【ミレニアル世代コラム】不妊治療をきっかけに見つけた、本当の自分の価値~あらゆる自分をそのままで認め、許すということ~。

看護師でもある筆者・高瀬は現在、3年にわたる不妊治療の真っ最中です。幼い頃の偏った価値観、痩せていることをよしとするボディイメージにより自らを苦しめ、妊娠・出産を遠ざけていました。そんな私が不妊治療をしている中で、自分とは何か、自分の価値とは何かに真剣に向き合い、得たものがあります。
不妊治療をしていると、自己肯定感が低下する場面に多く直面します。そのような状況にある方に、私の経験が自分の価値をみつめ直すきっかけになれば、とこのコラムを記します。


*【ミレ二アル世代コラム】と題して、等身大の30代が「産む・産まない」について思うこととモヤモヤ、意見、願いなどをコラム形式でお届けするシリーズ、今回が第二弾です。


  偏ったボディイメージの構築により、自分を苦しめ始める

学生時代、私はいわゆる優等生タイプの、真面目な子供だったと記憶しています。かつ、人に褒められたり、認められたりすることを目標にするところがありました。そのような子供になったのは、母親の影響が少なからずあったと思います。

私にとって母親は、フルタイムで仕事をしながら育児や家事をこなし、周囲の人にも頼られ、尊敬すべき存在でした。そんな母からは厳しくも愛情深く育ててもらいました。そんな母に認められたいという想いが、人の評価が自分の価値を決めるという、やや偏った価値観へとつながったのではないかと思います。

その私がダイエットを始めたのは中学3年の夏です。体重が落ち体型が変化していくにつれ、周囲の人からかけられる言葉に、これはよい評価を受けているのだと錯覚します。

痩せていることをよしとする偏ったボディイメージは、このように私に刻まれていきました。自分のためではなく、人からの評価のために「頑張り」、自分を苦しめていきます。
同時に月経は徐々に不規則となり、最終的に無月経に。

大学入学と同時に一人暮らしを始めた私は、「さすがにこれはまずいかな」と思い、近所の産婦人科を受診しピルを内服し始めます。大学卒業後は、都内の大学病院で看護師として働きはじめ、自分なりに「頑張って」日々を過ごしていました。

また、漠然と将来子供を授かりたい、授かるものだと当たり前のように思っていたものの、自身の生殖能力に関しては無頓着でした。そして今考えると、どこか深く考えることを避けていたのだと思います。
かつ看護師という仕事に対しては、大変さもありながらも非常にやりがいを感じており、この時結婚、妊娠、出産に関して具体的なビジョンは持っていませんでした。

 

  結婚を機に、躊躇なく不妊治療を開始する

そんな私が27歳で主人と出会い、28歳で結婚することになります。結婚を機に現実として、妊娠・出産を考え始めます。

仕事も乗っていた時期だったものの、子供が欲しいという気持ちが結婚とともに、一気に高まります。
そして本音を言うと、これまで「太ってはいけない」というプレッシャーを自分にかけ続けて来た中で、「妊娠すれば太っても許される」という、少しいびつな感情を持っていたのが正直なところです。

結婚式を終え、ピルの内服を辞めますが、月経は来ません。「やっぱりか」というのが、私のその時の気持ちです。

すぐに子供が欲しかった私は、不妊治療を開始しました。タイミング法、人工授精へと進んでいきます。その中で、通常より多量の薬を使用しないと卵胞が育たないという現実を突きつけられます。
自分の生殖能力はこんなにも低かったのかと、落胆しました。それと同時に、私は自分なりに「頑張って」生きてきたつもりなのに、なんでこんなにも人より劣っているのだろうかと、悔しさに似た感情に襲われます。

そして、早々に体外受精へとステップアップします。もともと医療従事者だったからか、そこに躊躇は全くありませんでした。そして治療さえすれば、必ず授かれると疑っていませんでした。

そんな私は、自分なりの「頑張る」を続けます。時には、絶飲食で夜勤をし、その足で採卵に行ったこともあります。採卵後に卵巣過剰刺激症候群となり、腹水が溜まった状態で痛みに耐えながら仕事をします。
しかしその時の私は、子供を授かるためなら、当然のことのように思っていました。

 

  体外受精をしても授かれない、という現実に直面

体外受精1回目が陰性に終わった時、何とも言えない不安と絶望が押し寄せます。
結果を聞いた当日は、襲ってくる負の感情に押しつぶされそうになり、主人と無心で何時間も外を歩いたことを覚えています。主人もそんな私を見て、どうしていいかわからなかったでしょう。

2度の採卵、4度の凍結胚移植をしました。しかし全て着床もしない陰性です。当時の30歳という年齢では、胚移植4回目までに87%が妊娠に至る、というデータがあります(日本産科婦人科学会ARTデータブック2012)。

私は、残りの13%でした。
そのデータを見たとき、もちろんショックを受けます。しかしその反面、治療中に日々思い知らされた自身の生殖能力の低さを思うと、何か腑に落ちる感覚がありました。

同時に、自分の母の存在から作られた「母親像」というものすごく大きい存在と、かたや、母親になる初めの一歩から早くもつまづいているように思える自分との、漠然としたギャップを感じていました。

そして治療の経過が長くなるつれ、「あぁ、このままでは授かれないかもしれない」と思うようになります。

 

  移植5回目で初めての陽性。そして、流産

それでも移植5回目に初めての陽性反応が出ます。ものすごく嬉しかったです。
「あぁ、やっと、今までやってきたことが報われる」と思いました。
妊娠している間、まだ小さいながらも自分のおなかに宿ってくれた我が子を想い、主人と将来について話す時間は、とても幸せでした。

しかし、7週目で稽留流産の診断を受けます。
純粋な悲しみを味わうと同時に、「あぁ、また振り出しに戻ってしまった」「なんで私なんだ。なんでこんなに頑張ってきた私が流産しなきゃいけないんだ」といった感情が襲ってきます。

その時初めて、治療も仕事も完璧にこなそうと「頑張って」きたことに対し、「疲れた」と思いました。
妊娠、出産するまでは立ち止まらないようにと、感じようとしていなかった負担に限界がきたようです。また、これまでずっと張りつめていたものが、初めて緩んだ瞬間でもありました。

しかし反対に、一度感じた幸せをもう一度感じたい、やっぱり子供が欲しいという気持ちがより強くなったのも事実です。
そして私は不妊治療を優先させるべく、自分なりに積み重ねてきた看護師としての職場を、離れます。

 

  あらゆる自分を認め、許すということ

流産をきっかけに、仕事を辞めることになったのですが、そこに躊躇がなかったわけではありません。決断はしたものの、仕事をしていない自分が想像できず、「休む」ということへの抵抗感はしばらく続きました。

しかし実際に辞めてみてから、おのずと自分に目を向ける時間が増えます。
自分の思考や行動を振り返りました。

結果、自分なりの「頑張り」が自分のためではなく、他者からの評価のためであったこと。それを得るために自分で自分を苦しめていたことを認めるようになります。

それから、あらゆる自分を認め、許すということを意識的に始めました。
「疲れたと感じた時は、昼寝してもいいんだ」「食べ過ぎてちょっと太ってもいいんだ」「こんな自分も今の自分で、それでいいんだ」と当たり前のことを感じ始め、以前より穏やかな気持ちで日々を過ごしています。

また、そのような時間を与えてくれている主人には、とても感謝しています。彼は穏やかでマイペースな人です。でも治療中、沈んでいる私の気持ちを何度もフラットに戻してくれました。
そんな彼は私に対し、「なんか最近、いい感じだね」と言います。彼なりに私の変化を感じているようです。

私は不妊治療という事象を通じ、あらゆる自分を認め、許すという、もっと大切なことを気づかせてもらいました。今では、母になる準備として必要だったんだよ、と言われているような気がします。

 

  何者でもない私からのメッセージ

私より長く苦しい治療を経験された人は、大勢います。そしてそれぞれに、かけがえのないストーリーがあります。
その中で、平凡ながらも私が発するストーリーが誰かの心に届き、それぞれの方にとっても何かを考える機会につながれば、とコラムの掲載を依頼しました。

医療従事者で、現在は不妊治療当事者である自身の経験から、伝えたいことが2つあります。

1つ目は、もっと自分を許してほしい、ということです。
治療を長くやっていると、同じ状況の方とお話をする機会があったり、SNSを通じてコンタクトをとったりするようになりました。その中で、治療をしている方はとても真面目で、気遣いのできる方が多いという印象を受けました。同時に治療が長引くにつれ、自己肯定感が低くなる傾向にあるとも感じました。

そんな方々に、不妊治療をしている自分も含めて自分であり、それでいいんだと自分を認めて欲しいと思います。そして疲れている時には、少し休憩してほしいと思います。

2つ目は、漠然とした不妊治療への躊躇をしないでほしい、ということです。
さまざまな状況の方がいらっしゃる中で、無条件に不妊治療を勧めているということでは決してありません。
ですが、なんとなく「自然に授かること」をよしとし、不妊治療という選択に真正面から向き合わずに、漠然と不安な時間を過ごすことはやめてほしい、という願いがあります。

自身やパートナーの身体、生殖医療について正しい知識を持ち、その上で産む・産まない、治療する・しないの選択をしてほしいと思います。あらゆる人生の選択で後悔しないためには、自分で考え、自分で決定することなのではないかと思います。

私自身の不妊治療はこれからも続きます。2人で過ごす人生ももちろん、考えています。
私もこれからの人生、後悔しないよう、自分で考え、選択していこうと思います。

高瀬知聡:看護師(現在おやすみ中)
不妊治療を続ける過程で「UMU」に出会った。様々な方のストーリーに共感を抱き、その上で自分の価値観を深めることができた。そのようなメディアを介して、私の経験も誰かの役に立って欲しいという願いから、執筆を決意。治療のかたわら、自身でもオフ会やイベントなど当事者向けの企画を始めている。
INSTAGRAM