「産む」をめぐる“もやもや”を対話のきっかけに変えて 社会を再編するソーシャルイノベーション・スタジオ「公共とデザイン」インタビュー<後編>

「多様な人々による<わたしたち>の公共」を考えるソーシャルイノベーション・スタジオ、「一般社団法人 公共とデザイン」。30代前半の男女3人が主体となり、さまざまな社会課題と個々人の問題をひもづける活動を行っています。

そんな彼らが今回プロジェクトに設定したテーマは「産む」。子どもを「産む」か「産まない」か、「産みたい」か「産める」のか、それでも「産もう」なのか。

彼らは、「産む」に関する個人の”もやもや”や、社会的イメージ、それぞれの選択肢についてを問いなおし、アートを通してみんなで課題に向き合う展示会「産まみ(む)めも」を企画しています。

前編>では、育ってきた環境の中で無意識のうちに育まれる「産む」に対するイメージの違い、そして、本音で語り合う難しさについて話してもらいました。私たちは「産む」をどう前向きに捉え、他者と語り合うことができるのでしょうか。

この<後編>では、プロジェクトを通して自分たちの課題にも向き合ったという3人に、それぞれの気づきについて語っていただきます。

 

石塚 理華/Rika Ishitsuka 千葉大学工学部デザイン学科・同大学院卒業。在学中にグラスゴー美術大学・ケルン応用科学大学に留学、国内外の大学でサービスデザインを学ぶ。大手人材サービス企業でのデザインディレクション業務、共同創業した受託開発ITスタートアップで多分野の体験設計やデザイン開発を経て2021年に公共とデザインを設立。

 

 

 

川地 真史/Masafumi Kawachi デザインコンサルティングを経て独立後、フィンランドAalto大学修士課程に進学。行政との共同プロジェクトや、市民が自発的に行う民主的なデザイン論を研究。現在は他者への想像力とケア、生きる実感を軸に実践と探求。2021年に公共とデザインを設立。

 

 

 

富樫 重太/Shigeta Togashi デザイン会社、メディア会社などに勤務後、株式会社Periodsを創業し、複数のスタートアップ企業のデザイン、プロトタイピング、立ち上げに従事。2018年株式会社issuesを共同創業。住民の困りごとを自治体に届け、政策で解決するサービス「issues」を開発。2021年に公共とデザインを設立。

 

 

 


立場の異なる人との「対話」の難しさに直面して

  センシティブな話題だからこそオープンに

―「公共とデザイン」さんは、今回「産む」をテーマに、さまざまな背景を持つ方々同士で対話するワークショップを開催されているとのことです。実際にプロジェクトを進めていて、どんな展開がみられましたか? <前編>では「対話だけで、簡単に理解し合うことは難しいと感じることもあった」とおっしゃっていましたが……

石塚 今回のプロジェクトの軸は、対話の場を作ることでした。不妊治療を経験された方、産まない選択をされた方などさまざまなご経験をされた方がいて、そうした方たちの体験談を聞きながら、今後子どもを持ちたいと考えている人たちにも参加していただき、それぞれの“もやもや”を出し合ってもらおうというコンセプトでした。

ただ、「産む」という問題を語ることは、非常にセンシティブです。産みたくても産めない、あるいは産まない選択をした人を前に、「私は産みたい」と発言すること自体が難しく感じる人もいると思います。

人によって考え方や立場は違って当たり前だし、違いを知った上で相手を気遣って発言ができればそれが理想ですが、自分の考えを伝えることで、本当に意図しないところで、思いがけず誰かを傷つけてしまう可能性もあるんですね。

だから発言するのが難しいとか、怖いと感じる人もいるかもしれない、という事実に気付いたんです。

ただ、そこで止まってしまったら対話は成り立たない。人それぞれ立場もこれまで歩んできた人生も異なる、という前提があるからこそ、言葉が暴力的になってしまうこともある。

ですから、まずは主催者側として、それぞれ背景が違う、異なる意見があっていいんだ、共感しなくても理解する土台を作りたいという大前提を、しっかりお伝えすることが大切だなとは思いました。

 

―確かに、不妊治療経験者の方や、産まない選択をした人など、さまざまな経験がある人を前にすると、自分の発言で相手を傷つけてしまうのでは、という不安は抱くかもしれませんね。

川地 ただ、たとえ意見が異なってそれで傷ついてしまうことがあったとしても、意見を言うこと自体がいけないことではないと思うんです。

「今の発言で自分は傷ついた」と正直に言えたり、「私は今、こうした事情を抱えているから発言しずらい」といったことまで、オープンかつ冷静に伝え合える場を作ることができたら、そこからまた一歩進めるんじゃないかと思います。理想ではありますが……。

つまり、そういった場を主催者がその場にいる人たちとともに作っていく姿勢が大切だと思うし、逆説的ですが、ワークショップでの一度や二度の対話だけで、突然考えや社会システムが大きく変わっていくわけではないとも思っています。

だからこそ、僕らは対話だけにとらわれず、社会全体の環境を整えていくことも考え続けていきたいと思っているんです。

 

  言葉だけでなくアートを通して考える

―ワークショップにはアーティストやデザイナーの方も参加したんですよね?

石塚 そうなんです。このプロジェクトの集大成として2023年3月18日〜23日に「産まみ(む)めも」展を開催する予定です。

この展示会に向けて、アーティストやデザイナーの方々にもひとりの参加者としてワークショップに参加してもらいました。他の参加者との対話のなかで得たインスピレーションで作品を作ってもらうつもりです。

私は、まず、ワークショップにデザイナーやアーティストが一参加者として入ってくれたことが、今回の肝だと思っています。

“もやもや”や課題に対して、ただ一つの作品を提案してもらいたかったわけではありません。プロジェクトやワークを通して、いろいろな立場の人たちと話しをする中で、意見や考えが動いていく。

そしてアーティストの目を通して可能性を見出してもらい、展示に訪れた人に伝搬するような制作物を生み出してもらう。

実際にアートやデザインを仕事にしている方々にも作品を作ってもらうことで、より多くの人たちにインパクトを与えられると思っています。

ワークショップには、デザイナーやアーティストも参加

 

―「産む」について対話をするだけでなく、表現をもう一つのプロジェクトの軸にしたのは面白いですね。

富樫 そうですね。自分の中の“もやもや”を表現するために、しっかり内省して言葉にすることも大切です。でも、言語化以外の表現方法もあるはずなんです。

そもそも、自分が考えていることがはっきりと認識できているということはないという前提に立っています。だからこそ重要な、他者との対話において、あるいは自分自身に語りかける媒体として、アートや表現をプロセスに入れています。

例えば、「産む」についてみんなで話し合った後に、今度は手を動かしながら粘土などで何か作品を作ってもらう。そうすることで、それまで、自分でも気づかなかった気持ちを、アートとして外在化することができるかもしれない。

さらに作品について他の人から自分では考えもしなかった視点の質問をもらえば、新しい解釈が見えることもあるかもしれない。そんなふうにアート作品を作ることが、また新たな対話や意見交換にもつながっていき、より広がりが生まれると思ったんです。

石塚 例えば、公募での参加者の中に、不妊治療中の方がいらっしゃったんです。赤ちゃんを授からず、ずっと悩んでいたという彼女が、「粘土を使って“もやもや”を表現しよう」というワークで、粘土のピザを作っていました。

彼女は作っているときはあまり意図せずに、ピザの上にさまざまな具材を乗せていったのですが、出来上がった時に、このピザの具材が自身にとっての人生の選択肢と重なって見えたと言っていました。

シーフードもお肉も乗ったミックス味のピザを切りわけたら、いろんなピースに色々な具材が乗っていますよね。一つ選んだピースにどんな具材が乗っていたとしても、どの具(選択肢)も美味しくて良いものじゃないですか。

どんな選択肢も正解だって。子どもを持つ人生も、そうじゃない人生もどちらも良いものだと、腑に落ちて捉えることができた、とおっしゃったんです。

―無意識のうちに手を動かす中で、新たな気づきがあったんですね。

川地 やっぱり、言語だけで表現するのには限界があると思っています。もちろん対話は大切ですが、同時に、言葉からこぼれ落ちるものも大切にしたい。

「産む」や「死」ということは、非常に公共的なテーマですが、とても繊細で、語りづらいところもあります。

だからこそデザイナーやアーティストが関わってくれて、対話を通して感じたことを、最終的にアート作品や展示物に昇華してくれることで、その作品を見た人の感覚に何かしら、いい意味での「棘」を刺すことができたら、という思いがあります。

粘土を使って“もやもや”を表現するワークで、参加者がつくった「さまざまな具材が乗ったピザ」

 


「もやもや」を吐き出し、振り返る。その過程で気づいた自分たちの変化とは

  パートナーと向き合った「産むリスク」のこと

―数ヶ月に渡り、プロジェクトを企画運営してきた皆さんですが、当初持っていた「産む」についてのご自身の感覚や考えには、何か変化はありましたか?

川地 演劇ワークショップの時間に、出生前診断をするシーンを演じる、という問いを立てたんですね。

実は、以前は僕は、出生前診断をすること自体に懐疑的だったんです。生まれてくる子に障がいがあったとしても、それで子どもが不幸になるとは限らないじゃないか、だったら診断を受けない方がいいんじゃないか、と。

でも実際自分のパートナーと話し合ってみたら、彼女は、まったく違う考えを持っていました。「出生前診断はしたいし、もし赤ちゃんに障がいがあることがわかったら、堕ろすことも検討すると思う」という考えで、僕としては、正直とても驚きました。

ただ、実際に出生前診断をした方々の話を聞く中で、単純に、どちらかの選択が「良い・悪い」で片付けられることではないと気づくことができたんですね。

ワークショップの中でも、障がいのあるなしにかかわらず、産むという行為は、少なからず親の一方向的な暴力性も含まれているんじゃないかという議論が出ていました。

一方で、特別養子縁組をされた当事者の方が、自分は迎えた子どもに対して、「実際に産んだ子ではないんだよ」という関係性を定期的に伝えているという話をされていたことも印象的でした。

定期的に伝えることで、わざと絆を一回壊して絆を積み上げ直す。そうやって親になっていくという話をされていたんです。

そうした話を、色々聞いていく中で、やはり「親になる」ということは、すごく大きな責任を引き受けることなのだと実感しました。義務的な責任感からではなく、自身から前のめりに引き受けにいくという責任があるんだと感じられたんです。

それらを踏まえると、出生前診断自体にしても、僕自身は現時点でも懐疑的だけど、まず深く考えて、知ることは大切かもしれない、とも思いました。

僕自身が、子どもが障がいを持っていたら、どうするかという結論は、今は出せていませんが、彼女が出生前診断をするかどうかも含めて、一緒に調べたり考えたりして引き受けていく時間が作れたらいいなと思っています。

僕たちにできることは、本当にそういう状況になった時に、とにかく考えて話し合っていくことだと思うんです。自分たちの前に難しい選択肢が来ても、そこから一緒に調べたり考えたりしながら、親としてのあり方を一緒に考えていく時間にできたら、と思うようになりましたね。

「産む」の当たり前を再想像する演劇ツールキット「うmagination」を使ったワークの様子

 

富樫 僕と妻も、そのワークショップのテストを兼ねて、「出生前診断を受けて、堕胎する決断をする」という演技をしました。

僕らはその後、二人ともすごく悲しい気持ちになって……。妻は障がいがある人に関わる仕事をしていることもあって、「堕ろす」ということを演技でも選んだことが悲しい、と言っていました。

僕は僕で、「障がい」って一体なんだろう? 「普通」ってなんだろう?というような新たな問いが出てきたんですよね。

二人で出生前診断に関する意思決定をすることばかりに関心が向いていたけど、対話を続けていくうちに、自分の問いが「障がいとは何か」、そもそも「親が子どもを受け入れるとは何か」ということへ移り変わっていった過程に、演じてみることによる自身の変化を感じました。

石塚 私は女性として、子どもを産み育てることに対して、自分の体やキャリアを犠牲にしなくてはいけないという被害者意識がずっとありました。

でも、今回プロジェクトを通して皆さんの意見を聞き、自身のパートナーとも話し合うことで、妊娠・出産は女性である私が担うとしても、子どもを育てることはお互いに協力しあってできるのではないか、ということがパートナーとわたしとの関係性のなかで改めて見えてきて、少しホッとしました。

 

  「産む」から発展したさまざまなテーマを追求したい

―プロジェクトのテーマである「産む」を個人レベルで考え、パートナーと対話することで3人の中にも変化があったんですね。今後、「公共とデザイン」ではどのようなプロジェクトを展開されるのですか?

石塚 今回は、「産む」がテーマでしたが、今後も他のカテゴリーにおいて、社会の課題につながるさまざまな“もやもや”を取り上げていきたいと思っています。

実は、ひとつひとつの”もやもや”って、つながっている部分もあると思うんです。個々人のもつもやもやからスタートして、それぞれの課題が繋がって広がっていった時に、より大きな社会課題について、みんなで語る場も作っていけたらと思っています。

富樫 今回、パートナーと「産む」について問い直したことで、逆に自分たちに根付いているそれぞれの「生殖物語」の強固さが明るみに出てきたことが興味深いことでした。そこには、自分たちが育った環境にも影響を受けている。そこを問い直すことは続けていきたいな、と思っています。

同時に、対話によって悩んだり関係が変わったりしても、”もやもや”を表現し、語り合える生き方が望ましいということがはっきりしました。

改めて、話し合い、表現やプロジェクトにつなげていくことで社会制度やシステムに影響を与えていけると思っています。

ただまだその方法論、特に政策や仕組みに落とし込んでいくところは解像度が高くありません。今後はもっと、社会課題やシステムと、個人の”もやもや”が重なり合うところから生まれる変化について、企業や自治体の方々などとも一緒に考えていきたいです。

川地 やっぱり今回の「産む」というテーマは、実際にやってみて非常に公共的な課題だと再認識しました。

産むという選択肢を取らない人にとっても、子どもがいなければ未来は回らない。だからテーマ自体は公共性がとても高く、万人に関わりうるものですよね。

家制度や、死後のお墓どうする?といった話にも繋がる。こういうプログラムでやったような対話が、日常化していくような展開を見出していきたいなと思います。お茶を飲みながら、こういう深い話ができるような社会を目指して行きたいです。

 

(取材・文/玉居子泰子、写真/本人提供、編集/青木 佑)


個人の”もやもや”と社会課題が繋がるところはどこかを考え、テーマとして「産む」にまつわることを取り上げた「公共とデザイン」プロジェクト。参加者だけでなく主催者の3人がそれぞれ当事者として「産む」ことへの課題に気づき、語らう過程は、非常に興味深いものがありました。

「産む」というテーマが個人の「語りづらいもやもや」にとどまらず、川地さんが言ったように友人やパートナーと当たり前に語らい合える場が増えていくことーー小さな公共の場から、異なる立場の人と意見を交わし、受け入れられる対話の土台が、今後増えていけばいいなと願っています。


\お知らせ/
一般社団法人公共とデザイン主催、「産む」をめぐる価値観や選択肢を問い直すプロジェクトから生まれたアートイベントが開催されます。

「産まみ(む)めも」展
会期 2023年3月18日-23日 12:00-20:00
会場 oz studio 渋谷東
詳細 publicanddesign.studio/umamimumemo


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