関西に暮らす、ケイさん(仮名)とゆかりさん(仮名)には、もうすぐ2歳になろうという息子さんがいます。共働きで忙しくも幸せな家庭生活を営む3人が、他と少し異なるところがあるとすれば、それはケイさんとゆかりさんの身体的性が、女性同士ということ。
同性婚が認められていない現在の日本では、家族として当たり前の権利を持つことが難しいのが実情です。一つ一つのステップをじっくり考えて進み、覚悟を重ねていった3人の大切な日常を聞きました。
※本記事はご本人の意向によりお名前のみ仮名となっていますが、リアルストーリーを届けるという媒体ミッションに基づき、内容は極力事実に基づくものとなっています。
ケイ/Kei 1970年代生まれ。関西で生まれ育つ。人の心のあり方に興味を持ち、大学・大学院で心理学を学ぶ。高校生の時、アメリカに留学した経験から、高校の英語教諭に。趣味はバスケットボールと、メガネのフレームを集めること。教職18年目。
ゆかり/Yukari 1980年代生まれ。穏やかな父と母と祖父母、兄、妹、犬の8人家族で育つ。幼い頃から、冷静に人を観察するところがあり、文学に興味を持つ。好きな作家は恩田陸とあさのあつこ。就職活動をしてみて、自分の目指すところと違うなぁと感じ、教員を目指す。教職10年目。
”一般的”な人生を離れて気づいた気持ち
自然に惹かれ合ったから、決断ができた
ーお二人には、現在2歳になる息子さんがいて、保育園に通っているんですね。可愛くなってきて、お二人も子育てに慣れてきた頃でしょうか?
ゆかり そうですね。私は育休から復帰して、本当にバタバタの毎日ですけれど。休日はなかなか昼寝をしてくれなくて、大変です(笑)。日々、ケイちゃんと、交代で面倒を見ている感じですね。
こと育児に関しては、私も他のみんなと同じように、「ミルクを飲まない」「おしゃべり早くしないかな」「野菜を食べてくれない!」といった、ごく”普通”の悩みを持つものなんだなぁと、改めて感じているところです。
ケイ 産休・育休を取ったのは産みの母であるゆかりなので、育休中はほとんどゆかりが子育てしてくれていました。私は、どっちかっていうと、”休日に遊ぶお父さん”的な感じだったかも。
ゆかり 育休中は、しょうがないよね。でも、今は、お互いできることを一緒にやっています。朝は必ずケイが息子を起こしに行ってあやしてくれるとか、自然に役割分担ができてきたかな。
ーいいですね。お二人の出会いについて聞かせてもらってもいいですか?
ケイ 私たちはどちらも高校教諭なんです。私が教師になって5年目くらいの時に、ゆかりが講師として同じ学校に雇われてきたんですよ。それで若手教諭が集まって文化祭やイベントの準備をすることも多くて、一緒にいる時間が増えたって感じですかね……。
あ、でも第一印象は最悪だったんですよ。茶髪でチャラチャラした若い女の子が入ってきて、「なんや、この子は。そんなんで教師が務まると思うなよー!」みたいに思っていました(笑)。
ーそんな二人が、どうやって親しくなっていったんですか?
ケイ ある時バレーボール大会の練習を先生仲間でやっている時に、ゆかりが結構なガッツの持ち主だってことがわかって。どこまでもボールを追いかけて壁にぶつかったりしてる彼女の姿を見て、「やるやん!」と見直しました(笑)。
とは言っても、私はその時、別の女性とお付き合いをしていたし、最終的にはゆかりから言って(告白して)きてくれたんですけどね。
ゆかり いやいや! それは、ものの言いようでしょう!うーん……相乗効果ですよね。こういうことのはじまりって……。ただ、私は私で、当時は男性と結婚していたんです。だから、現実にけじめをつけるためにも「離婚」が必要で、それはとても大きな決断ではありました。
「人を好きになるのって楽しい」一緒にいることで抱いた、初めての感情
ーお互いパートナーがいて、乗り越えるものもあって、それでも惹かれるものがあったんですね。でも特に、ゆかりさんは婚姻関係にあった方と離婚までされたとなれば、現実問題として大変なこともあったのでは?
ゆかり それはそうですね……。それまでの私は、いわゆる”一般的”な人生のコースをただ歩き続けていたんです。だからそこから離れるとなった時、「これから悩まなくちゃいけないことが、きっとたくさんあるだろう」という決心が必要でした。
実際、元夫もそうですが、両親も離婚の意思をすぐには理解してくれなくて。当時はまだ、ケイちゃんの存在についても明確には伝えていなかったこともあり、「もう少し結婚生活を頑張れないのか、相手も悪い人じゃないのに」と。反論のしようもなかったですね……。
ケイ 見ていた私からすると、だんだんと仲良くなって話をしているうちに、正直、彼女の結婚生活が、あまり幸せそうには見えないなあと感じるようになったんです。「だから私と付き合って」ということではなかったんですが、「好きじゃないんだろうな、だったら別れる選択肢もあるのに」とは思っていました。
ゆかり もちろん、結婚も自分で選んだことだし、後悔はしていなかったんです。ただ私は昔から、誰かと恋愛をしていても、周りのみんなが言うような「めっちゃ楽しい……!」「彼が大好き!」みたいな気持ちになることが一度もなかったんですよね。
でも、まあこうした感覚の人だって世の中にはいるよね、と自分で思うようにしていました。それが、ケイちゃんと一緒にいる時には、今までに感じたことのない高揚感があったんです「あ、これがみんなが言っていた『めっちゃ、楽しい!』の状態なのか」と。
ー初めて気がついたんですね。ケイさんはどうでしたか?
ケイ 私自身は、話が遡りますが、思えば保育園の時に、自分よりも足が速い女の子に一目惚れをしたのが最初の恋でした。だからもう先天的に、女性に惹かれていたのでしょうね。だけど、ずっと誰にも言えず、大きくなったら男の子と付き合わないとダメだと思っていて。
実際、中学から大学まで彼氏もいたんです。だけど相手のことは人としてはすごく好きなんだけど、どうしても恋愛対象としての「好き」じゃないなぁというのがなんとなくあったんです。20代半ばくらいで、いよいよ「男性は恋愛対象じゃない」とはっきり認めて、男性とお付き合いするのはやめよう、と決めました。
ーそれまでは、ご家族含め誰にも言えなかったんですね?
ケイ そうですね。初めて他人に打ち明けたのは大学生の時、仲のいいグループの子たちに、思い切って。すごくドキドキしました。
そうしたらみんな「わかってたよ」って普通に応えてくれて(笑)。そこから、「あ、言っても大丈夫なんだ」ってちょっとホッとして、親しい友人には打ち明けるようになりました。それでもやっぱり親には、言えませんでしたね。
親に打ち明けることで、ずっと生きやすくなった
「君が幸せならそれでいい」
ーご家族は、お二人の関係を受け入れてくれましたか?
ケイ 家族に伝えたのは、ゆかりと付き合って3年くらい経った頃なんです。本当にずっと長くこの人と一緒にいたいと決めた時です。親に伝えるって、めちゃくちゃハードルが高いんですよ。
ゆかり まずはお互いの妹に一緒に打ち明けたんだよね。私の妹は割と普通に受け入れてたけど、ケイちゃんの妹さんはびっくりしてたね。
ケイ そう。その後、自分の性自認のことも含め、ようやく両親にも伝えることにして。ゆかりのことは以前から職場の後輩として、よく実家に連れていっていたんです。その日もゆかりが実家に遊びに来てて、帰り際に決心して、「実は、二人のことで、お父さんとお母さんに聞いて欲しいことがある」と。
そうしたら、父はすぐ察して「あ、俺はもう、わかったよ」と言うんですよね。母は「え? 何? 何?」って、一人で困惑していました(笑)。
ーお母さんは全く気がついていなかったんですね。
ケイ ずっとズボンしか履かない子だとは思っていたけど、そうとは知らなかったって。でも「合点がいった」とも言っていました。以前、結婚しろと母に言われた時に私が「人の気も知らずにそういうことを言うな」とすごく怒って、1年くらい実家に帰らないことがあったんです。
「あの時の意味も全部わかった」と。驚いてはいたけれど、両親はすぐに受け入れてくれました。両親に打ち明けたことで、ずっと生きやすくなりましたね。
ゆかり 私は一人で全部親に話しました。両親は驚いて、戸惑っていました。とてもしんどい話し合いでしたが、最終的には「君が幸せならそれでいい」と言ってくれました。
「子どもを諦めたくない」その言葉に、精子提供ボランティアを探して
一緒にいたいのは彼女。その上で、子どもを持つ方法を考えよう
ー子どもを育てようというお話は、いつ頃からされたのですか?
ケイ ゆかりがずっと子どもを欲しがっていることは知っていました。方法として、第三者に精子提供を受けることを検討しているということも。でも私はいらないと言っていたんです。
子どもを育てることは責任も重いことだし、その子が大きくなった時に、私たちのこと、生物学的な父親のことなど、どう説明すればいいのかわからなくて。それに、産むのはゆかりになるから、私だけ戸籍が異なることになるわけで、自分だけが蚊帳の外になる気がして……。とにかく嫌だったんです。
だけど、ある時、ゆかりに「諦めたくない」って言われて。彼女も30代半ばになっていたので、もうじゃあ、あなたのタイミングに任せるねって。
ゆかり 私も、離婚をしてケイちゃんとつきあった最初のうちは、基本的にこれで子どもは持たないだろうと思っていました。もし子どもが欲しいなら、もう一度男性のパートナーを探した方がいいんだろうとも思っていました。だけど、やっぱり考えてみると、それは自分の人生の選択肢にはなかったんですよね。
一緒にいたいのはケイちゃん。それは変わらなかったんですね。だったら、その上で、子どもを持つ方法をなんとか模索してみようと思って……。それで、精子提供をしてくれる人を探そうと思ったんです。
取材・文/玉居子泰子、写真/本人提供、協力/高山美穂
性的マイノリティとしての自分とは何か、自分にとっての幸せとは何かを、お互いに探してきたゆかりさんとケイさん。この<前編>では、本来の自分を認め、周囲に認めてもらうまでの葛藤についてをお二人に語っていただきました。
続く<後編>では、いよいよ精子提供を受けて子どもを育てると決めた二人が、いかに家族になっていくか。社会に求めることは何かについても聞いていきます。
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