UMUのある日の給湯室。

UMUには、コミュニティメンバー、インターン、編集部など、さまざまな立場でさまざまな人たちが関わっています。共通するのは、UMUが好きで関わっていること、だけ。

年齢も住む場所も仕事もまるでバラバラなメンバーたちがランチタイムに、深夜に、自然と集まるここ、給湯室。

UMU的なこと、全く関係ないこと、人生のこと。

結論もオチもなく、すっきりとも終わらない。だけどなんかここで吐き出すと、明日もがんばれそうな気がする。

そんな会話が繰り広げられているある日の給湯室、みなさんにもおすそ分けします。

 

今日の給湯室メンバー


30代女子。最近やってみたマッチングアプリで、運営者の性別役割分担意識が透けて見える気がしてモヤモヤしている。一人暮らしを満喫中。

 

 


30代女子。家事はほぼ自分が担当しているが、たまに珍しく家事をした夫にアピールされてちょいイラ。そのときの心の声「え、それふつうのことだよね?」。しかしにっこり「ありがとう」と言えるデキ女。

 

 


40代女子。生まれ育った東京から1年半前に自然が近い近隣の県に移住した2児の母。
フルタイム夫婦の核家族で、毎日余裕も記憶もふっとばして生きている。

 

 


40代女子。うっかり起業しちゃった女社長。
社長業に加えて家族の介護(未遂)と小さな2児を育てるダブルケアでてんやわんや中。永遠の推しは夫。

 

 

 

 

 

:まだ寒いですねー。コーヒー入れたのでよかったら。

:おー、Yちゃんありがと。いいにおい。

:いただきまーす。

:あ、おいしい。

:最近どうですか、みなさんお元気?

:元気元気。なんかすごい漠然としたこと言うんだけど、人生って鈍感なほうが生きやすいよなーってこと最近よく考えてる。

A:わかりますそれ!結局家事とかも、気になったり気づいてしまうと、気づいた人がやらざるを得なくなるから、「見えない家事」がどんどん私に溜まっていく…。気づかないって、なんて楽なんだ!

:家事やジェンダーのことに限らず、鈍感だったり見過ごしたりするほうが楽なこと、たくさんあるよねー。

:たしかに。でも鈍感な人は「がんばって気づこう」とはできても、気づいちゃう人が「気づかないようにしよう」ってなかなかむずかしい。でもそれでいうと、年を重ねて私は「まあ、いろいろあるけどいっか」ってできるようになった気がする。なんだかんだ言っても老い先もう短いんだから楽しく生きよう、みたいな。

:私はまだむずかしいなー。なんで自分こんなに小さいことまで気になっちゃうんだ、と思ったりするな。

:どんな大事件起こしても、芸能界とかだとサラッと戻って来たりするじゃない。短期間活動休止して、すぐまた主役とか。そういう図太い人が生き残っていくし、図太くいたほうが生きるのは楽だろうなって。

:芸能界は鈍感なくらいじゃないと大変そうですよね。

「生きやすさ」を広義で考えてみると、最近モヤったことがあって。小2の娘が久しぶりの友達と会うのに気合い入れて、かなりトンチンカンな服を着て張り切っていこうとしたんですよ。

でね、保育園児ならまだしも、小2でその変な服の組み合わせ、しかも久しぶりに会うたくさんの友達がいるのになぜわざわざそれを!?という感じになって、私は「着替えたほうがいいんじゃない」ってけっこう言ったんです。

でも後から夫に、「本人がいいと思って着ているのに親がそれを変えさせるのはどうなんだ」と疑問を呈されて。ああ、たしかにそうだよなあと振り返っていて。

そんな感じで、本人の感性と世のなかの常識的なことがずれてきた場合、子どもに対してどんな風に接していったらいいのかなーって思ったりして。

正解を押し付ける窮屈なことはしたくないし、そもそも何が正解かっていうのもわからないんだけど、子どもには無意識的にそれはへんだよ、とかこっちのほうがいいんじゃない、って言ってるなーって。それって自分のなかにあるアンコンシャスバイアスが土台になってることもあるなと。

 

 

:なるほどねー。答えも正解もないんだけど、私は子どもが何かしたときにその子が著しく傷つくとか、要はいじめの対象になるとかさ。そういうことのリスクがどのくらいあるかって考えて、介入するかしないかを決めている気がする。むずかしいけどね、常に将来を見通せるわけじゃないし、予測できるわけでもないし。

:なるほどー。

:実は私の子ども、足の形が少しだけ特徴的でね。そのうち手術するべきか、本人が気にしていないならそのままでいいのか、親戚でも意見がわれていたりするの。

:うんうんうん。

:足の手術と言っても全身麻酔で入院だし、それなりにリスクはあって。いまのところ、私たち親は「本人が決められる年齢まで待って、本人が決めればいい」と思ってるんだけどね、時には、大きくなったらいじめられるから絶対早く治したほうがいいと言われたりすることもあるんだよね。

:そういうので難しいなと思うのは、絶対にいじめるほうが間違ってるじゃないですか。それでも、子どもの個性や特徴を「いじめられるから」とか「社会ではこっちのほうがマジョリティだから」って消して修正していくのは、なんか悲しいなって。

でもやっぱり、親や親族が、この子に社会の中で浮いてほしくないという気持ちになるのもわかるし…。でも、多くの人がこっち側だからってそれが正しいわけでもない。

 

 

:マジョリティとの違いっていうと私も思い出したことがあって。私しゃべり方がゆっくりで特徴があるから、学生のとき男子たちにまねされて、当時は「いじられてる」程度に思って笑ってたけど、今考えると、本心はすごくいやだったかも。

:「いじり」なんだからそんな目くじら立てなくてもさ、みたいなこと言われたりするけど、やられる本人がいやならやっちゃいけないよね、普通に考えて。本人がいじめと感じたら、それは全部いじめなんだし。

:受けている側の気持ちがないがしろにされているんですよね。

:そう考えると、社会がどうとか周りがどうとか関係ないくらい好きなものがあって振り切れたらいろいろ気にしなくなるのかな。没頭できる人は強いというか。

:あと、誰かに全力で肯定され続けるってことじゃない?大人だってそうだよね。誰かに肯定されて励まされ続けている人は、きっとずっと精神状態が高めだよね。

:そうか、じゃあ子どもが変な格好していてもいいか。親が思うほど、周りは誰も気にしていなかったりするし。

:私は子どものころ、見た目にこだわる祖母にあわせて格好を気にしていたから、いまでも「どうみられるか」を一番に考えちゃってるかも。好きな服を着るとか、いまもあまりなくて。「自分らしさ」とか言われると、ドキッとしちゃう。

:そうなんだ。Aちゃんからはそんな印象受けなかったから意外。

:自分らしさと言われると、何か人と違っていなくちゃいけない気もしちゃって。

「自分らしさ」も、押しつけになることがあるっていうことですよね。

:いいテーマ!それもひとつの「呪い」だよね。今度そのあたりみんなで話してみたいね。

 

 

 

 

To be continued…!

編集/UMU編集部