映画『うまれる』監督・豪田トモさんに聞く“命と家族”のこと。そして、「生きづらさを抱えずにみんなが幸せを感じられる社会」とは。<後編>

ドキュメンタリー映画『うまれる』の総監督であり、2019年2月に初の小説となる『オネエ産婦人科〜あなたがあなたらしく生きること〜』を上梓した豪田トモ監督。<前編>では映画制作や小説を通して、監督が社会に問いかけているメッセージについて伺いました。続く<後編>では、不妊・産む・産まないというテーマを含め、みんなが生きづらさを抱えず、幸せを感じられる社会とは?そして、その実現のために私たちができることについて、お話を伺いつつ一緒に考えてみました。

<前編>はこちら!

豪田トモ / Tomo Goda 29歳の時に6年間勤めていた会社を辞めて、カナダ・バンクーバーにて4年間映画制作について学ぶ。帰国後は、フリーランスの映像クリエイターとして、テレビ向けドキュメンタリーやプロモーション映像などを制作。2007年に映像プロダクション「株式会社インディゴ・フィルムズ」を設立し、“命と家族”をテーマにした作品を作り続けている。
新作ドキュメンタリー映画『ママをやめてもいいですか!?』が来年(2020年2-3月)、劇場公開を予定。

 


  「これからの社会に求めるもの」とは

ー ここまで豪田監督に様々なお話を伺ってきました。ここからは、監督の描く社会の未来像について、少しご質問していきたいと思います。社会全体で、中でも特に本記事の視点でもある「妊娠·出産といった“命を生み出す”ステージ」において、「生きづらさ」を抱えている人が少なくなるために、何かできることはあるでしょうか?

まずは親との関係改善が欠かせないと僕は思っています。僕もそうでしたが、「生きづらさ」の源泉は幼少期から続く親との関係性にありますから、そこに向き合わない限り、穴の開いたボートで航海を続けるようなものなんですよね。

ただ、これは非常に大きなテーマで、人によってはオリンピックで金メダルを獲得するより難しいものになるかもしれません。その場合は次善の策として、何とかして親のことを理解しようとする、受け入れる、許すなどの取り組みが必要になります。そのためには先にお話した「捉え方を変える」マインドが役に立ちます。

パートナーや周りの人たちとの安定的な関係性も大切です。心が不安定なままで親と向き合うと、「沈没」してしまう可能性がありますし、自分の居場所を見つけられた人は、生きづらさは必ず改善します。

そして、少し大きな話になりますし、論点がずれているように聞こえるかもしれませんが、 “命と家族”という人生で大きなテーマをもっとみんなが普段から考えることができたら、向き合っていたら、世界の生きやすさは変わるのではないかと思っています。

「不妊」ということを例にすると、悩んでいることを誰とでも話せたり、産まなきゃいけないというプレッシャーがなくなったり、産まなくても大丈夫なんだと思えたら、格段に生きやすくなるんじゃないかと思うんです。
そのためには、不妊という事柄について、その悩みについて、みんながきちんと知っていて、当事者の方々を支えられる「強さ」が必要になります。

いや、当たり前になったら「強さ」なんて必要ないかもしれない。でも今は、もしかしたら「知らない」ことで、「知らない」人が多いことで、それが「生きづらさ」につながっている部分があるのかもしれません。

もし、世の偏見や無知が、生きづらさを生み出しているとしたら、すでに知識があって引き出しがたくさんあれば、そもそも偏見を持ちようがないと思うんですよね。LGBTにしても、不妊にしても、障がいにしても、偏見や差別という点ではほとんどが、「知らない」ということから来ていますから。

そのためにも、僕らはもっと、命や家族、子育てなど、大事なことに日々、向き合ったほうがいいのかなと思います。
そうしたら個々の中に経験値ができて、みんなが当たり前にわかっている状態になる。すると、例えば不妊の話題を、ランチ会なんかで抵抗なく出せるはずなんです。

逆に今、命や家族に関する「筋力」を鍛えていない方は、テーマを「重い」と思ってしまうのかもしれないですね。
僕はそういう意味では、すごく鍛えてきたから(笑)、どんな話を聞いてもほとんど驚かなくなりました。場合によってはしっかりとお話を受け止められるようになったし、要望があれば自分の考えをアドバイスとしてお伝えできるようにもなった気がします。

つい数日前も、旧友の女の子が朝の8時くらいに僕に電話をしてきてくれて、「一人で子どもを産むことになりそうで、悲しくてつい連絡しちゃいました。朝から重い話ですみません」って。僕はその子に対して「いやいや、全然重たい話じゃないよ」って言えましたし、受け止めることが困難ではなかった。

でもその子はそれまで誰にも話すことができなかったみたいです。それは、受け止めてもらえると思うことができなかったし、周りに話せる人がいなかったんでしょうね。
そういった、今は“重たい”と言われていることに対して、学びや理解ができる人がもっと増えたなら、困難を抱えている人が苦しいことを吐き出せて、楽になるのではないでしょうか。

社会全体に言えることかもしれませんが、妊娠・出産・子育て、どれをとってもみんな勉強が足りないように思います。いざインプットのないまま直面して、少ない経験や価値観の中で右往左往してしまっている感じがします。

例えば、投資をする人はその投資先のことを学ぶはずだし、家を建てる、買うとなったらそのことを勉強します。かたやなんで、親になることや、家族をつくっていくことは、最も重要なことの一つなのに、もっともっと学ぼうとしないのかなって思ったりします。

ー UMUの読者には現在不妊治療中の方も多くいらっしゃるのですが、そこも何かが変わるでしょうか?

そう思います。不妊治療で辛い思いをしている方には、周りにその話を聞いて受け止めてくれる人が当たり前にいる、という状態になって欲しいです。できればこれは、パートナーの方が担って欲しいことではありますが。男性にありがちですけど、余計なアドバイスはせずに、ただただその人の気持ちに寄り添って受け止めて欲しい。

そのためには、パートナーの方に学習していただくことも、もっと必要なのではと感じます。不妊治療に対する理解、そしてその前に、そもそも命を授かるということがどういうことかも含めて。

勉強もせず体験もせず、中にはすべて女性にお任せという人もいますけれど、そうなると夫婦間でギャップが広がるし、価値観もどんどん離れていくでしょう。もし授かることが出来ても、産んでからの20年が大変です。

そういう意味でも、これは不妊治療に限らず全般的にですが、「命に向き合う学び」が本当に必要な気がします。

 

  “命と家族”についての「学び」を、社会全体へ

ー そのような未来を実現するために、具体的に社会としてどのような仕組みや、取り組みがあればいいでしょうか?

ありがちな話かもしれないですが、まずは学校などの教育の場で、算数や国語の時間を少し減らしてでも(笑)、「命」に対して学ぶ時間を増やすべきではないでしょうか。

「性教育」というと、どうしてもセクシュアルなところばかりにスポットがいってしまう気がしていますが、「性教育」とは、そもそも「命の授業」であるべきだと思っています。命がいかに大事か、その上で、自分が持っているセクシュアリティをどう守り、生かしていくかという話が大事だと思うんです。

取材でスウェーデンに行った時にとても感動したのですが、「ライフ」っていう授業があって、みんなで丸くなって、命のこと、性のこと、家族のことを話すんですね、中学生が。そういう、実生活や人生と接続した教育がすごく大事だと思うし、中高から始まりその後も生涯教育という形で、持続的にずっと問いかけられ続けていくべきテーマだと思うんです。

あとは、僕自身も、男性として、パートナーシップや女性が背負っている課題については、これからもメッセージを発信していきたいなと思っています。
来年早々に、子育てをテーマにした新しい映画『ママをやめてもいいですか!?』を公開する予定なのですが、産後うつとか子育てうつ、産後クライシスの問題って、その局面に至るずっと前から、すでに始まっている話なんですね。

不妊治療中だったら、病院へ一緒に行かないとか、妊娠してからも、妊婦健診に一緒に行かないとか、出産に立ち会わないとか。そういう一つ一つ通って来た選択の積み重ねが、クライシスとなって表面化するわけです。
この意味で「子育て」のスタートって、赤ちゃんがオギャーと生まれたその瞬間ではないと、僕は考えています。

不妊治療を夫と一緒にできた、サポートしてもらえた、理解してもらえた、と思えた人と思えなかった人の差も、そこで変わってくると思いますね。治療の費用負担をしてあげるという貢献もあるかもしれないけど、やっぱりそれだけだと不十分なんですよね。

女性が求めているのは物理的なこと以上に、精神的なサポートです。女性が苦しいとか辛いというと、男性はそれをアドバイスなどで「解決」してあげようとしますよね。それは優しさでもあるんですけど、その解決策はほとんどの場合、解決に至らない(笑)。女性はそれよりもむしろ、話を聞いてほしい、受け止めてほしいと願っているようです。

言い換えれば、これって、本質的なところの“命と家族”に関する捉え方の違い。これも最終的には、教育とか、あとは「相手が何を求めてるか、感じてるか」に想像力を働かせて寄り添える「筋力」とかに結びついていく話なんじゃないかと思うんです。

結局のところ、広義の意味で社会全体でも、夫婦間のパートナーシップにおいても、何らかの生きづらさを抱える他者への理解や寄り添いって、自分がきちんと学んで理解していく姿勢がないと、やっぱりできないのではないでしょうか。

そのための環境づくりを僕ができることで取り組んでいきたいと思うし、周りの人々に安心して悩み事や心配事を話せる、話しても大丈夫って思えるような社会になることを、僕は願っています。

 

  そもそも“みんな、マイノリティ”だから

ー ありがとうございました。大きな時代の流れで、世間の目は優しくなってきている気もします。ですが、様々な事情で生きづらさを抱えたり、自分が“普通”や“多数派”と違うと苦悩したりしている方も、まだまだ多いと思います。幸せの多様性を探求してこられた監督への最後のご質問として、そのような方へ向けて、何かメッセージをいただけますか。

いやもう、僕の持論として、そもそも誰もが「マイノリティ」なわけですよ。僕らはみんな「少数派の集まり」です。「自分は普通」って思っている人こそが大間違いですよって、僕は声を大にして言いたいですね(笑)。
「あなたはマイノリティ、それが普通ですよ」って。

大なり小なりそれぞれに問題を抱えていると思いますが、いかなる状況においても、自分が一番幸せになる考え方をしていったらいいと思うんですよ。それでその方がハッピーに生きられるのが、ベストではないでしょうか。
それは誰かに何かを言われる筋合いはないし、比較する必要もない。そのためにも、自分としっかり向き合うことが必要です。

「全ての人が、その人それぞれの幸せに行き着く」ということが、僕の作品に共通する世界観なのかもしれなくて、それは結局のところ、僕自身が幸せになりたいし幸せでい続けたいから、なんですよね。

でも、自分だけが幸せでいい社会、なんてないと思うんです。僕自身も、周りのたくさんの方に助けられながら生きています。そうやって考えると、僕だけじゃなくてみんなが幸せになることが僕の幸せなんです。

だから僕は自分ができること、作品を作り続けることで、何らかの辛さや苦しみを抱えている方の荷を少しでも軽くことができたらと、願っています。

取材・文 / 大曽根 桃子・UMU編集部、写真 / 望月 小夜加、協力 / 牛山 典子

 


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