<前編>ではSRHRの概念や歴史的背景について、池田裕美枝先生に語ってもらいました。<後編>では、SRHRをもう一歩掘り下げ、納得できる人生を歩むために「自分の心と体の声に耳を傾ける」ことの大切さと、その根幹となる「ボディリー・オートノミー」という考え方についてもお話しいただきます。
若年層女性にとっての重要性は当然ながら、長い人生を健やかに生きていくために、UMU読者世代の30代〜中高年以降、ひいては一生涯を通じともにあるべき概念である、SRHR。
この<後編>では男性にとってのSRHR、という視点も含めお話しいただきました。
池田裕美枝/Yumie Ikeda
産婦人科医
2003年京都大学医学部卒業。舞鶴市民病院、洛和会音羽病院にて総合診療科研修後、三菱京都病院で産婦人科研修を積み、神戸市立医療センター中央市民病院産婦人科副医長などを経験。リヴァプール熱帯医学校リプロダクティブヘルスディプロマ修了。米国内科学会fellowship exchange programにてメイヨークリニックで女性医療研修。2児の母。2023年、海と空クリニック京都駅前院の院長に就任。
忙しいからと、自分を蔑ろにしないで
ー日本では30代後半~40代の女性において、避妊の選択肢の少なさや中絶件数の多さなどが指摘されていています。SRHRは10~20代の若い女性だけでなく、中高年の女性にとっても身近な問題だと思うのですが、池田先生のお考えをお聞かせください。
まず、SRHRの根幹となる考えが「ボディリー・オートノミー(Bodily Autonomy)」です。日本語では「体の自己決定権」と訳されますが、分かりやすくいうと「自分の心と体の声を聞くこと」だと私は解釈しています。
たとえば、児童婚するしか生きる道がない、難民の15歳の女の子がいたとします。その子が自分の意志で、「お金持ちの人と結婚して弟たちがごはんを食べられるようになるなら、結婚します」と言ったとすると、どうでしょうか。これはこれで自己決定ですよね。
でも、「あなたは本当にあのおじさんのことセクシーだと思ってる? セックスしたいと思ってる?」と問いかけると必ずしもそうではないかもしれない。
その女の子が、本当にその人とセックスすることで心から安心できると思っているのか。本当に自分らしい選択をしているか。そこを突き詰めて考えるのが「ボディリー・オートノミー」、つまり「心と体の声を聞くこと」、です。
これは健康を保つためにもとても大事な行為です。日本の女性は、頭が痛くても、「この仕事を今やっておかないとあの人に迷惑がかかるから」と、頭痛はないことにして頑張ろうとすることが多いでしょう。自分の体よりも他の人のお世話を一生懸命に頑張る人が多い印象です。もちろん、他の人のお世話をすることも自分が決めた選択です。
でもそこで痛み止めを飲まずに仕事に行ってしまうのは、自分の心と体を本当に大切にしていると言えるでしょうか。「そんなことではへこたれないわ」と頑張ってばかりいると、いつかその人の健康に大きく影響するのではと危惧しています。
ー耳が痛いです。
今の日本において、要介護状態にあるのは7割女性なんですね。男性の場合、要介護になる理由は脳梗塞や脳出血など脳血管疾患が一番なのですが、女性は認知症と関節疾患と、骨折、そして「なんとなく元気がない」というのが高い要因として占められているんです。
ポイントは、関節疾患や骨折、そして認知症は、「運動や筋トレなどの生活習慣によって遠ざけることができる」疾患や症状であるという点です。
それにこの3つの疾患をみたとき、私たち専門家がピンとくるのは、これらは女性ホルモンが守ってくれる疾患でもあるんですね。
関節疾患や骨折と女性ホルモンの関連はよく言われることですが、認知症においても、動物実験の段階ではありますが女性ホルモンが予防してくれるという研究があります。認知症ではなくても、更年期のときはブレインフォグといって、物忘れに悩まされる女性は多いですよね。
私たちは40代ぐらいまでは、自分の体をあまり構わなくても、女性ホルモンが守ってくれているから病気になりづらいんです。
だけど、私たちは女性ホルモンが失われたあと30年以上も生きていかないといけない。ですから、30代後半~40代のうちから食事や運動の生活習慣を見直し、更年期にも備えるなど自分で自分のお世話をしっかりしておかないと、将来自分が要介護になるリスクを高めてしまうんです。
ー40代からの習慣が、残りの人生の健康に大きく関わるのですね。
30代~50代の女性が本当に忙しいのはよく分かります。子どもの世話や受験もあるし、親の介護もあれば、義父母のお見舞いにもいかないといけない、なんて状況だと、自分をお世話する時間なんてないよ!となってしまいますよね。
食べものでも、子どもやパートナーが嫌いだからこれはお料理しない、食べない、なんてこともしょっちゅうだと思います。
ですが、自分の健康のためによいと思うものを食べるとか、自分の健康のために運動をするとか、心が豊かになるための時間を作るとか。そうやって今のうちに自分の心と体の声に耳を傾けて、そうした習慣づけをしておくことは、実は長い人生を健康的に生きていくためにとても大事なんです。
男性は自分で自分の首を絞めている?
ーSRHRは女性の問題として語られがちですが、男性のSRHRについてはどのようにお考えですか?
もちろん男性にも誰との子をいつ儲けるか、あるいは子どもを持ちたくないときはそうする権利がありますし、誰とセックスするかを選ぶ権利ももちろんあります。セクシュアルヘルスについては、むしろ男性のほうがジェンダーに縛られるがためにしんどい思いをしていることが結構あるんですね。
たとえば、少し前のインドでは、「子どもができないのは自分に原因があることを認めたくないから病院に検査に行かない」ということが大問題になったようです。不妊の半分は男性に原因があるにも関わらず、子どもができない原因の多くが女性のせいにされ、女性が離縁される。
関係者が行政サービスを充実させようと奮闘しても、そこに男性は来ないから解決しない。これは、男性が持ちがちなジェンダーバイアスや男尊女卑社会に縛られて、男性が自分の首を絞めているようなものですよね。
また、リプロダクティブ・ヘルスについても、子どもを産む権利、産まない権利については、男性主体ではあまり語られないでしょう。私は働いていると「子育てしているのにがんばってるね」なんて言われますけど、夫は働きながら育児をしていても、何も言われません。
むしろ、男性が育児をがんばると「QOL重視で仕事が嫌いな人」と見られてしまう空気感ですよね。同じ「子を持つ親」なのに、そのことが男性主体で語られる機会は非常に少ないと思います。
ー個人の意識というよりは社会の意識の問題でしょうか。
「男性のSRHRも尊重すべき」という概念そのものは、少しずつ広がってきているように思います。男性育休の話も盛り上がっていますしね。
私も少しずつ産婦人科の先生にSRHRについてお話する機会が増えていて、男性の先生方からも「今までよくSRHRのことが分からなかったけど、やっとわかった」と声をかけていただくことも増えてきました。
ただ一方で、日本の医師は患者さんの面倒を見ようとする傾向が強いですから、外国と同じような速度で浸透してはいかないなと感じています。
日本の医師は、患者さんに対する責任感がとても強いがために「本人が判断できないのに、選択肢を提示して自己決定させてしまうと、患者さんが間違えてしまうんじゃないか」とつい心配してしまいがちです。欧米ではパターナリズム(父権主義)と言われるのですが、私たちからすると、善意ゆえ、なんです。
この「弱い人は守ってあげないといけない」という感覚って、医師と患者間に限らず、日本の男女間にも少なからずあると思うんです。決して差別意識からではなく、親切心で。だからそれを否定されると医師も男性も怒ってしまうんですね。まるで思春期の女の子と、それを心配する父親みたいに。
欧米では医師と患者、男性と女性の間でも、「あなたが痛い目にあってもあなたの問題よね」と、はっきりしていますけどね。かたや日本では、緊急避妊ピルひとつとっても、普及すれば別の危険にさらされるのではと産婦人科医が心配しすぎるあまり、今一つ普及しない。
ですから、SRHRの意識が男性にも広まるかどうかを考えた場合、言葉自体は普及しそうな気もしますが、そもそもの日本人特有の考え方とか意識というか、根本的なところが変わらないかぎり、根付くのはまだ先なのかなと感じます。
放置されがちな中高年のセックス問題
ーいろいろお伺いしましたが、池田先生からみて、SRHRの文脈のなかで、まだまだ十分に語られていないけど、実は大切なんだよ、というテーマがありましたら、お聞かせください。
難しい話ですが、卵子凍結や精子提供については、法整備の端緒についたばかりでまだまだ議論が不十分だと感じています。
あと日本は中高年の夫婦生活の問題についても気軽に話せる雰囲気がないですよね。セックスがどちらかというと性欲のはけ口としてとらえられ、特定の人との関係性を温かく深めていくための試み、という点からはなかなか語られません。
内診している際も、「あれ、こんな感じでしたら、セックスするとき痛くないですか?」って私が患者さんに尋ねると、「もう全然ないんで困らないです」と答える人は少なくありません。
ここは文化の差がおそらく大きくて、アメリカだと、セックスできないとか、性欲が薄れてしまった、というのを大問題と捉える人も多く、そのための専門外来や治療薬もたくさんあるんです。職種でいえば理学療法士も積極的に介入しています。
そう考えると、日本ではセクシュアルヘルスの分野で、セックスに関する個人の問題に介入する専門家がほとんどいませんよね。日本人がセクシュアルヘルス・ウェルネスを大切にしない国民になっていることに対し、社会的に介入しようとする動きがまったくないなと感じています。
自分の心と体の声に向き合う訓練を
ーSRHRの基本的な概念から、日本人や日本社会特有のSRHRについて伺ってきましたが、最後に一つ。UMUの読者のなかには不妊治療を経験した方も多く、「ボディリー・オートノミー」の実行がむずかしい、つまり自分の心と体の声に従いたくても現実が乖離してしまう、という葛藤を抱えている女性も多くいらっしゃいます。
たとえば、子どもが欲しいけど、不妊治療で健康な体にホルモン注射をしたり薬を飲むことがとても苦痛だったり。こうした、自分の心と現実が相反する状況については、どのようにお感じですか?
自分の「こうありたいという」像と、今しなくてはいけないことに乖離があるのは、いつでもだれにでも起こりうることだと思います。私自身も、本当は、年間5本は論文を書く立派な研究者になりたいと思っているのに、そのための努力をするのは本当に大変で、できない自分が情けないと思ってしまうことはしょっちゅうです。
「目指している自分になれない」というのは、生きていくなかで当然起こりがちなことですが、そこで大事になるのが、自分が取っている行動に自分が納得しているかどうか、だと思うんです。そのための努力をしている自分のことが好きかどうか。
誰だって、できることなら不妊治療によって具合が悪くなりたくないですよね。でも、今こうやって子どもが欲しいと願い、具合は悪いけれども明日も注射を打ちにいこうという自分が好きかどうか。それが自分らしいと心から思うのか。その問いかけはやはりあったほうがよいと思います。そうしない選択肢だってあるわけですからね。
日々診療をするなかで感じるのは、恐らく誰にも強要されているわけじゃないのに、「こうしなくちゃ」と思い込んでいる人が多いということです。自分にしっかり尋ねていない。子どもが欲しいと思い込んでしまい、子どもを産まない人生、妊娠をしない人生について考える余地を自分に与えていない。
もしくは、不妊治療を開始することが常に頭の片隅にあるのにもかかわらず、忙しさにかまけて、本当に自分が子どもを持つ人生を望んでいるのかどうかを自分に尋ねていない。これでは、「ボディリー・オートノミー」と実際の自分が乖離してしまい、しんどいのではないかと思います。
ーそういう訓練を小さいうちからすることが必要なのかもしれません。
その通りだと思います。これはハワイ出身の先生から伺ったことですが、米国のその先生の周囲の方々は、泣いている赤ちゃんに対しても「どうしてほしいの?」と一つひとつ言葉で確認したうえで、お世話をするらしいです。きっと私たちも、親子や周囲との語り合いをとおして、自分の心と体の声に向き合う訓練をしていくことが大切なのかもしれませんね。その繰り返しが、SRHRを自分に根付かせることに繋がるのだと思います。
そして、もし、自分の人生を振り返ってみて、「あのとき周囲や社会に流されず自分にもっと尋ねておけばよかった」と後悔することがあるなら、次世代の人たちがそういう後悔をしないですむよう、私たち世代で社会を変えていけたらいいですね。
取材・文/内田朋子、編集/瀬名波雅子
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