松本藤子さん・岡本尚之さんご夫婦が、UMUのインタビューに登場してくださったのは2016年のこと。
当時お二人はすでに6年にわたって不妊治療を経験されており、その間、子宮外妊娠、遺伝子検査、着床前診断などさまざまな出来事に直面されてきました。タイムリミットを意識しながらも、精一杯不妊治療に向き合っていたお二人。
あれから7年が経ち、今お二人はどのようにお過ごしなのでしょうか。2016年のインタビューの「その後」について語っていただきました。
2016年のインタビュー記事
「一番大切な人の気持ちに気づかなかった後悔。 「彼の子を授かる」願いをかなえるために、精いっぱい、やり尽す。<前編><後編>」
松本 藤子 / Fujiko Matsumoto(妻) 1970年生まれ。武蔵野音楽大学音楽学部有鍵楽器ピアノ専攻卒業後、ミュージックカレッジメーザー・ハウスコンピューターミュージック&キーボード科、メーザーボーカルハウスでクラシック音楽以外を学ぶ。バンド活動、音楽制作、幼児音楽教育などに携わり、現在はボイストレーナー、カスタマーサポート、Webエンジニアなどに従事する。
岡本 尚之 / Naoyuki Okamoto(夫) 1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、ミュージックカレッジメーザー・ハウスエレクトリックベース科に入る。バンド活動後、夫婦で音楽ユニット「じゃじゃと十八(じゅっぱち)」として活動。現在は受験教育に携わっている。
不妊治療を振り返って
子どもへの想いは、簡単には切り替わらない
藤子 前回、UMUのインタビューを受けたのが46歳。そこから1年ほど不妊治療を続けて、結局、治療を終わりにしました。最後のほうは生理が途切れ途切れになっていて、確実にタイムリミットが近づいていることは分っていたんです。
不妊治療については、毎年4月から翌年の3月までで一区切りという感覚で動いていました。だから、1月か2月ごろに受診をして、次の生理が来るのを待ったら4月を超えてしまうとなったとき、「今回で終わりにしよう」とはっきり思った記憶があります。
夫にも「私たち、次は病院に行かなくていいよね」と確認したはずです。
岡本 うん。当時、「あと1年続けよう」といった話を具体的にしたわけじゃなくて、もう生理が来なくなったらどうしようもないから、少しずつ方向をシフトさせていったという感じで。
現実的に難しいという事実を突き付けられていくなかで、徐々に徐々に子どもを諦めざるを得ないんだなと思うようになりました。
―不妊治療を終えることに対する、当時のお気持ちをもう少しお聞かせいただけますか。
岡本 僕は家庭教師の仕事もしているんですが、普段から子どもをみていると、やっぱり子どもっていいなって思うし、実際の育児はとても大変なのでしょうが、それでも子育てをしている人を羨ましいなと思う気持ちが今もすごくあるんです。
ただ、もう本当にしょうがないんだな、どうにもならないんだなって。それに尽きるかな。
だから不妊治療に関しては、気持ちを切り替えたっていう感覚があまりないんです。切り替えられないというか。すごく強い思いがあったものって、そう簡単に切り替わらないというか。子どもへの思いはたぶん、ずっと抱えて生きていくんだろうなって思います。
「人生あと10年」と、ふと考えた
藤子 唐突に聞こえるかもしれませんが、私は子どもがいない人生を生きることになるんだと思った次の瞬間、「私の人生、あと10年なんだな」と、ふと思ったんです。
かたやお子さんがいる方の人生は、ずっと続くような気がして。子どもが幼稚園や小学校に入った、高校生になった、彼氏彼女を連れてきた、孫を連れて来た。そんなふうに子どもの成長を見届けるなかで60、70、80、90歳と人生が続いていく。
でも、私はあと10年で社会的な生活が終わるのかもしれないなと。
こんな話をすると、マイナス思考と思われるかもですが、実際には私の中でプラスもマイナスもないんです。
人って無限に何かを考えているとおかしくなりそうなんで、たぶん人生の終わりを考えるというよりは、先を見据えることで、逆に私のなかで精神的に安定するものがあったんだと思います。
あと、一般的に男性より女性のほうが長生きしますよね。「あと10年」と思ったとき、ここ一軒家なんですが、死ぬときはこの白い天井を見上げて、一人で目を閉じて終わるんだなとも思って。
そんな中で、治療を終えたあと何をしようと考えたとき、これまで二人でやってきた音楽活動を再開させるというイメージはどうしても湧きませんでした。
7年間の不妊治療によってキャリアを中断してきた部分もあり、それからは個人として、昔やっていたクラシックピアノに没頭するようになったんです。それこそ20年ぐらいブランクがあったんだけど、もう頭で考えられないぐらいクラシックピアノを頑張っちゃった。
まるで、不妊治療からクラシックピアノへと、カメラのレンズの向きがスーッと切り替わって視野を転換させるような、そんな感覚でしたね。
不妊治療を卒業し、一番辛かったことは
不妊治療を終えたタイミングで、コロナ禍に
―前回のインタビューで、藤子さんは、「不妊治療の終焉を迎えるとき、号泣して謝らないと、次に進めないと思う」とおっしゃっていました。実際そうされたのでしょうか?
藤子 泣いて謝ることはしませんでした。「あ、そういえばしなかったな」って後で思いました。というのも、現実ではどんどんどんどん大変なことが起きて、感慨深くそこに立ち止まっている暇が、正直なかったんです。
治療を終え、クラシックピアノを必死に頑張っていたところへ、突如コロナ禍がやってきた。2020年の4月から5月にかけて初めて緊急事態宣言が出た直後ぐらいでしょうか、私がアルバイトをしていた会社はすぐにリモートに切り替わったんです。
ただでさえ弾丸でしゃべる私が、コミュニケーションは全部パソコンを使って文字で打ち込まなくてはならなくなって。ピアノの練習に加え文字打ちにと手に負担がかかり続けたことで、ついに手首と肘の靱帯が切れてしまったんです。
不妊治療を終えたらコロナ禍になって、リモートワークになって、靱帯が切れて。心がどうこう感じているという暇もないほど、大変な6年間だったんです。
夫が心から笑うことがなくなるのでは
―そうだったのですね。コロナという予想もしない事態が襲来し、まずは実生活をどうしていくか、みんなが必死でしたよね。
藤子 うん。だから泣く余裕もなかったんだけど、でもね、やっぱり治療を終えるとなったとき、いろんなことをザーッと改めて思い返して、それで思ったことはあるんです。
夫って、付き合い始めたときから、屈託なく笑う人なんですね。いつもニコニコしているというわけじゃないんだけど、若いときの写真を見返しても、とにかくよく笑っているんです。
だけど、「私の人生には子どもがいない、それでこの人にも子どもがいない」と思ったとき、「あ、この人がこれから本当に心の底から笑うことはなくなるんだ」って思ってしまって。これが自分にとっては、一番辛くて、一番泣いてしまうことでした。
それで、そのことを友達に話したんです。前回の記事で私が子宮外妊娠をしたことに触れていただきましたが、そのときにお見舞いに来てくれた友達です。
彼女に、「もしかしたら、尚之さんが、これから本当の意味で心の底から笑うことがなくなるかもしれない」って伝えたんです。そしたら、「心から笑うことがなくなるなんて、きっとそんなことはないよ」ってメッセージを返してくれて。
昔からなんとなく、その友達と夫って、物事の捉え方や考え方が似ているなと思っていたんです。だから彼女がそう返してくれたことは、ちょっと救いになりました。
―そのようなことがあったのですね。改めてこの話を藤子さんから聞いて、岡本さんはどうお感じでしょう?
岡本 何だろう。本来、僕は先のことを考えるタイプの人間ではあるんだけど、恐らく、子どもを持たないことに関しては、先をあまり考えていない感じがあって。
今後、僕が心の底から笑うかどうかっていうのは、今は分からないことだし。うん。僕はそこはあまり考えていなかったというか…今でも考えていないんだけど。
本当になるようになる、そんな感覚かな。もうなすがまま。そこはもう、本当に仕方がないという感じで来ているところはあるかな。
でもだからといって、今回、もう一度このインタビューを受けることに対して、躊躇があるかと言われると、それはなくて。この7年の間、世間の不妊治療への理解も進みましたし、保険診療になったことで、経済的にも治療に踏み出しやすくなったと思うんですね。
そうしたなかで、こうした機会を通して、今、治療をするかどうか迷っている人に、「少しでも早いほうがいいよ」と背中を軽くでも押すようなことができたらいいなとは思っているんです。
目の前の治療中の人に優しくできる
―「治療を迷っている人の背中を押せたら」というお気持ちがあるということは、不妊治療に対して、必ずしもネガティブな思いだけではないということでしょうか。もしお二人が不妊治療経験により感じた心境変化があったとすれば、それはどんなことでしょう?
藤子 そうですね、不妊治療をしている若い人たちに、優しく接することができるようになった自分がいます。
このUMUを主宰されている西部沙緒里さんもまさにそうですが、今、不妊治療を経験された多くの方々が、不妊治療を通して感じたことを社会に還元しようと、ものすごく頑張って活動されていますよね。
私にはそこまでの行動力はないけども、でも目の前で頑張っている治療中の方に対しては、心から応援したいと思うようになりました。
ある時、何かのきっかけで、一緒に働いている女性が、実は不妊治療をしていたことを知ったんですね。それで「私も治療していたんだよ」と、前回のUMUのインタビュー記事を送ったら、電車のなかで読んで号泣したようで、連絡をくれて。「松本さんすごい、もうなんか、手術で入院したところなんか、もう…」って。
その子の治療過程は細かくは聞かなかったけど、聞かなくても、たとえば排卵誘発剤の影響で具合が悪そうにしているのとか、なんとなく分かるじゃないですか。
そんなときは「大丈夫だよ。いつでもシフト変わるから言ってね」と、優しくサポートをすることができた。社会全体には還元できていないかもしれないけど、隣にいるこの子のためには動くことができた。
自己満足かもしれませんが、目の前にいる一人の人に対して、ちょっとは自分の経験が役に立てたかなって思います。
岡本 僕も似たようなことなんだけど…。意外に、周りに不妊治療をされている方っていらっしゃるんですよね。やっぱり治療はしんどいことなので、その辛さは共感できるというか。
今はもう大丈夫なのですが、不妊治療をしていたころ、僕が潰瘍性大腸炎になってしまったんです。結局は不妊治療のストレスが一番影響したんだろうなと今になって想像するんですが、当時はそんな自覚もなくて。
それだけ治療中は女性も男性もしんどいんですよね。そのしんどさを抱えながら、治療をしていかなくてはならない。
そこに共感できるからこそ、言葉にはあまりしないんだけど、「うん」って寄り添う感じで、治療中の方には接するようにしています。それによって、少しでも気持ちが前向きになってもらえたらいいなと思うんです。
10代、20代の自分たちに伝えたいこと
治療をしないことには気づけなかった
―改めて不妊治療をされていた当時を振り返ってみて、今だから感じることはありますか?
藤子 もっと早く治療を始めればよかったという気持ちがないわけではないんだけど、そこはそんなに後悔していないんですね。
もちろん、子どもを授かりたくて、不妊治療を迷っている人が目の前にいたら、「治療は早いほうがいいよ」って、言うと思うんです。でも、だからといって、自分がそこまで後悔に苛まれているかというと、そうではないかな。
岡本 そこらへんの感覚は似ているかな。結局、うちらは不妊治療を自分たちのタイミングからやってみることでしか、リミットに気づけなかった。多分、どうやっても気づけなかったと思うんです。多分、どうにもならなかった。
だからこそ、今治療を検討している人には、「迷っている暇なんてないよ。本当に早いにこしたことはないよ」ということが伝わっていけばいいなと。
―当時の自分たちに言葉をかけられるとしたら、どんな言葉をかけますか?
岡本 何だろう。今必死な人、頑張っている人に、かける言葉なんてないのかな。多分、それがたとえいい言葉だったとしても、それを受け入れたり、気づくのって、その時じゃないかもしれないし。だからそっと見守るしかないのかな。
藤子 「当時の自分たちをそっと見守る」か。なんかきれいだね(笑)。
岡本 何か言ったところで、伝えたところで、多分そのときは分からないというか。
藤子 当時の自分にね。確かに、何か言えることがあるかというと、全く言えることがなさそうな気がする。もうちょっといい話ができたらいいんだけど(笑)。
岡本 当時じゃなくて、10代、20代の自分には言いたいことがあるかな。
藤子 そうそうそう!10代、20代の自分にね。
岡本 子どもが欲しいんだったらタイムリミットがあるから、若いときからちゃんと考えておかないと、取り返しがつかないよと。
藤子 取り返しがつかないって(笑)。確かに、取り返しつかなかったもんね。
岡本 だからこそね、より若いうちに、子どもを授かるしくみに対するもっと踏み込んだ教育が、社会的にもっと必要なんじゃないかって、強く思っています。
自分のことをよく知って、身の振り方を考えて
藤子 私が10代、20代の自分にもし何か言うとしたら、なんだろう。もうね、ざっくりになるけど、「よく考えて人生歩んでね」ってこと。
「よく考えて」ってというのは、自分の性質というか、何が自分の良さだったり、どこに弱点があるのかとか。そんなことをよくよく知って生きていってほしいな。
たとえば私の場合は、不妊治療中に遺伝子検査を受けたところ、私のほうに染色体異常があることが分かったんですね。これがもし10代や20代で染色体異常がわかっていたら、もうちょっと焦って不妊治療をしていたと思うんです。
確かに1980年代や90年代に染色体異常を調べる検査がすぐにできたかといえば、そうでないかもしれませんが、私の場合は母親に不育の傾向があったんだから、自分も早く検査して情報を得ておけば、また違った身の振り方ができたかもしれないですよね。
結局、私の場合、40歳から不妊治療を始めたので、妊娠しない原因が年齢による卵子の老化なのか、もともと持っていた染色体異常が原因なのかが分からなかったから。
だから、妊娠に限らずですね、すべてにおいて、「ちゃんと若いうちから情報を得て、考えて生きていってね。その上で身の振り方を考えてね」と。これを天の声で当時の自分に言ってあげたいですね。
今の二人が伝えたいこと
心と体の両方をケアして
―不妊治療をこの先、どこまで続けるかどうか悩まれている方々に、お二人から伝えたいことはありますか?
岡本 そうですね。たとえば不妊治療をいつまで続けるか、ということについては、予め二人で決めている方もいらっしゃるだろうし、うちのように、生理が来なくなって、現実的に終えざるを得ないというケースもあるでしょう。どちらが正解というのもないように感じていて。
ただ一つ言えるのは、やっぱり不妊治療のことを話せる人がいたり、話せる場があって、そこにふと参加できたりするといいのかなと。それがきっかけで、その先の一歩を踏み出せることがあると思うので。
藤子 それはすごく思います。治療を止めるのって難しいよね。うちらは、たぶん、不妊治療にトータルで1,200万円ぐらいかかっているの。
当時は保険適用になる数年前で、福岡まで治療に行っていたこともあって、飛行機代まで含めると多分それぐらいかかってるのね。もちろん、東京都や居住地の自治体の助成金は全て申請して、いただけるものはいただいているのだけど。
それぐらい突き進んだ自分たちからすれば、若い女性で、生理もあって、卵も採れるのに治療をやめる方に対しては、「そこでやめちゃうんだ!?」という気持ちが正直どこかにあるのね。
でも、これはあくまでも私たち夫婦の考え。私たちはどっちかというと、気持ちを置いて、前に突き進んでいけちゃうところがあるので。
だから突き進めるんだったら突き進めばいいと思うし、3回で終えようと考えるなら、それで終えるのもいいと思います。そこで大事なのが、先ほどの話とも重なりますが、予め自分たちの体質や夫婦の志向を見極めて、方向性をちゃんと決めておくことなのかな。
でも、不妊治療って自己完結できないですよね。一人じゃなくて夫婦の問題なのはもちろん、もっといえば姑さんはじめ他の家族の想いが絡んでくることがあるから、本当に複雑。
二人だけで決めていくのは難しかったりもするので、だからこそ、夫が言ったように、話ができる人がいたり、場があったりするとすごくいいと思うんです。
私は治療の終盤になって、また一人とてもいい友人ができたんですね。感情に絡め取られずに話を聞いてくれて、建設的にアドバイスしてくれる方で、治療のことだけでなく、コロナ禍で大変なときにも本当にいろんなことを相談できた。話を聞いてもらうことで霧が晴れることもあって、そんな友だちの存在が、すごく大きかった。
だから、友達でもいいし、メンタルをケアしてくれるコミュニティに参加したり、カウンセラーさんに頼ったりするのでもいいと思います。
やっぱり人は一人じゃ生きていけないので、治療中の率直な気持ちや、辛いことを話せる場があると、すごく救いになると思います。
岡本 うん。やっぱり、不妊治療中って、気持ちと体が一致しないことが多々あるっていうか…、ほとんどそうじゃないかな。不妊治療中の方は、身体だけじゃなくて、メンタルのケアもどっちも大切なんだと思うんです。どっちかだけではダメなんじゃないかな。
当時を語ることができるのは、今を精一杯生きてるから
―不妊治療に真正面から向き合ったお二人だからこそ伝えられることですね。この記事が、今不妊治療をされている方々にとって、自分を見つめ直したり、労わったりするきっかけになればと思います。
最後に一つだけ。前段で藤子さんが、「人生あと10年。最後は一人で死ぬことになるかも」とおっしゃいました。岡本さんはそれを聞いてどのように感じられましたか?
岡本 いや、それはそうなってみないと分かんないかな(笑)。もしかしたら藤子が先かもしれないし、自分のほうが先かもしれないし。その時はその時で。
でもやっぱり、子どもがいないので、二人とも死んだあとに、この家どうなっちゃうんだろうとか、お墓はどうするんだろうか、そんなことは考えてしまいますよね(笑)。
藤子 そうそう。最近の喧嘩の理由が、「この家の大量のものをどうすんだよ!」という(笑)。子どもがいない夫婦っていうのは、子どもがいないことが気持ち的にどうこうというより、自分の老後とか、死んだあとの問題が現実的にのしかかってくるので、悩みもその手のものばかりになりがちですよね。
このインタビューも、いい感じできれいな締めの言葉で終わりたいという気持ちもあるんだけど、現実は「きれいに終結しました」、なんていかないですよ(笑)。次は親の介護どうするのよとか、現実的な課題がどんどん迫ってきちゃって。
完全に子どもへの想いが吹っ切れたとは言いません。たとえば、若い子が結婚してすぐに妊娠して職場に戻ってきたりすると、どこかで思いますよ。「若いとこうやってすぐに妊娠して、また職場に戻ってこれるんだ」って。
そこでほんのちょっとチクッとするところは正直あります。何も心に引っかからないとは言いません。それで、あ、私もロボットじゃなくて、人間の心が残っていたんだなと再確認すると(笑)。
でもね、今こうして、「不妊治療、大変だったわよ」とか、「1,200万円もかかったわよ」とか、なんでもかんでもケロッとお話しすることができるのは、今を精一杯生きているからでもあるんですよね。
なんだかんだ言って、私たちは目の前の現実を、けっこう一生懸命生きちゃってるんですよね。
取材・文 / 内田朋子、写真 / 本人提供、編集 / 青木佑
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