「今日も一日、子どもを生かしてさえいれば」——ギリギリの精神状態で育児にあたる「多胎家庭」のリアル。当事者団体を始めた双子ママたちの挑戦<前編>

100分娩に1例の確率と言われる双子・三つ子などの多胎分娩。生殖補助医療と多胎妊娠は、2008年に日本産科婦人科学会のガイドラインで複数胚移植が原則禁止され、現在は強い関連づけはされていないものの、一時はその関連性が明確に指摘されていた領域でもあります。

「かわいい!」、「同時に複数の赤ちゃんが持てて羨ましい」、「子育て大変そうだな…」。私たちは、多胎の親子にいろんな感想を持つことでしょう。では、実際に双子や多胎児を育てるお母さんたちは日々、どのような想いで子どもと向き合っているのでしょうか。

2021年に多胎妊娠・育児を支援する「一般社団法人関東多胎ネット」を立ち上げた、現在4歳の双子の母である代表の水野かおりさんと、3歳の双子の母である松本彩乃さんに、この<前編>ではポジティブなイメージとは裏腹に意外なほど知られていない多胎育児の現実、親が抱えるリアルな心情、そしてなぜ団体を立ち上げる必要性があったのか、語っていただきました。

水野かおり/Kaori Mizuno 1984年兵庫県生まれ。大学卒業後メーカーの海外営業職を経て、妹とオリジナルブランド「OTTONAL(オットナル)」を立ち上げる。また全国通訳案内士として訪日外国人のプライベートツアー「Field Trip+」を企画・運営。2018年に双子の男の子を出産し、フランスやイギリスでの育児を経験。語学や海外生活が大好き。2019年自身の住む地域でふたごの会を設立。「一般社団法人関東多胎ネット」代表理事。

松本彩乃/Ayano Matsumoto 1984年生まれ、岐阜県出身の会社員。2012年に結婚後、約6年の妊活・不妊治療を経て2018年に双子男児を出産。地域の双子会は平日開催のため、土日にも集まれるよう復職前に設立した杉並区の多胎児サークルの代表として「関東多胎ネット」に参画。その後2021年に一般社団法人化し、監事に就任。関東多胎ネットピアサポーター、NPO法人Fine認定不妊ピア・カウンセラー、国家資格キャリアコンサルタント。

 


産後の楽しい想像どころじゃない。とにかく辛い妊娠期

  「一人いなくなるかも」。医師からの過酷な告知

ーまずはお二人それぞれに、双子の妊娠が分かったときの心境について振り返ってもらいたいと思います。水野さんは双子のご妊娠が分かったとき、どんなお気持ちでしたか?

水野  待ち望んでいた子どもだったので、妊娠したことも双子だったこともとても嬉しかったのですが、実は、医師から「一人いなくなるかもしれません」とはっきり言われたことが今もずっと忘れられません。

普通は妊娠が分かると「おめでとうございます」と言われるのでしょうが、多胎妊娠は胎児の死亡や合併症の確率が高いこともあり、まずリスクの話をされるんです。私はこの言葉が妊娠中、ずっと胸に突き刺さって。「いなくなるって何?」って。

双子妊娠の世界では「バニシングツイン(Vanishing twin)」という言葉があります。これは妊娠初期に胎児の一人が子宮内からいなくなることを指しますが、実際に多胎妊娠では、妊娠高血圧症や妊娠糖尿病、胎児発育不全、形態異常、血栓症など妊婦や赤ちゃんの異常や死亡のリスクが単胎よりも高くなり、流産率も上昇するんです。

少し細かくなりますが、双子は、「膜性」といって、赤ちゃんを包む羊膜と、羊膜の外側にある絨毛膜の数によって胎児のリスクが変わってきます。二つの膜と胎盤が一人に一つあるのがDD、羊膜は分かれているけど、絨毛膜と胎盤を二人で共有しているのがMD、羊膜と絨毛膜、胎盤すべてを二人で共有しているのをMMと呼びますが、一番リスクが高いのがMM、その次がMD、もっとも安全性の高いのがDDとなります。

私の場合は中程度のリスクのMDツインでしたが、妊娠中は切迫早産の兆候や羊水の偏りが指摘され、1か月ぐらい管理入院したんです。
結局、35週で緊急帝王切開となり、二人とも約2,200gの低出生体重児で生まれました。10日間ほどNICUに滞在して、その後退院することができました。

 

  胎嚢が2つ見えたとき、うれしくて号泣

ー授かった喜びも束の間、常にリスクと隣り合わせだったのですね。それは一時も心の休まらない妊娠期でしたね…。
松本さんも、現在3歳になる双子のお子さんを育てていらっしゃいますが、松本さんは双子を授かる前に不妊治療を経験されています。妊娠までの経緯についてもお伺いできますでしょうか。

松本  20代で結婚して、約6年間、妊活や不妊治療に取り組んだのですが結果に結びつきませんでした。3度の転院を経て、4つ目のクリニックでの胚移植の際、それまで流産の経験などもあったためか、医師から「特例的に二個移植の適用となります、どうしますか?」と言われたんです。

一旦保留して夫と相談しながら、二人で双子妊娠のリスクを無茶苦茶調べました。調べに調べたうえで、リスクは承知のうえで、「それで妊娠率が高くなるなら」、「双子でも自分たちなら覚悟をもって育てられる」と夫婦で考えて、藁にもすがる思いで複数胚移植を決断しました。

だから4週のときにHCGがすごく高かったときは期待しましたし、実際に次の健診できれいに胎嚢が2つ見えたときは嬉しくて号泣しました。ようやく報われた、そう思いましたがリスクを調べていた分、やはり不安はずっとついて回りました。

私の場合はDDツインで胎児のリスクは比較的低かったのですが、切迫早産で29週から入院をして結局、予定帝王切開の日の37週ゼロ日まで入院でした。この間、お腹の子には「頑張れ!」ってずっと祈っていました。

出産直後は止血がうまくいかず、3リットルほど出血し、輸血となりました。子宮の戻りも悪く、後陣痛もとても痛いし、帝王切開の傷も痛いと、もう全部が痛かったですね。

ー双子の妊娠は、出産するまでにまず大きな壁を乗り越えなくてはならないのですね。お二人とも、実際に生まれたあとの育児のイメージや、覚悟のようなものは妊娠中からありましたか?

水野  それが、産んだ後を想像することがまったくできていなくて。というのも、とにかく妊娠中の状態そのものがきつかったんですよね。つわりもひどいし、生命の不安もあったし。入院中も無事に二人が生まれることだけを考えながら、ひたすら点滴をして、身体の痛みに耐えて、寝っ転がっていました。

上を向くだけで辛いんです。二人分ですから。検査でやむを得ず上を向かなくてはいけないときは、「お相撲さんがお腹に乗っかっている」みたいで苦笑。もう瞬間瞬間が、あまりに辛すぎでした。

実際に生まれてみると、そこからはさらに大変でした。双子を連れて簡単に外にも出られないし、二人とも泣き止んでくれないときは自分もなすすべがなくて、私も含め親子3人で泣きじゃくったりして。

「もう無理!」と思うことも何度もありましたね。ですが同時に、子どもが生まれたという喜びは大きかったし、妊娠中に知り合えた多胎のママと悩みを分かち合えたことで、乳児期の育児を何とか乗り越えられたというのもあります。

その友達とも言い合っていたのですが、生きていればいいと。たとえ今日お風呂に入れられなくても、とにかく死なせず、二人を生かしていればいいと。そんなことを思いながら、毎日ギリギリのところで育児していました。

松本  私も妊娠するまで、産むことをいったんのゴールにしてしまっていたので、育児というところまでは正直、視点がまったくいっていませんでした。産んだ後に「あ、こんなに大変だったんだ」って。

ただ私も、水野さんが築いてくれていた双子ママのネットワークで、自宅近くで同じ週数の双子ママと出会えたのもあって、その方となんとか乗り越えてきたし、当時夫がちょうど転職活動をしていたので、家にいてくれたことも助かりましたね。

実際の育児は、私も水野さんと同じで、「今日も生きていてくれてよかった」、「元気でよかった」と。それさえ達成されればいい、今もそんな毎日です。

松本彩乃さん

 


双子の大変さは一人の2倍どころか、2乗、5倍にも

  「ずーーっと、まっすぐにしんどい」

ー「生きてくれさえいれば」という、ぎりぎりの境地で育児されていたのですね…。なかでもこれは辛かったな、という育児エピソードがありますか?

水野  うーーん、そうですね…。一つに絞るのが難しいくらい、そもそもまず、生後2か月ぐらいの記憶がほぼありません。ほとんど寝ていませんし。妊娠中は安静も長かったので、産後の体力がすごく落ちていたところに、小さく生まれて、生きる力が弱い赤ちゃんが2人来る。「24時間ずっとお世話している」感覚でした。

最初に辛かったのは授乳です。初産でしたから、個人的に母乳をあげたい気持ちもあり、授乳も新生児はだいたい1人1日12回ですから、×2で24回です。ミルクとの混合だったので、そうなると哺乳瓶の消毒もあって、すごく手間がかかる。

精神的にも負担が来るのですが、寝不足でもやりたい。当初はそんな自分の気持ちとの葛藤もあって、結局半年ぐらい続けて…。もうがんばったからいいかなって、そこから完全にミルクに切り替えたら、正直とても楽になりました。

ー双子の場合は、一度に二人を授乳するなんてこともよくあるんでしょうか?

水野  もちろんしょっちゅうです。同時授乳といって、両脇にフットボール抱きして授乳したりするんです。あと、一人を片手で支えながら母乳を与えている間、残りの手でもう一人に哺乳瓶をくわえさせたり。ミルクも、セルフミルクといって、タオルやグッズをつかって、哺乳瓶を固定して、自分で飲んでもらうことも早いうちからやっていました。

授乳は二人のタイミングを合わせる親もいれば合わせない親もいたりとそれぞれで、私は合間に寝たいから合わせていましたが、実際はうまくタイミングが合わないことも多くて。

よく言われるのが、双子育児は単純に「倍」じゃないと。一人の倍じゃなくて、2乗とか、5倍とか。一人の授乳をしているうちに泣いているもう一人がヒートアップしちゃうとかいろんなことが重なって、単純に倍の作業ではないんだと、自分自身も実感しています。

ーそうですか。きっと、何をしてもどうにも二人とも泣き止まないということもありますよね。

松本  はい。まだ首が座っていないときは同時に抱っこできないので、一人を抱っこしている間にもう一人は電動のゆりかごに乗せるなど、なんとか機嫌を損ねないようにするのですが、二人ともヒートアップすることはしょっちゅうです。

もうそういうときは、とにかく安全だけ確保します。周囲に危ないものがないか確認して、泣いたまま寝かせておかざるを得ない。

ですが、二人が同時に泣き続けてずっと泣き声を聞いていると、「泣かせてごめんね、でも今はちょっと無理」って思いながらも、自分が責められているような気分になるんですね。うちは夫がかなり積極的に育児参加してくれる人なのですが、そんな恵まれた状況であったにもかかわらず、どんどん自分の気持ちが追い詰められていくこともよくありました。

あるとき、夫がそんな私を見かねて、「1回外に出ておいで」って言ってくれて。外の空気を吸ってきたほうがいいからと、貴重品だけ渡されて、ぽん、と外に出されたこともありますね。

水野  それ、とてもよくわかります。実は「このエピソードが大変だった」っていうのが、なかなか単体で切り出して語ることができないのが、多胎育児のリアルなんですよね…。

ずーっと、まっすぐにしんどい。みんな本当にすごい張り詰めて、ギリギリのところで育児しているんです。だから、ふいに優しい言葉をかけられると、めっちゃ号泣したりして。私自身も生後半年ぐらいまでは常に精神不安定で、ずっと気持ちが張り詰めていました。

水野かおりさん

 

  三つ子の虐待死事件に、「私だ」と思ってしまう

ー多胎妊娠は、虐待リスクが高いことも指摘されています。2018年には、生後11か月になる三つ子の赤ちゃんの一人を母親が床にたたきつけ、死なせてしまった事件もありました。ちょうどお二人が出産された前後の事件です。当時、この母親の行為をお二人はどのように感じましたか?

水野  私が出産した同じ年に起きた事件ですが、事件を知ったとき、正直「これ私かも」って思いました。幸い私は母や妹が産後手伝ってくれましたし、仲間もいたので、なんとか、たまたま、私も子どもも生かされている。

でも、これから私がそうなるかもって思いました。周りの多胎育児をしている友達も同じ反応でした。「あ、それはそうなるよ」って。これが当時の正直な気持ちです。

2019年に「多胎育児のサポートを考える会」が実施した、双子以上の多胎家庭の保護者向けアンケート調査があるのですが、それによると、保護者の90%以上が、子どもにネガティブな感情を持ったことがあるという回答で、その内容も、何回も殺そうと思ったとか、実際に1回落としてしまったとか、投げてしまったとか、そんな回答がとても多いんです。

そのアンケート結果をみても、驚きがない。むしろ私もそうだなって共感できてしまう。それがリアルな多胎育児の現状なんです。

松本  私もそう。「全然わかる」って思いました。私は三つ子の事件が起きた翌年に出産したのですが、自分が双子育児をしてみて、明日は我が身と思いましたね。

一瞬、カッと頭にくる感じ。今もそう思うときがあります。そのたびに、自分を責めてしまう。今日は怒らずに済んだ、今日も元気で生きててよかったって、そう思いながら今も育児しています。

それでもたまに、ふっと自分に立ち戻れるだけの心の余裕がない中で、子どもたちに接しているときもあって。だからそのお母さんの気持ち、全然わかってしまうんです。

ーそうだったのですね。いまお二人ともお子さんが少し大きくなって、精神的に危うい状況から、最近は抜けだせたかな、と思うことはありますか?

松本  そうですね…。言葉が通じるまではずっとがんばろうと思っていて、なんとかきたんですけど。うちは3歳になったばかりですが、イヤイヤ期もあったりして、余計に親の思いが通じなくなった部分がありますね。

もちろん、思い通りにしたいというわけではありませんが、とはいえあまりにも思い通りにいかな過ぎて。瞬間湯沸かし器ではないですが、カッとなる。自分はこんな性格だったけな、と思うこともあります。
うーん…、自分は正直、まだ抜けられていないかな。

水野  私もかな…。うちは来月で4歳になるんですが、身体的には楽になったけど、精神的にはやっぱりまだ辛くて。すごく二人が仲良しなので、調子にのると親の言うことを全然きかない。二人の絆が強いために余計に。

年齢年齢で、双子ならではの悩みがあるんですね。だからこそ、双子を育てる先輩ファミリーの話が聞けるピアサポートが、とても重要なんだろうなと思っています。

 

  認識されづらい「多胎育児あるある」

ーお二人が抱えている、多胎育児ならではのしんどさというのは、例えばよく自治体が運営する赤ちゃん広場や児童館などを訪れても、なかなか分かってもらえないのでしょうか?

松本  双子と外出するというのは、そもそも準備からしてまず大変なのですが、それでも辛い気持ちを相談できるかな、子どもたちが楽しく遊べるかなと期待して、そうした親子の集いの場に行ったこともあります。

でも、そこで周りのお母さんとの違いに愕然として、ショックを受けて帰ってきたことがあって。「あ、私ってこんなに余裕のない人なんだな」って。みんな穏やかに子どもと向き合っているように見えて、「私はこんなふうに育児できないや」って。「相談してもきっと分かってもらえないだろう」と、心の壁をそこで作ってしまったんです。

あと、悪気はまったくないと思うのですが、「双子って大変。私ぜったい無理」といった言葉をかけられたりすると、「私だって無理だけど、でもやらざるを得ないんだよね」と思ったりもして…。だから、私はそういう場で双子のお悩み相談をしたことがないんです。

水野  その話で、私も一つエピソードを思い出しました。私も、このまま家に引きこもっていたら自分が追い詰められると感じて、なんとかベビーカーに乗せて子育て支援センターに行ったら、まず入り口で双子用のベビーカーが入れなくて。

ベビーカーを外に置いて抱っこして入ってくださいと言われたので、「じゃあ、一人抱っこして中に入れるので、その間もう一人見ててもらえますか」といったら、「そういうことはしていません」と言われたんです。せっかく、何分も歩いて出向いたのに、結局入れずに、泣いて帰ったのを覚えています。

松本  これ、多胎育児のあるあるなんですよ。児童館の入り口が階段で入れなかったり、受付が2階にあったり、それでもスタッフの方に抱っこしてもらえなかったとか、本当によく聞く話です。

水野  そうなんです。それになんとか受付のハードルを乗り越え、双子を抱え頑張って中に入ったとしても、周りの人に十分打ち解ける前から「大変ね」と言われてしまうと、もうそこではそれ以上何も相談できなくなってしまったり。

あと何か工作をしたり、一緒に膝の上にのって手遊びをしましょうとなっても、基本的にすべて一人の子向けだから、できないことが多いわけです。そうなった時の、私だけできないという孤独感や無気力たるや。こんな気持ちになるくらいなら「行かないほうがましだ」って絶望して帰ってくる。これも、双子育児あるあるなんですよ。

妊娠中、何もできなかった分、せめて生まれてからは子どものために何かしたいと思ってベビーマッサージにも行ったりしましたが、結局何もできなくて帰ってきて。思い出したら涙が出てきました…。

ー自治体によっては、双子や三つ子ちゃんの集いもあるようですが…。

松本  はい。地域によってはそうなんですが、あったとしても月に1回の開催だと、そこに子どもたちや私の体調不良があたると、気づけば半年いけていない、ということもざらになってきます。

水野  そうなんです。双子だと身軽にひょいとでかけて、ひょいと相談できない。そうやってどんどん絶望し、自分を閉ざしていってしまうんです。

取材・文/内田朋子、写真/本人提供、協力/高山美穂


この<前編>では、現在双子育児まっただなかのお二人に、双子の妊娠・育児がどれほど過酷を極めるか、また日ごろどんな想いを抱えて親が子と向き合っているか、それぞれの体験をもとに語ってもらいました。

続く<後編>では、双子育児を通して痛感した支援の必要性を社会に訴え、またそれを実践するべく立ち上げた団体、「一般社団法人関東多胎ネット」の設立の経緯についてお伺いしていきます。多胎家庭に関わる方へ向けたお二人のメッセージにも、ぜひ耳を傾けてみてください。

※一般社団法人関東多胎ネット
Webサイト>sites.google.com/view/kanto-tatai-net/

 


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