妊娠24週、突然の破水から帝王切開で出産。619gで産まれた息子の体重が約10倍になった今、夫婦が伝えたい希望のはなし。

2019年11月、妊娠24週で突然の破水。帝王切開で619gの藤嶋耕太郎くんが誕生しました。生後1週間での大きな手術、酸素チューブをつけて過ごす時間を経て、今では家族3人ご自宅で幸せな毎日を送っています。突然、超低出生体重児の親となり約1年3ヶ月、どのような思いで現実と向き合ってきたのかー。藤嶋さんご夫婦の心の軌跡を、夫の童夢さんの肉声から辿ります。

藤嶋童夢/Domu Fujishima コピーライター。1982年東京生まれ、札幌育ち。大学在学中にアルゼンチンに留学。帰国後卒業、広告代理店に入社。商社勤めの妻との間に第一子を授かり、1歳3ヶ月となった2021年2月現在(取材時)は育休中。超低出生体重児として生まれた息子「耕太郎」とステイホーム生活を楽しんでいます。

 


待望の妊娠

  大きくなるお腹、日々増していく実感や喜び

ー妊娠がわかった時のお気持ちを聞かせてください。

医師から「おめでとうございます」とエコー写真をいただいて、妊娠が分かった時は本当に嬉しかったですね。待ちに待った妊娠なのでワクワクしていました。

エコー写真に写る赤ちゃんって、かたち・姿がどんどん変わっていくので、その成長ぶりを見るのも毎回楽しみでした。そのエコー写真を見せて両親に妊娠を伝えたところ、とても喜んでくれたことも強く印象に残っています。

普段から妻も忙しく働いているのですが、エコー写真や自分の体の変化を通じて「赤ちゃんがいる」と日々実感が増しているようでした。マタニティヨガに通ったり、両親教室を見つけて一緒に行こうと誘ってくれたりと、お腹が大きくなっていくと共に、生まれてくる喜びが高まっているように感じました。

 


妊娠24週で突然の破水、そして入院、転院

  押し寄せる大きな不安

ー幸せ溢れる妊娠生活を過ごしている中、どういった流れで出産に至ったのでしょうか?

妊娠24週だった11月半ばの深夜、突然破水してしまったんです。寝ていた妻が起きてきて「ちょっと水が出てる」と。これは破水かもしれないということで、急いで産院へ行きました。そのまま、状況を確認するために妻は入院して検査をすることになりました。

振り返ってみるとですが、破水する2週間くらい前から、お腹が少し張っている感覚や、胎動がだいぶ下のような気がするといった違和感を妻は感じていたらしいんです。そのため妊婦検診の際、医師に相談して入念に診てもらい「大丈夫ですよ」と言っていただき、一安心していました。心配しつつも、「よかった、安静にして過ごそうね」と話していた、そんな矢先に突然の破水でした。

医師の見立てによれば、「まだ24週なので、一日でも長く胎内にいてほしい。でも、破水してしまった以上、羊水の残りが少なくなると長く留まらせるのは危険」ということで、そう遠くないタイミングで手術(出産)になると覚悟しました。

そのまま手術かと思いましたが、手術の環境や産後のNICU(新生児集中治療管理室)の設備などを考えると転院した方がいいということで、病院関係者の方々にご尽力いただき、乳幼児の心臓外科として権威のある病院への転院が決まりました。たまたまNICUに1床だけ空きがあったのも幸運でした。深夜の破水から、一日経った翌日のことです。転院後に再度検査を行い、そこから2日後の手術が決まりました。

ー奥様が緊急入院されてから、どのようなことを話して過ごしていたのでしょうか?

妻とは、来るべき時に備えて、色々なことを話しました。

僕が身の回りのものをとりに病院と自宅を行ったり来たりしている間、妻は一人でたくさんのことをネットで調べて、大いに悲しみ、不安になり、大変だったと思います。そんな中でも「きちんと考えなければいけない」と思い、セカンドオピニオンを受けたり、様々な方々に意見を伺ったりして、判断基準を定めようとしていました。

「状況を総合的に考えると、今手術をして出産するのが最善だ」と夫婦で腹が括れてからは、「産後に何か起きる可能性を想定して、今できることをしよう」と、急遽、臍帯血保存の段取りなどに動きました。手術までの2日間は、出産後の準備を整える時間だったように思います。

ー手術までの限られた時間、藤嶋さんご自身はどのような気持ちでしたか?

産まないという選択肢はなかったので、「どのタイミングで生まれるのがベストなのか」「生まれてから大変なこともあるだろうけれど、今からできることはあるのか」「妻の不安を少しでも和らげるには何ができるのか」といったことを考えていました。夫婦のマインドは揃っていたような気がします。病院からも、諦めるという選択についての話はありませんでした。

僕は、普段からネガティブなことはあまり考えないようにしているんです。低体重で生まれた例を調べると色々な情報がでてくるので、不安になろうと思えばいくらでも不安になれます。でも、僕らだけでもポジティブに、これから生まれてくる我が子の未来を考えて、しっかり丁寧に進めていきたいと思っていました。

ー事前に、医師から耕太郎くんの状態について説明はありましたか?

はい、今の状況や今後どういうことが起こりうるかという話はありました。肺の機能が整っていない状態だったので、今後どのような治療ができるのかなど、丁寧に説明してくださいました。

ただ同時に、すべてを伝えてしまうとこちらが不安でいっぱいになってしまうことを医師側も感じ取り、伝え方やタイミングなどを配慮してくれていたことも感じました。

 


長引いた帝王切開を待つ不安な時間。そしてNICUで、息子と待望の初対面

  予定時刻を過ぎても終わらない手術は、とてつもなく長く感じた

ー手術は予定通りに行われたのでしょうか?

はい、予定通り、破水から4日後の午前中に行われました。

手術は、聞いていた予定時刻を1時間以上過ぎても終わらなかったので、その時間はとてつもなく長く感じました。妻の家族も病院に来てくれて、一緒に終わるのを待ちました。僕の家族からの応援も支えになりました。

 

  手術成功。619gの耕太郎くんが誕生。すぐにNICUへ

ー手術後、奥様や耕太郎くんにはいつ会えたのでしょうか?

妻とは手術後に病室で会いました。「麻酔をしていたから痛くなかったよ」ということと、「生まれた時に耕太郎を見たよ」という話を聞きました。耕太郎は一刻でも早くNICUへということだったので、抱っこすることはできなかったそうです。

妻は手術後で自分の体が辛いにも関わらず、「耕太郎、大丈夫かな」とずっと心配していましたね。その後、動ける僕はNICUへ耕太郎に会いに行くことができました。

ー耕太郎くんと初めて会ったときのお気持ちを教えてください。

まず何より、「小さいながらも生まれてきてくれて、本当によく頑張ったな」という思いが浮かんできました。それは妻に対しても同じで、頑張ってくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。

初めて見た耕太郎の体は、本当にたくさんのセンサーやチューブに繋がれていました。そして、「小さいな、皮膚が赤いな」とか、いろいろな情報が頭の中に飛び込んできました。

初対面の興奮から少しずつ冷静さを取り戻してからは、手足の指の数を数えたり、目は見えるのか、耳は聞こえるのか、呼吸はできているのか……などといったことも、正直なところ気になり始めていました。

ー奥様もすぐに耕太郎くんに会いに行けたのでしょうか?

いいえ、手術した日はベッドから起き上がることができなかったので会いにいけませんでした。
僕は耕太郎との初対面の際とても長居してしまったのですが、なかなか戻ってこないことを妻はとても心配していました。医師から深刻な話を受けているのではないかと考えたようです。そのため、病室に戻った途端「どうしたの?なにかあったの?」と詰められましたね(笑)。そのくらい心配していたのだと思います。

携帯で撮影した写真を見せたら、「小さいね、かわいいね」と喜んでいました。そして、「今すぐ現像してきてほしい」と頼まれたんです。妻はその写真を大事そうにベッドサイドに飾って、お守り代わりにしていました。

一夜明け、ようやくNICUで初対面できた時も、終始「小さいね、かわいいね」と言っていました。妊娠24週で突然の出産となり、その時点では障害の有無や程度などまだ明らかになっていない状態でしたが、そんな我が子を目の前にして、ただただ喜びや愛おしさが増幅しているように僕からは見えました。

ーその後、奥様は数日入院して退院。耕太郎くんは引き続き、NICUで治療を続けたのでしょうか?

そうですね、耕太郎はそこからもNICUで治療です。僕は病院に行く合間をぬって、出生届を出したり、引越をしたばかりだったので自宅の片付けをしたりしていました。

名前は事前に二人で考えていた候補の中から「耕太郎」と名づけました。せっかく生まれてきてくれたのだから、この先どうなるか分からないけれど、きちんと名前を残さなきゃと。また、「3人で絶対に帰ってくるぞ」と強く思いながら、玄関に表札をつけました。

 


生後1週間。迫られる、大きな手術への決断。その後、約5ヶ月間の入院生活で感じた耕太郎くんの成長

  「一日一日を丁寧に、一緒に戦っていきましょう」

ーさきほど「この先どうなるか分からない」というお話がありましたが、その時点では、医師から耕太郎くんの状態についてどのような説明を受けていたのでしょうか?

生まれる前には、「これだけ早い時期に生まれてくるので、何らかの障害が残ることは覚悟してください」と言われていました。このことは、妻が一人の時に医師から告げられたのですが、分かっているつもりでも、いざ直接告げられた本人のショックや動揺は大きかったと思います。

生まれてからは、24時間様々な数値をモニターでチェックされている状況でした。医師からは、「今起こっていること、これから起こりうることについて逐一情報を共有します。万が一緊急事態が起こった場合にもすぐにご連絡しますので、心配だとは思いますが体を休めながら毎日、一日一日を丁寧に一緒に頑張っていきましょう」という話がありました。

 

  生まれてから72時間が一つの山場。生後1週間での動脈管開存症手術は、無事に成功

ーなるほど…。ご夫婦のお気持ち、想像してしまいます。耕太郎くんのNICUでの治療・手術について、もう少し詳しく教えていただけますか。

まず、生まれてから72時間が一つの山場だと言われました。その時期は、一般的にもクリティカルなことが集中するからだそうです。耕太郎の場合は、生後3~4日目に、脳の上衣下胚層という組織に出血があることが分かりました。出血レベルによっては脳に重度の障害が残ることもあるそうですが、幸いなことにレベル1という低い段階で収まってくれました。

次は生後1週間も経たないうちに、動脈管開存症と言われました。通常であれば心臓の動脈管は生まれたら自然に閉じるのですが、低体重児の場合には、開いたままになってしまうことがあるそうです。閉鎖するための薬を使いましたが効かなかったので、手術をすることになりました。この小さな体、しかも心臓部にメスをいれて、クリップで止めるという術式を聞いて……びっくりしてしまいました。

そして今回もまた、たまたま妻一人の時に、医師から動脈管開存症の手術をするにあたっての注意事項の説明がありました。耕太郎がかなり危険な状態であることや、懸念されるリスクなどについて説明を受けて、手術同意書にサインをすることになり、僕に連絡がきてすぐに病院へ駆けつけました。妻は「怖くてサインができない」と言っていました。それでも、その後2人でどうするべきか話し合って、「この手術をしてもらうしかない」という結論に至りました。

結果、非常に難しい手術だったそうですが、新生児や乳幼児の心臓外科で権威ということもあり、手術はなんとか無事に成功しました。夫婦2人で、手術に向かう耕太郎をギリギリのところまで見送って……手術が終わるまでは、本当に心配で不安で、ずっと緊張していました。命を救っていただいて、本当に感謝しかありません。

これが、耕太郎に生後1週間で起きたクリティカルなことの、一部始終です。

 

  病院で過ごした約5ヶ月。目に見えて分かる成長、親としてできることが増える喜び

ー生後1週間での大きな手術など、一時はきっと命の心配もなさったことと思います。でもその後、数ヶ月後に無事に退院を迎えられました。耕太郎くんが退院されるまでの流れを教えてください。

11月の半ばに生まれて、退院したのは翌年の4月です。約5ヶ月間の入院生活のうち、約3ヶ月間をNICU、その後の約2ヶ月間をGCU(新生児回復室)で過ごしました。

もともと出生時から、肺の機能が2/3程度傷んでしまっていたのですが、その部分の組織を再生するのが難しく、残りの1/3をいかに損ねず育てていくかというのが大きな課題でした。呼吸するために人工の酸素チューブを入れていたので、それを抜管するまでが特に大変でしたね。目や耳は、段階を経て奇跡的に「見える、聞こえる」という状態になりました。

NICUの時は、クペース(保育器)にいる耕太郎を両手でホールディング(優しく包み込むように触れるケア方法)したり、母乳を綿棒の先に湿らせて舐めさせたり、オムツの交換をしたりしていました。

GCUに移動してからは、ミルクをあげたりオムツを替えたり、僕たちにできることも増えていきとても楽しかったです。呼吸管理のために常時付けられていたクペースの蓋が外れ、つけているチューブの数が減り、本人がミルクをよく飲むようになり体長も大きくなっていく……など、順調に育ってくれている実感が日々ありました。

ただ、それでも一日数時間しか一緒にいられないので、早く退院が叶い、自宅で面倒をみられるようになるといいなと思っていました。

そこから退院日も決まり喜んでいた矢先、予防接種のワクチンが原因で発熱してしまい、GCUからクペースの中に逆戻りしてしまうなどはありましたが、無事に回復し退院することができました。

ー退院までの約5ヶ月間、耕太郎くんの成長を実感すると共に、親としてできることが増える喜びを噛みしめながら過ごしていたんですね。退院日が近づくにつれて、その気持ちはさらに高まっていったのでしょうか?

妻は特に、「一日でも早く耕太郎を連れて一緒に帰りたい、自分たちで面倒をみたい、お世話してあげたい」という気持ちが強かったと思います。

かたや僕としては、「目途が立つまではきちんと病院で診てもらいたい」とも考えていました。退院が決まってもちろん嬉しかったのですが、「酸素チューブをつけている状況で帰って、もし何かあったら心配だな」という不安も正直ありましたね。

 


自宅で家族3人での生活がスタート。何気ない日常を、共に過ごす喜びを噛みしめて

  今の幸せ、未来への思い

ーそこからご家族3人、ご自宅での生活が幕を開けたわけですね。実際に、どのような日常が始まったのでしょうか?

まずは妻が産休・育休を取得して、耕太郎の面倒を主にみていました。自宅では、カニューレという酸素を送り込むチューブと機械、酸素飽和度を測定するサチュレーションモニターを常時つけていました。

やはり、病院で医師や看護師が見てくれていた時と違い、自宅に戻って2人だけで、機械に繋がれた耕太郎の世話をする生活は最初のうち不安と緊張でいっぱいでした。

ただ、その後に起きた大きな良い変化として、退院から約8ヶ月後になって、酸素チューブとサチュレーションモニターを外せることになりました。

心配なので、寝るときだけは今もサチュレーションモニターをつけていますが、日中この2つの機器を外せるようになったことは、僕らにとって、本当にとても大きな変化でした。耕太郎自身も動きやすくなりましたし、お風呂にいれたり抱っこしたりご飯を食べさせたり、すべてが以前よりスムーズになりましたね。その後も病院へは月に1度、定期健診に通っています。

1歳3ヶ月になった今の体重は約7kg。619gで生まれて10倍以上に成長しました。「大人になって60kgを超えたら100倍だね」と妻と笑って話しています。

ちなみに、妻の育休が明けた現在は、僕が育休を取得中で耕太郎と毎日一緒に過ごしています。最近は自宅での慣らし保育も始めました。

ーご自宅で耕太郎くんと触れ合う時間が増え、特に「幸せ」を感じるのはどういう時ですか?

耕太郎が落ち着いてくれる抱っこの仕方があって、泣いている時などその抱っこをしている時に本当にかわいいな、幸せだなと感じますね。あとは、最近つかまり立ちをするようになったのですが、ご飯を作っていると足元までハイハイしてきて、僕の足につかまって足の間に立つんです。こういう一つひとつの行動やしぐさ、すべてが愛らしいですね。

妻は、目が合うと照れてはにかみ笑いをする寝起きの耕太郎が、本当にかわいいと言っていました。

育児をしているこの時間、3人で自宅で過ごすこの日常が本当に貴重でかけがえのない大切な時間だなと、日々幸せを感じています。これまで、子どもと一緒に過ごすことがこんなにも素晴らしいということを、どうして誰も教えてくれなかったのかなと(笑)。

 

ー私たちも聞いていて、とても幸せな気持ちになります。それでは反対に、耕太郎くんが生まれてから一番大変だったことはなんでしょうか。本当に次々と試練があったかと思うのですが、中でも印象に残っていることを教えてください。

妻は、生後1週間で動脈管開存症の手術をすることになったことだと言っていました。正直その時はまだ、耕太郎が助かるか分からないという状況だったので、本当に苦しかったです。そのような状況ではもう僕らは無力で、何かできることがあれば全力でしてあげたいのにできない………その状況が、何より辛いということだったのではないかと思います。

僕も妻と同じような気持ちでしたが、素直な心境として、苦しくて辛い、大変だ、とそこまで思ったことはなかったです。普段冷静で気丈な妻が、不安に押しつぶされそうになっている姿を見て、自分がしっかりしなければいけない、と気を張っていたところもあるのかもしれません。

もう僕たちにできることはやり切ったから、あとは信頼してお任せして、無事に戻ってくるのを待つだけ。妻にも「心配いらないから大丈夫だよ」と言い続けるのが僕の役割だ、と思っていました。

ーそうだったんですね、ありがとうございます。お二人が支え合って、絶妙なバランスで困難を越えてきたことを感じます。
では、今度はこれからの未来について聞かせていただきたいのですが、藤嶋家は、どのような家族像を描いているのでしょうか?

耕太郎は、生まれてすぐに「人生で一番大変な瞬間」を過ごしたのかもしれないと思っています。この大変なことを乗り越え、僕ら夫婦も一緒に頑張ることができたのは、病院の方々や家族や友人など、周りの方々から沢山のサポートをしていただいたからなんです。そんな耕太郎はとても幸せ者だなと、改めて思っています。

これからも、環境や人に恵まれていることに感謝して、本当の意味での優しさや思いやりの心を持って育ってくれたらそんなに嬉しいことはないですね。

また、夫婦も変わらず、仲良く支え合っていきたいです。そういう姿を耕太郎が見て育つことにも、意味があると思っています。耕太郎と僕たち夫婦、三人四脚で苦難を乗り越えてきたので、これからも仲良く支え合って過ごしていきたいですね。

 


妊娠24週、619gで生まれた息子が1歳3ヶ月になった今思うこと、伝えたいこと

  小さく生まれてどう育っていくかは千差万別

ーそもそも今回、取材を受けようと決意してくださったのはなぜでしょうか?

耕太郎のように超低出生体重児として生まれても、治療を経て良い方向に向かうケースがあることをお伝えしたいと思ったからです。

残念ながら亡くなってしまったり、重度の障害が残ってしまったりするケースもあります。耕太郎もこの先、2歳、3歳と成長していく過程で分かることもあるかもしれません。大変なことが起こるかもしれないということを知っておくことも大事だと思うのですが、とはいえ、本当に様々なケースがあります。

その数あるケースの一つとして、良い方向に向かうこともあるということも、知ってほしいのです。低体重で生まれた子どもを持つご家族に、僕たち家族のケースをお伝えすることで、少しでもお役に立つことができればと思っています。

また、僕らは突然の破水で出産になったので、全く準備ができず情報収集なども苦労しました。今後同じような思いをする家族を、少しでも減らすことができたらいいなという気持ちもありますね。

ー役立った情報源や大事にしていた考え方などはありますか?

振り返って思うことですが、妻が率先してやってくれた「論文を読んで客観的な事実を理解した上で、医師に相談したり治療に向き合えたりしたこと」は、とても良かったと思っています。

破水してすぐの頃はネットで情報収集をしていたので、個人の方のブログなどで様々なケースを知り、不安がより高まってしまうことが多かったようです。

しかし、それらはすべて耕太郎のケースではないので、学術的に正しいことを理解し、医師に自分たちの見解を示して意見を伺い、どうするべきか判断するように頭を切り替えていったんです。そうすることで、様々な情報に一喜一憂せず、心のバランスを保ちながら治療に向き合えたと思います。自分たちの中でしっかりとした基準を持ち、情報と接していく必要があると思いました。

あとは、退院後の話になりますが、区役所にとてもお世話になりました。エリアによって異なると思いますが、僕たちのエリアでは受けられるサービスが沢山あることを、妻が調べてくれて分かりました。1つサービスを利用すると芋づる式に、「こういうサービスもありますよ」と有益な情報をどんどん教えていただけるんです。

例えば、PT(理学療法士)の方に在宅でリハビリをお願いすることができたことで、耕太郎は格段に体の動きが良くなりました。また、在宅で保育を受けられないかと相談したところ、担当の方に来ていただけることになり、自宅内保育も実現しました。

これらはすべて、区の担当者に相談して教えていただいたサービスのようなので、まずは区役所に相談してみるといいかもしれません。大変だと感じていたり、子どものためにできることを探していたりする親御さんは、少しでもお子さんが良い方向に向かうように、積極的にサービスを活用していってほしいと思います。

また、自分たちの周囲の方々からのアドバイスや励ましもとても力になりました。

ー周囲の方々にはいつ頃、どの程度までのことを話したのでしょうか?

僕も妻も、職場の上司や同僚には、突然の破水から仕事を休むことになったのですぐに詳しく状況を話しました。きちんと伝えた方が理解してもらえると思ったからです。

あとは、仲のいい友人をはじめ、知人の医師や治療経験のある子を持つ友人などにも状況を伝えて、色々なアドバイスや意見、励ましの言葉をもらいました。それらは耕太郎にとって有益な情報なので、この子の役に立つのであれば何でもしたいという気持ちで話していました。

結果、周囲に隠さずに知らせていたことは、僕らにとっては本当に助けになったと思っています。

 

  必要な人に必要な情報が届く。望むのは、そんな優しい社会

ー藤嶋さんのお考えとして、何かしらハードルを背負って生まれてきたお子さんとその家族にとって、それを受け入れる社会・体制が、どのように変わればもっと生きやすくなると思いますか?

サービスを提供する側からも、役立つ情報を積極的に届けてほしいと思います。もちろん、当事者たちから積極的に情報を取りにいくことも大切です。

ただ、家族側は目の前に起こっている状況を理解して、対処することでいっぱいになってしまうこともあります。そのため「必要な人に必要な情報が届く」、そんな社会になっていくと、救われる家族も増えると思います。

ーこのテーマに限ったことではないですが、必要な情報に辿り着くまでに何かしら障害があるのであれば、そこをきちんと繋ぐ役割の人が必要だと感じますね。

そうですね。そういった意味では、病院側が家族に優しさをもって接することができるかどうかも、とても大事だと思います。

医師や医療従事者の方々が忙しいということは理解しています。その場合には、患者の家族が不安に感じていることや分からないことに耳を傾け解決に繋がるよう、しかるべき第三者が介入するといった方法もあると思います。

僕らの担当医はきちんと話してくださる方です。「藤嶋夫妻は、何か言ったらそれを2にも3にも咀嚼して返してくれるから話し甲斐がある(笑)」と言っていましたが、医師とキャッチボールができることは大切だと感じています。

子どもの命がかかっている大事な話なので、患者側が聞くべきことを聞けず溜め込んでしまうという事態にならない仕組みが、もっと必要だと思います。

 

  悪いことがあっても過度に悲しまない、いいことがあっても適度に喜ぶ。心のバランスが大事

ーそれでは最後に、この記事を読んでいらっしゃる方に向けてメッセージをお願いします。

僕は、耕太郎が生まれてから、心のバランスをとりながら目の前の事実と向き合い、付き合っていく大切さを感じて過ごしてきました。いいことがあって大きく喜んでも、また次の課題が生まれることは多々あります。大変さを必要以上に背負いこんでしまって、抜け出せなくなってしまうこともあるかもしれません。

そんな時に大切なのが、「悪いことがあっても過度に悲しまない、いいことがあっても適度に喜ぶ」。この過度と適度の使い分け、頭の切り替えができるかどうかだと思うんです。また、夫婦として、お互いにいいバランスで支え合えることも大切だと感じています。

大変な時に、そのことにフォーカスして必要以上に背負いこんでいる方がいれば、その心の荷物を「預けられるところは周りに預けて」と伝えたいですね。僕自身がもし何かできることがあれば助けになりたいですし、その一つとして、このように僕ら家族の経験を文章に残すことで、「勇気づけられた」という人がいたら嬉しいです。

突然の破水から出産になり、息子は生後1週間で大きな手術を受けました。今は元気に過ごしていますが、もしかしたら成長していく過程で何か起こるかもしれません。

でも、耕太郎が生まれてきてくれて一緒に過ごしたこの歳月が、困難に向き合う勇気と、家族3人で乗り越えられるという強い自信を与えてくれました。僕らは今、何気ない日常がとても幸せです。小さく生まれたが故に大変なことも沢山ありましたが、それ以上に、嬉しいことも沢山あります。

こんな家族もいる、こんな未来もある。それを知ることで、希望と勇気を持って治療に向き合うご家族の、後押しになれば幸いです。

取材・文/中山萌、写真/本人提供


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