保育士起業家として、子どもや親子と関わり続けてきた、小笠原(池田)舞さん。プライベートでは、2018年夏に出産し、現在、3歳になったラクタくん、保護犬のカンタくん、夫の浩基さんと共に暮らしています。
そんな舞さんが、ご自身の子どもをはじめて授かったのは、2017年。しかし、その命と一緒にいられたのは、わずか7週間でした。
「悲しかった。でも、命がきてくれた意味、空に還っていった意味があったと思うんです。」
悲しみの先で、浩基さんと共に命について考え、向き合い、対話を重ねてきた舞さんは、このインタビューで強く、優しく、そう答えてくれました。
その気持ち、根底には、何があるのか。
そこから再び経験することになる2回の流産のことも含め、おふたりが歩んだ軌跡、想いを、たっぷりと伺います。
小笠原(池田)舞/Mai Ogasawara 保育士起業家。1984年愛知生まれ、埼玉育ち、神戸在住。大学時代は福祉を学び、その後一般企業勤務を経て、保育の世界へ。2012年には任意団体asobi基地を、2013年には合同会社こどもみらい探求社を設立し、Well-beingな社会を探求し続けている。プライベートでは、2014年に夫と出会い、2016年に神戸へ移住。現在、3歳になった息子と保護犬だった柴犬と一緒に、下町暮らしを楽しんでいる。
池田浩基/Hiroki Ikeda 脚本家・カメラマン。1983年兵庫県神戸市生まれ。「想像力の底上げ」が社会をより良くするとの思いから、映像・写真・音楽制作を手がける。また、オリジナル映画を作るために、本質的なことを見つめ続け、脚本制作中。2020年秋に自宅隣に大人のゆるい遊び場をつくり、公私混同しながら、多様な人々との交流を楽しんでいる。
空に還った3つの命が家族に教えてくれたこと、もたらした変化
初めての妊娠、流産。悲しみの先で気づいたこと
舞 今までいろんな親子と出会ってきた中で、「自分が家族を持ったらどんな子育てがしたいかな」ということはよく考えていました。だから、妊娠したと分かったときは本当に嬉しくて、ワクワクしながら浩基くんと一緒に病院へ行ったんです。でもお医者さんに言われたのは、「育ってないかもしれません」という一言で。「まさか自分たちが」と、現実をすぐには受け止められないような感情を抱いたのが1回目の流産の時でした。
子どもに関わる現場にいるので、もちろん流産する可能性があることも、必ず生まれてくるわけではないということも分かっていた。頭では分かっていたはずなのに、まさか自分の身に起こるとは思えていなかったんだなぁって。
しかも、私のお腹の中で起こっていることなのに、自分ではどうしようもない、今からもう何もできない。自分たちが何か悪いことをしたわけでもないのに起きてしまった事実に、「どうしようもできないことってあるんだ」「かなしい、かなしい」と、病院を出て泣き崩れて。人目も憚らず泣く私を、浩基くんがなぐさめてくれたんだよね。
浩基 最初、妊娠検査キットで陽性が出て、舞から妊娠報告を聞いた時、超浮かれたい自分とまだ浮かれちゃダメだと思う自分がいたんです。というのも、よく聞くじゃないですか、安定期までは流産する可能性も高いですよって。だから、まだこの喜びに対しての距離感がうまく掴めないまま、でもやっぱり嬉しくてニコニコしながら一緒に病院行ったら…
舞 難しいかもしれませんね、ってね。
浩基 そう。何が起きたか全然わからんくて、脳がフリーズして。気がついたら、三宮のど真ん中で号泣している舞をこうやって(抱きしめて)なだめていました。
でも、そのときに何が起きたんやろって空を仰いだら、俺の感覚の中では、ですが、ビューンってこの小さな命が、俺らを一瞬で通り過ぎて輝いていったような気がしたんです。その瞬間に、「命って、時間じゃないのかもしれない」って気がついて。
ー生きた時間の長さではない、と。
浩基 なんやろ、人間って生まれてきて、嫌なことも含め色んなことがありながら、世界のいろいろなものと出会い、なるべく美しくありたいと思って生きていくんやと思うんですけど、そういうこともいっさいがっさい通り越して、俺には、小さな命が輝いていったように見えたんです。この世界とアクセスすらせずに、そのまま天に行っちゃったというか。「お前の人生かっこよすぎやろ」って、変に憧れてしまうような感覚もあって。
それでパッと現実に戻ってきた時に、舞がめっちゃ泣いていたから、「舞、多分これ悲しむことちゃうで」って言ったんです。
舞 そこでいきなり、「お赤飯炊かな!」ってね(笑)。正直、最初は唐突にどういうことだろうって思ったけど、浩基くんの話を聞いていたら、その考え方がすごくストンと腑に落ちてきました。
浩基 与えられた2週間という命、その命を細胞の1ミリ足りとも無駄にせずこの子は「生き切った」んじゃないかなと感じた時に、泣くんじゃなくて、お前ようやったなってお祝いするんじゃないかって、俺の感覚からすれば思ったんだよね。
舞 そこから二人で命について考えて、ちょっとずつ語りはじめて。その中で、 私がこんなに悲しかったのは、また別の命を授かることはあるかもしれないけど、この子に会えるのは今回だけだから、「どんな顔だったんだろう。どんな個性だったんだろう。どんな声だったんだろう。この子に会いたかった、だから悲しいんだ」ということに気づけたり。
あと、浩基くんが「この子に名前をつけていい? ”こまる” 。 小さくて、まるい子だったから、こまる!」って、名前をつけてくれたりして。大事なものにすぐに名前をつける彼らしい発想で、私にとってもこまるがここにいたということを肯定できた気がして、すごく嬉しかったのを覚えています。
そこに「いる」という事実が与えてくれた変化
ー悲しみの先で、その存在がいたことを抱きしめるように肯定した二人のやりとりに、すごく考えさせられます。
舞 生まれて、今生きている命があるけど、生まれてきていない命も同じ同等な命だと考えた時に、その命の意味を考えずにこの世にいる命のことしか見ないのは、すごく不平等だなと思ったんです。
出てこれないのか、出てこないのか、それは想像の域を出ないので分からないけど、生まれずしてこんなに私たちにインパクトを与えてくれた。だから、そこに「いる」ということのすごさを身をもって感じたというか。
浩基 「存在」というものやんな。形としてはめっちゃ小さかったかもしれんけど、目では見えなかったけど、俺たちの中に圧倒的な存在感としてあった。
舞 うん、だからこそ悲しかったとも思うから、その気持ちも否定せずにいるんだけど、でもそこで立ち止まるのではなく、こまるがきてくれた意味、空に還っていった意味を考えたかったんだと思う。
ーそうすることで、舞さんや浩基さんの中で何か変化が起きたということでしょうか。
舞 目の前に現れない命を体感したというのはすごく大きくて、もちろん今までも保育の現場にいて、一人ひとりの個性、命を大事にしたい・して欲しいと思いながら仕事をしてきたけど、そこに対する思いにさらに深みが増しました。
闇や影ではないけれど、そちらを知ったことでより光がまぶしくなったというか、子どもたちや周りにいる人たちのことを愛おしいと、今まで以上に思えるようになって。
浩基 生まれた時点でものすごいことなんやっていうのは分かってはいるけど、ほんまそうなんだなって余計思えたよね。お腹の中から、母体から出た瞬間を“生まれる”と人間は一応定義しているみたいだけど、今回の経験に関して言えば、そういう境界線もなく。
だからこそ、それだけですごいのに、 そこからこうやって今を生き、光を感じて、匂いを嗅いで・・・って生きている人たちは、もうその時点でものすごい奇跡を起こしたんだとしたら、その存在そのままをもっと肯定してもいいんじゃないか、と思うようになりました。いいよいいよ、そのまんまでいいよって。
舞 あと、この世界の美しさや豊かさみたいなものに改めて気づきました。たんぽぽ一つの美しさに目を留められるようになったというか、この世界の素晴らしさみたいなものを、たっぷり味わせてもらっているなという感覚が芽生えたんだよね。
でも、だからこそ、生まれてこなかった命の話をすることや、そこに想いを馳せることで、当たり前に生まれてきている人や子どもを持つ人がみんな、今すでに在るものの美しさだとか喜びも、改めて感じられるといいなとも思うようになったかな。もっと身近なものに幸せを感じられたらって。もちろんそれは、私自身も。
命の意味を考える
舞 あと、命が何を伝えにきたのかみたいなことを、毎回考えているよね。
浩基 うん。きてくれた命ごとにというか、その命を自分の中で、自分たち家族の中で意味に変えようというのは、お互いすごく意識してるよね。
舞 実は、こまるの後に、ラクタを妊娠、出産して、今また、新しい命が私たちのところにきてくれるといいなと思っているんですけど、2回流産が続いているんです。
この2回連続ということも私の中では大きくて、それこそ「まさか2回連続でなんて」とも思ったけど、いま私に余裕余白がないから「これ来ても、母ちゃんたちてんやわんやするな」と思って還ったんじゃないかな、とも思っていて。本当に想像にすぎませんけど、昔から予定をどんどん詰め込んじゃうタイプだから、ずっと横に置いてきたそうした私の課題と向き合えっていうことで、還ったんじゃないかなと(笑)。
ラクタも、そのこまるの次の命たちには「きーちゃん」と名前をつけて楽しみにしてくれていたので、流産したことを言う時どんな反応をするんだろうと少し不安だったんだけど、「きーちゃんお空に還っちゃったの」と伝えたら、彼なりの独特な表現で「二階に帰ってるんだよ。また帰って来るよ」って。それを聞いて、私めちゃくちゃ感動して、自転車に乗りながら号泣しました。
浩基 そういうことを目をまっすぐ見て言ってくるのは、本当かっこいいよな。ラクタから、教えてもらうこともたくさんあるよね。
舞 今でもよく「きーちゃん見に行こう」ってラクタが言ってくれて、夜散歩に出掛けて空を見上げていて。月が見えると、「今きーちゃんは、お空の保育園で遊んでるんだよ。」「今日はご飯食べてるみたい。」とか伝えてくれるんです。日々の中で、すごく好きな時間になっています。
でも本当に、きーちゃんは私たちの生活の変化と共にいてくれている気がしていて、1回目(流産2回目)はちょうど、近所に暮らす友人や仕事仲間たちが集える空間を家の横に借りたタイミングだったし、次は浩基くんが仕事の仲間を増やしたタイミングで。私たちと共に、きたり還ったりしてくれている感じがあって、それによって私たちもまた一歩踏み出した決断があったと思う。きーちゃんのおかげで、自分たちらしい家族のあり方、暮らし方みたいなものになってきている気がする。
だから、 我が家では、なかったことには全くしていないんです。3回の流産した命というのも池田家にいると、私は感じているから。それぞれの命が与えてくれたものを、私も浩基くんもそれぞれに受け取って、話して。生まれてきてない命も自分たちの家族の一員だと思っています。
ー意味づけをするって、結構勇気もいるし、痛みも伴うことだと思うんです。でも二人はそれを、痛みを引き受けることさえも覚悟して、なお積極的に取りにいっているところがあるなとお話を聞いていて感じました。
舞 私はもともとネガティブなことを避けたり、極力起こらないようにして生きてきたし、悪いことが起きたら「どうしよう!どうしよう!」ってなるくらい不安症だったんです。
でも、ネガティブも含め感情を感じ尽くすという意味で、ある種私と正反対にいるような浩基くん(笑)をはじめ、そうした自分の不安や痛みに一緒に向き合ってくれる人がいたことで、少しずつ受け止めることができるようになったかな。そうすることで、痛みは悪いものじゃないって捉えられるようになってきたし、すごく楽になった。
今回、3回目の流産で遺伝子検査をしてみたんです。身に起きたことの理由や原因の可能性を、事実として自分なりにちゃんと捉えたくって。結果として染色体側の異常だったんだけど、それを知れたのは大きかったな。流産したという事実は変わらないけど、その見え方は変わってくる。
浩基 当たり前だけど、物事が変わらなくても捉え方が変わったら、未来が変わっていくと思うんです。起こった物事を自分が動かずに見ているとそれは変わらないけど、自分がちょっと動いたり、柔らかくなると、事実は変わってくる。
あと、ちょっと違うかもしれないけど、意味づけするのは俺のごく個人的な感覚としては、変わった例えかもしれないけど、刺青を入れるような感覚に近いかな。
舞 え?!(笑)
浩基 刺青って、今の気持ちを忘れたくなくて彫ったりすることがあるらしいんですけど、俺個人の感じ方としてはそれに近いなって。このタイミングでここにきてくれた命の意味を考えて、少しでもこの家族がよくなるように捉えて行動に移さないと、その命がなかったことになっちゃうんじゃないかというか。だから俺にとっては、それを皮膚に刻むんじゃなくて、行動や意思という形で刻んでいるのかもしれないなと。
夫婦のあり方、家族のカタチ。私たちの今までと、これから歩みたい道
「あなたにとっての幸せのカタチはどれ?」
ー二人とも自分以外の存在はコントロールできるものじゃないと思っていて、その根底には相手へのリスペクトがあるんだろうなと感じました。生まれてこなかったお空に還った3つの命に対しても、夫婦の間でも。例えば、意味づけが夫婦それぞれに全然違うのに、そのままで、互いに受け入れ合っているところも二人らしいなと。
舞 私と浩基くんに関しては、そもそも真逆だから、一緒にしようとすることが無理みたいなところもあって(笑)。
浩基 共通点がなさすぎて、たまーに出てくる共通点で喜び合うみたいな感じやもんな。合っているところが多いと間違いを探すけど、全部違うから、稀に合っているところが見つかったら喜び合えるみたいな。
舞 そうそう。もう本当びっくりするくらい違っていて、旅行に初めて行った時も、私はスケジュールを1から10まで決めるんだけど、浩基くんはそういうの嫌だから、ヒッチハイクし出したりして。
浩基 次のプラン・・・「何も決めてませーん!」、みたいな感じやもんね(笑)。
ー違う、が前提なんですね。
舞 それは、ラクタやカンタに対してもそうで。ラクタはまだ子どもだから物理的にできないこともあるけれど、逆に大人にはできないことができる。カンタは犬だから人間と同じ言葉は使えないけれど、言葉ではないことでたくさん伝えてくれる。そうしたことも含めて、我が家ではみんなの「そのまんまの個性」を尊重しているよね。
浩基 子どもであれ動物であれ、お前の人生だ、と思ってるからね。でも、舞にも結婚する前に言ったんだけど、人はどこまでいっても独りだけど、できるだけ一緒にいたいから、一緒にいられるように努力するし、一緒にいたいと思ってもらえるように努力する。一緒にいたいと思える限り一緒にいようと。
それってすごい大事だと思っていて、関係って何もしなかったら腐敗していくというか、続けるためにはやっぱり努力しないと。だから、ラクタに対してもカンタに対しても、俺はなるべく一緒にいたいから努力する。そうは言っても、そのうち遊んでくれなくなるやろうから、父ちゃんと遊んだら楽しいでって、全力で一緒に遊んでます(笑)。
舞 カンタは保護犬だったから、最初はトラウマから人を警戒したり、難しいこともあったけど、彼が彼らしくいられるように受け入れて、近所の人にも愛をもらいながら、一緒に時間を過ごしてきたことで、今はすごくのびのびしていて。
みんなで池田家っていうチームではあるんだけど、幸せな形は一人ひとり違うはずだから、「あなたにとっての幸せのカタチはどれ?」って、お互いに探し合うことをこれからも続けたいなと思っています。
「家族」とは
浩基 俺がイメージできないのは、父親や母親のワンマン経営みたいな家族。結婚する時にも、「誰かの一方的なルールは絶対作りたくないね」って。お互いがお互いを思い合えてたら、ルールは作らなくていいって、偉そうに言ってました(笑)。でも本当、ルールを作り始めたら、お互いどんどんガチガチになるから。
舞 その都度、話合おうねって。そういえば、浩基くんが結婚する前に「家族をつくるのは最大の修行だ」って言ってたのを思い出した。
浩基 血縁ってなんやねんって話になるんだけど、 血もつながっていない他人を一生愛していくって、結構すげえことだなって思ったんだよね。今どれだけ愛していようが、一生愛するってまた別のものだと思うから。
だからこそ、話し合うことが大事になる。それを繰り返していくことで、角がどんどん削ぎ落とされて、丸くなっていくというか、家族としての心地よさみたいなものが生まれていくのかもなぁ、どうなんやろ。家族ってなんなのかは、ずっと考え続けたいですね。
ー家族をずっと考え続けたい。池田家を見ていると、いわゆる“家族”みたいなものが覆りそうだなと思います。
浩基 考えたいし、考えてほしいっていうのが根底にあるのかもしれません。人を愛するって、家族ってなんだって。
ー今のところの「家族とは」の答えみたいなのってあるんですか?
浩基 んー、「一緒に暮らしたいと思ったら家族」じゃないのかな。今ふと思ったけど。たとえば、一時期一緒に仕事をして、時々我が家にも滞在している友人のぺぺにも、ダイレクトに「俺と一緒に仕事しよう」と言ったことはなくて、むしろ「1年間俺と暮らしてみいひん?」って言ってみたんです。
舞 ぺぺもラクタのことをお風呂にいれてくれたり、ごはん作ってくれたり、こっちもごはん作ったりってしてるよね。広い意味では、きっと彼も家族だね。
彼以外にも、いろんな人がうちに遊びにきてくれるんです。最近だと、ご飯屋さんで会った中学生の子たちとその後町でばったり会って仲良くなって以来、よくうちに遊びにきて、ラクタの面倒を見てくれるようになったり、浩基くんの友だち、近所に住むママさんなんかも「舞ちゃんたちの家って、なんか落ち着くんだよね」って来てくれて。すごく嬉しいなって思います。
浩基 こういうのって、思えばできるんだよね。血がつながっていなくても、家族になれるって、俺は思うんです。まだまだ「法律では」、「倫理上…」と言って議論している声も聞こえてくるけど、「俺たち家族だし、こんなに楽しいよ」って。
そんなシンプルなあったかいつながりを、自分たちの周りに作り続けていけたらいいなと思っています。
取材・文/三輪ひかり、写真/阪下滉成 hironari1001.wixsite.com/nyokinyoki、協力/高山美穂
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