさか本を出すとまでは思わなかったですけど(笑)、 でも、極力、隠ぺいはしないようにしようと思っていました。児童相談所や里親の会でも、いまの風潮がそうなんですよ。
と言うのも、やっぱり思春期で急に本当のことを知ったときのショックって、取り返しがつかないほど大きいと言われているんです。だからそうならないように、物心ついた頃から告げることが推奨されています。
― アメリカだとオープンアダプションという、実親さんと養親さんが交流を絶たない特別養子縁組のやり方があると聞きましたが、日本はまだそこまではいかないんでしょうか。
でもね、子どもや実親さんが希望したら、児童相談所を通して交流させるシステムにはなってるんですよ。うちの子はまだ3歳なのでそういうことは言いませんが。
― 今後、うーちゃんに本当のことを伝える「真実告知」をしていくと思いますが、その辺りは、なにか考えていますか?
「うーちゃんには、産んでくれたママと今育ててくれているママと、ママが2人いるんだよ」って、何回か伝えてはいるんですけど、まだあまりピンときてないですね。「そうかあ」って(笑)。
まあ、この本だって、今は本人も「うーちゃんの本だ!」ってテンション上がって喜んでるんですけど、字が読めるようになったらすぐに分かってしまうので。だから、「そうだけど、それがどうしたの?」って感じで、あんまり重い感じにはしないようにしようって妻とは話しています。
― この本は将来、うーちゃんに読んでもらおうと思ってますか?
うーん、まあ、「読むなよ」って言ってもたぶん読むんですよね。そのときに、自分をこんな物笑いの種にしやがってって反発されるかもしれないな、とは思うんですけど、まあとにかく、おもしろいですからね。こんなにおもしろいことばっかりしてたら書きたくなるのはしょうがないじゃないかって(笑)。
最後の不妊治療
実は今年、最後にもう1回だけ不妊治療をしてみようって、また35万使いました(笑)。
― どうして、最後に1回やってみようとなったんですか?
僕の母が生まれた地方では、子どものできない夫婦が親戚や他人の子を預かって生活してると、それが呼び水になって子どもができる、みたいな言い伝えがあって。だから「里親してたら子どもができるかもしれないじゃない」って妻を説得して里親登録したという経緯もあって。
妻もそうですけど、僕自身、子どもを授かれたらいいなという気持ちがなくはないんです。でも、そんなにこだわってるというか、そうじゃなきゃ気が済まないということは全然ないです。「いたらいいな」ぐらいですかね。
でもね、結果は全然ダメでした。「もうお金ももったいないしやめよう」って妻と相談して、やめました。
僕自身がひとりっ子でその負の側面の塊のような人間になってしまったと感じているので(笑)、まあ、ひとりっ子であることは実際には関係ないかもしれませんが(笑)、うーちゃんには兄弟がいてほしいという思いはあります。だから下の子を預かったり、授かったりできたらいいですね。
― 子どもがいないときの自分と、今の自分を比べると、変わったなと思いますか?
大きく変わりました。前は本当に、今よりはるかに自分本位だったのが、子ども本位になっております。もう、かわいくて仕方がない。うーちゃんの輝きがすごすぎて、よその子がもう、申し訳ないんですけど数ランク下に見えてしまうほどなんですよ。ハハハ(笑)。 まあ、うーちゃんは特別だから仕方がないんです(笑)。彼と比較したら誰もが不幸になってしまう(笑)。
― 本当に子育てをするほかの親御さんと変わらないコメントです(笑)。そのまま一直線でいっていただきたいです。
取材・文 / 矢嶋 桃子、写真 / 内田 英恵
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