今だから振り返れる、正直な気持ち。妊活中に病気で子宮を失った私が、葛藤の果てにアメリカで代理母出産を決意するまで。<後編>

アメリカのオレゴン州在住の陽子さんご夫婦は、5年前、アメリカで代理母出産を通してお子さんを授かりました。

誰かの意見で決めるのではなく、自分自身で納得する答えを出したいという想いのもと、子どもが産めない事実と、子どもが欲しいという気持ちに真正面から向き合ってきた陽子さん。

代理母出産のプロセスを改めて振り返り、陽子さんが今だからこそ伝えたいこととはー。

 

眞鍋 陽子/Yoko Manabe(写真右) 1976年生まれ、東京育ち。大学卒業後、4年半の会社勤めを経て2004年に渡米。西海岸を拠点とし、アメリカと日本のハザマでがむしゃら過ぎる30代を過ごす。
現在”日本人で良かった、私たちは本来ありのままで素晴らしい”をテーマにpodcast【にっぽんチャチャチャ】にて自身の学びと感動を発信中。


代理母出産、二度目の挑戦へ

 凍結した受精卵に命の存在を感じた

代理母出産の契約の準備を進めながらも、さまざまな理由により、一度目のトライは途中で断念されました。再び陽子さんを代理母出産に向かわせたきっかけは何だったのでしょう?

最初のきっかけは夫とのやりとりでした。凍結していた受精卵をどうするかという話になったとき、実は夫はまだ完全には諦めきれていない様子だったんですね。

それとちょうどこの時、受精卵の凍結保管期間が過ぎたということで、病院から別の保管専門の施設に移さねばならず、凍結受精卵が入った液体窒素のタンクを自分たちの手で移送しなくてはなりませんでした。

専用の輸送サービスに頼むという手段もあったのですが、私たちは自分たちで移送したいね、となって。タンクを載せた車を夫が運転し、私がグラグラしないよう車内で支え、夫と二人で移動させたんです。

その際、実際に自分の手で受精卵を運ぶことで、あくまで感覚的なものですが、命の存在を感じたように思えたんですね。

代理母出産に区切りをつけたつもりだったけれど、命の存在を感じさせる1つの受精卵前にして、納得いく形で終わらせたい、そう思うようになりました。

正直、心も体も疲れ切っていたし、代理母出産にまた向き合うのはしんどいなという気持ちもありました。でも、夫は完全には諦めてきれておらず、私もけじめをつけたいと思っている。それならもう一回だけ挑戦してみようとなって、次は夫が主導権を握ってエージェント探しをすることになりました。

 

受精卵の入ったタンクを移送した日

―それで2回目のトライが始まるわけですね。

はい。1回目は反省すべき点もありました。準備があまり整っておらず、とりわけ費用の問題が一番大きいものでした。

出産に至る過程のなかで代理母に万一何かあったとき、私たちの保険で十分なのか、私たちが用意する額で一人の女性の妊娠と出産にかかる費用をカバーできるのか。このあたりが判然とせず、不安でなかなか先に進めませんでした。

でもそのことは最低限クリアすべき項目であり、私たちの反省点としては、経済的に余裕がない状況で代理母出産に挑戦してはいけなかったということでした。

そのことがはっきりと分かったので、2回目はいろいろ助けを借りながら、しっかり費用を準備したうえで進めることにしました。

それと、2回目に挑むとき、自分で決めていたことがありました。この時点でもなお、自分の本心としては代理母出産を完全には受け入れていない状態でしたが、「仮に、自分にとって代理母出産という選択がどういう経験だったら、私は誰に何と言われようと受け入れられるのか?」ということを考えてみたんです。

それは、「私は子宮の病気と治療というプロセスを経て子宮を失い、自分では産めないけれど子どもが欲しい。そのためにチャレンジできることがあるならトライしてみたい。私が置かれている状況と想いを理解したうえで協力してくれる代理母やサポートしてくれる人たちに巡り合うことができ、そうしたさまざまな人たちの温かい思いの先に子どもを持てるのだとしたら、私は自分が代理母出産という選択をすることを受け入れられる」と。

反対に、それに沿わないなと少しでも感じることが起こるようであれば、その時点できっぱり辞めよう。そう夫婦で話し合い、再スタートしました。

 夫婦のプロフィールをみて、代理母がその内容に共感

―2回目の代理母出産へのトライは、陽子さんの夫が主導権をもって挑戦されたとのことですが、1回目との違いはありましたか?

1回目のときは、私の固定観念もあって、エージェントも代理母も実際に会えたほうがいいだろうと、物理的に距離の近い方を探していました。

でも私が1回目で傷ついた経緯があるので、夫は、何よりコミュニケーションをちゃんと取ってくれるところを最優先に、リストにあるエージェントをすべてチェックしていました。

そして、人間関係を大切にしてくれると感じられるエージェントを見つけ出してくれて、それが東海岸にある会社でした。

―代理母の方とはどのようにマッチングされたのでしょう?

マッチングの方法はエージェントによって異なり、例えばウェブサイト上に誰でも見られる形で、代理母を希望する方の写真付きのプロフィールを公開し、それを選択の判断材料にする会社もありますが、私たちが2回目にお願いしたエージェントは、プロフィールなどの情報は公開していませんでした。

まずはエージェントが指定する細かな質問リストに、私たち夫婦の回答を提出する必要がありました。例えば、保険や出産後の国籍についての希望などです。加えて、自分たちのプロフィールも作ります。私と夫の生い立ちから人となり、なぜ代理母出産を選択するのか。それこそプロポーズするぐらいの気持ちで、全身全霊をかけて書いて、写真をつけて提出しました。

それをもとにエージェントが代理母とのマッチングの提案をしてくれるという流れでした。

―陽子さんたちが代理母の方に望むことはありましたか?

マッチング前の質問リストの回答にも書きましたが、代理母の方に求めることとして、「できる限り価値観を共有できる方」とはお伝えしました。

ただ、代理母出産は、お金を介してであろうと相当なリスクがありながらも自分の体を提供してくださる行為です。見ず知らずの夫婦のために受けてくれるという意思を示してくれるなら、もうそれだけでありがたい、という心境でした。

そんな中で、最初にマッチングされた方が、私たちのプロフィールをとても気に入ってくださり、「ぜひやりたい」と意思表示をしてくださって、お互いに合意し、契約となりました。

代理母とアラスカにて


代理母とマッチングが成立。出産までと、子を迎えてから

 代理母となった女性との出会い

―代理母の方はどのような思いがあって引き受けてくださったのでしょうか?

自身の妊娠・出産を経験していた彼女が言っていたのは、彼女にとって妊娠や出産は辛いものではなくむしろ楽しいもので、それを通し誰かの夢を叶えてあげられることが自分の喜びだと、実際にとても前向きに感じている様子でした。

彼女と出会って、「こういう人って本当にいるんだな」と、初めて認識したというか、驚きました。

彼女とはとても気が合いました。マッチングが成立し、契約が進んでからは毎週オンラインで会話することがルールで、当初は何を話せばいいかなと思っていたものの、いざ話してみると最初から緊張するような感じがなく、まったく苦ではなくて。代理母出産に向けプロセスが進むにあたって、何も障害となるものがありませんでした。

―奇跡的な出会いだったわけですね。

そうですね。でも、ここはぜひお伝えしておきたいことなのですが、私たちのようにほとんどトラブルなくプロセスが進んだというのは、とてもレアなケースだったのではないかと思うんです。

代理母出産は、お金の話ひとつとっても、本当に細かな契約を結ばなくてはなりません。例えば代理母が妊娠中に安静にしなくてはならない事態になったら…という状態を想像すると、代理母が働いているのであれば、その期間のお給料を補償しなくてはなりませんし、ハウスキーピングや、代理母の子どものシッター代も必要になります。

その際、お互いの弁護士を介して細かいやり取りをしていくのですが、もしかしたら、「これじゃ足りない」と、費用をさらに求めてくる場合もあるかもしれませんよね。

お金の契約の部分は人間性がもっとも出る部分なので、やり取りしていくなかで、暗礁に乗り上げたり破談になったりするケースもきっとたくさんあるだろうなと思いました。

私たちの代理母の方は、竹を割ったような性格で、「ここはあまりお金がかからないように、こうしたらどうかな」と、むしろこちらに寄り添う提案をしてくれて、まるで私たちを本当の家族のように大事にしてくれる女性でした。

代理母が作ってくれたアルバム「私たちの代理母出産の旅」

 「こんなことが起きるんだ」と不思議な感覚に

ー紆余曲折を経て代理母出産を選択された陽子さんご夫婦ですが、結果的にご夫婦の受精卵が無事に着床し、順調に妊娠、出産を経てお子さんを授かることになります。まずは受精卵移植後、最初に妊娠判定を聞いたときはどんなお気持ちでしたか?

「やったー!」というよりは、「そうなんだ」という感じでした。子どもが持てるか持てないか分からない人生を長く生きてきたので、喜びというよりは、やっと進む道が決まったと、事実を受け止めていくことで精一杯でした。

リラックスしてその時を待つという状況ではまるでなく、妊娠中も医療費の支払いなど事務的な手続きは常にありますし、何より「彼女のサポートをしっかりやらなくては」「私たちの役割をきちんと果たさなきゃ」という気持ちのほうが大きかったと思います。

―過去の代理母出産では、代理母に赤ちゃんへの愛情が芽生えてしまい、手放さない事態が生じて問題となったケースもあります。その懸念は大丈夫でしたか?

これについては代理母のスクリーニングの段階で、専門家とのカウンセリングなどによってクリアになっているのが前提ですが、私もとても気になるところでしたので、プロセスが進むにつれ何回も彼女に聞いていました。

彼女は、その都度「この子はあなたたちの子なんだから、あなたたちに受け渡すところまでが私の使命」と言って安心させてくれていましたね。

IVF(体外受精)当日

―そうだったんですね。代理母の方が無事に出産を終え、生まれたお子さんを最初に陽子さんが抱っこしたときはどんなお気持ちでした?

不思議な感じでした。生まれてすぐに抱っこすることができたのですが、何て言うんでしょう、「本当にこういうことが起きるんだ」という感じですかね。

もしかしたら、自分のお腹で育てていないという点では、一般的にはお父さん側と同じ心境かもしれません。生まれてきてくれたことへの感謝の気持ちと、命の不思議さと。

自身の身体で子どもを産むということがどういう経験なのか、そのプロセスを経て感じる思いや気持ちは、正直なところ、私には絶対に感じることができない感覚だとも思いました。

このとき生まれた子どもは現在、5歳になりました。ママ友たちとよく、「お腹にいるときこうだったよ」とか、「生まれたときはこうだったんだよ」なんて、それぞれの妊娠・出産の経験について話題に上がることもあります。

そんなとき、私には一生かかってもできない経験というか、届かない領域だなと、それがいいとか悪いということではなく、シンプルに今も思いますね。

―それは、具体的にはどんな気持ちだったのでしょうか?

子宮を摘出する前まで、自分で産むこと以外は考えられなかったので、やっぱり最初の頃は、悲しかったり引け目に感じたりするような気持ちもあったと思います。でもこうしたことは、代理母出産を選択する時点でさんざん悩み抜いたことです。そのうえで決めたことなので、だいぶ前の段階のことではあります。

ただ、やっぱり9カ月の間、自分のお腹の中にいたのと、いなかったのでは違うのかなと思うことはあります。私の子どもは、物理的にその期間は代理母のお腹の中にいて、自分のお腹で育てるという時間は私にはなかったわけですし、栄養も代理母の体を通して届き、代理母が食べたものでお腹のなかで生きてきたわけですから。それは、やっぱりどこかで何かしら影響はあるのかなと漠然と思ったりはします。

でも、普段から夫とも「本当にありがたいことだね」と話していて、日常的に代理母の方のことは感謝の気持ちとともに私たちの脳裏にあります。代理母の方とは今もとてもいい関係で、向こうにも2人のお子さんがいるのですが、年1回ほどのペースで一緒に遊んだりしていて、友達家族のような感じですね。

 娘には隠さず伝えるように

―生まれてきた経緯について、お子さんにお話はされていますか?

2歳ぐらいから、隠さないで伝えるようにしています。「マミーのお腹は、病気で赤ちゃんを育てる部屋がなくなってしまったけど、あなたに会いたかったから、親切な人のお腹のお部屋を借りて、そこで育ったんだよ」って。今は一応理解している様子です。

アメリカという場所や、私の性格も影響していると思いますが、周囲にも話す必要があると感じれば、隠すことはないと思っています。隠すと余計に詮索されてしまったり、誤解が生じたりすることもあるでしょう。それは嫌ですし、子どもや周囲に言えないことなら、やりたくないなって思っていたんですよね。

先ほどお伝えした、「こういう状況であれば代理母出産に前向きに臨むことができる」というビジョンを自分の中で明確にしていったとき、「子どもや周りに聞かれたときに、事実を言えるだろうか。もし、責められるようなことを言われたとき、代理母出産を選択した理由を堂々と伝えられるか、自分自身が傷つかずにいられるか」というのは、常に自分に問いかけていたことです。

そういう意味では、必要と感じたら、もちろん相手の気持ちや文化の違いも考慮したうえで、伝えたいと思っています。

代理母の子どもたちへ、「ママの赤ちゃんのお部屋を私たちに貸してくれてありがとう」と書いた手紙


辛いことがあっても大丈夫。そう言える理由は…

 語ることで、自分が救われている

お子さんが生まれて何年か経ち、ここ最近になって、陽子さんはご自身が体験した代理母出産について、改めて振り返り、語る機会を大切にされていらっしゃいます。そのような心境になったのはなぜでしょうか?

命の問題である妊娠・出産というテーマ、私はそこに加え、代理母出産という方法に向き合う期間も長く、自分が経験したことをうまく言葉で表現できず、整理がつかないまま子育てにシフトしていた状況でした。今は少し子育てが落ちついたので、「自分のなかで置き去りにしていたもの」を振り返る機会が欲しいなと思っています。

今改めて思う「置き去りにしてきたもの」とは、子宮を失い自分で出産することが叶わないかもしれないとわかった時に感じた悲しみと、自分に対する怒りと失望、そしてその答えが見つからずに苦しんだ気持ちです。

そして、リアルに私自身が悩んだことなので、これを何か、例えば今まさに悩んでいる方に届けることで、生かしてもらえるのであればいいなという気持ちがあるんですね。

何気ない友達との会話のなかで、「実は今こういうことで悩んでいて」って打ち明けたら、相手も何か打ち明けてくれるようなことってありますよね。

そんなやり取りのなかで深い気づきをもらうことがあったり、実際の友人関係以外であっても、YouTubeなどで、不妊とは関係なくても、人生の壁にぶつかって乗り越えた人の生の声を聞いて勇気づけられることもあったりして、そんなことを重ねてきて、今の私がある。

ですから、自分の頭のなかが少し整理できて、言葉で表現できるようになったら、私の経験もそんな1つの材料としてお話しできたらいいなと思っているんです。

―実際に体験を語ることで、陽子さんのなかでもプラスの変化はありましたか?

自分をより深く知ることにもつながりますし、自分のことを語ったときに相手から返された言葉やフィードバックに、すごく学ばせてもらっています。なんだろう…「きっと人って、そういうところで生き、生かされているのかな」って感じています。

代理母出産を美談にしたいわけでもないですし、本当にもう二度とあの時に戻りたくないと思うぐらい辛い時間だったのは確かです。

でも心を開いて、飾らずに、自分のだめなところも含めてそのリアルをシェアしていくことで、より深く伝わるものがあると思うし、私自身、話すことで交流が生まれ、「一人で生きていないんだ」と感じて、私のほうがプラスのものをたくさんいただいている気がするんですね。

―陽子さん自身の癒しにもつながっているのですね。

本当にそうです。これまでのいろんな思いが昇華されています。

娘の4歳の誕生日に集まってお祝い

―代理母出産に至るまで、大変な決断の連続だったかと思いますが、「自分の人生だから、納得して決めたい」というまさにその言葉通りの生き方を体現されていますね。辛いことも丁寧に語ってくださり、貴重なお話を本当にありがとうございました。最後に、ご自身の経験を通して、UMUの読者に届けたいメッセージをいただけますか?

不妊治療って「失敗」や「成功」の切り口からだけでみると、辛くなってしまうと思うんです。本来は失敗や成功とジャッジできるものでもないのでは。

他者に「産んでもらう」形で子どもを授かった私の経験から語らせてもらえば、それだけで自分の価値は決まらないし、いいとか悪いとかの話でもないはず。

結果に関わらず、不妊に向き合うことは生き方を問われるプロセスでもあると思うので、その悩み苦しんだ先には、必ず開ける道があると私は言いたいんです。大丈夫だと。

今、私は代理母出産を通じ子どもを授かりましたが、子どもが生まれた時点で、それまでの人生が劇的に変わることではないし、生まれた瞬間から、子どもがいるからと違う人間になれるわけでもなくて。

だからこそ、「産む」「産まない」で分けられたり、自身をジャッジしたりすること自体に意味がないなと身をもって感じたんですね。

究極、自分の身に起こること一つひとつに完全に良いこと、悪いことってないと思うんです。私は結果として子どもを授かったけれど、かたや、振り返ったときに犠牲にしたこともいっぱいあるんですね。

30代から40代にかけてというのは、仕事をしている人であれば一般的には仕事の面でも脂がのってくるような時期かと思うんですが、私はホルモン治療に専念していた時は仕事をしていなかったこともあり、「普段は何をされているの?」と聞かれるのが嫌でパーティーに行けなかったり、人に会いたくないと思ったりする時期があって。こんな風に過ごしていいのかなって思いながら30代を過ごしていました。

子どもが生まれたあとも、それでおしまいじゃなくて、人生って地続きですから、自分が病気を経たことで背負った体の負担とも未だに向き合って苦戦しているところです。

この言葉だけを聞くとネガティブに捉えられてしまうかもしれないですが、一方で、自分の体に向き合って自分を大切にすることを学ぶことができたとも思っています。

「どうして、こんなことになった?」「なぜ、私が?」という想いでぐるぐると悩み、絶望感と無力感しかなく苦しかったけれど、そのおかげで自分の心と体に向き合い、自分を大切にするという学びが始まったんです。この経験がなかったら、自分を大切にすることの深い意味を考えることもなかったかもしれません。

そして、何より、信頼し合い一緒に歩んでいける夫という人生のパートナーがいてくれることに気づけました。

どんなことでも、ポジティブな面、ネガティブな面、どっちもある。だから大丈夫、と伝えたいです。悪いと感じることがあっても、きっと別の見方をすると必ずいいことがある。そのことを自分のなかでリマインドしながら、一つひとつの経験や出来事から学んでいくことが、豊かな人生につながっていくのだと、私は思っています。

取材・文/内田 朋子、編集/青木佑、写真/本人提供、協力/中山 萌


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