デジタルで不妊治療体験を塗り替え「選択肢を広げる」起業家の挑戦〜ninpath神田大輔さん×ARCH中井友紀子さん〜<前編>

不妊治療や生殖にまつわる課題解決に取り組む【スタートアップ経営者対談】の第二弾。

子どもを望む一人ひとりの道しるべになるアプリ「ninpath(ニンパス)」を提供する株式会社ninpathの神田大輔さんと、不妊治療専門クリニック「torch clinic(トーチクリニック)」をプロデュースする株式会社ARCH(アーチ)の中井友紀子さんの対談をお届けします。

不妊治療や生殖の領域に、どんな課題意識を持って、解決のためにどんな挑戦をしているのか。<前編>では、事業内容と背景にある想いを掘り下げます。

【ゲスト】
神田大輔/Daiske Kanda
慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)ののち、スタートアップを経て、国内最大級の医師向け情報プラットフォームであるエムスリーにて新規事業開発や開業医支援に従事。
2020年3月に株式会社ninpathを創業し、アプリを活用した、不妊治療の意思決定支援やメンタルケアを展開。納得感のある治療の選択や生殖心理の専門家によるオンラインカウンセリングを提供する。

 

中井友紀子/Yukiko Nakai
2009年オプトに入社し、女性向けコンシューマ事業の立ち上げに従事。2013年にコミュニティファクトリーに入社し、その後Yahoo!へ転籍。2015年には同社子会社であるTRILLの代表取締役に就任し、TRILLを2,000万人規模の媒体に成長させた。2021年6月株式会社ARCHを創業。


不妊治療に取り組む人が人生の選択肢を手放さないように

  適切な意思決定をするために、選択肢を可視化する「ninpath」

ーはじめに神田さんから、不妊治療の領域で取り組んでいるテーマ、ninpathの事業内容について教えてください。

神田 はい。私たちninpathは、不妊治療をしている方たちに向けて、治療記録・管理ツールや自身と近い状況にある第三者の治療データを比較できる不妊治療サポートサービスを提供しています。

不妊治療における俯瞰的・客観的なデータに紐づく情報を届けることで、さまざまな選択肢を可視化し、最適な治療法が選択できることを目指しています。

2022年末に製薬会社のファリング・ファーマ社が、不妊の当事者を対象に行ったアンケートで、夫婦が子どもを持ちたいと決めてから、不妊治療を受けて妊娠するまでの期間は平均6.4年というデータを発表しました。

改めて衝撃的な数字なのですが、さらに細分化すると、病院を受診するまで3.2年、診断を受けてから不妊治療を始めるまで1.3年、治療の結果、妊娠にいたるまでも1.9年という時間がかかっている。

その過程において、その時々のタイミングでどんな選択肢があるのかを知らないために適切な意思決定ができず、決断すべきときが過ぎ去ってから“あのとき知っていたら”、“あのときこうしていれば”という後悔に溢れているように思います。

子どもを望む一人ひとりが後悔をしない社会をつくっていくためにも、私たちninpathは選択肢を可視化し、夫婦の意思決定をサポートします。アプリだけではなかなか適切な意思決定に結びつかないケースもあるので、オンラインカウンセリングも行っています。

ーSNSをはじめインターネット上にも不妊治療に関する情報は溢れているように思いますが、ninpathだから得られること、特徴はありますか?

神田 おっしゃる通りSNSでは、個人の経験、思いや悩みの共有、当事者同士の交流による「共感」は多くあります。私たちはあえて、コミュニティをつくらず、客観的なデータを蓄積した「事実」を機械的かつ統計的に伝えることに重きを置いています。

不妊治療にまつわる情報は玉石混交で、溢れる情報のほとんどには結果に至るまでの過程やその人の詳しい状況が記載されていないこともあって、本当に自分に合った選択肢を見つけづらい。

ninpathが生まれた背景には、そうした不妊治療にまつわる情報の現状を変えたいという想いもあります。

 

  デジタルの力でクリニック体験を刷新し、人生の選択肢を増やす「ARCH」

ー中井さんが代表取締役を務める株式会社ARCHは、2022年5月に開業した不妊治療専門クリニック「torch clinic」をプロデュースされました。ARCHの事業内容と背景にある想いを教えていただけますか?

中井 torch clinicは、「先の見えないトンネルを歩いているよう」と形容される不妊治療を行う方の道を照らす「松明(torch)」のような存在でありたいと、患者さんが治療だけでなく人生をデザインし、望むゴールに辿り着く合理的な道のりを提案し伴走するクリニックです。

torch clinicをプロデュースする私たちARCHのミッションは、「人生の選択肢を増やす」こと。

患者さんが将来子どもを望むのなら、最短ルートでそこに向かう道を提案することにこだわりますが、必ずしも子どもを授かることだけがゴールではないと我々は考えています。

一番重要なのは、患者さんご自身がライフプラン・キャリアプランを考え、自分の人生をデザイン設計し決められるようにするための適切なサポートだと思っております。

そのために私たちは、医療×デジタルを駆使して新しい診療体験をつくり、架け橋になる。

「少子化対策」としてもインパクトを出せるよう、できるだけ多くの医院との連携や、生殖医療領域だけでなく周辺領域を横断して、医療機関ごとに分断される体験をつなぎ“アーチをかける”婦人科・不妊治療のデジタルプラットフォームを目指しています。

実際に、私たちが提供しているのは、医療機関内システムと専用患者受診サポートアプリです。患者さんがアプリを通して不妊治療のプロセスを管理したり、結果を記録できるようにする。

加えて、不妊治療中のみならず、長い時間軸で移り変わる悩みに寄り添っていける「かかりつけ院」になる。そのために、独自の電子カルテを作成し、院内システムを刷新・アップデートしていきます。

ーアプリを活用することで、忙しく働きながら不妊治療をする人も通いやすくなりそうです。ARCHがプロデュースするクリニックならではの特徴はどんなところにありますか?

中井 仕事をしながら受診できるようアプリを含むシステムで予約、問診、決済時などの待ち時間を1分でも減らせるように受診体験を設計し直しています。

他の不妊治療クリニックで2-3時間以上かかっていた患者さんは、その経験と比較して待ち時間が少ないと驚かれます。

同時に院内オペレーションを工夫し、院内処方、必要な検査のみ行う、土日祝夜間営業、男性利用者も歓迎していることで、仕事を持つ、比較的若い年齢層の男女ともに足を運んでいただきやすくなっています。

さらに、クリニックでは医師のロジカルでわかりやすい説明や、医療機関スタッフの丁寧な説明・声かけなどの温かい雰囲気も大切にし、デジタルで刷新することだけを目的にしていないのが特徴です。

 


人生をかけて、不妊治療領域の課題解決に取り組む理由

  知らなかったことで選択できないことがある。子どもたちの未来を変えたい

ー「自身の不妊治療の体験から」という話がありましたが、中井さんが事業を立ち上げる背景にはどんな原体験があったのでしょう?

中井 私はもともとインターネットの代理店で昼夜問わず働き、社内事業を立ち上げ早々に失敗体験もして、以来事業づくりを軸にキャリアを歩んできました。

転職したアプリ開発を行う事業会社がYahoo!に買収されたため移籍し、もともとあったYahoo!のサービスを時代に合わせて刷新するかたちで女性向けメディア「TRILL」を立ち上げました。

20代のうちに月間のアクティブユーザー2,000万人規模の媒体に成長させ、子会社の代表取締役やYahoo!本体の本部長職も務めました。

そんな中、第一子を出産し、子育てをしながら働くことにつまずきます。子どもに乳児喘息やアレルギーがあって、風邪を引くたび入院バッグを持って病院に駆け込むこともしばしば。

仕事復帰も育児も思うようにならない中、30歳を過ぎて第二子がほしいと思ってもなかなか授からない。そこでようやく不妊治療専門クリニックを受診して、自分が多嚢胞生卵巣症候群(PCOS)であることに気づくんですね。

長い間自分の生理と付き合ってきたのに、自分の身体のことを全然知らなかったんだと思い知りました。知らなかったことだけでなく、失った時間を取り戻せないことがすごくつらくて。

それはもうショックで、女性向けメディアで私は多くの方にこれまで何を届けてきたんだろうとその本質的な提供価値を改めて考え、大変後悔しました。

妊娠の仕組みや、不妊治療、出産とキャリア、働きながらの育児の大変さなど、何一つ届く形で知るべきことを届けていなかったのではないか、と。

その後、不妊治療は難航しまして、2年半の間に莫大なお金をかけて3つのクリニックに通うんですが、PCOSの影響でなかなかいい卵が取れなくて。1ヶ月に70万円をかけて治療をしても一つも卵が採取できない。時間は不可逆でもう取り戻せないものなんだ、自分が悪いんだと治療をする度に落ち込みました。

インターネットで検索してあらゆる情報を得てお守りのような科学的根拠のないものもすべて試したのですが、それでも授からない。医院の待ち時間も長く、通院に困難が生じました。

クリニックの受診でも、適切な知識や知見が得られないなど、医療提供者と患者との間には埋められない情報の非対称性がありました。そのせいで生じる悪循環があまりにつらくて、誰かが行動を起こさないと未来はこのまま変わらないのではないかと思うようになりました。

医療と情報が分断されていては、医療は医療、情報は情報、テクノロジーはテクノロジーと個別に最適化されていくだけなので、それぞれをつなぎ抜本的な変革に取り組んでいきたい。

その想いで構想から3年かけて、ゼロから志をともにできるスーパードクターを探し、院内システムとアプリを開発するなど、torch clinic開院のプロデュースを必死に伴走してきました。

不妊治療の現状を変えていくことは、子どもたちの背負う未来を変えていくことにつながる。そのためであれば残りの人生をかけて取り組んでいきたいとはっきり思えたので、子どもたちにも「ママの挑戦」の意味を伝え、毎日ヘトヘトになりながらチャレンジしています。

ー並々ならぬ決意を感じます。不妊治療領域の課題解決に取り組むことは、中井さんの人生にとってどんな意味を持つのでしょう?

中井 不妊治療の末に第二子を授かって、腕の中に抱く子どもたちの未来のために、私は親として何を残してあげられるのだろうって考えたんです。

保育・教育をはじめいろんなテーマがある中で、私は、人生の選択にも関わる、婦人科・不妊治療周辺の課題を次の世代に残したままにしたくない、少しでも軽くしたい、と強く思いました。

生理との向き合い方や子宮頸がんワクチン接種など、私たち親世代が正しい知識を持って選択肢を揃えていかないと、子ども世代の選択肢が変わらないだろうと思うことがいくつもあります。

正しい情報を届け、医院の受診体験を向上し、アクセスしやすい婦人科・不妊治療クリニックとのタッチポイントを増やす。そして当事者の行動変容を促し、20年くらいのスパンで現状を変えていく。

それが、私が子どもたちの親として、キャリアを積み上げてきた社会人として、どちらの経験もレバレッジさせながら挑戦していることです。

ARCH創業者とtorch clinic院長

 

  不妊治療の現状を変えていくことは、日本の未来をつくっていくこと

ー神田さんも、ninpathの事業に取り組むきっかけや過程をバックグラウンドも含めお聞かせいただけますか。

神田 私はもともとエムスリーという医療従事者に向けた情報ポータルサイトを運営する会社にいまして、新規事業と開業医の方々のビジネスに携わってきました。

その中で、数千人の開業医とお会いしてヒアリングする機会があり、保険診療と自由診療の仕組みに大きな差があることを知って課題意識を持ちます。

それまでは、日本の医療は近くの病院に行って診断と薬を出してもらって、薬で治らなければ近くの大学病院で詳しい検査をして、というふうに、どこに住んでいても同じような質の医療を受けられると思っていましたが、保健医療と自由診療の仕組みが同じ国の同じ医療とは思えないぐらい違っていたことに気づきました。

お金の構造、先生のスタンス、情報伝達の仕方など医療における保険診療と自由診療のギャップを埋めたいと事業開発に取り組んでいたんですが、会社の中では実現できませんでした。

そんな中、6年ほどの不妊治療を経て当事者団体を立ち上げていた、現在はninpathの取締役である平岡美哉子と出会った。彼女に話を聞いて、国や自治体だけに任せるのではなく、不妊治療の現状を自分たちで変えていくしかないと、一緒にninpathを立ち上げました。

ー不妊治療にまつわる課題解決に取り組むことは、神田さんの人生にとってどんな意味を持ちますか?

神田 私は、不妊治療の現状を変えていくことは、日本の未来をつくっていくことにつながると考えています。不妊治療に苦しむ目の前にいる一人ひとりの患者さんをサポートしたいという想いはベースにありながら、その先には、よりよい日本の未来を思い描いています。

大学院で研究していた頃からずっと、日本の未来に心を傾けてきました。さまざまな社会課題と解決の手段がある中で、自分は不妊治療領域に取り組み、子どもを望む人が授かれる未来をつくっていきたいんです。

ninpath創業者の神田さんと平岡さん

 

(取材・文/徳 瑠里香、写真/本人提供、協力/中山 萌)


明確な意志とビジョンを持って事業に取り組み、目の前にいる人の不妊治療体験を塗り替えることに挑戦しながら、その先によりよい日本の未来を描く神田さんと中井さん。
続く<後編>では、保険適用化、日本の少子化、プレコンセプションケアなど、不妊治療と生殖をめぐるトピックについて、ふたりの見解をお聞きします。


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