「子どもがいる=幸せ」の物差しを押し付けないでほしい。三者三様の「産まない選択」のリアル〜当事者インタビュー&アンケート取材から

産む、産まない──。女性の誰しもが自らの意思でそのどちらかを選べるわけではなく、その選択にはさまざまな事情や心情が絡み合い、かつ変化していきます。この狭間で、「産まない選択」をしようとする人たちの状況も千差万別であり、常にグラデーションの中にあると言えるでしょう。

かたや、「産む選択」が依然マジョリティである日本社会では、「なんで産まないの?」「子どもいると楽しいよ」といった言葉が、無邪気に投げかけられる場面も少なくなくありません。置かれた状況は多様なのに、「産まない人生」を生きること特有の息苦しさ、語りづらさがあることも、事実です。

今回、UMUでは「産まない選択のリアル」をテーマにインタビューとアンケート取材を実施。

幼少期からぼんやりと「産まない人生」を思い描いてきた若林理央さん(37)、夫婦ともに発達障害であることから「産まない選択」をしたK.Hさん(31)、乳がんを経験した後に不妊治療を重ね、特別養子縁組前提の里親を検討しながら「産まない」と「産む可能性にかけたい」間で揺れるうたさん(42)。三者三様の「産まない選択のリアル」をお届けします。


幼少期からぼんやりと描いていた「産まない人生」。排卵障害であることがわかってから思うこと【若林理央さんの場合】

  排卵障害になり、輪郭がくっきりしてきた「産まない選択」

ー若林さんは幼少期から漠然と「将来、子どもを産まないかもしれない」という思いを抱いていたとのこと。その心情について、より詳しく教えていただけますか?

若林 はい。幼少期から自覚があったわけではないのですが、振り返ってみると、ずっと子どもがいない人生を思い描いていたように思います。

私が1歳のときに両親が離婚して、母が休みすらなかなかとれないエッセンシャルワーカーだったため、夜遅くまで働いていたこともあり、寂しかった記憶が残っていて。もしかしたら、そうした原体験も影響しているかもしれません。

中高大はすべて女子校で、特に大学では結婚の話を友だちとするようになり、結婚や出産を前提にライフプランを考えている人が多いことに、驚きました。私のように、子どもがいない人生を前提としている人はほとんどいないんだなあと。

ー年齢を重ねたり周囲に影響を受けたりして、若林さんのその想いが変わることはなかったですか?

若林 20代のときに一度、子宮がん検診で排卵がうまくできていない可能性がある、と言われたんです。排卵されない卵があるから、この状態が続くと妊娠しにくくなるかもしれない、と。たしかに生理不順はずっとあって。

そのときは若かったので早く産むかどうか決めないとって焦りはなく、20代後半になっても周囲に実際に子どもを産む人や不妊治療をする人が増えてきたなとひとごとのように感じていました。

ただその後、33歳のときに無月経になったので婦人科に行き卵巣の検査をすると、男性ホルモンが多くつくられることで排卵しにくくなる「PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)かもしれない」と言われたんです。

20代のときは経過観察だったのに、33歳では「妊娠を希望するならすぐに不妊外来に行ったほうがいい」と言われたのはショックでした。

そのとき、「子どもは考えていません」と言ったんですが、帰ってから「本当にそう言い切れるのかな」と思って。かといって、すぐに不妊治療を始める気にもなれない。「産めないかもしれない」という事実に直面したとき、初めて気持ちが揺れました。

ーなるほど。それから3年の月日が経って、いまはどんなふうに捉えていますか?

若林 時間をかけて、自分の気持ちをたしかめていきましたが、自分が妊娠する姿を想像したときに、やっぱりなんだか生理的に受け入れられなくて。出産も怖いし自分が子どもを育てていく自信がない。

6歳のときに母が再婚したんですが、幼少期に父親にかわいがられた記憶がないことがコンプレックスのようになっていて、自分の子どもは父親となる夫に可愛がられるはずだな、私が夫に可愛がられる自分の子どもに嫉妬しないかな、という感情まで芽生えたんです。

それまではぼんやりと子どものいない人生を思い描いていたけど、自分の気持ちを改めて棚卸ししました。そういった出来事を経て、いまは明確に「産まない選択をしたい」と考えています。

 

  人にはそれぞれの事情と選択、幸せのかたちがある

ー個人の選択ですし、その決断を世間に表明できる人もまだまだ少ない話題だと思うんですが、ご自身の中で産まない選択をすることで感じる、社会への違和感のようなものはありますか?

若林 何らかの事情で産めない人に対しても、あえて産まない選択をした人に対しても、寛容な社会にまだなっていないなと感じるときがあります。いろいろと文献を調べたら日本だけではなく、世界のほとんどの国が抱えている問題のようですね。

直接的・間接的を問わず、適齢期の女性に「産んだほうがいいのに」とプレッシャーをかける風潮がまだまだ残っている。先進国のほとんどはずっと少子化が問題提起されています。だから子どもを産んだほうが社会に貢献していると捉えられる空気もあるのかなと。

私の家族はあまり言わないですけど、友人たちから、自分の親や義両親から「早く子どもをつくってね」とか「孫の顔がみたい」とか、産むことを前提としたプレッシャーをかけられているという話をよく聞きますね。

私はもちろん、子どもを産んだ人や不妊治療をしている人に配慮しながら自分の選択を打ち明ける必要があると思っていますが、私だけではなくて「子どもを産まない選択をしている」女性たちが、そのことを、声を大にして言えない雰囲気が社会の中にあると感じています。

「子どもはほしくない」「産まない」と打ち明けたときに、「なんで産まないの?」と聞かれると、自分の選択を責められているようにも感じて、何も言えなくなってしまうんです。

産まない選択をしている友人の中には、あえて、「なかなか授かれなくて」とか「不妊治療してて」とか、言い訳をするようにかわしている人もいます。私自身は排卵障害があるので、理由付けは必要なく周囲も「じゃあ仕方ないよね」って流れになることが多いのですが、そもそもどうして産まない選択をすることに理由が必要なのか違和感を覚えることがありますね。

ー逆に、産みたい人、子どもを望む人が同じように「なんで産みたいの?」と聞かれたとしても、多数の人はその理由を明確には説明できないような気もするんですよね。たまたま、ぼんやりと描いている人生のかたちが違うだけで。

若林 はい。だから、人は人、と思ってもらいたいですね。産む、産まない、に限らず、人にはそれぞれの事情や価値観や幸せのかたちがあるのだから、自分だけの物差しで測って判断してほしくないなと思います。

 

  子どもがいないほうが幸せだと考えるチャイルド・フリー。産む選択も尊重したい

ー少し込み入った話にはなりますが、産まない選択をしようとする若林さんは、避妊や中絶についてどのように考えているのでしょうか?

若林 個人差があると思うのですが、私の場合、20代の頃に飲んでいた低容量ピルや30代になって生理を起こさせるために飲んだ中容量ピルの副作用に悩まされて、ピルは合わないと感じているので、避妊目的でピルは飲んでいないんです。なので現状は、ほかの方法で避妊をしている状態です。

ただ、広い意味での不妊症ではあるけれど、確実に子どもができないと断定はできないので、もし妊娠してしまったら、どうでしょうね……。

私自身は中絶も視野に入れていますが、夫や母、家族は反対すると思います。正直な気持ちとして、実際にその状況にならないと、なんとも言えないですね。

ーそうですよね……。なので、あくまで仮の話にはなりますが、この先も変わらず産まない人生を生きていくとした場合、個人としてやっていきたいことや、パートナーとの関係性や家族のかたちで思い描いていることがあれば、教えていただけますか。

若林 夫とは「子どもを産まないなら、子どもを育てる分のお金を自分たちの将来のために使えるね」という話をしています。夫にしたいことがあるなら、経済的な心配はせずに挑戦してほしいと思っていますね。

私はフリーライターとして割と自由に時間を使って働いていますが、今日お話していて、産まない選択をしている人たちに話を聞いていって、一冊の本にまとめてみたいなという思いが沸き上がってきました。まずはZINEをつくってみようかな。

子どもがいない夫婦ふたりだけの人生になるので、お互いに何かあったときに頼りになる第三者の存在が必要だと思っています。

ーたしかにある種のセーフティーネットとして、家族以外の人たちとのつながりは大事ですよね。

若林 そう思います。実はいま、妹が妊娠中で、もうすぐ甥が生まれるんです。物事の大小を問わず、妹夫婦に何かあったときは、私も子育てをサポートしたいなと思っています。

一方で産まない選択をする人の中には、産むのは親のエゴだという「反出生主義」といった考え方をお持ちの方もいるのですが、私自身はどちらかと言えば、個人として子どもがいない人生のほうが幸せだと考える「チャイルド・フリー」の価値観がより近いですね。

だから子どもを産んで育てている人たちを否定する気持ちはまったくないし、産む、産まないの対立構造にはしたくない。産む選択をする人と同じように、産まない選択をする人がいる。幸不幸、いい悪いという二元論ではなく、お互いに想像力を働かせながら、それぞれの選択や立場を尊重できる社会になったらいいな、と願っています。

若林 理央さん(写真/佐藤 征二氏)

 


幼少期の家庭内のトラウマやいじめ、発達障害。「産まない選択」の先にあった夫婦だけの幸せのかたち【K.Hさんの場合】

ー幼少期から10代、20代にかけて、子どもを産むことや家族のかたちに対してどんなイメージを持っていましたか?

K.H 自分が育ってきた家族は仲がよくなくて、私自身、家庭内にトラウマを抱いたまま大人になったアダルトチルドレン(AC)でもあるので、幼少期から「家族」にいい印象は持っていませんでした。学校でいじめられていたこともあり、自信もなくて。

なので、もともとの私個人で言えば、いずれ子どもを産みたいという気持ちはほとんど持っていませんでした。

ーそこから、パートナーとご結婚を考える頃になり、一度は子どもがいる人生を思い描いたとのことですが、どんなふうに心境が変化していったのでしょう?

K.H 夫と付き合い出してはじめて、子どもを産みたいと思うようになったんです。結婚前は夫ともふたりで、子どもがいたらいいねと話していました。でも、結婚して夫の実家で義父母との同居生活が始まってから、お互いに家事や仕事に追われ、子どもありきの人生設計を具体的に進めていくほどの時間的な余裕がなかなか持てないことがわかったんです。

さらには夫婦ともに発達障害で、気分が優れないことも多く、この状態で子育てをするのは難しいかもしれない、とも思い始めました。自分の経験から、子どもに発達障害が遺伝してしまったら、子どもがいじめられたら、どうしようという気持ちもありました。

夫が39歳、私が31歳の現在、結果として、夫婦で話し合っていまは「子どもがいない人生」を選んでいます。

ー「子どもがいない人生」を選択するうえで、パートナーとの関係性や家族のかたちを含め、いまのお気持ちや、これから思い描いていることはありますか?

K.H 夫は家で仕事をしているので一緒にいる時間も多く、それぞれ趣味を謳歌しながら過ごしています。私は夫とふたりで過ごす家族のかたちに満足しているし、いまがとても幸せ。

今後は、ふたりとも旅行が好きなので、夫婦で自由な旅を楽しみたいし、ゆくゆくは夫の実家を出てふたりで暮らしたいとも考えているんですね。これからもふたりの時間が続いていくと思うと、ワクワクします。

ー「産まない選択」をするうえで、周囲の目など息苦しさを感じることはありますか?また、社会に求めること、産まない人生を生きる人を取り巻く周りに伝えたいことがあれば教えてください。

K.H 私自身、友人に話した際に「子どもはかわいいのに」「産まない選択が自分になかったから、気持ちがよくわからない」と言われて傷ついたこともありました。子どもをかわいいと思っていないわけではなくて、発達障害という現実を踏まえて選ばなかっただけだし、共感してわかってほしいと思っているわけでもないのに。

そうした経験も踏まえて、自分の価値観を押し付けないでほしい、ということはやっぱり言いたいです。子どもを産むから幸せだとは限らないし、産まない選択肢もある、それもそれぞれの人生なんだよ、ということを広く知ってもらいたいですね。

K.Hさんの愛犬

 


乳がんを経験し、不妊治療継続と里親委託の間で揺れる【うたさんの場合】

ー幼少期から10代、20代にかけて子どもを産むことや家族のかたちに対して、どんなイメージを持っていましたか?

うた 具体的に子どもを授かりたいと家族のかたちを思い描くようになったのは、37歳で自分が乳がんになってからですね。

それまで、小学校から受験をして進学校に通い、周囲にも働くお母さんが多かったので、私も社会に認められる仕事をしたいとはっきり思っていました。学生時代からキャリア優先で、とにかく仕事はずっと続けたいと考えていましたし、産みたい気持ちはどちらかと言えば二の次でした。

仕事として心理職に就いてからは、さまざまな人のメンタルサポートをする過程で家族の内情に触れる機会が多く、結婚や出産=幸せという方程式が必ずしも成り立たないことを知るようになります。そうした経験から、世間や誰かの基準ではなく「自分がどう生きたいか」を考え始めるようになったように思いますね。

ーそこから乳がんをわずらったことで「産みたい」と「産めないかもしれない」、そして「産まない」と「産む可能性にかけたい」の間で揺れるいまに至るまでの出来事と、心境の変化について教えてください。

うた がん専門病院での治療に本格的に突入しようとする際に、「妊孕性温存(治療前に受精卵凍結など妊娠・出産機能を残すこと)」という言葉を知りました。実は当時、いまとは別のパートナーと結婚予定だったんですが、彼が受精卵凍結に難色を示したことから、結果的に手術前にお別れしたんです。

その後、術後半年でいまの夫に出会い、乳がんの治療中ではあるけれど「いまあきらめたら、もうずっと産むことはできなくなるかもしれない」と思うようになっていきます。「産みたい」というよりは「いましかない」という気持ちが強かったですね。

服用を続けていると妊娠できないホルモン剤をずっと飲んでいたのですが、結婚式1ヶ月前にがんの主治医から服薬の中断許可が出たので、いざ不妊治療を開始。受精卵はつくれたのですが、たまたま内膜の厚さが足りなくて新鮮胚移植できず、凍結したんです。

3日間しかない放射線治療の合間の休みに、うたさんの友人が連れ出してくれた仙台旅行

その後その凍結卵を移植し、一時は着床しました。ですが、妊娠6週で化学流産をしてしまったんですね。

以降約2年間にわたり、半年ごとにある乳がんの検査結果を見ながら、1回の人工授精と4回の顕微受精をしたけれど、いずれも妊娠には至りませんでした。

不妊治療の担当医からも「このまま続けていても、妊娠する可能性が低い」と言われたことから、里親や養子縁組によって子育てをすることを考え、里親登録をして研修も受けました。かたや、主治医を変えてもらい不妊治療も継続していましたが、妊娠には至らず、でも完全にはあきらめきれない……。

そうこうしているうちに、いよいよ里親認定が正式に下り、先々の養子縁組を前提とした委託の打診があったんですが、児童相談所から「委託を受けるなら、不妊治療は中断してほしい」と言われてしまったんです。

揺らぎましたが、夫から「いま治療をやめたら、どうしてあのとき……と後悔する日がくるかもしれないよ」と言われ、私としてもいま完全に「産まない」方向に舵を切る決断がつかなかったため、結果いったん里子の委託は断り、不妊治療を継続する選択をしました。

ー自分は産まずに里親、養親となる選択を視野に入れながらも、直近では不妊治療を継続し、「産む可能性にかけている」ということですね。両者の間での葛藤もあるかと思うんですが、いまのお気持ちや、この先に思い描いていることはありますか?

うた 年齢を重ねてきたからなのか、仕事でいろんな家族に触れ合ってきたからなのか、「幸せのかたちは不定形」だと思っていて。子どもがいるから幸せ、とは思っていないし、私らしさ、自分たち夫婦らしさを失ってまで、子を求めるものではないと思います。

ただ、子育てはしたいし、やっぱりいまのところ自分にとっての最良の結果は妊娠をすることで、そうでなかったとしても、やりきったと私と夫が納得した選択をできることがいちばん大事だと思うんです。

持病があるので、なんでも選べるわけではないけれど、可能性の大小問わず、そのときの自分が素直に選びたい道を選んでいけたら、と考えています。いまはごく僅かな可能性でも、「やってみよう」と励ましてくれる夫と主治医を信じて、不妊治療を続けていきたい。

今後、私たち夫婦が血縁のない子どもを育てることに納得したタイミングでいいご縁があれば、すっきりした心境で改めて、産まない選択を選ぶこともあるかもしれません。

うたさんの快気祝い時。お祝い膳に先輩方のイタズラを発見!

ー産まないと産みたい、揺れる現実や気持ちと向き合う中で、パートナーとはどんなコミュニケーションをとっていますか?また、不妊治療を継続することや里子の委託を受けることについて、ご両親など近しい人たちの反応があれば教えていただけましたら。

うた 夫は単身赴任中なので、週末に帰ってきたときに対面で話し、急ぎのときは電話で相談しています。「大変なのはあなただから」と夫は自分の考えをあまり言いませんでしたが、「考えることも共同作業」だと伝えて、聞き出すようにしてから、より個人的な彼の思いを話してくれるようになりました。

両親にはそれぞれが状況を伝えていて、私は頻繁に会える距離にいるので、日常会話の中に混ぜ込みながら話しています。どちらの家族も私たち夫婦の選択を尊重してくれていますね。友人や同僚たちも、みんな尊重してくれて、心配して話を聞いてくれるときも、個人の意見を押し付けるようなことはないのでありがたいです。

ーすばらしいですね。かたや、数年間にわたりこのテーマの渦中にいらっしゃる中で、周囲の目など、より広い社会の中で息苦しさを感じることは特にないですか?

うた 産む、産まない、に限らず二項対立の構造には息苦しさを感じます。身近な人だけでなく、SNSを通じて自分とは直接関係のない人の意見を見て、心が揺れてしまうこともあります。必要以上に反応しないようにしていますが、そもそもあえて気にしないようにしようとする努力が必要な時点で、一定の同調圧力のようなものが働いているのかなと。

心理職の仕事で、相談者のお子さんにまつわるトピックで相談を受けるときに、私に対してではないのですが「あの人は子どもがいないから私の辛さがわからないんだ」という言葉を放つ方もいます。

仕事として否定も肯定もせず聞いていますが、私自身もそういう偏見の目で見られているかもしれない、と思うことがありますね。

ーそうしたご経験も踏まえていま、「産む」「産まない」そして「産めないを経た産まない」、それぞれのプロセスと選択肢が尊重されるために、社会や個人が求められることや個々人ができることは、どんなことだと思いますか?

うた 改めて思うこととして、みんなそれぞれに事情や大変さがあると思うので、自己責任論で片付けずに、お互いに思いやりを持てるといいですよね。選べたこと、選べなかったことがどんな人にもあると思うし、出産や子育てもその一つだと思います。

妊娠出産には年齢のリミットがあるけれど、その時々を生きるだけで必死なのに「先のことを考えなかったからだ」と言われては傷つきます。「いままで一生懸命生きてきたんだね」と認めてもらえたら、それだけで少しは救われるのかなと。

個人的には、このテーマに限らずどんなことに対しても「わかっている」の一言では片付けないように心がけています。わかったつもりでいることで、偏見による分断や、理解した気になっての誤解を生んでしまうことが常にあると思うから。

いかなるときも、自分の意見とは別に「あなたの意見を聞かせてほしい」というスタンスでいたい。すべての経験を経ていま、私はそう思っています。

 

まだまだ声を大にして語りづらい「産まない選択のリアル」。

今回、その途上にいる3人の女性の人生にスポットを当て、背景にあるそれぞれの異なるプロセスと想いをお届けしてきました。そこには、まだ多くは語られていなかった本人たちの迷いや葛藤、周囲との相互理解の難しさ、社会の当たり前への違和感といった、ある種共通するところも多い感情や状況がありました。

「産む」「産まない」「産めない」──揺らぎ変化するその選択の先にある個々のあり方を、互いに尊重できるように。偏見や決めつけから分断を生むのではなく、違いを認め、歩み寄っていくきっかけになれば、編集部一同嬉しく思います。

 

取材・編集/徳 瑠里香、写真/一部本人提供、協力/高山美穂


取材協力(掲載順、敬称略):

若林理央/Rio Wakabayashi
フリーライターとして雑誌やWebでインタビュー記事やコラム、書評を発表している。大阪出身、東京都在住。

K.H
生まれは東北、結婚を機に千葉に引っ越し、いまは夫の家業を手伝いながら専業主婦をしている。

うた
大学卒業後、民間企業で営業・販売職を経験し、公的機関に転職。児童相談所、小児科、精神科、知的障害者支援などに関わる。公認心理師。

 


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