現在マレーシア在住で3児の母でもある後藤愛さん。
キャリアとパートナーシップ、子どもを持つこと。海外を舞台にしなやかに生きる愛さんは、それらとどのように向き合い、決断してきたのでしょうか。「決める、決めない、決められない」をテーマに、コラムを寄せていただきました。
つくる vs さずかる
「子どもを作るとかいうけれど、子どもは授かりものだからね、愛さん」
28歳、大学院留学を終えて帰国して復職した私は、留学直前に結婚していた夫と1年ぶりに同居できるようになり、第1子を20代のうちに産みたいと焦っていた。
1年間の勉強漬けの暮らしを終えて日本に帰国して復職し、隣の部署の女性の課長Sさんとランチをしてもらったときに、冒頭の言葉を言われた。子どものいる女性管理職ということで私の目指す道に何かヒントをくれそうな気がしていた。Sさんは当時40代。遅く産まれたお子さんが保育園からもうすぐ小学生というころだった。
Sさんのひとことは、何でも計画しようとする私を諭すような、計画通り進まなきゃと細い道を凝視している私をなだめるような、大人の女性からの優しい言葉だった。場所は、新宿御苑の脇にある、木漏れ日が眩しい中華料理店の道路沿いの外の席。話の中心は、女性として、子を持つ母として、仕事と家庭とパートナーシップをどのように設計するかに迫っていた。
「そうか。作るとか、産みどきだとか。私、傲慢だったな。授かりものかぁぁ。」そう視点を切り替えると、気持ちと足取りが、ふっと軽くなった。いつの間にか仕事のような態度で臨んでしまっていたが、少し異なる態度がいいのかもしれない。そんな気がした。
翌年、自然妊娠で長男を授かり、2010年5月、結果的に、自分の30歳の誕生日の2週間前に、自然分娩で出産した。
妊娠・出産・子育ては、とても自分一人の計画や想定でいかない。けれどそこがまた面白い。この長距離マラソンを、どう走るか、誰と走るか、いつまで走るか、いつ終えるのか。
一人ひとりが違うレースを走り、目的地に着くことが目的ではなく、走る過程こそが、生きることそのものだと気づいた新しい世界の幕開けだった。
長男出産、職場復帰、マミートラック
ぎりぎり20代での出産だった。夜中11時半から陣痛。陣痛の波の間隔を測りながら、「まだもう少し自宅待機かなぁ、ヒヒフー」と四つん這いで私が痛みを逃していると、横から夫が「いやいや、テレビのドラマとかではもう病院駆け込む状態でしょ」と言ってタクシーを呼び、かかりつけの産婦人科医院で子宮口を見てもらったのが朝4時過ぎ。
「十分開いてますね、今日産まれますよ」と笑顔の助産師さん。「ゴールデンウィークなので院長は不在で、理事長先生が対応します」という。あのおじいさん先生かぁ、と思ってからの数時間は割愛するが、朝9時半前に無事産まれ、助産師さんには「安産でしたね」と太鼓判をもらった。
が、おめでとうと電話をかけてきた妹に電話口で「もしも次があったらぜったい無痛分娩にする!安産ってめちゃくちゃ痛いよ、頑張らない方がいい!」と叫んでいた。
安産であの痛さなら、難産の人はどれだけ大変なのだと恐ろしい気持ちになるとともに、世界中のすべての母親への尊敬の気持ちでいっぱいになった。幼稚園で演じた、マリア様が馬小屋でキリストを出産するクリスマスの話は、ものすごく過酷なお産の武勇伝だったのだと思った。
夫も立ち会えたのはよかったが、翌日から入院室に来るのが、面会時間の終わるぎりぎりの時間だった。助産師さんが「よくあるんですよ、お子さん産まれたら、なおさら仕事に熱を入れてしまう旦那さん」と軽く励ましてくれた。
14年も前のことだから冷静な今ならわかるのだが、当時、夫もまだ20代。自分の会社を始めたばかりで、軌道に乗せるのに苦労していた時期で、子どもを受け止めるには、気持ち的にも経済的にも、正直、尚早だったのだろう。海外での英語教育も視野に入れた経済的基盤を築いてから子育てに臨みたいと焦っていたと、後から打ち明けてくれた。
産む、産まないは、時期を決められることもあれば、決められないことも多い。私にとっては20代のうちにいいタイミングで産めたと思ったが、夫の立場になってみるときっとそうではなかったのだろう。共働きが当たり前となると、パートナーとも一致したタイミングを迎えられるのは、もはや奇跡かもしれない。
5月生まれだったので翌年3月まで育休を取り、4月に東京都の認証保育園に入園させて、私は産休前と同じ部署に復帰した。上司でイクメンのHさんが、私の担当だったヨーロッパは出張が長期に及び子育てとの両立難しいことから「アジア域内なら2泊3日の出張で行けるから、旦那さんや実家とも相談して計画してみたら」と提案してくれた。数か月後に実現した出張で、海外の現場にいたいという自分の原点を確認した。
その反面、普段の仕事は半人前に戻ったような気がしてこれがマミートラック(育児中の女性が責任を制限されたキャリアパスになること)かと悶々と悩み、「東南アジアでベビーシッターさんを雇える環境なら、もっとのびのび仕事ができるかもしれない」と夫婦で話し始めた。夫も経済成長著しい東南アジアの環境は面白そうと積極的だった。
そこへ元上司でインドネシア事務所長だったOさんからインドネシア駐在の機会を打診され、育児とキャリアを両立させる細い道を探るべく藁にもすがる思いで、1歳9か月の息子とともにインドネシアの首都ジャカルタ駐在に行くことになった。この時、一人を育てながら働くので精いっぱいで、第2子はとても考えられなかった。
インドネシア、35歳までに、自分への縛り
ベビーシッターさんを雇えると聞いてはいたが、いい手配会社などは存在しておらず、口コミに頼る方式だった。
「駐在員は24時間が仕事」と言われたのを真に受け(いまはおそらく違う捉え方でしょう)、仕事に没頭し、ここで自分らしい仕事をしようと息巻いていた。
実際、住み込みのベビーシッター兼家事全般を手掛けるヘルパーさんを、月額2万円強くらいで雇うことができる環境だった。家事育児の何を自分がやって、何は外注するのか、しっかり考えて自己責任で決断しなければならないことも知った。(この頃の働き方、育て方はこちら。)
夫は1年半ほど日本と行き来したのち、インドネシアに合流し、自宅で仕事をしながら長男の子育てを積極的に手掛けてくれた。やはり離職しやすいことなどヘルパーさんだけには任せきれないことも多く、夫の柔軟な生き方、働き方のおかげで成り立った駐在生活だった。
このころ、35歳までに、海外駐在、第2子、キャリアアップ、という目標がかつてあったけれど、海外駐在のみで精いっぱいで、第2子はいつの間にか私の中ではお蔵入りになっていた。35歳になるころ、自分の年齢、仕事の充実(と時間がない)などの理由から、「1人の子どもに恵まれた今の状況に感謝してこれからも暮らしていこう」と謙虚な心持ちでいるようにしていた。
仕事はやりがいがあり、新規大型プロジェクトを社内で発起人として立ち上げるなど、夏の季節を謳歌していたが、健康診断で婦人科系が要再検査になったことで、「このままではいけない」「より心身のバランスの取れた働き方、暮らし方へシフトしたい」と憬れを感じるようになった。
第2子は自然に任せてと授かるならと思ううちに授からないまま、5年間の駐在を終えて、本帰国した。1歳9か月でインドネシアに来た息子が、大きなけがや病気もなく(私と夫はデング熱、息子は尿路感染症になったりはしたが)家族そろって無事に帰国するときはほっと安堵した。
住んでいた5年間の間に、インドネシアの人から気軽に「子ども1人だけ?少ないね、もっといたらいいね」と屈託ない笑顔で話しかけられたことが何度かあった。最初はあまりのド直球にかなり驚いたが、長く住むうちに慣れて、この国の人たちの大らかな生き方を見て、むしろ救われていたのかもしれないと思った。
(後編に続く)
後藤愛
1980年生まれ。一橋大学法学部(国際関係論専攻)を卒業後、2003年独立行政法人国際交流基金に就職。2008年フルブライト奨学生としてハーバード大学教育大学院教育学修士号(Ed.M.国際教育政策専攻)取得。2012年から2017年同基金ジャカルタ事務所(インドネシア)に駐在し、東南アジア域内と日本との文化交流事業に携わる。2021年同基金を退職し、現在マレーシアでCHANGEマイクログラントに携わる。マレーシアなど海外移住する現役世代日本人の生き方、働き方、育て方を綴るエッセイ『越境する日本人』を連載中。家族は夫と子ども3人
*シリーズ「決める、決めない、決められない」
「性と生殖に関する健康と権利」を意味するSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)。
自分のセクシュアリティや妊娠・出産を含む生殖のことに関して、誰もが適切な知識と自己決定権を持ち、必要な時に必要なケアを受けられること。
ただ、このSRHRに関しては、日本でも、世界でも、まだまだ課題が多く積み重なっています。そもそもわたしたちが見えていないこと、知られていても理解が進んでいないことも…
産む・産まないについて、いくつものストーリーをお届けしてきたUMUなりに、このテーマを問い直し、みなさんと一緒に考えたい。わかりやすく目に見える結果や今の状態だけでなく、それぞれの決めるプロセスや、決めるしかなかったこと、決めずにその場にいったん留まらせたこと、悩みや迷い、揺らぎとともにあり決められなかったこと…そうしたストーリーをシリーズにしてお届けします。
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