「受精卵が棄てられない」ー。医学的に「ヒト」ではない、でも本人には「命」にも匹敵する卵。不妊治療を経て悩む当事者15名と、胚培養士の声を聞く<後編>

不妊治療の過程でできた余剰の受精卵が棄てられない──。

UMUでは、そんな悩みを抱く15名の女性と、現場でそうした女性たちの想いに触れてきた3名の胚培養士にアンケート取材を実施。<前編>では、集まったリアルな声をまとめてお届けしました。

続くこの<後編>では、今も渦中にいる当事者のひとりとして、3年間の不妊治療で二人の子どもを授かり、その後も凍結した受精卵(胚)を廃棄できずにいる高瀬知聡さんにお話を聞きました。看護師の資格を持つ高瀬さんは以前、第一子の不妊治療中にUMUコラムも寄稿しています。

受精卵が棄てられない。その想いに、医療や社会、私たちはどう寄り添っていけるのか。多様な経験とそれぞれの事情を抱える当事者たちからの13篇のメッセージも合わせて、お伝えします。

 


子ども=自分にとっての幸せの象徴、明るい光に通じている気がするから

  夜勤明けでの採卵。仕事と不妊治療の両立に苦しんだ2年弱を経て

ーはじめに、不妊治療の経緯についてお聞かせいただけますか。

もともと学生時代の無理なダイエットが要因で無月経になり、治療のためにピルを服用していたんです。28歳で結婚して、結婚式を終えた翌年にピルの内服をやめたんですが、月経は戻らなくて。子どもがほしかったので、近所の産婦人科でタイミング療法から始め、人工授精に進みました。

その過程で、私にも夫にも不妊の原因と思われる疾患があったので、年齢的にも早い段階で不妊治療専門の病院での体外受精を始めることにしたんです。2度採卵して、4度凍結卵を移植したんですが、着床はしなくて。看護師として働いていたので、夜勤明けの寝不足・絶食状態で採卵に行って……心身はボロボロ、最悪でした。

ようやく5度目の移植で着床したんですが、7週目で流産になってしまって。治療を始めて2年弱、仕事も不妊治療もがんばることに疲れて、仕事をやめて治療に専念することにしたんです。

そうしたら、すぐに採卵でいい結果が出て。仕事をやめてから最初の採卵で9個の受精卵(胚盤胞)ができて、そのうちの一つで一人目を出産。その後、同じくその時にできた凍結卵の一つで二人目も出産できました。

ー高瀬さんにとっては、働きながらの不妊治療は心身に負担がかかっていたのかもしれませんね。とはいえ「治療のために大切な仕事をやめる」という決断も、簡単にできるものではないとは思います。

治療にも子育てにもお金がかかるし、もちろん経済的な不安はありました。でも私にとってはそれ以上に心身の負担が大きかったので、無理をしてどちらも中途半端になるより、期限を決めて治療に専念して結果的にはよかったと思っています。とはいえ、不妊治療は自分のがんばりや努力でどうにもならないことばかりで、つらかったですね。

 

  棄てずにお腹に戻したら、子どもの分だけ幸せが増えるんじゃないか

ーお子さんが生まれたあと、今も凍結卵を保管されているんですよね?

はい。幸いにも、1度の採卵でまとめて9個の受精卵ができて。そのうち特例的に2個を戻した移植2回目で、一つは流産となってしまったものの、もう一つが順調に育ち長女として生まれてきてくれました。出産後、また治療を再開しての2回目の移植で次女を妊娠したので、合わせて5個使って、残りが4個。そのすべてを保管しています。

ー1年間の保管料もかかるかと思いますが、今後も残りの受精卵は保管される予定ですか?

二人目が生まれるまでは、生まれたら「もう全部廃棄しよう」と思っていたんです。一人目の育児が初めてのことばかりで大変で、お金も時間もかけてつらい思いもしてやっと授かったのに、かわいいと思えない時期があって。正直、結構しんどかったです。

ただ、もともと夫ときょうだいがほしいねと話していたのもあり、いざ子どもが二人になったら育児に慣れてきたからか、子どもたちが素直にかわいく思えてきて。シンプルに、子どもが増えたらこのかわいさ、幸せがもっと増えるんじゃないかと考えるようになっていったんですね。

さらに、凍結卵の保管料が4個で年間88,000円だったんですが、不妊治療が保険適用になって手続きをすれば、11,000円になるんです。それでまた心が揺らいじゃって。11,000円なら、迷いがあるうちは保管しておいていいんじゃないかと。決断を鈍らせることにはなるけど、金銭的な理由ではなく、よりシンプルに、自分の気持ちを重視して考えられるのはありがたいと思います。

とはいえ、不妊治療中に仕事をやめて子育てをして、3年間働いていないので、そろそろ働きたい。経済的なこともあるけど、社会に出たいんですよね。二人目も保育園に預けられることになったので、働き始めて自分の気持ちがどう変化するか、様子を見て決めようと思っています。今のところは……ですかね。

ー保管している受精卵は、高瀬さんにとってどんな存在なのでしょうか。ご自身として、どんなふうに捉えていますか?

一人目、二人目と子どもが生まれて、あのとき採卵してできた受精卵からこの子たちが生まれてきたんだなあと思うと、簡単に破棄しようとはやっぱり思えないですよね。それも個人的な感覚としては、命を棄てる罪悪感があるというより、「棄てずにお腹に戻したほうがより幸せになるんじゃないか」っていう、明るい光につながるような感覚があります。

ー子どもというご自身の幸せをもたらしてくれる存在につながる、幸せの源、のようなものでしょうか。

そうですね、幸福の象徴のような感じです。とはいえ、残り4個の受精卵をすべてお腹に戻して産むのは無理な話。綺麗事や想いだけで子育てはできないですから。自分の気持ち次第ではありますが、90%くらいは廃棄の決断をすることになるのかなとは思っています。

 

  罪悪感を抱いて傷つかないように、システマチックに廃棄したい

ー廃棄する場合、もし仮に選択肢があったとして、どんな方法がいいという希望や理想はありますか?

個人的には、冷たいかもしれないけど「廃棄をお願いします」「わかりました」くらいのシステマチックなやりとりで廃棄してもらったほうがいいですね。供養をして意味を持たせすぎると、ネガティブな気持ちに引っ張られてしまって、自分が傷つくと思うので。かたや、もし子どもが生まれていなかったら、供養をしたり持ち帰ったりしたいと思うかもしれません。立場や状況によっても、人それぞれ気持ちは違うのかなと思います。

苦労した不妊治療を経て、採卵した卵子から受精卵になって、胎児になって子どもが生まれて成長して……そのプロセスを体感しているから、ただの細胞とは思えない。でも、受精卵=命と捉えてしまうと、廃棄する際に自分を責めてしまうとも思うので、あまり深く考えすぎないようにしています。

40歳が一つの区切りかなとも思っていますが、自分が産む可能性が低くなるまで、さらには可能性がなくなったとしても、結局行ったり来たり、破棄できずに悩んでいるかもしれませんー。

 


受精卵が棄てられない想いと地続きにある、社会の課題

  「もっと子育てがしやすい社会だったら、受精卵を廃棄せず全部産みたい」

最後に、「受精卵の廃棄」について思うこと、医療や社会のシステムに求めること、高瀬さんを含む当事者のアンケートに綴られた13篇のメッセージをお届けします。

もっと受精卵にやさしい、正確な検査ができるようになってほしいです。

お金と身体的負担をかけて採取したものなので、せっかくなので廃棄より医療の発展に役立てて欲しいです。

以前通院していた病院から新しい病院への凍結卵の移送を諦めることを最終決断した日は、驚くほど落ち着いていましたが、その決断に至る日までの日々は地獄のようでした。私たちのように、病院の事情で移送ができず本来戻せたはずの卵を廃棄しなくてもいいよう、法的にも受精卵の所有権は夫婦のものと明確化し、夫婦が望む方法を選択できるようにしてほしいです。

不妊治療を開始する時に、胚を廃棄することになるなんて1ミリも思ってませんでした。色んな理由で廃棄の選択をしなければいけない可能性があることや、その時にどのように決めたらいいのか等、病院側からしっかり話してもらえると良かったし、もっと話し合える機会があったら良かったなと思いました。

移植7回でようやく出産に至ったため、まさか自分が凍結卵の廃棄で悩むとは、不妊治療中全く思っていませんでした。不妊治療クリニックは妊娠させることが一番の役割であると理解していますが、納得した選択や決断ができるよう、何らかの形で患者側の気持ちの落としどころを提案してくださると嬉しいです。

不妊治療の過程で、このような悩みに直面することを事前に知っておきたかった。また不妊治療、育児に関して、私の周りでは男性の理解が無さすぎるので、小さいうちから学ぶ機会をつくってほしいです。私自身、夜も眠れないことある程悩んでいるのに、きっと夫は気づいていないと思います。1人でも多くの人に、このような境遇があることを知ってほしいです。

受精卵の廃棄について、不妊治療中の方から贅沢な悩みだと称されることが多く、苦しい。自分も同じ立場であればそう思っていただろうから、なおさら言いにくい。かつ、夫(男性)との受精卵の受け止め方のギャップがあり、自分の気持ちや受精卵を蔑ろにされているようで、孤独を感じます。そもそも幼い頃から「女だから子どもを産んで当然」と思い込まされてきた社会通念が憎い。「子どもを産まなければ!」という強迫観念のようなものがあって、それがなければつらい治療をしてまで子どもを授かろうと思わなかったかもしれない。産んだら産んだで、子育ては母親の自己責任であるかのような論調があって、また子どもを産もうとは思えない。娘に同じ境遇を味わってほしくないです。

「他人の手で破棄される」のが辛い一因かと思う。「私の一部なのに」「私の子どもなのに」という気持ちがあるんだと思う。飛躍した話になるが、もっと子育てがしやすい社会だったら、私は凍結卵を破棄せずにお腹に戻す覚悟があったので、その点、残念です。

凍結卵をお腹に戻せないなら、上手く言葉にできないが、いっそ同化したい(くらいの思い入れがあるもの)。

やはり、受精卵といえども命と思う感覚があること、お腹に戻したらもしかしたら元気で生まれて来られる力があるかもしれないこと…そんなことを考えると、【破棄】=命を奪う行為、と考えられなくもない。というか考えてしまいます。自身のキャリアや自由な時間、育児への負担が今後の治療を悩ませています。

少子化が深刻な状況であるのに、不妊治療にも、受精卵の凍結にも出産にも、子育てにもお金がかかる。お金の問題がなければ、子どもがほしい夫婦が人数を制限することがなくなるようにも思います。

私が凍結卵を廃棄するかどうかを悩むのは、「子育てにかかる経済的・体力的な負担からもう一人産めるかどうか」なので、廃棄しなくてもいいように、子育ての負担を軽減する施策を打ち出してほしいです。不妊治療を乗り越えて生まれた息子は本当にかわいくて、残った受精卵もみんなこんなにかわいいんだろうと思うと全員産みたい気持ちがとても強く、もし廃棄することになったらと思うと悲しくて涙が出ました。

願いが叶うのなら、すべての卵を元気に産んで子だくさんで暮らしたい。でも、不妊に悩む間に歳を重ねてしまったし、お金も体力もなければ、子育てに寛容な社会もない。それに、かなりの確率で起きる移植失敗や着床不全、流産に心も体も耐えられない。だから、凍結卵は戻せない。どうしてほしい、どうしたい、という考えはないけれど、当事者の体験と想いが集まることで、今後の生殖医療の議論の参考になったら幸いです。

 

「受精卵の廃棄を決められない」──このテーマの背景には、産みたい、産まない、産めない、それぞれの事情や想いと、教育、医療、社会の課題が絡み合っていました。

不妊治療や子育てにお金がかかること、まだまだ女性への負担が大きく孤独を感じてしまうこと、子どもを産むこと/産まないことや、産んだとしてもその人数やきょうだいの有無に対する社会の中にある固定観念や、自ら背負ってしまう呪縛……。
また、凍結卵の経年管理に対する業界共通のルールがなく、患者の建設的な意思決定を促すしくみや心理サポートも一律にはないため、当事者が悩みを抱え込み決断を先送りする構造からなかなか抜けられない、という生殖医療側に起因する課題も。

今回のアンケート取材を通して、声を大にして言いにくく、見えにくい、当事者の気持ちと地続きにあるこの社会課題の全体像が、少しだけ浮き彫りになってきました。
個人としても社会の中でも、悩みを解消するわかりやすい道筋が見えるわけではないけれど。不妊治療の過程で、受精卵の廃棄に悩み心の傷を負っている人たちがいること、そして、自身やパートナー、周囲の人たちがいずれ同様に直面する可能性があることを、ぜひ知ってもらえたらと思います。

そして、「ヒトではない、けれど、命になるかもしれない」卵を当事者が、その周囲が、社会がどのように捉え、受け止め、あるべき未来を描いていくか。この記事をきっかけに、その方向性を考える対話や議論が始まっていくことを、編集部一同願っています。

 


アンケート取材および編集・文 / 徳 瑠里香、UMU編集部

取材協力(Special Thanks)
・高瀬知聡さん

・当事者経験者のみなさま ナゾノうにさん/Sakuraさん/NYさん/SHさん/すみれさん/nrさん/わさびねこさん/モモンガさん/MMさん/Y.Iさん/Y’sさん/SCさん/リヒマムさん/ ほか記名なし
・胚培養士のみなさま
ぶらす室長さん/かずのこさん/Tさん


\ライター徳の書籍発売中!/
本記事のライターであり、「女性の選択と家族のかたち」を主なテーマに執筆活動を行う徳瑠里香のデビュー作、「それでも、母になる」が好評発売中です!
それでも、母になる: 生理のない私に子どもができて考えた家族のこと」(ポプラ社刊)

\あなたのSTORYを募集!/
UMU編集部では、不妊、産む、産まないにまつわるSTORYをシェアしてくれる方を募集しています。「お名前」と「ご自身のSTORYアウトライン」を添えてメールにてご連絡ください。編集部が個別取材させていただき、あなたのSTORYを紹介させていただくかもしれません!
メールを送る