33歳、恋愛下手なわたしとゲイの男友だちで「子どもを育てる」を考える
(ーシリーズ「決める、決めない、決められない」)

私には理想のプロポーズのシチュエーションがある。

深夜にお腹が空いて、近くのラーメン屋に行くふたり。特に何もしゃべるわけでもなく、ずるずると麺をすする。鼻水が垂れそうな私の横顔をみるわけでもなく、彼は言う。

「結婚してみる?」

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目の前にあるのはスパゲッティ。麺類という大きな括りではラーメンと同じ。時間はお昼。輝かしいほどの太陽が窓から溢れている。

向かいに座っているのは、決して恋愛感情を持たない相手。10年以上友人関係を続けているゲイの男友だちだ。もくもくと食べる彼に向かって私は言う。

「子ども、育ててみる?」

つい先日起きた、現実の話である。ちょっと前まで私は「子ども」についてほとんど考えたことのない人生を生きてきた。何が起きた、いどありさ。そんな私のストーリーをみなさんにシェアしよう。

 

  子どものいる人生の扉

UnsplashDen Harrsonが撮影した写真

産む、育てる、というのは私にとって「意志の強さ」の表れだった。お母さんになる覚悟、強い思い、熱望、渇望、切望、、、それらが300%集まった岩石のようにかたい心がなければ、産む資格なんてゼロに近いとなぜか勝手に決めつけていた。

小さい頃から子どもを持つことを夢見て、ちょうどいいタイミングにパートナーがいて、ふたりでチャレンジして、その意志は運良く形になる。強固な意志と奇跡がいくつも重なった先の未来だと思っていた。

だから私にとって「出産」「子育て」は異国の地の文化くらい、遠い存在にみえた。そこまでの強い意志を持っていなかったからだ。すごく欲しいわけでもないけど、すごく欲しくないわけでもない。

こんな中途半端な私に、コウノトリは見向きもしないだろう。しかし、そんな開かずの扉を開いたのは、私よりも20くらい年上の元同僚の言葉だった。

彼女は40代で子どもを産み、今も息子のことで頭がいっぱいだ。子どものいない私にもいろんな相談をする。

隣でそれを聞きながら、「子どもを産みたいっていつになったら確信できるんですか?」と聞いてみた。私は仕事に人生を捧げているわけでもないし、将来子どもにそれを捧げたいわけでもない。だから彼女に聞きたかったのだ。どのタイミングでそれが強い意志に変わったのかを。

すると、その元同僚はキョトンとした顔で私をみる。

「いどさん、誰も確信なんてないのよ」

彼女の一言が私をとても軽くした。それまで私は「母親になるための心の準備」の壁をいつの間にか登れないくらいの高さにしてしまっていたのだ。

もちろん命を扱うし、あとからやめられるものではない。それでも、可能性の扉に永遠に鍵をかける必要もない。可能性として考えて、人から話を聞いたり、自分で調べてみたりして、それで産まない判断をしてもいい、産もうとする準備をしてもいい。

私は彼女の言葉によって、軽くなっただけではなかった。さらなる扉も見つけてしまったのである。確信がなくても子どもについて考えてみることはできる。だったら、もっともっとその先に選択肢はあるんじゃないだろうか。

 

  友だちと子どもを育てるという扉

UnsplashPhilが撮影した写真

後日、偶然にも長年友だちだったゲイの男の子とランチをする予定があった。私はこれはもしかしたら「運命かも?」といういつものお気楽な思考回路で約束のイタリアンレストランに向かった。彼には昔から私の弱い部分も汚い部分もみせてきた。家族になる姿が容易に想像できた。

本当はもっと気軽に声をかけるつもりだったけど、一瞬言葉に詰まった。なぜだか告白するような緊張感を持ってしまったのだ。「断られたらどうしよう」。「うまくいきますように」。

心臓がどくどくと音をたてているのも知らずに、彼は呑気にパスタに夢中だ。勇気を振り絞って声をかけてみる。

「子ども、育ててみる?」

「え?」

彼は予想外の質問にもっと言葉を詰まらせる。

私はまくしたてるように息継ぎなしでしゃべった。恥ずかしさを言葉で埋めた。

「えっとね、一緒に子どもを産んで育てることを考えてもいいかなって思い始めたの。そのときに男友だちと一緒にそれをやってみるのもありかなって。君とだったら、恋にもならないし、セックスレスの問題とかもないし、純粋に子どもを育てる共同体として一緒に過ごせるって思ったんだよね。恋とかは外ですればいいし!あるいはお互いのパートナーと一緒に住んで、みんなで育ててもいいし。今すぐ答えが欲しいんじゃなくて。そういう可能性を一緒に検討してみないかって聞きたかったの。検討していく中で、ふたりのちょうどいいをみつけたらいいんじゃないかな」

彼は「うん」と言いながら、しばらく黙り込んだ。

「なんか言ってよ。沈黙に耐えられない」

「そんなこと考えたこともなかった。結婚さえ許されないこの国で、僕が子育てなんて」

「そうそう、結婚と子育てって別でいいと思うんだよね。そっちのほうがうまくいく気がするの。私は、正直恋愛が苦手。「恋愛」という教科があったら、赤点だらけだと思う。でも仲良い友だちと子育てをするって考えたら私にもっとあっている気がする。もっとしっくりくる。恋愛して、結婚して、子育てしてって順番を踏まないといけないって勝手に思っていたんだけど、その順番って別にルールじゃない。そもそも法律が私たちに合わないなら、その隙間を泳いだらいいと思う」

「…。悪い提案じゃないね。ちょっと考えたい」

「でしょ?今すぐ答えが欲しいわけじゃないけど、何年間も考えることじゃないと思っている。産むか産まないかじゃなくて、検討するかしないかの答えを3日以内にちょうだい!」

せっかちな私はすでに子どもを産んで、育てるシミュレーションが頭の中でできあがっていた。彼はさっき聞かされたばっかりなのに、私のスピードに一生懸命ついていこうとしていた。(つまり、いいやつなのだ)

「わかった。3日後ね」

私たちはそれ以上何も言わずに別れた。

 

  扉だらけの人生

UnsplashZulian Firmansyahが撮影した写真

ここまでくると、彼の答えが気になるのではないだろうか。果たして彼は私のプロポーズを受け入れたのかどうか。でもここで言いたいのはそんな結末ではない。結末は正直どうでもよいのだ。

私が誰と一緒にいようと子どもを育てようと育てまいと。大事なのは、選択肢があるということ。それに対して「しっくり」きているかどうかということ。

彼の答えを聞いたら、大事なことはなんなのか、さらに鮮明になった。

3日後、彼は私に言った。

「最後まで悩んだんだけど、このまま検討すると、僕はありさの物語の一登場人物になってしまう。僕の意思がまだ明確じゃないまま突き進んでしまうことになると思う。検討だけとはいえ、引き返せないくらいところまで流されていく自分が見える。検討するかしないかの選択は多くの選択肢の入り口だと思う。どうやって産むか、どれくらい試すか、どこで産むか、名前はどうするか、どこで育てるか、これからごまんと選択が迫られていく中で、最初から流されてしまうと、僕はきっと後悔をする。これは出産の話じゃなくて、僕が自分の人生をどう生きたいかの話なんだ」

私がど直球に投げたボールが3日後にど直球に返ってきた。なんだ、と少し落胆はしたが、彼の真剣さを肌で感じることができた。私が自力で可能性の扉を探し当て、ドアノブに手をかけようとしているように、彼もまた自分の手でドアノブを見つけ出したいのだ。

短期間で巡った、数々のシミュレーションは頭の中だけにとどまってしまったが、私たちはお互いの心のうちを話すことで、人生の立ち位置や未来への希望をたしかに感じ取ることができた。

「ゲイだから、子どもを持てない」
「恋愛が苦手だから、子どもを持てない」

もちろん、同じ状況ではない。法律や社会で認められているか否かの大きな違いはある。

でもこの一件で、「ありえなさすぎて考えてもいなかったシナリオ」が突然降りてきた時、私は他にもたくさんの可能性があるんじゃないかと信じることができるようになった。出産や子育てだけじゃない、人生における様々な可能性の扉。

この一件を通して、大きな扉を2つも発見してしまった。扉たちは、私らしく生きていい、私らしさを掴むためにもっともっと冒険していいと背中をドンと押してくれた。

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この文章を書くのは、正直勇気がいることだった。今も出すか出さないか悩むほどだ。それは33歳独身の私が出産に関して、シンプルな感情を持ちづらいからだと思う。

令和だけれど、私の状況をさらすことはやっぱり「恥ずかしい」という気持ちがある。少子高齢化のニュースが取り上げられるたびに、社会の犯罪者になった気持ちになる。

今の生活は幸せだし、この上なく人や環境に恵まれて生きている。それでもこのトゲトゲしたものはなんだろう。もしかしたら出産さえしてしまえば、この悶々とする感情は消えるのではないかとさえ思ったりもする。そんなことは決してないと頭の中でわかってはいても…。

それでも、この文章を書くチャンスをもらって、書こうとしたのは、私の心の区切りと未来の私へのエールを送りたいからだ。きっと未来の私はこれを読んで笑ってくれる。「相変わらず、意味わかんないことしてるね〜。でも、嫌いじゃないよ」って。

 

井土亜梨沙
スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版コミュニティプロデューサー。一橋大学卒業。2014年森ビル入社。2016年ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパンに入社。「Ladies Be Open」のプロジェクトを立ち上げ、女性のカラダにまつわる様々な情報を発信したほか、1か月間メイクしない自身の生活を綴った「すっぴん日記」なども担当した。2018年よりForbes JAPAN コミュニティプロデューサーとして雑誌の特集に合わせたコミュニティ作り・運営をメインに、ウェブや雑誌の記事を執筆。8社が参画した「#もっと一緒にいたかった 男性育休100%プロジェクト」では、第1回Internet Media Awardsスポンサード・コンテンツ部門を受賞。2021年4月より現職。


*シリーズ「決める、決めない、決められない」

「性と生殖に関する健康と権利」を意味するSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)。
自分のセクシュアリティや妊娠・出産を含む生殖のことに関して、誰もが適切な知識と自己決定権を持ち、必要な時に必要なケアを受けられること。

ただ、このSRHRに関しては、日本でも、世界でも、まだまだ課題が多く積み重なっています。そもそもわたしたちが見えていないこと、知られていても理解が進んでいないことも…

産む・産まないについて、いくつものストーリーをお届けしてきたUMUなりに、このテーマを問い直し、みなさんと一緒に考えたい。わかりやすく目に見える結果や今の状態だけでなく、それぞれの決めるプロセスや、決めるしかなかったこと、決めずにその場にいったん留まらせたこと、悩みや迷い、揺らぎとともにあり決められなかったこと…そうしたストーリーをシリーズにしてお届けします。


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