【イベントレポート】<UMUスペシャルイベント>産む?産まない?もつ?もたない?~「生殖物語」で描いた“理想”の人生とのギャップを語ろう~

これまでUMUでは多くの方の、「産む?産まない?もつ?もたない?」に関するリアルストーリーを配信してきました。その中で、多くの方から頻繁に聞かれる言葉がありました。それは、

「こんなはずじゃなかった…」

では、なぜこのような言葉が出てくるのでしょう。おそらくそれは「子どもを持つこと」について思い描いていた理想が人にはあって、その通りに生きられない苦しさや辛さがもたらす言葉なのではないか、と私たちは考えました。

そのことを考えるときにヒントになるのが、今回のイベントのテーマでもある「生殖物語」です。「生殖物語」とは、男女問わず幼少期から形成される、何らかの家族のイメージや理想像のことを指します。

7月17日(金)に開催したオンラインイベント「産む?産まない?もつ?もたない?~『生殖物語』で描いた“理想”の人生とのギャップを語ろう~」では、自身が描いていた生殖物語とはギャップがありながらも、現実の人生を生き生きと歩んでいらっしゃる3人の女性ゲストを迎え、UMU運営会社(株)ライフサカス代表の西部沙緒里と共に、葛藤を抱えても自分らしい人生を歩める秘訣について語り合いました。

この日集まった参加者は、約80名。その中には、現在このテーマに関連する悩みに直面している方もおり、イベント中に飛び交うチャットのコメントからは、不妊や不育、不妊治療と仕事との両立の悩みなど、このテーマへの関心の高さが伺えました。と同時に、様々な悩みや葛藤を抱えながらも、勇気を持って本イベントに参加してくださったことに感謝しつつ、会は始まりました。


【ゲスト紹介】

小安美和さん(Will Lab代表)#不妊治療と仕事の両立 #子どもをもたない人生
1971年生まれ。大学卒業後、日本経済新聞社入社。配偶者の海外赴任を機に退職し、シンガポールへ。2005年に帰国し、株式会社リクルート入社。33歳で離婚し、35歳で再婚したが、仕事に全力投球する日々。
37歳で上海に単身赴任し、帰国後、40歳から不妊治療を本格化するも、不妊治療と仕事の両立に葛藤する。45歳で不妊治療の終結を決断。
子どもを持たない人生、プランBを模索し、2016年3月同社退社、2017年3月株式会社Will Lab設立。2019年8月より内閣府共同男女参画推進連携会議 有識者議員。

酒井なつみさん(江東区議会議員)#AYA世代がん #妊孕性
1986年、福岡県北九州市生まれ。産婦人科の看護師として働きながら、2011年に助産師免許を取得。母子栄養協会の離乳食アドバイザー資格を持つ。2013年、結婚を機に江東区に住み始める。同年より、昭和大学江東豊洲病院の周産期センターで勤務。
2014年妊活中に子宮頸がんと診断を受け、手術・抗がん剤治療を受ける。その後、不妊治療により、1度の流産や切迫流産・早産を乗り越えて、2017年に長女を出産。闘病・不妊治療と仕事との両立の苦労や、病気が原因で不妊治療を受ける場所でも高額な治療費負担がかかること等を経験し、社会的サポートの必要性を感じる。
2019年江東区区議選に初当選し、現在1期目。これまでの経験を生かし、医療・保健・福祉、子育て、障害等の分野に力を入れて活動中。

石渡悠起子さん(会社員/翻訳者/ミュージシャン)#社会的不妊 #リプロダクティブヘルス
1984年、神奈川県横須賀市生まれ。NY市立大学クイーンズカレッジ音楽学部卒業後、4年間にわたるNYでの音楽活動を経て、2012年帰国。会社勤めをしながら、社会的意義に共感できるプロジェクトの翻訳や、フェミニズムやジェンダーにまつわる詩を読み演奏する音楽活動を続けている。
現在、米国発のノンフィクション『子どもを迎えるまでの物語(仮)』(*)の翻訳出版を準備中。自身の現状を「社会的不妊」と定義している。
(*本作は、体外受精を経て出産した不妊症当事者の著者が、他の当事者や、養子縁組、里親、LGBTQの親、産まない選択をした人など様々な人々の体験を描きつつ、不妊についての話しにくさや、子どもを渇望をする気持ちの出どころなどを知るべく研究、文学、映画なども紐解き、幅広い視点でリプロダクティブヘルスについて書いた本)

モデレーター 西部沙緒里(ライフサカス代表/UMUファウンダー)
博報堂を経て2016年創業。「現代女性の体と心」の問題をテーマに、大切な経験をオープンに語り合える、サポートし合える社会をつくるために活動している。
“物語”を紡ぐ会社として、不妊、産む、産まないにまつわるリアルストーリーメディア「UMU」を運営。働く女性の健康や、治療と仕事の両立について企業、行政、学校への研修・講演実績多数。ビジネス/メンタルコーチ、ウィメンズキャリアメンターや、企業の事業開発アドバイザーも担う。
女3人ユニットでポッドキャスト番組「edamame talk」放送中。

 


  生殖物語と現実の人生に6割の人がギャップを感じていた!?

西部:今日はお集まりいただきありがとうございます。このイベントでは「生殖物語」をテーマに、「産む?産まない?もつ?もたない?」について葛藤を抱える人たちが、その苦しみの正体と自分らしい人生を生きることについて考える時間にできたら、と思っています。

2020年4月、UMUは「子どもをもつ、もたない、産む、産まないについてのライフプラン」に関するアンケートを実施しました。

まずはこのアンケート結果についてシェアさせてください。

本イベントのきっかけとなったアンケートは、生殖物語の有無などの実態調査として、2020年4月に132名を対象に実施されました。
(詳細はこちら⇒「生殖物語」から考える家族像の“理想と現実”そのギャップとは?)

アンケート結果では、「9割以上」の人が何らかの生殖物語を持っていたことが明らかになりました。そしてその後の人生ですが、うち「6割」がその理想の人生を歩んでおらず、ギャップを感じているという回答が得られました。ギャップの内容としては「子どもを産む時期」が最も多く、次に「子どもの人数や性別」「キャリアと産む時期」が続きました。

そのギャップを感じている人のうち「7割以上」の人が、理想像と現実のギャップに葛藤を抱えていることもわかりました。

その葛藤や苦しみをどのように解決したり、乗り越えようとしている、またはしていたかという質問に対しては、「家族に相談したり話を聞いてもらう」「ブログやネットの記事を読む」といった方法で解決していることも明らかとなりました。本イベントでも、悩みや苦しみを持ち寄った参加者の皆さんが自身の経験と重ねたり、他者の経験を聞くことで励まされ、何かの解決の一つになればと、この場を企画しました。

 


  描いていた「生殖物語」とそれぞれの葛藤

西部:それではゲストの皆様、それぞれの簡単な自己紹介、またご自身の生殖物語と現実について、お話いただけますでしょうか。

小安:よろしくお願いします。現在Will Labという会社を経営しています、小安と申します。私は39歳で不妊治療を開始し、仕事との両立で苦慮しながら治療の中断・再開を経て45歳で不妊治療の終結を決断しました。

思い描いていた「生殖物語」はというと、実は小中学校くらいから、自分は結婚も出産もしたくないと感じていました。でも、母からのプレッシャー、そして「産めなくなる」年齢になる前に「産まなくては」と思うようになっていきました。不妊治療を始めてからは、産む気になれば産めるものと思っていましたが、簡単には授からず、治療の時期と仕事のチャレンジの時期が重なり両立に悩みました。今は、そもそも「本当は子どもを望んでいなかった」という根っこに気づき、すがすがしい気持ちで生きています。

酒井:よろしくお願いします。東京都江東区区議会議員をしています。もともと看護師・助産師として働いていました。結婚後、28歳の時に子宮頸がんと診断を受け、手術、抗がん剤治療を受けました。その後不妊治療を開始。流産・早産を乗り越えて長女を出産しました。このような経験を区政に生かそうと、2019年に江東区区議選に初当選し、医療、保健、子育ての分野に力をいれて活動しています。

「生殖物語」は仕事柄、出産を何百例も見ていたので、自分はこんなふうに妊娠したい、分娩がしたいと思い描いていた理想像は漠然とありました。私自身3人姉妹だったので子どもは女の子がいいな、2人は欲しいな、と思っていました。

なんとなく30までに子供を産みたいなと考えていましたが、妊活中だった20代の終わりに子宮頸がんと診断を受けました。がんは、すでに子宮と卵巣を摘出しなければいけないステージでした。すぐに治療が始まり手術をしたのですが、どうしても自分の子どもが欲しいと医師に伝え、その時はなんとか子宮を残すことができました。そしてその後抗がん剤治療をしたのですが、薬の副作用で卵子にも影響があり、不妊治療をしなければならなくなり、また治療も思うようにはいきませんでした。最終的に様々なことを乗り越えて長女を妊娠、出産しました。

石渡:よろしくお願いします。大学から9年間アメリカにいて音楽をやっていました。現在は帰国して、会社勤めをしながら、インスピレーションを受けた米国発のノンフィクション『子どもを迎えるまでの物語(仮)』の翻訳出版を準備しているところです。結婚はしたのですが、当時は夫婦共にフリーランスですぐに子どもが欲しいとは思いませんでした。結局、私の「産めるタイムリミット」と相手の「子どもが欲しい」というタイミングが一致せず、そのうち似たような問題が少しずつ積み重なって離婚してしまいました。

お母さんになるんだぁ~というような「生殖物語」のイメージはもともとあまりなくて、すごく産みたい!と強く思ったこともないですね。でもずっと、家族という共同体、チームが欲しいなとは思っていました。結婚していたときはいずれ授かれたら授かりたいな、とは思っていたのですが、夫婦の精神的、経済的な心づもりがなければ実現しないことなので、そこにお互いの中でギャップが生じていました。今は、子どもは「いつか育てたい」とは思っていますが、「産みたい!」かはわからないなと思っています。

西部:皆さんがそれぞれ葛藤や悩みを持って、自身の「生殖物語」と向き合ってこられたことがよくわかりました。その葛藤を超えたプロセスやターニングポイントについて、お聞かせいただけますか?

小安:もともと不妊治療は45歳まで、と決めていたんです。子どもを持つプラン人生Aと子どもを持たない人生のプランBを用意していたおかげで、子どもを授からないことからの様々な葛藤から抜け出せたのが早かったのかもしれません。不妊体験者を幅広くサポートしているNPO法人Fineの理事長・松本亜樹子さんの「不妊治療のやめどき」という本を読み、子どものいない人生を送る事例を知れたこと、またUMUのインタビューで自分の生殖物語を振り返れたことで、運命を受け入れられるようになりました。

「産める?産めない?」を考えていると、自分が1ヶ月単位で生きている感じになるんですよね。視野がとても狭くなる。そこで5年、10年後のライフビジョンを考えるようにしました。それも少しずつ苦しみから抜け出した要因のひとつかもしれません。私の生きている意味はなに?と考え始め、子どもを産むだけが私の人生ではないと感じるようになりました。

酒井:私はそもそも、家族に病気であることを伝えるのさえも葛藤がありました。ずっと欲しかったのに、子どもを産めなくなってしまうかもしれない・・そう伝えようとするだけで、涙が止まりませんでした。でも夫に伝えたとき、「(私と)二人でも楽しく生きていける」と言われたことが支えになりました。その時はまだ死にたくない、と思いましたし、治療に専念することを最優先にして過ごしていました。やはり家族の支えは大事だったなと思います。今は健康でいられるだけでも幸せなことで、娘にこれから障害等なにかあったとしても、命がけで産んだ子だから私が元気でいなくちゃ、という気持ちでいます。

石渡:私には親ほども年の離れた仲の良い友人がいて、その家族とは小さいころからよく遊んでいました。その友人の両親が亡くなってから知ったことなのですが、実は血の繋がった家族ではなく、両親は養父母だったそうです。このことは私の「生殖物語」を書き換えるくらい、影響のあることでした。だってもう、その家族は本当に仲の良い、血縁で結ばれたザ・家族という感じだったんです。事実を知った時、血がつながっていなくてもこんなに愛のある家族って作れるんだな、と思ったんです。

それからは、どういう形でもいいからいつか私とチームを作ろうよ、と思ってくれる人がいればチームを作りたいなと思うし、子どもが欲しいことと産みたいことが、イコールでなくてもいいと思えるようになりました。今は結婚もしてないし、産むということに直面していません。もし産みたいなら、婚活とかしなきゃいけないのかもしれない。そして3年後大好きな人ができてその人との子どもが絶対欲しい!となって、そのときには産めない身体になっているかもしれない。そこはわからない。けど、2020年36歳の私は、それよりも他に今やりたいことがあって、それに向き合いたいと思っています。未来に悩むかもしれないと思うことは、今は悩まないと決めました。

 

  私たちを悩ますギャップの本当の正体とは…?

西部アンケート結果から、理想と現実の人生に6割の人がギャップを感じており、そのうち7割の人が葛藤や苦しみを抱えていることがわかりました。では、なぜギャップが生まれてしまうのかについて、どうお考えになるかお聞かせいただけますか?

小安:ギャップを考えるときに、まずややこしいなと思うことについてお話させてください。それは「WillとMustが混在しているのではないか…」ということです。

私は、そのギャップには2パターンあると思っています。Willとのギャップか、それともMustとのギャップか。Willは「本当はこうしたい」、Mustは「こうしなければいけない」ということです。

私自身がそうだったんですけど、「子どもが欲しい」と思う気持ちがWillなのか、Mustなのかわからなくなっていたんです。社会的要求や親からの圧力で「子どもが欲しい」と突きつけられ、自分も「子どもが欲しい」と思い込んでいました。でも、それは私にとってはMustだったんですね。Willだと思い込んで5年間、お金も時間も失ったものも大きかった。

本当はどうしたいのか?という自分の気持ちに気づけなかった。これに関しては、しくじっちゃったなと思っています。もちろん、人生で子どもを授かれなかったこと、それ自体は決してしくじりとは思っていませんよ。

でもこれって、本人でさえも混乱しがちになりやすいんですよね。子どもができないという現実に対して「子どもが本当に欲しいのか」「社会がなんとなくそういう雰囲気だから、親に孫はまだかと言われるから欲しいのか」と、自分に本当の気持ちを聞いてみることが大切かなと思います。そして、Willとのギャップにはまだ比較的折り合いがつけやすいものの、Mustとのギャップには苦しみ続けることが多いと思います。どうして私こんなに苦しいんだろう、って。だとしたら、私のように「本当はどうしたいのか」がわからなくなるしくじりを起こさないために、自分と向き合って本当の気持ちを考えてみることをおすすめします。

石渡:私自身も産む、産まないとは違うんですが、離婚のときに親に「もうちょっと頑張ったらいいんじゃないの」なんて言葉をかけられました。私が苦しいと思って離婚すると言っているのに、親や友人、会社などの周りの社会が“あたりまえの雰囲気”を出していて、それがMustを作るんですよね。それはもちろん、親の期待に応えたいという気持ちもありましたし、親からの期待にNOと言うのは勇気のいることではありました。

 


  ギャップに葛藤し、苦しまない社会にするには?

西部思った通りに生きられない人生でも、それを自分が納得していられればそれでいいと思うんですよね。
でもなかなかそうじゃなくて、周囲だったり家族だったり社会に振り回されてしまって、ギャップがある人生に葛藤してしまう。それって本当は葛藤したり苦しんだりする必要はなくて、もっと考えが自由であっていいと思うんです…。そのような苦しむ人を作らない社会にするにはどうしたらよいか、お考えを聞かせていただけますか?

酒井:本当に難しい問題だと思います。女性は家庭に入って子どもを育てるとか、結婚して子どもを産むなど、社会の刷り込みやジェンダー規範と言われるものが、日本は強いと思うんですよね。本当は自分がどうしたいのか?ということや、小安さんのように夫婦二人で生き生きとしてらっしゃる方とか、もっと多様な人生が社会で見えたらいいと思うし、身近に話が聞けるようになるといいな、と思っています。

今はまだ、結婚したら「子どもは?」と聞かれる社会ですが、いろんな事情を抱えて聞かれたくない人もいます。表には見えなくてもいろいろなことを抱えている人たちがいることを、多くの人に気づいてほしい。その人たちに配慮できる世の中にするには、実は悩みを抱えている人、苦しんでいる人、困っている人の声を、すくいあげていかなければいけない。そうするには「もっと言ってもいいんだよ、声をあげてもいいんだよ」という風潮の社会を作っていかなければと思っています。

小安:多様な事例が見えないという点で言うと、不妊治療に関しても、昔はインターネットで調べても成功事例しか出てこなかったんですよね。不妊治療の末に授からなかった、という人も絶対いるはずなのに。子どもを授からなかった人生をどう生きていくか分からなくなっていたとき、不妊治療をやめた人の人生が書かれた本があって、励まされました。こんな生き方もあるんだ、ってリアルな話が知れて。それから私自身も、そんな事例の一つとしてできることがあれば協力したいという思いで、頼まれればどこでも実名で、顔も出して話すようにしています。


この頃、Zoomのチャットには参加者の皆さん同士で意見を交わしたり共感したり、お互いに傾聴しあう雰囲気があふれ、チャットからの学びもどんどん大きくなっていきました。

「もちろんとてもプライベートな話なので難しいとは思いつつ、こうしたテーマを近い人とフラットに話せるような社会になったらいいなあ、そうしたいなと思います」

「特別養子縁組とかシェアハウスとか、もっと多様な家族のあり方があっていいと思います。生物学的な制約には、現時点では縛られるのが宿命ですが、もっと選択肢は広いはず」

そんななか、多くの方から声が上がったのは、仕事も育児も頑張ることが当然のようなこの社会において、私たちを苦しめる“呪い”の存在でした。

「仕事がすごいやりたいわけではない。なのに子どもを授かれない…。生きる目標や目的みたいなものがないと治療の踏ん切りがつかないです」

「私自身特別に出来るものもないので、治療をやめた時に何が自分に残るだろうと不安になります」

「『打ち込めるもの』『やりがい』などの社会の役に立たなければならない、という強迫観念の強さは社会全体の“呪い” “病気”みたいだな、と思います。」

実際に、女性がますます活躍する社会に生きる私たちは、思い通りに生きられず、生きづらさを感じることもあります。

仮に子どもを諦めなければいけなくなったときに、私には何が残るのか?私が生きた証は何なのか?どうにかして社会に役立たなければいけないのか?という問い=“呪い”を、自分自身の課題として突き付けられるのです。


小安:皆さんいろいろなコメントをくださっていて、ありがたいですね。子どもを持たない人生をどう生きるかっていうことを考えると、つまりは多様性をみんなで認められる社会にしなければならないということだと、改めて思います。男性も苦しんでいる方はいらっしゃるし、生殖物語もそうですが、もっとその手前にある性別役割分担意識について、傾向として、日本と韓国は特に強いと言われていますよね。家父長制がずっと当たり前とされてきた日本社会で、男性の苦しみというのは見えにくいけれど、忘れてはならないものだと思います。実際には様々な家族のあり方がある中で、単一の家族像というのが刷り込まれていることの窮屈さは、女性も男性も同じなのではないかな、と。

石渡:呪いを破ることはできると思うんです。そのためには、小安さんや酒井さんみたいに、自分の体験はこうだった、と声を上げてくれる人がまずいて、同じ境遇の人が、「自分だけじゃないんだ」、「これってタブーだと思って言えなかったけど、言っていいんだ」、と周りがどんどん気づくというか。それで同じような声が集まっていく。それは同性婚や障害を持った人だって同じだと思います。
まず、自分にかかっている“呪い”に気づく。呪いがかかっていることに気づかない限り、苦しみ続けると思うんです。呪いに気づくには、自分のことを勇気出して語ってくれる人がいて、それで気づける人も多いのではないかと思います。


3人のゲストの方がありのままに、自身の経験や苦しみの中にいた時の気持ちを語ってくださいました。チャットでは以下のようなコメントが寄せられました。

「皆さんの経験もそれぞれですが、出てくる言葉もひとりひとり違って、こういう『聴ける機会』はありがたいと思いながら聴いています。普段、友人とこういう話はなかなかしません」

「皆さんの実体験、本当に周りには話してくれる人はいないので本当に貴重なお話。お話しいただいてホッとします。ありがとうございます」

「自分の力ではどうにもならないことにぶつかって、今日こうした場に来たから、スピーカーの皆さんの話も聞けたし、聴衆の皆さんともチャットを介して交流できて、昨日までよりは豊かな自分になれました」

イベントに参加してくださった感想や、自分自身の経験も語ってくださる参加者の皆さんの声に耳を傾けながら、イベントは終盤にさしかかりました。

 


  皆さんへのメッセージ

石渡友人のライフイベントを見て、心がざわっとすることがあります。結婚だったり妊娠だったり。こちらが焼きもちをやく側と思っていたけど、相手も自分のことをいいよね、と焼きもちをやかれる立場になったことがあります。その時から、人と比べることはやめました。他からみればそうじゃないと思ったら、焼きもちをやくこともなくなりましたね。
一日終わって、今日の自分はまあまあ良かった、と自分が自分の味方でいることで、生きやすくなりました。

“どんな時も、自分が自分自身の一番の味方でいる”

 

小安自分と向き合う時間、自分の心の声を聴くことが必要だと思います。
Willで生きていくために、家族や周りをシャットアウトして1人合宿をしてみても良いし、向こう30年間どうありたいのか考える時間をとってみてはどうでしょうか。
もちろん「こうありたい」が叶わないこともあります。そうしたら、コントロールできるものとできないものに分けてみて、コントロールできないことは現象としてどう捉えるかを考えてみてください。コントロールできることは自分の捉え方で、それが生き方を変えるのかな、と思います。
そして一番大事なことは、人と比較しないでください。比較しないとだいぶ楽になれると思います。

“私は誰からも否定される筋合いはないし、誰かを否定する筋合いもない”

 

酒井渦中にいるときはどうしても苦しいと思うし、自分だけで抱える問題ではないので、パートナー、親友、兄妹など話せる人に話してほしいと思います。特にパートナーはこれからずっと続いていく関係なので、なんでも打ち明けられたら良いなと思います。
あとは、自分は〇〇まで頑張るとか、自分で決めた目標に向かってみるのも大事かなと。もちろん心が折れるときはあるし、うまくいかないこともあります。そんなときは休むことも必要だとお伝えしたいです。

“目標を決めることが大事。でも、ときには休むことも必要”

 

西部誰かの期待を叶えるため、誰かに追いつくための目標ではなくて、自分が自分らしく生きるための目標って大切ですよね。自分だけとの約束を果たすために、少しずつ前に進んでいくだけで、生きている意味があるんじゃないかと思います。

“自分だけとの約束を叶える。誰かとの約束、誰かの期待を背負って、踏ん張り続けなくていい”


最後にチャットからの質問に答えていただきました。いくつか紹介させていただきます。

Q, 不妊治療をするにあたって仕事との両立はどうしたら良いでしょうか?

職場や上司の理解がやはり大事だと思います。そして味方を作れたらよいなと。仮に誰も味方がいなくて再就職を考えなくてはならなくなったとしても、どんなあり方で仕事をしていきたいのかを整理しつつ、仕事と暮らしのバランスを考えてはどうでしょうか。

Q, 老後子どもがいないと寂しいのでは?という漠然とした不安があります。どう考えますか?

多様な友達を作っておくと良いと思います。同じ属性の人だけではなく、価値観でつながれる友情関係を築くことが大事かなと。それは老後まで活きていくと思います。

Q,自分のWillと夫のWillが違う場合どうすればよいでしょうか?

パートナーとよく話し合ってほしいと思います。お互いパートナーといえども、自分のWill、パートナーのWillは違うはずなので、家族のWillを探すことが良いかと。パートナーの希望を叶えるため、自分の本音を犠牲にする必要はないですが、二人=家族のWillを作るプロセスがあると、お互いの合意形成がしやすいと思います。

Q,不妊治療経験が長くなりつつあります。モチベーションをどう保てば良いでしょうか?

女性には年齢のリミットがあるので、私は子どもを授かるまで頑張るんだという強い気持ちは持っていました。それでも心を折れることは必ずあるので、自分のことをご機嫌にする方法や楽しむ方法を見つけておくことが必要だと思います。

 

  さいごに

産む?産まない?ーこのような内容は公に語られる機会は少ないだけに、どんなイベントになるか本当にわからない、ただ参加者の皆さんと想いを共有し、自分らしく生きていく秘訣について語りたいという気持ちで準備を進めていました。「産もうとしたけど、そこまで子どもは欲しくないという本当の自分の気持ちに気づいた」「産みたいと思ったとき大きな壁にぶつかった」「子どもは持ちたい。でも、産まなくてもいいかも?」ー様々な苦難に立ち向かい乗り越え、三者三様の経験と考えを持った素晴らしいゲストの方々を迎えました。

参加者の皆さんにとっても、ゲストの方々から励まされ、勇気をもらい、さらに共に人生を考える濃い時間となったことを願っています。作りこまずに、その場の化学反応で出てきた言葉の数々。「産む、産まない」以外の人生においても重要なキーワードがたくさんありました。翌日になっても余韻が冷めない。一見重々しい言葉でのように見えても、軽やかに明日に向かっていこうと一歩前へ進めるパワーワードが、たくさんありました。

このレポートに最後まで目を通していただき、ありがとうございました。少しでもイベントの雰囲気を共有できたなら嬉しいです。
ご参加いただいたゲストの方、参加者の皆さま、本当にありがとうございました。

文 / 御園生玲美、協力(Special Thanks) / 高橋 匡子、石動更、宮下由梨