子どもを産むことも、働き続けることも、誰もがライフプランを安心して選べる社会に。女性の「はたらく」の選択肢を広げる活動の現場から、今私が願うこと。<前編>

女性の働き方を支援するNPO法人ArrowArrowの代表理事を務めながら、働き方の選択肢を広げる活動に取り組む海野千尋さん。中小企業を中心とした企業コンサルティング活動を通じて、選択肢がなかった女性がライフイベントと仕事を両立させることができる社会づくりに尽力されています。

現在育児真っ最中の海野さんご自身は、もともと家庭を持つことは考えておらず、仕事に生きる人生を送るつもりだったそうです。何が彼女を変えたのか。そして育児と仕事を両立する暮らしの中で見えた新たな景色とは。

子どもとキャリア継続の狭間で立ち止まっているすべての女性とそんな女性を支える人たちへ、海野さんの言葉を贈ります。

海野千尋/Chihiro Unno 1981年・静岡県生まれ。大学卒業後、編集プロダクション・広告代理店企業にてプランニング・ディレクション・ライティング・営業に従事、その後ITベンチャー企業にてwebディレクターとしてディレクション・情報設計に関わる。

2011年3月11日の東日本大震災を経てソーシャルセクターへシフト。自分の課題でもあった働き方の選択肢を作るNPO法人ArrowArrowに2013年ジョインし、働き方における企業コンサル、自治体協働事業推進、企業・自治体キャリアデザイン研修講師、新しい働き方のプラットフォーム作りを実施。

並走して自由大学「ネオ・ファミリースタイル学」のキュレーター、NPO・NGOで働く女性のエンパワーメントグループであるN女・ALTの活動、キャリアのこれから研究所での活動など、複数の場やチーム・プロジェクトで「働く」を実践中。


出産とキャリアの壁に立ち向かう

  「子どもか仕事か」の二択ではないーー選択肢は増やせる

―海野さんは「女性の働き方」をメインテーマにさまざまな活動をされていらっしゃいますが、もともと関心のあるテーマだったんでしょうか。

いえ、そうではないんです。社会人になって数年はやる気に満ちて、目の前の仕事だけを考えながらがむしゃらに働いていました。でも2社目の時に心身ともに疲弊してしまい、いわゆるバーンアウトして会社を辞めました。

私にとって働くことは当たり前で、働くこと自体が好きだったので、自分がそれをできない状態に陥ったことで全てがストップしたような感覚に襲われました。この先どうやって生きていけばよいんだろう、と。

時期を同じくして2011年3月、東日本大震災が起きました。私は都内にいましたが、当時の混乱と被害を目のあたりにしながら、ますます「働くとは」「生きるとは」という根源的な問いが深まります。

当時無職の私はパートナーもおらず、ただ生きるのに精一杯だったんです。そんな中でもテレビに映し出される震災の映像を見ては「私は生きている。生きているんだから何かやれることがあるのではないか」と思いはじめ、震災から数ヶ月後、被災地でボランティア活動に参加。

その時初めて、さまざまなNPO団体が人を支援しているということに触れました。そんな中で「NPO法人 ArrowArrow」が主催する「生き方デザイン学」というものに出会います。それは生き方や働き方の多様性、そして選択肢を学ぶための講座で、強い関心を持ちました。

自由大学「生き方デザイン学」の第1期受講生でした

 

―ご自身がどう生きていったら良いのかを探している過程で、ArrowArrowとの縁が生まれたんですね。「生き方デザイン学」を受講し、「女性の働き方」をテーマに活動を始めるまではどういったプロセスでしたか。

当時は子育てしながら働く女性の割合はまだまだ低く、子育てか仕事か、の二者択一で考えるのが一般的でした。会社勤めの頃、結婚や出産のタイミングで辞めていく先輩女性を見るにつけ、「あんなに楽しそうに働いていたのに。本当に望んで辞めたのだろうか。」と釈然としない思いを抱きました。

そして私自身はどうしたいんだろう、どう生きたいんだろう、と心の中にモヤモヤしたものが溜まっていたんです。そんな中、講座で言われたことが、私の転換点となります。

「あなたのモヤモヤは、実は社会のモヤモヤです。第一子を出産したタイミングでどれほどの女性が会社を辞めているか、数字を見てください。」

そこで内閣府男女共同参画局が出すデータや研究機関が調査した資料を見て、会社を辞めていった女性たちは、なんらかの外的要因によって辞めざるを得なかったケースがあることを知りました。

仕事か子育てか、どちらかを選ばざるを得ない現実に割り切れない思いを感じているのは私ひとりではないと気付き、当時はまだ職のない状態だったものの、社会と自分が再びつながった実感を持ちました。

その後2013年に、私はArrowArrowに押しかけて活動に参加させてもらいます。とにかくこのモヤモヤの解消のためになにか一緒にやりたい、という熱意が募っていました。

―それくらい、その「生き方デザイン学」で学んだことが大きなインパクトを持ってその先の海野さんを導いたんですね。

はい。講座を通して、それまで出会ったことのなかったさまざまな価値観を持つ人たちに出会いました。

子育てをしながら仕事を続けている人、出産後しばらく休んでからまた再チャレンジしている人、そういう場がないなら自ら作ろうとチャレンジしている人など。多種多様な道を選ぶ人たちから勇気をもらい、私も新しい選択肢を作れるかもしれない、と思えたことが自信につながっていきました。

そして「仕事か子どもか」の二択に悩む人たちと共に、選択肢をどう増やしていけるかを模索してみたいという意欲が芽生えたんです。

ArrowArrowに押しかけた当初は、ボランティアとして関わりたいと願い出ましたが、結果的に私のやりたいことを形にできるような新規事業を立ち上げるきっかけもあり、フィーももらえるようになりました。

ArrowArrowの「ママインターン」事業。自治体の協働事業などさまざまな拡がりにつながった

 

  企業風土に新しい風をもたらすのは、最初の事例

―20代30代というのは働く女性にとっては仕事に邁進したい年代で、同時に、妊娠適齢期でもあります。実際海野さんの周囲でその年代の女性たちが、ライフイベントのタイミングで会社を辞めるという選択をされたわけですが、そのステージの女性の葛藤について、ArrowArrowでの事業などを通じ、解決できたことや見えてきた課題などを教えてください。

多くの女性が一人では答えの出ない壁にぶつかり自問自答を繰り返している、ということがわかりました。

「出産したらキャリアは一旦白紙にもどってしまうんじゃないか」「自分は本当に働きながら子育てができるのか」「そもそもいつ出産していいのかわからない」「子どもを望むなら、キャリアはあきらめなければいけないのか」…。

出産と仕事というものをどう並べたらいいのか、その二択しかない前提のもとで葛藤する声をたくさん聞きました。

この状況を変えるには、会社の中に、ひとりずつ先例を作り、実績を積み上げていくことが必要でした。当たり前に出産後に職場に復帰し、育児をしながら働き続ける先輩がいれば、その企業風土は変わり、働く人は安心して結婚や出産を考えられるようになるのではないか、と。

―その「最初の一人目」、というところが、本人にとっても企業にとっても一番大きなハードルなのかもしれませんね。大手企業では近年当たり前になってきた感もありますが、かたや、中小企業や地方の組織環境においては、まだまだ先例が豊富にあるとは言えないように思います。

そうなんです。ある中小企業からご相談を受けたことがあります。今まで社員の妊娠出産事例はないが、このたび社員の一人が妊娠したのでどうすればよいか、というものでした。

ゼロから作る大変さはありましたが、ArrowArrowが伴走し、出産後に職場復帰し子育てしながら働く「一人目」の社員がその企業で生まれました。そこから、他の女性社員も妊娠出産しても辞めずに働き続ける、という流れができたんです。同じ組織内に一人でも先輩がいれば、選択肢の広がりが生まれることを実感した事例です。

さまざまな葛藤やプレッシャーを背負うことは、組織側も同様です。ライフステージの変化を迎えながらも、働き続けたいという希望を持つ人にいきいきと働き続けてもらうにはどうしたらいいかーーその事例がないと、組織もわからない。

だからこそ、一緒に働く環境をデザインしていきたいという姿勢を見せられるか、という点が組織には問われているのだと感じます。

組織の中でライフイベントを迎えている人たちと共に行ったワークショップの風景

 

  個人と組織のブリッジとなり、手の繋ぎ方を探す

―企業がそういうマインドにシフトするよう働きかけることこそ、まさに海野さんのなさっている活動、ということですね。その難しさはどういったところにありますか。

まずこの10年くらいで起きている良い側面からお伝えしたいのですが、企業側にも明確な意識の変化が起きています。

現在日本国内において働く人口が加速度的に少なくなっている中で、今いる社員が辞めずに働き続けられる体制をどう作るか、一人ひとりを活かせる環境をどう作るかを、企業は考えざるを得ない状況になっています。

一方で、個人レベルではまだまだ直面する課題は変わっていないことが多いのも事実です。一例をお話すると、個人の方から、いわゆるマタハラ(マタニティ・ハラスメント)を受けそうになっているというご相談がありました。でもその方は、その会社で働き続けることを希望している状況でした。

そこで私たちは、彼女が会社で働き続けることができるよう、どのように会社に意思表示をしていくかを一緒に考えることもありました。

こうした伴走事例では、まず会社側の懸念について、個人としてどのように対処ができそうか、どのようなリスクヘッジがあるのかを共に考えることで、個人が会社に対して伝える言葉や意思を整理できます。それをもって本人が会社と対話することで、個人と会社とが相互に理解を深めていくことにも繋がると思います。

そしてもし、個人の選択肢がその会社の中で全く活かされないならば、そこで働き続けることから、違う会社で働く選択肢へ道筋を拡げることもできるのだと思います。

当然、個々のケースごとに形も進み具合も異なります。時間がかかってしまうことにもどかしさを感じることはありますね。もしもすべてに共通して落とし込める施策があるならば、もっと速やかに変わっていけるのかもしれません。

国内6地域での中小企業と子育て中の女性とをつないだJPモルガン・チェース財団支援「GROWプロジェクト」

 


個人と組織のコミュニケーションの本質

  誰にとっても安心して働ける関係構築と環境づくりを

―個人と組織が理解し合うには慎重なプロセスが必要だと思いますが、合意や納得に辿り着くために最も大切なことはなんだと思われますか。

個人も組織も本音で話せる関係性の構築が、鍵になると思います。「私は出産してもこの会社で働きたいと思っているけど、会社としてはどう思っていますか」と会社に聞くことができて、会社もまたそれに対する組織としての本音を伝える。それができる環境整備や関係性の構築を目指したいです。

まずは個々人と会社が、本質的な信頼関係を築いていく。そのループが社内のあちこちで起こっていくことで、会社が安全な場所となり、安心して働ける人が増えていくと思っています。

―おっしゃる通り、会社とのコミュニケーションに限らず、本音で話せる関係性は本質的な対話につながりますよね。
一方で、不妊のようなデリケートな個人の心身にまつわる問題や家庭の話、個々のライフプランについてなど、会社に開示できない、あるいはしたくない、というケースもあるかと思われます。そのことについてはどのようにお考えですか。

ご指摘のとおり、言える範囲、言えない範囲というのはその人によって許容度が大きく異なります。とはいえ大手企業を中心に導入が進み始めた不妊治療関連の休暇制度のように、制度としてあることで救われる人たちも、一定数いると思っています。

声を出せた人がいたからこそ制度が作れた。つまり声を出す人の心理的安全性を高めながら、同時に、声を出せない人にも配慮していきたい。

現実的には今はまだ、声を出せない人の方が多いように感じます。そのことを前提に、いかに声をあげられずに悩んでいる人たちも巻き込んだ組織づくりや制度設計ができるかが、求められているんだと思います。

私たちが提供するプログラムに、「社員!Shine!」という個人の想いや考え、望む働き方について声にするというものがあります。

組織の中で、仕事・業務だけに止まらない個々の「働き方」や「働く」に関する会議形態があることは、組織の中で個人の声を挙げやすい状況をつくる一つのきっかけになると思っています。難しいことだからこそ、そこに取り組む意義があると考えています。

個人の働き方の選択肢を拡げるワークブックを開発。のちに企業内の研修にも使用していく

 

取材・文 /タカセニナ、写真 / 本人提供、編集 / 青木 佑


一度は仕事を離れて「生きること」「働くこと」の意義を見つめ直したことのある海野さん。そして東日本大震災のボランティア活動を通し、新たな視点を持ちました。

この<前編>では、そこからArrowArrowとの運命的な出会いを果たし、同団体参加後に取り組んできた「子どもか仕事か」の二択以外の選択肢を増やす活動や課題ついて語っていただきました。

続く<後編>では、海野さんご自身のストーリーを深掘りします。彼女の人生の軌道を大きく変えたものとは。そしてリアルな育児と仕事の両立から見えた新たな気づきと理想の社会とはー。


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